190924⑬ナポレオン誕生250年「学術文化の重視と文化財の略奪」

「教育の充実」

ナポレオンは言葉の力を翌理解して、国や社会がどうあるべきかを明確な言葉で発することの重要さを弁えていた。 

その背景は軍隊の指揮官としての若い時からの経験と、読書家でもあったこと。ブリュ-メル革命で統領政府のトップとなり更には終身皇帝となって、近代国民国家形成には、中核となる国民の育成が必須であることを認識していた。

又リーダ-を育成するための教育機関の設立を行う。学者・教育課を育成するための「高等師範学校」。先端的技術者養成の「エコールポリティアック」(理工科学校)。後には職業軍人養成機関の性格も帯びる。

「文化・芸術の興隆」

(フランス国内) 

ナポレオンはパリを世界文化の中心とする構想を持ち、まず文化財をパリにと、ミュ-ジアムを創設。まずは国内の、次には占領地の文化財を収集した。この背景にはいわゆる百科全書派(ダランベ-ル・モンテスキュ-・ルソー・ヴォルテ-ル・・・)の思想的影響及び17世紀以降の科学技術の進展が

影響した。

既にルイ16世はル-ブル宮殿の一部を一般公開していた。革命後はこれを共和国ミュ-ジアムとし、次にはナポレオン美術館とし、ルーブル博物館となる。

フランス パリこそが世界トップの文化的都市であるとして、各国の文化財を集約した。この動きはヨ-ロッパ各国の植民地展開の相まって進展していく。

 

この考え方のベース。

・文化財は人類共通の財産である。文化都市であるパリに保存すべき。→現在各国で返還要求が出ている。

(外国)

先行していたのは英国。王立協会(英国学士院)が大英博物館。各国でも王家の文化財を博物館化。

「フランス革命が各国に与えた影響」

ナポレオンの強力な軍事政権は、各国に国家という概念を強めることになる。近代国民国家樹立の切っ掛けを与えた。

王家を中心としたものから、国家を主体とする近代国家への意識が高まった。

フランス革命に始まり、ナポレオン帝政と続くフランスの動きが、政治的・社会的・文化的にもその後の世界へ大きな影響を与えたのであった。

 

「コメント」  知らなかったこと。

王家の圧政による単なる民衆の蜂起と思っていたフランス革命が、その背景に大航海時代に始まるヨーロッパの覇権争い、当時の気候異変による食糧事情の悪化、自由・権利の平等を求める

啓蒙思想、科学技術の進歩など、起こるべくして起きたものであったことを理解した。又それが世界各国へ波及していく。

ナポレオン誕生の背景もやっと分ってすっきり。革命の混乱期に登場した英雄であったのだ。