201124⑧「海の向こうから見た古墳時代の東日本 その2」
上野の地域を対象にして5世紀末から6世紀にかけての状況を見ながら東日本地域の状況と朝鮮半島の繋がりについて話をする。そこで取り上げるのは群馬県安中市にある梁瀬二子塚古墳である。
「概要」
横穴式石室を持つ前方亜後円墳。有力豪族の墓。多数の副葬品を出土。6世紀前半。朝鮮半島の影響を受けた最古の横穴式石室を持つ。副葬品から朝鮮半島と、倭王権との繋がりを示している。
・倭王権との繋がり 捩り環頭太刀・ペンダント・
・朝鮮半島との繋がり 金箔ガラス玉・耳飾り
移入されたのか、現地で制作されたのかは不明。移入されたとすれば、日本海-内陸ル-トであろう。
また朝鮮半島の影響を受けた石製模造品化は、毛野(古墳時代の地域・文化圏の一つ、群馬県と栃木県南部)の人々が、多く朝鮮半島と関りを持っていたことを示す。
こういう地域の有力者はどういう形で朝鮮半島との繋がりを持っていたのか。倭王権と有力豪族と地方の有力者の連合体が、朝鮮半島の新羅・大伽耶と交流していたと推定される。
「コメント」
古墳とその副葬品から、影響を受けた所を推定しているだけ。埼玉稲荷山古墳の太刀からも倭王権の影響ははっきりと分かっている。先進文化である朝鮮半島からの影響は言うまでもなく。早くもっといい話を聞かせてよ。来週は磐井の乱、さてどうなるか。