科学と人間「漱石、近代科学と出会う」 小山 慶太 (早稲田大学教授)
161118⑦「漱石はロンドンでなぜ原子論に興味を抱いたのか」
「漱石ロンドン留学へ」
今日は漱石の人生に大きな転機をもたらしたロンドン留学時代について話す。明治33年(1900年)
熊本の第五高等学校に在職している時、文部省の命を受けてイギリス留学。海外生活を通じて科学への関心を急速に深めることになる。一般的には留学した場合は、どこかの大学か研究機関を拠点にして生活するかを決めねばならない。漱石はケンブリッジ大学を訪ね下見をして、留学している
日本人から話を聞く。しかしそれらの日本人は、殆どが裕福な家庭の坊ちゃんで、所謂遊学の徒で
ある。社交に忙しく経済的にも大変。又その学問のレベルも低く期待外れ。こうしてケンブリッジを
断念する。その時の様子を帰国後「文学論」の序文に書いている。
「余が政府より受ける学費は1800円/年で過ぎざれば、この金額にては全てが金の力に支配される当地に於いて彼ら(裕福な坊ちゃんたち)と同等に振る舞うことは思いもよらず」
学問書に個人的な事をある程度書くのはやむをえないが、わざわざ留学費まで書かなくても、又遊学の徒の事を悪く書くことも有るまいとは思われるが。
友人に宛てた手紙にはこうも書いている。「折角英国に来たので本を沢山買いたい。所がめぼしい
ものは30~40円。本も満足に買えない。」
・大学に通わない→下宿に引き籠る
ロンドン大学で文学の講義を聞いたが、聞く価値はないとしてすぐ辞めてしまう。結局シェ-クスピア学者として有名なクレ-グ博士の個人教授を1年間受けることになる。この先生については後に
「英国小品」という作品の中に紹介している。大変心温まる話がある。文庫本になっているので読む
ことをお勧めする。
(英国小品→日常に題材をとったものや、ロンドン留学時代に題材をとったさまざまな小品から
なる。)
個人教授以外は一人下宿に籠って読書とその纏めに専念した。これは一般的な政府派遣の留学生スタイルではない。
現地の一流の学者の教えを受けて勉強に専念するので本筋。本を読むだけなら日本ででもできるのである。いわば引き籠り状態、精神的にも行き詰ってしまう。
・化学者池田菊苗との出会い
留学2年目に日本人化学者が訪れる。3歳年上で後東京帝大教授となり、味の素(グルタミン酸ナトリュウム)の発見で知られる。ドイツライプチッヒ大学に留学中でイギリス王立化学研究所での研究をする為にロンドンに来た。この人との出会いが、科学に対する関心を深める大きなきっかけである。当時の漱石が文学研究で苦しんでいた様子を、「文学論」の中でこういう風に書いている。
漱石ならではの印象的な表現である。
「余は下宿に立て籠もりたり。一切の文学書を行李の底に収めたり。文学書を読んで、文学の如何
なるものかを知らんとするのは、血をもって血を洗うが如き手段たるがを信じたるがなり。」文学から距離を置く別の方法を探さねばならない」と言っているのである。こういう時に池田菊苗に出会う。
畑違いの科学者と相性も良かっただろうが、二人は肝胆相照らす仲となる。4ヶ月の同宿であったが、漱石は大いに刺激を受ける。漱石は池田菊苗の事をこう書いている。
「目下は池田菊苗と同宿だ。同氏はすこぶる博学で色々なことに興味を有している。且すこぶる見識のある、立派な品性を有している人物だ。近頃は英文学なんて勉強するのは馬鹿馬鹿しい感じが
する。」
又漱石夫人に対して手紙にこうも書いている。
「近頃文学書は嫌になった。科学の読み物ばかり読んでいる。当地では材料を集め、帰朝後第一巻を書こうと思っているが、俺の事だから当てにはならないが。」
・寺田寅彦への手紙
当時帝大の物理学科に進学していた。
「英文学なんてやっても仕方ない。どうせ学問をやるならコスモポリタンなサイエンスをやるに限る。」
要するに教え子に物理学をしっかりやりなさいと言っているのだ。また別便で次のように言っている。
「本日の新聞でリュッカ-教授のBritish Science Association(イギリス科学振興協会)でやったAtomic Theoryに関する記事を読んだ。→素粒子物理学の事。 とても面白かった、私も科学をやりたくなった。この手紙が着く頃には、君もこの講義を読むであろう。」この詳細は科学雑誌
Natureに出た。
「漱石の科学への理解」
「文学論」の中で次のように言っている。
「科学者の事物に対する態度は、細胞的・破壊的にしてその極致に至らざれば、止まず。物を原子にまで分かつ。」
これは科学の有り方について的を得ている。この考え方はロンドン時代に科学に目を開いてNatureなどを熱心に読んだ結果であろう。
「コメント」
漱石の作品を読むと、普通の作家と違う視点・人の見方・感受性の鋭さがある。この原因の一つが、科学大好き人間で客観性を大事にしていることであろうか?
又交友関係が様々に広がっていて、いわば異分野交流。これでないと人間面白くない。蛸壺のタコなど煮て食うしかない。