190709②ナポレオン誕生250年『フランス王政による改革の模索』
当時のフランス王政がどのような状態にあったのかを、五つのポイントで話す。
●国際的地位、対英対抗力の衰微
18世紀フランス王政にとって重要な課題は、グロ-バル化していた大西洋社会の中で、国際関係
における地政学的な位置の改善→国際的地位の向上であった。具体的には、対英への力の増強
であった。
七年戦争(英✙プロイセンVS仏✙オ-ストリア)・インド、北米での植民地支配権の争い。これらは
全て英国側の勝利。
七年戦争は、仇敵のブルボン家(仏)とハプスブルグ家(オーストリア)との連合があり、外交革命と
いわれた。
●アメリカの独立 1776年
仏はアメリカ独立派を支援して、英国と対立。パリ条約によってアメリカ独立となり、仏の勝利で
あったが、これにより財政的に逼迫する。→財政改革が必須となる。
アメリカ独立により、ヨ-ロッパ・植民地での革命運動、独立運動が激しくなる。
ジュネ-ブ(仏)・オランダ(オーストリア)・ベルギ-(仏)→仏王政は鎮静化に努めることとなる。
●財政改革
非課税特権者(教会・貴族・騎士)への課税→抵抗が激しくなる
●行政改革
財政改革の為に、中央集権化を図る。具体的には、独立していた高等法院(立法機関)を、王政に
取り込もうとした。
●経済自由化によって、活性化しようとする動き。
王政と結びついて特権・独占権を持つギルドを解体して、自由化とようとする動きが出てくる。
但し、ルイ16世は優柔不断の人で、問題先送り状態。
当時は、財政、経済、軍事、植民地経営も問題山積状態であった。
「ブルボン王朝」
16世紀~19世紀初頭までフランスに君臨。絶対王政時代を開いた。ルイ16世の時に、フランス
革命により転覆。王政復古したが、1830年七月革命で倒れた。他方、1700年以来スペイン王位を継承したブルボン王家は、1931年革命で一旦中断したが、1975年復位する。
「ハプスブルグ家」
中部ヨ-ロッパを中心とする広大な地域に君臨した。15世紀~19世紀までの神聖ロ-マ皇帝は
この家から出た。第一次大戦敗北で、崩壊する。
婚姻政策の結果、1516年~1700年、スペイン王位を占める。スペイン王家は、最初ハプスブルグ家、次いでブルボン家が占める。
「コメント」
ヨ-ロッパは、当初ハプスブルグ家(オーストリア)とブルボン家(フランス)との争いであったが、新航海時代の到来で英国が台頭。当初は広大な植民地を持つスペイン、フランス、英の争奪戦。結局、海軍力に優勢なイギリスの勝利。
そして、劣勢なフランスは内部矛盾の解決が出来ず、革命・ナポレオンの台頭となっていく。
やはり革命とは、外部と内部の矛盾を解決できないで、起きるべくして起きたのだ。