(科学と人間「毒と薬の歴史をひも解く」 日本薬科大学教授 船山信次
190125④「中世の薬と毒-魔女と暗殺と大航海時代1」
中世は西洋史では5~15世紀とされるが、ここでは平安時代が終了し江戸時代が確立する所までとして話す。
この時代の幕開けとして茶の伝来が有り、南蛮貿易を通じて西洋の情報が入るようになる時代でもある。更にヨ-ロッパでは、インド原産の胡椒を入手する為に大航海時代が始まる。インドを目指したコロンブスが1492年に出発、西インド諸島・キュ-バ・ハイチ・ジャマイカ・南アメリカ北部・中央アメリカに到達。
ヨ-ロッパの民間伝説には魔女が登場する。悪魔と結託して、魔薬を用いたり呪法を行ったりして、人に害を与えるとされた。彼女らは薬と毒に詳しい人々が多く、ナス科マンドラゴラ(マンドレイク)を使用したと思われる。
マンドラゴラは古くから薬草として用いられたが、魔術や錬金術の原料として登場する。根茎が幾枝にも別れ、個体によっては人型に似る。興奮、幻覚、幻聴を伴い時には死に至る神経毒が含まれる。人のように動き、引き抜くと悲鳴を上げて、聞いた人は死ぬという伝説がある。アトロピンなど数種のアルカロイドを含む。珍重され、採取する為に犬を使用する。聖書にも登場し、西洋の古代から用いられてきたとされる。
(日本の中世)
「茶の伝来」
最初に茶を伝えたのは最澄(天台宗の祖)で、遣唐使の時、唐から茶の種を持って帰り、比叡
山麓坂本に植え、その茶園が現存。飲茶が薬用とされたのは、栄西(臨済宗の祖)が宋の風を
伝えたことによる。「喫茶養生記」
「アヘンの伝来」
ケシ(Opium poppy)の未熟な果穀に傷をつけた時に分泌する乳状液を乾燥して得たゴム様
物質。我が国への伝来は、南蛮貿易によって青森である。その為、俗称「ツガル」と言う。戦前は
国内、植民地で大規模栽培されていたが、敗戦後GHQによって禁止され、1954年の
「あへん法」で規制されている。
規制の対称
・アツミゲシ アフリカ原産
ケシの別種であるが、アルカロイドが抽出可能とされている。渥美半島で確認されたので
命名された。
・ハカマオニゲシ ペルシャ原産
麻薬類似成分のテバインを含むので規制される。
「低温殺菌法」
室町時代、日本酒の醸造で火入れが行われ、醸造が終わった後、60度で加熱する。これは雑菌が
入らない為の操作である。19世紀のパスツ-ルがワインの腐敗防止の為に創案した。この為
パスツリゼ-ションと呼ばれる。現在は牛乳の殺菌に広く用いられ、種々の食品にも応用されて
いる。これに先立って日本では行われていた。
「トウガラシの伝来」
南蛮貿易で伝来したので、ナンバンと呼ぶ地方もある。秀吉の朝鮮出兵時に日本から朝鮮に行き、
朝鮮では倭(わ)からしという。
「トリカブト」 キンポウゲ科の多年草
ドクウツギ、ドクセリと並んで日本三大有毒植物。日本には30種が自生し、名の由来は花の形から
来ている。英名は僧侶のフ-ド(monkfood)。トリカブト全体に毒があり、根を乾燥させたものは、
漢方で生薬として用いられ、鳥頭(うず)、または附子(生薬はぶし、毒はぶす)と呼ばれる。
ホ-ムセンタ-で根には毒があると書いて、売られているのには驚いた。
「亜ヒ酸」 別名石見銀山→銀採掘の副産物の砒石で製した殺鼠剤。
色・味・匂いが無いので、理想的な殺人剤。後に砒素の検出法が開発された(マッシュ法)ので、
殺人に使われることは減少した。この為「愚者の毒物」と呼ばれた。
「漢方」 中国から伝来した医術。 Kanpo(漢方)或いはJapanese traditional medicine
(日本伝統医学)
古代中国で発達した医学が日本に伝えられ、それが日本の風土の中で発展した医学の総称で
ある。オランダ医学を蘭方と呼んだのに対する言葉で、江戸時代からの使用。
(西洋の中世)
「ジャンヌダルク」
フランス農民の娘。英国との百年戦争で、仏軍を指揮し勝利。活躍が出来たのは、先述のマンドラゴラ(マンドレイク)の霊力を借りたとして、宗教裁判にかけられ火刑。魔女といわれる人々が出るのはこの後である。マンドラゴラは帰化植物のチョウセンアサガオにも含まれる。
「ドラゴンナ」ナス科オオカミナスビ属 和名 オオカミナスビ・オオハシリドコロ・セイヨウハシリドコロ
イタリア語で美しい婦人の意で,瞳孔を拡大する散瞳剤として使用した。全草に毒を含み、最悪死に至る。トロパンアルカロイド。
同じナス科の一年草で、熱帯原産のチョウセンアサガオもアトロピン系のアルカロイドを含む。
「魔女の宴会」
これらのアルカロイドを服用すると、興奮しその間の記憶が飛ぶことがある。その為に魔女はこれ等を服用して、魔女の宴会に出てまた戻ってくるのだと考えられていた。現在もドイツで祭りとして行われているとか。この時期、ヨ-ロッパでは薬局や薬剤師が存在した。
「ボルジァ家の毒薬」
15~16世紀イタリアで勢力を奮ったボルジア家が暗殺に用いたとされる。チェザ-レとルクレチアの兄弟が有名。毒殺に用いられたのがカンタレラといわれ、死んだ豚の肝臓の死毒プトマインに、
亜ヒ酸を加えたものではないか。これは量により、即効性と遅行性にもなり得る。この毒は亜ヒ酸だけでも十分効力はある。和歌山カレ‐事件は大量で即効性である。
中世ヨ-ロッパでは、毒は殺人術の一つとして一般的になり、シェ-クスピアの作品にも薬や毒が
良く出てくる。
「解毒剤」
毒の有用性が高まると同時に、解毒剤も工夫されていく。毒に対して、科学は発展途上で不分明な所が多かったが、知識・経験は蓄積されていく。
「コメント」
ヨ-ロッパの毒の歴史の毒の歴史は凄まじい。当時の日本は可憐なくらいで、せいぜい猫いらず。
毒と薬は表と裏だなと実感。