1908903⑩ナポレオン誕生250年「コルシカの若者が権力の座に着くまで」
ナポレオン生誕は1769年。コルシカの有力な貴族ボナパルト家の次男。今年は生誕250年。
コルシカは生誕前年まで、ジェノバの支配下にあったが、独立運動に手を焼いたジェノバは1768年に、フランスに売却した。以後フランス領。
「コルシカ」
四国半分の山地の多い小さな島。首都 アジャクシオ。仏領以後も独立運動は続き、
独立派ボナパルト家は弾圧される。
「ナポレオンの前半生」 まことに目まぐるしい展開である。
・生誕 1769年 フランス革命の20年前
・10歳で、フランス本土の軍の幼年学校入学、士官学校へ。
・1785年16歳で、陸軍砲兵中尉。当時、貴族でないと、士官(将校にはなれなかった。
・南仏にいた時に、当時主導権を持っていた山岳派(ロベスピ-エ-ル)と懇意になり、革命支持派となる。当時反革命の英国に本領されていたツ-ロン港を、砲兵主導で攻撃し奪還。注目され、将軍となる。
・急進的山岳派の恐怖政治に反対する勢力は、ク-デタ-を起こす。テルミド-ル・クーデタ-(テルミド-ル反革命)。
国民公会で中間派、穏健派が総裁政府を作り、これで革命の終結とした。この時に王党派がパリで武装蜂起し、この鎮圧にナポレオンが起用され、鎮圧する。ナポレオンの軍人としての声価が上がる。
・周辺諸国からの反革命戦争が続いていたが、ナポレオンはイタリア遠征で戦勝し、市民の支持を
得る。しかし、英国との戦いのエジプト遠征では苦戦した。
・ブリュメル・ク-デタ- 1799年 ナポレオン30歳 ナポレオンが主導権を取る。
英国を中心とする対仏同盟で、危機に陥ったフランスでは、総裁政府が糾弾された。
ここで自ら政権を樹立し、統領となった。ここで革命の終了を宣言した。
「ナポレオン台頭の背景」
・革命勃発後、国内外で戦争が勃発。軍隊の上級指揮官の貴族の亡命で人材不足となり、前途が
開けた。
・当初革命とは距離を置いたが、その後急進の山岳派ロベスピエ-ル派と近くなり、軍事面で活躍し栄進する。
しかしテルミド-ル・ク-デタ-ではロベスピエ-ル派との関係が問題とされたが、軍人としての
能力が買われ、危機を脱する。
・当時陸軍では騎兵が花形であったが、近代戦の中心の砲兵を専門としていた。
・フランス革命の精神、意味を理解していた。
・大衆の人気を博する方法に長けていた。傷病兵の慰問、貧民への補助・・・・・。
「コメント」
1789年のバスティ-ユからの先人たちの苦労をまとめて吸い上げた感じ。フランスの辺境出身で、中央のシガラミがなく、激動期向きなのであろう。しかし、ここまでなら軍人としての成功で
あって、政治家としては、中々納得はしにくい。それは次回か。