191015③「世襲王権の成立と合議制~6世紀の古代王権(1)」
5世紀にそれまで大王を輩出していた一族が25代武烈天皇で断絶し、26代継体天皇が紆余曲折の後、即位する。
「継体天皇」
記紀によれば15代応神天皇の5世孫とされる継体天皇が大阪枚方市樟葉の宮で即位。しかし5世という点、即位までの異例の時間・経緯から、従来の大和政権とは全く違う地方豪族とする説もあって現在も議論は続いている。又皇后に前天皇武烈天皇の妹を迎えたりと(入り婿の形態)、即位への様々な経緯があったことが見える。
この時代は、朝鮮半島との関係も混乱し、新羅と通じた「岩井の乱」などもあった。この辺の事情は、記紀や朝鮮半島の資料にも出ている。
「継体の後の大王」
27代安閑、28代宣化、29代欣明と継体の子孫が続くが、この交代にもいろいろな争いがあったことが、記紀からも伺われる。欽明天皇で落ち着く。
「6世紀の天皇」
継体即位後の混乱も、6世紀には収まり一つの系統に統一された。以後、大王は資格、能力、資質ではなく、:血統重視となっていく。
・欽明天皇 継体天皇の第四子。この時代に百済聖明王から仏像が伝わり、いわゆる仏教公伝。記紀によれば552年、上宮聖徳法皇帝説によれば538年。
「コメント」
6世紀で天皇の系譜の道筋は定まった。史実上の万世一系の始まりであろう。今回の講義は、継体天皇の出自や、大和政権の朝鮮半島との関わりを詳しく述べた。大伴金村の任那割譲とか。