1908813⑦ナポレオン誕生250年『共和体制下の革命政権』」
1792年から1794年までがフランス革命で重要な時である。国民公会の内部におけるジロンド派と
山岳派の抗争である。
「国民公会の動き」
1792年民衆が王の宮殿を襲撃して、王政が停止され、新たに革命政府の立法及び行政機関として「国民公会」が設立された。王政の停止、共和国設立、国王裁判によるルイ46世の処刑、男子普通選挙が行われる。外国との反革命介入、内戦で、超法規的体制が求められた。この時急進的な人々が座ったのが、左側であったので左翼という。
・主導権
ジャコバンクラブ、革命推進の団体。当初立憲君主制のフィヤン派、次いで穏健派のジロンド派の
脱落。急進的であるパリ市民を中心とする山岳派が有力となる。
・背景
国民公会で、19938年憲法制定。社会的平等を唱えた進んだ憲法。
当時は革命介入の周辺諸国との戦争、国内の反革命勢力との抗争。このため非常事体制として
スタ-ト。
「政治体制」
・当初穏健とされたジロンド派が主導権を握るが、局面打開できず次いで山岳派が登場。
政権への権力集中・経済統制(軍事予算調達)・反革命の動きの抑止
・いわば地方重視のジロンド派と、パリ民衆を基盤とする山岳派の構図である。徐々に急進的
パリ市民の勢いである。
「革命政権内部抗争」
・革命内部の不安定要因除去の為に、公安委員会・革命裁判所を設立した。まずは反革命として、
宗教関係者が除去された。
・次いで山岳派による右派穏健派への弾圧→恐怖政治の始まりである。
「ナポレオンの登場」
当時ツーロン港は反革命支援のイギリスとスペインに占領されていた。これを攻略したのが、砲兵将校であった24歳のナポレオンであった。革命進展に大きな影響を与えた。これで革命政権内部でも
注目される存在となる。
「コメント」
革命とは、反革命との戦いの時は良い。それが一旦内部抗争に到ると、まさに陰惨な事態となる。
近親憎悪である。これを通らないと終わらないのだろうか。浅間山荘事件。