「歴史散歩」

                    伊吹山・古代の関跡「不破関」「愛発関」から越前の古跡を訪ねて

平成28年8月28日(日)  

  新横浜→名古屋→大垣(レンタカ-)→関ヶ原歴史民俗資料館→不破資料館→伊吹山→醒ヶ井

  →  大通寺(長浜)→継体天皇誕生の地(安曇川)→愛発関跡→ホテル(武生駅前)

 平成28年8月29日(月) 

   ホテル→龍双の滝→宝慶寺→白山神社→永平寺→勝山城→足羽神社・継体天皇像→

   織田剱神社→大垣駅→名古屋→新横浜

 

8月28日(日)

台風10号の影響で不安定な空模様ながらまずまずの天候に気を良くし、レンタカーで関ヶ原資料館へ。町民集会をするとか、駐車場は朝から満杯、確保に手間取る。立派な会館である。展示は関ヶ原の戦いを分かり易い映像で丁寧に説明されている。

武将の意匠を凝らした甲冑はいかにも重そう。当時の馬は低いと聞くが、用意された背に乗って実感してみる。勝敗はやはり小早川の寝返りか…?

 

cg.jpg鈴鹿山脈と伊吹山等に挟まれる狭隘な場所にあった不破の関資料館へ向かう。なるほど狭い隘路は関にふさわしい。壬申の乱を中心に展示されていて、大海人皇子が戦をした行路が図解される。ビデオは吉野に逃れた大海人皇子が少人数の軍を率いていかに勝利し、後の基盤つくりをしたか描かれる。関は乱後設置され、大規模な施設であったとジオラマは示す。芭蕉も訪れ句を詠み句碑に刻まれる。横の坂道は中山道である。

 

         不破の関と伊吹山

伊吹山の天候は…?不安がよぎる。ドライブウェイを登るにつれ関ヶ原の町並みが見渡せる。せり出した山間にある事が良く分かる。山半分上は濃霧が掛り、センターラインを頼りに進むが見失う位の深さに緊張が走る。やっと駐車場に付きレインコートを着て頂上を目指す。花々に迎えられて緊張も解け心が和む。鹿除けの網のドアを通り抜け40分程で到着。長年の夢だった日本武尊に会うことが叶ったが

             ヤマトタケルの像       青年像ではなくて残念!この日、直登の道を駆け上がるイベントがあり、大勢の人が霧と汗に濡れて頂上に群れていた。    

下山して醒ヶ井へ。日本武尊が伊吹の神に敗れ目覚めて飲んだと云う清水は、深く透明に澄みバイカモが育つ。その美しさに驚嘆する。

長浜で急遽大通寺に寄り、快慶式・阿弥陀仏を拝し感激の涙。

伊吹山借景の庭に作庭のスケールの大きさを見る。

山はうっすらとしか見えなかったが納得。

 

 

安曇川高校近辺に継体天皇の母の里があるらしいと、かなり走ったが見つからず諦めて敦賀・愛発の関跡の疋田へ。ここは敦賀と近江を結ぶ道で狭隘な地勢を持つが、確定されてないので碑は建てられないと公民館で聞く。

 

地形を見ると舟川沿いの高台辺りに愛発の関は存在したに

      愛発の関付近         違いないと思う。想像を巡らしつつ武生の宿へと急ぐ。    

8月29日(月)

 

8時出発、ナビに従い宝慶寺まで足羽川沿いの林道を走るが、細くカーブの多い砂利道は高度な運転技術を要する。

 

対向車が来なかった事は幸いだった。深い樹林に染まった緑の風を車内一杯に通し心地良い。突然

龍双ヶ滝が現れた。水量豊富に流れ落ちる様は

壮観、二股に分かれて末広がり。難路を厭わず

                     龍双の滝                                  走ってきた事へのご褒美か、思いがけない

                                                                  出会いに感謝。           

深い森が急に開けて明るい中に宝慶寺の山門が堂々と建ち、本堂の入口と直線で結ばれる。開山は道元を慕って来日した寂円、生真面目な人柄だったとか。裏山には寂円観音の周りに忍んで植えたと言う杉が5~6本。応対してくれた僧侶は控えめできりっとした印象。

 

九頭竜川方面に北上し、白山平泉寺へ。越前の僧・泰澄により開かれ、白山信仰の越前側の拠点の寺である。石川県は白比咩神社(くくり姫)、岐阜県は美濃白山神社があり登拝ルートでもある。三つの峰の総称で、阿弥陀・十一面観音・聖観音が充てられる。

 

歴史探遊館の展示は分かり易く学芸員の説明も親切だ。鬱蒼とした木々に囲まれて見事な密集した分厚い苔が素晴らしい。

 

 

模造の天守閣を持つ勝山城博物館を通り過ぎ、曹洞宗本山永平寺へ

向かう。

まず僧侶の説明を聞いた後伽藍内の拝観が許される。磨かれた床を踏締めながら七堂伽藍を回り現在・過去・未来を現す仏殿の釈迦、阿弥陀、

弥勒像を拝す。さすがに平日でも沢山人が訪れる。

 

 

     唐門

 

旅の目的の一つ、継体天皇を祭神として祀る足羽神社に詣でる。足羽山公園に立つ像は、恰幅良く髭を蓄え長い杖を持つ。古墳の上に 置かれているらしい。                     

近辺は多数の古墳を有する豊かな地域であった。男大迹王は越前平野のデルタ地帯で土木・治水を良く為し、豊かな国に作り上げた実績を持って大和政権に迎えられたのだろうか。愉快な想像が膨らむ。

 

      継体天皇像

 

織田一族発祥の地の織田剣神社にも寄り、大垣で車を返し名古屋からひかりで帰路に着く。2日間

良く走り回った自分好みで充実の旅であった。