210716③「生命の定義」 物理学で定義しなくてはならない。
今回は、宇宙で生命をどのように、定義出来るかについて話す。これは生命の普遍的なテーマが与えられるか否かということである。まず、物理的に考えねばならない。物理学はまさに、宇宙を定義し、未来を予測しているからである。
生物学は、この地球上でしか成立していないという事での、普遍性である。
「地球外生命を探る」ということなので、生命と言うのが、何か普遍性を持つのかという事を、物理的に考えてみよう。
(生命とは何か)シュレジンガ-
生命の物理的観点からの議論は、シュレジンガ-が、行っている。彼の著作「生命とは何か」。
生命体の空間的境界で起きる、時空内での出来事を物理学・化学で説明するには、どうすれば良いかという問である。
彼の結論は、「生命は環境から、負のエントロピ-を抽出するという性質を持っている」
エントロピ-とは、エネルギ-や物質が拡散して、やがて熱力学的平衡に達する、そういう風な傾向があるという事を、いっている法則である。
負のエントロピ-とは?
生命が無秩序から秩序を生み出す熱力学第二法則に背くには、生命体を作る為の指示書を、何らかの形で高度化した分子的実体が存在しなくてはならない。彼の当時は、まだDNAがどんなものかと
いう実態が分かっていなかった。だからこういう云い方をしている訳である。秩序を生む為には、
何か指示書があって、その通りに秩序を生み出しているのだというのが、彼の考えである。
(生命と熱力学第二法則)
ある化学反応において、エントロピ-が増大する場合には、その産物は、反応物に比べて無秩序で乱雑である。
生命と言うのは、化学秩序の上に成り立っている。その沢山の反応を、代謝という。その化学反応によって、秩序が生まれるか生まれないかというのは、蛋白質について、考えて見ると分り易い。タンパク質はアミノ酸から出来ている。アミノ酸に加水分解される場合は、反応物に比べて、産物の数が多くなる。そうすると、アミノ酸という産物は、自由に動き回ることが出来るので、自由度が増える。加水
分解反応では、エントロピ-価はプラスになる。いわば無秩序になる。
集まっている大きな蛋白質の場合は、当然その材料となる多くのアミノ酸の溶液に比べると、自由度が低く、蛋白質と言うものになっているものは、秩序がある。エントロピ-は低いのである。これが分解されて、アミノ酸の状態になると、秩序は低くてエントロピ-は大きくなる。
生命は秩序を維持するためには、絶えずエネルギ-を注力しなければならない。
エネルギ-を注力するという事は、エネルギ-第二法則に矛盾しない。
エネルギ-と言っても、物理的には複雑で、利用できるエネルギ-でなければならない。自由エネルギ-とエントロピ-は、関係しているという事である。
結局、物理的に生命を考えると、単に生命の性質を列挙するだけでは足りない。
コールスディビスは、シュレンジンガ-と全く違う観点で、それを言っている。
物理学が扱うべきなのは、生命力と言うもう一つの力ではなく、物質と情報、全体と部分、単純さと
複雑さを結びつける、もっと捉え難い何かを論じなければならない。問題をその様に整理している。
例えば、非生命から生命への上り道は、生きていない物質から生きている物質へと途切れなく続く、長く穏やかな道だったのか、そりとも物理学でいう所の、星雲に近い一連の急激な大変化を伴っていたのか、という問題である。なだらかな坂道か、階段になっているかということである。
科学的環境に絞った説明だけでは、何かが欠けている。
生命体と言うのは、平衡状態からはるかかに、遠くかけ離れているし、生物が機能し続ける為には、環境からエネルギ-を取り込んで、何かを排出し続けなければならない。その為に、環境との間に
常にエネルギ-と物質の交換をやっている。
そのライフプランの詳細を保存しているのが、核酸で、蛋白質がその生命体を機能させ、生きる為の下働きをしているのが、こういう視点からの構図になる。
だから生命の定義には、この両方が組み込まれなければならない。化学情報である。情報に注目して、生命を定義する試みもあって、生物物理学者のエリック・スミスは、エネルギ-の流れと貯蔵が、情報の流れと保存に関係づけられた化学システムが生命だと定義している。
生命を静的な対象として捉えるか、動的な対象として捉えるか、生命の特質を生きているという状態に規定する。生きているというのは、エネルギ-とか物の流れがある状態を言う。
視点を宇宙に広げると、当然そういう状態に着目した生命の定義という方が分かり易い。今、コール・ディビスの言葉に、生命力と言う言葉が出てきたが、生命力とは何かというと、アリストテレスは、生命とは何かを目的論と言う概念で規定しようとした。その目的論とは何か。生命は、予め決められた何らかの計画に従って、意図的に振舞い、その活動は最終状態に向けて、あるいはそれを目指して進められる。それが生命であるとした。
(ウィールスは生命か)
狭義の生命とは何かという、地球生命に特化した議論があるが、ここで考えなければならない問題が二つある。生命は発見されていないというN=1問題である。もう一つはウィルスと言うものが存在する。このウィルスは遺伝子を持たないので、それ自身では代謝は行わない。生命とは分類されない。
しかし生命と非生命の境界をくっきりと分ける必要はないのではという疑問がある。
この曖昧な所にウィルスは位置していると考えられる。
ウィルスを生命にまで含めるような考え方でいけば、このN=1問題はクリヤ-出来る。
更に区画された内側と外側、それが細胞と環境であるとしたが、この宇宙でそういう区化された内側と外側と言うのは沢山ある。例えば、星、地球・・・・・ 内側と外側で物やエネルギ-のやり取りをするのである。
現在の所、普遍性を持つ生命の定義はない。
視野を宇宙に広げると、どんな問題が出てくるか。宇宙における秩序の乱れを加速する作用を、生命は持っているとも考えられる。
その営みは、エネルギ-の散逸を加速させ、宇宙の死期を早めていくと考えられる。
どういうことかと言うと、生命は細胞と言うレベルで、生命体というレベルでも、境界で区切られた内側であるが、外側は環境だとすると、開放系が生まれるということは、外側に無秩序を生み出している。外側は宇宙な訳だから、
生命が作られれば作られる程、宇宙は無秩序が増えていく訳で、逆説であるが、宇宙の乱れを加速するのが、生命なのである。
宇宙には炭素などの元素やカリウムなどの分子が豊富に存在するから、地球と同じ様な惑星が存在してもおかしくない。生命を構成する化合物が、宇宙にどれほど分布するか。
この宇宙が、科学原則が支配する宇宙であるならば、この宇宙に生命が存在しないという考える理由はない。
アストロバイオロジ-的な(宇宙生命学)では、どの様なことを議論するかというと、「生命とは繁殖と進化が可能な物質である」ということでいいと思う。
「生命とは何か」 講師の考え 私が生命とは何かどう考えているかを述べる。
生きているという状態に注目したい。生命とは進化する科学システムではないか。
これを宇宙に拡張して考えると、N=1問題は克服できる。
宇宙の解放系はどの様に変化してきているかというと、流れを拡大し、効率化している。その結果形や構造が変わり、それが進化という現象ではないか。
その特徴は、エネルギ-流量密度と言うので測れる。
実際に計算すると、この宇宙は開放系の流量密度は、増加している。生物と文明の進化による。
但し、星や地球の進化と、生物・文明の進化とは違う。違いは、世代交代にある。生物は世代交代をする。微生物や宇宙には、世代交代は無い。
「地球も生命も化学反応の世界である」→電子の流れ
物理的に言えば、電子の流れである。電子のやり取りが、反応を促し、結合を作り出す。生命は、電子の流れなのである。生命も地球も巨大な電子回路である。
地球表層システムは、太陽からのエネルギ-の流れによって、維持されている。ここで、
エネルギ-の流れが増えているかが重要。
太陽は、輝き方を増している。今後は更に増す。誕生時には、今より暗かった。地球表層システムに入ってくるエネルギ-の量は、増加する。
もう一つの問題は、N=1問題。生命はまだ地球でしか、見つかっていない。
「生命と非生命」 仮死状態 ウィルス →またも 生命とは何か
これは、生命と非生命の間を、どう考えることに依っている。
生命に仮死状態と言うのがある。一切活動しない、でも環境が条件を満たすと、活動を始めるという事。これをどう考えるかという事が、生命と非生命との間を、考えるときに関係してくる。
ウィルスも同じである。ウィルスと言うのは、DNAとかRNAとかいうゲノムを持っている科学的存在である。
ゲノムには、遺伝子が含まれている。ウィルスは、自然淘汰によって進化できるので、マラーの法則を満たして、生命といっていいのだが、一般には生命とは言わない。
何故か、ウィルスが繁殖する唯一の方法は、宿主の細胞に感染して、それを乗っ取る手段であるからである。
この手段は、宿主による細胞環境と独立して機能することが、できないので、宿主が死ぬとウィルスも死ぬ。
細胞内で増殖できる、生きている状態と、細胞外で化学的に不活性なウィルスとして存在するという、生きている状態と、生きていないという状態を循環しているので、仮死状態と同じである。微生物の中にも、このようなものは多数ある。
しかし、人間が本当に生きているのかと言えるのか、植物・動物に依存している。
生命体として、それ自体で生きているものは、生命と非生命の境界をどう考えるかにより、N=1問題は左右される。
「コメント」
難行苦行。またもや、唐人の寝言になったが、GIVE UPだけはしなかった。