190723③ナポレオン誕生250年『革命への序曲:三部会招集からバスチ-ユ攻略へ』」
革命前夜(1788年から1789年前半)までの一年間の動きを、見ていく。
〇ブルボン王家の夜三部会招集 革命前年(1788年8月)
・聖職者、貴族、平民の三部会を1789年5月に開くために、前年に招集、諮問会議である。顔口で
選挙民集会が開かれ、意見集約。
・農民は保守的であったが、都市の商工業者は変化に対応していない王政への批判が出た。
〇社会的に危機状況にあった。
・食糧危機 不作による食料不足・価格高騰
・平民層から領主、富裕に商人たちへの不満 日本の米騒動的動き
・展開しつつあった市場経済への対応の遅れ
・今まで免れていた聖職者・貴族への課税も検討され、これらの階層の不満
〇三部会運営の混乱
・現状への不満を唱える平民層の声が大きくなり、当時台頭してきた啓蒙思想により僧侶・貴族から
の賛同者も出てくる。→第三身分(平民)は、独自の意見を集約した。→室内競技場の誓い
・この動きが、憲法制定国民会議設立となる。
・この動きを警戒した王家・貴族の民衆弾圧
〇パリ市民による実力行動
・王政による弾圧に対し、民衆は自衛のための武器入手を目的としてパリ廃兵院・バスティ-ユ
監獄の襲撃。 1789年7月
・この動きには当初、計画性はなかったが、地方に拡大していく。
・市民の旗印は、三色旗。当初赤と青はパリ市の紋章であったが、これにブルボン家の白ユリ(白)を
加えたものとされる。当初市民は赤旗であったが、王政と市民との妥協を示す三色旗が採用され
た。
赤旗が革命を表すのは、ここから始まる。
〇バスティーユ 偶発的であったが、ここから革命がスタ-トする。
「コメント」
可燃物が充満している中で、無策な王政が点火したのであろう。起きるべくして起きたのである。