201229⑬「栄山江流域における前方後円墳の造営の背景 その3」最終回
現地は在地系の方台型が主流であり、倭系の円墳、前方後円墳と混在している。共通なのは、北九州系とみられる横穴式石室である。前方後円墳の埋葬者は誰れか。講師は現地の有力者とみる。カギは当時のこの地の置かれた政治的な環境であると見る。倭と繋がっている百済との影響が大きいのではと。倭の前方後円墳スタイルでの、百済・倭へのアピ-ルなのだ。
「コメント」
この講座の予告を見て期待したが、完全に期待外れ。何ら目新しい話はない。倭系円墳、前方後円墳についても現地有力者が、倭への協調姿勢を出す為というが、果たしてそうか。講師の基本姿勢に朝鮮への過度の配慮が目立ち、日本の影響を極力なかったとの説に立とうと、無理を感じる。素直に北九州の強い影響下のあるとするのが自然なのではないのか。何の勉強もしていないのが言うべきことではないかも。