歴史再発見「元号文化の歩み」 京都産業大学名誉教授 所 功 名古屋大学文学部史学科
181016③「西暦と皇紀の来歴」
「西暦とは」
キリスト紀元とも云う。525年神学者ディオニニウスが、キリスト誕生以来~年という、数え方を提唱した。
ラテン語ではAnno Domino(主の年)→AD。10世紀頃から一般に普及してきた。これはそもそもキリスト教国から拡がって来たものである。17世紀に、キリスト生誕以前も表記しなければならないとして、紀元前(キリスト生誕前)→BC(Before Christ)が提案され、一般に使われるようになる。
但し問題は二つある。
・キリストの生誕がはっきりと確定されていないこと。信頼すべき資料では、BC4年ではないかと
言われているが。
・世界中には様々な宗教の人がいるので、キリスト生誕年を基準にしていいのか。
・日本では、キリスト教色を払拭する意味で「西暦」とた。
・中国では、公元という。
・日本には、キリスト教伝来と共に西暦が入ってきた。平安時代に中国経由で入って来たとの説が
あるが、一般的には16世紀安土桃山時代にイエズス会によってとされている。
●日本での西暦の使用
肥前のキリシタン大名大友純忠が、手紙に西暦(御出生以来・・・)が初めてとされる。
明治時代、キリシタン禁教令が解かれて、明治三年(1868年)キリシタン暦として記録されている。
→天守降年1868年と記されている。これが西暦の誕生である。
「皇紀」
日本の紀元を、日本書紀に記す神武天皇即位の年(西暦紀元前660年)を元年として、1872年(明治5年)に定めた。及び明治37年の勅令にも、言及されており法的根拠とされてきた。
大政奉還・神仏分離・廃仏毀釈等で神道中心となり、明治政府は皇紀を強く意識するようになる。
日本書紀によれば神武東征で今の奈良県橿原で即位し、大変革の起きる辛酉の年であったという。
太平洋戦争勃発の前年1940年は、紀元2600年として大々的に記念行事がなされた。
しかし神武天皇の存在、その年代には疑問が多い。
「一世一元」 皇室典範・元号法
これが制度化されたのは明治4年(慶応4年)で、天皇一世に一元とした。それまでは、天皇在位中でも、様々な理由で改元が行われたり、又新たな天皇が即位しても変わらない場合もあった。
第二次世界大戦後に制定された日本国憲法、皇室典範では元号の規定が消滅していたが、その後慣例として元号は用いられていた。昭和天皇の高齢化に伴い、元号法制化の動きが強まり、1979年(昭和54年)に元号法が成立した。