191217⑫「譲位制の成立と展開(2)」
8世紀の男性天皇で生前譲位を行った聖武天皇と光仁天皇を見ていく。
生前譲位には、後継者問題が大きく関わっているのだ。
「聖武天皇」→孝謙天皇
文武天皇の皇子(首皇子)、妃は光明子(藤原不比等と県犬養三千代の子)。
娘の阿倍内親王を皇太子(孝謙天皇)として、男性天皇として初めて譲位した。
継承者としての正当性が低いので、生前譲位してそれを補完した。父聖武没後は、光明皇后、藤原仲麻呂(恵美押勝)がバックアップ。孝謙天皇に反対する橘奈良麻呂の乱などが発生。
孝謙天皇となっても未婚の為、皇位継承も見通しが立たず、混乱が続くことになる。
「光仁天皇」→桓武天皇
天智天皇の曽孫。志貴皇子の子(白壁王)。
称徳女帝(孝謙女帝が重祚)が崩御、これまでの政変で有力継承者が無くなり、62歳で即位。
皇后井上内親王との間の子、他戸(おさべ)皇子を皇太子とするが、天皇を呪詛したとして皇后と皇太子が廃され、死去。
山部王を皇太子とした。当初山部王は母の出自が低いとして、継承者の可能性は少なかったが、藤原式家の支援があったとされる。
両天皇の場合には、後継者に正当性が低く、それを補うために天皇が生前譲位し、それを支えたのである。
「コメント」
生前譲位は、継承の正当性が低い場合に行われるというと、現天皇の場合を連想してしまう。
この講座のタイミングは少し悪すぎではないか。天皇の半数が生前譲位しているのだから、もう少し多数の例を見なければ、何とも云えないのではないか。