220125④「アマテラスをまつる倭姫命」

前回まで古事記、日本書紀更に、古代の祭祀氏族であるアメノフトダマを祖神とする、斎部(いんべ)氏の独自の伝承を記した「古語拾遺」を、中心に、アマテラスと天の岩戸の神話伝承を中心に話した。第一回はアマテラスを取り上げて、実はアマテラスも高天原では神を祀る女神であったことを確認した。

そして、第二回目には、アマテラスを天の岩戸のから引き出すのに大きな力を発揮したアメノウズメ、そして第三回では、天の岩戸から現れたアマテラスに仕えたオオミヤノメについて取り上げた。

「アメノウズメとオオミヤノメの神」

アマテラスに仕える女神たちの視点で、アメノウズメ、オオミヤノメの神を見ると、この二柱の神は、

どちらも神かがりする女神の原型ともいえる。どちらも神の心を和ませ、そして鎮めるという働きが言われるが、特にアメノウズメは神楽をもって、アマテラスの怒りを解き、オオミヤノメの神は、天の岩戸から出てきたアマテラスの側に侍り、麗しい言葉でアマテラスの心を和ませる存在であった。
この二柱の女神は、アマテラスが現れる、つまり神の顕現という事に関わっているのが重要である。とくにアメノウズメは、天孫がこの世に降臨する時に、突然天孫の前に現れた異形の怪しい神に対して、立ち塞がり猿田彦という名を聞きだす。そしてその正体を明らかにする。

江戸時代の国学者平田篤胤は、このアメノウズメとオオミヤノメは同一神であるとした。

 

今回はアマテラスを祀る女神たちについて話す。

()アマテラスを意味する。

日本書紀では、アマテラスは天上を治める神であって、天の下 豊葦原の国を治める神ではない。それはアマテラスの子孫に継承される。アマテラスの孫のニニギノミコトが降りる時の話である。

ニニギノミコト=アメノオシホノミコトの子

(天孫降臨の時の様子) 日本書紀

アマテラスは、宝の鏡をもって、御前はこの鏡を、私を見るように敬って見なさいと言って授ける。→同床共殿   つまり天皇によって、アマテラスが宮中で祀られるべき事を意味している。

(神が宮中から移動する) 神の怒りを恐れる 

所が、このアマテラスの神勅が守られなく事態が起きる。崇神天皇の時である。「流行病が起きて、人々多く死亡し、疲弊した。こうした事は天皇の徳をもってしても収められなかったので、天皇は恐れ慎み天津国の神々に謝罪した。

この様に世を治めることが難しくなった天皇は、神々の怒りを恐れて、神々と一緒に住む事に不安を覚えた。

ここには古代の日本の神々に対して恐れるという、畏怖の念が記されている。古代日本の神々は、まず第一に祟る存在であり、畏怖すべき存在であった。例え天皇家の皇祖神であるアマテラスであっても、祟りをおこすという考え方があって、日本の六つの歴史書(六国史)の最後の「日本三大実録」には、次のような記述がある。

9世紀の清和天皇の御代、流れ星があったので、占った所、これはアマテラスが祟っているのだという事になる。大極殿で伊勢の大神を祈らせ、悪いことが起きないように祈願したとある。

恐い存在であるので、神に仕えるにはアメノウズメやオオミヤノメの様に、神を鎮めたり和ませる働きが重視される。

崇神天皇の事に戻る。

(笠縫村)檜原神社

崇神天皇が皇居内に並び祀っていた、アマテラス大神と国つ神の大国魂を恐れて他所に祀ろうとする。

豊鋤入姫命(とよすきいりひのみこと)はアマテラスを笠縫の村に祀る。檜原神社とする説が有力。

これでアマテラスを天皇が直接祀るという、アマテラスの神勅は解消される。崇神天皇は、アマテラスを祀ることを、皇女の豊鋤入姫命(とよすきいりひのみこと)に任せてしまう。豊鋤入姫命(とよすきいりひのみこと)は、皇居の外で、アマテラスを祀ることになる。

(伊勢神宮)

次に垂仁天皇の時に皇女の倭姫命に委託される。そしてアマテラスを鎮める場所を、探しての旅となる。伊勢に至ってアマテラスは言う。「神風の吹くこの国に居ようと思う。」そして、斎宮を五十鈴川のほとりに立てた。このように、アマテラスが皇居を離れて、伊勢の国に祀られるまでが、日本書紀には詳しく書かれている。

同床共殿という神の神勅は守られず、10代崇神天皇の時に豊鋤入姫命(とよすきいりひのみこと)によって、外に出され、11代垂仁天皇の時に倭姫命によって伊勢の国に祀られた。これによって伊勢の神宮の始まりは、アマテラスを祀る皇女たちである事か分かる。

 

伊勢神宮は、アマテラスを祀る皇大神宮、内宮とも言うが、この内宮と豊受の大神を祀る豊受大神宮の二つを中心に、125の神社群から成り立っている。

外宮に祀られている豊受大神は、アマテラスに仕える神であった。第一回で話した、ツクヨミの命が

保食神(うけもちのかみ)を訪ねた時、口から食物を出してもてなしたので、怒ったツクヨミの命に殺されたが、それが豊受大神の祖とも言われる。

(雄略天皇と大御食)

神宮最古の文献「皇太神宮儀式帳」→ 神宮宮司中臣氏が提出した神宮の様々な事の報告書

と共に、止由気(とゆけ)宮儀式帳に、示されている。これらを合わせて、神宮儀式帳とも言われる。

それによると、雄略天皇の時、アマテラスが夢に出てきて次のように言う。「私は高天原に居て求めた所に鎮まったが、一ヶ所にいるのは苦しい。それだけでなく、大御食(おおみけ)=神の食事も、心やすく取れないので、丹波の国にいる私の御食神=豊受の大神を私の元にと」天皇は驚いて、丹波から

伊勢の渡会の山田の森に宮殿を造営して、アマテラスの食事をここで供したという。

(伊勢神宮と倭姫命)

倭姫命が伊勢神宮に、アマテラスを鎮め祀ったという神宮の神話伝承は、日本書記、皇大神宮儀式帳にも詳しいが、特に倭姫命について、書かれた書物に「倭姫世記」がある。それによると、伊勢神宮の諸儀式、仕組み、組織などは倭姫命によって定められたとしている。更に、神を祀る際の心構えが記されている。この倭姫命世記は、伊勢の神官たちにとって、極めて重要な署として信仰されてきた。
アマテラスを祀る伊勢神宮に於いて、倭姫命が極めて重要であったことが分かる。

(倭姫命とヤマトタケル)

ここで気になるのは、古事記にある景行天皇の皇子でヤマトタケルの名があることである。熊襲を討つように言われ、復命したばかりで、次は東を討てと言われる。この命令をヤマトタケルはとても悲しがって、伊勢に行き、伯母の倭姫命から草薙の太刀と、袋を授けられる。

 

この様に伊勢神宮を舞台に、神々を祀る様々に女性たちを考えていく。

 

「コメント」

 

昔、読んで今はおぼろになった知識を再確認の話。出来れば、同床共殿と言われた神勅が、崇神天皇の時に簡単に破られたのか。その理由位自分の考えとして言ってほしかった。でなければ、単なる古代史講義となってしまう