歴史再発見「元号文化の歩み」 京都産業大学名誉教授 所 功 名古屋大学文学部史学科
181009②「中国と周辺の年号」
中国で元号の使用が始まったのは、BC2世紀の中ごろ前漢の武帝の時代からと司馬遷の「史記」に記述されている。
中国の正統王朝とは別に、非正統王朝も元号を用い合わせるとその総数は700近くにもなる。
これまで中国年号に使用されたのは148文字、日本年号は72文字。今回は中国での元号の始まり
および周辺諸国の元号文化の歴史を話す。
「中国の年号の歴史」
干支の組み合わせ(十干と十二支)で年を表すということが、殷代(BC16世紀~11世紀)から行われていたといわれる。干支とはこの60通りの組み合わせの事)。紀年法である。壬申・辛酉・亥・・・・。
これが日本に伝わり、この方法で古事記・日本書紀に記されている。
中国で年号が始まったのは、前漢の武帝(BC141~87)がBC140年に建元を称したと「漢書」に記されている。
それでは以降、清朝までいくつの年号があったのか。中国は広大な領土で長い歴史があり、王朝併存があったり、どれを正統とするかで意見が分かれるが、現在の所、29王朝・407の年号と言われている。
「年号にはどんな文字が使われているか」
中国 元(46) 永(34) 建(26) 和(21) 平(20)
日本 永(29) 元(27) 治(21) 応(20) 正・文・和(19) 安・延・徳・保・・・・・
共通して良く使われる文字は、似ている。→当然でしょう、日本は中国の真似っ子なのだから。
「年号を使ったアジアの国々」
〇朝鮮 独自年号は挫折し、中国年号を爾後使用する。
百済・高句麗・新羅と三国が鼎立していたが新羅が統一する。23代法興王536年に建元という
年号が立てられたのが初めである。所が唐の太宗(二代皇帝 李世民)は、新羅が独自の年号を
使っているのを「新羅は唐の臣下なのに何故、勝手に年号を使うのか」と咎める。これに対して
新羅は「唐からの御命令があれば、我々如き小国が臣下の身分として、勝手に年号を作ること
などありません」と回答。その翌年から、中国の年号を使うこととなる。
〇渤海 朝鮮北部から中国東部の国。唐文化を模倣し、しばしば日本にも来航。
朝鮮三国時代の一つ、高句麗の後の国。今の北朝鮮。
720年大武芸が、仁安という年号を作り以後9世紀まで独自年号を続ける。
〇ベトナム
古くから干支による独自の年号を立てたが、中国支配の漢代には、中国の年号を使用させられた
が、後自立を図り独自のものを使用した。どういう訳か、これは中国には黙認された。韓国と
同様に1945年年号を廃止し西暦とした。
「引用」
紀年法の内、正暦やイスラム紀元、皇紀などは無限システムであるのに対し、元号は有限システムである。
皇帝・王など君主の即位、または治世の途中で改元によって元年から再度数え直される(リセット)
され、名称も変わる。君主が特定の時代に名前を付ける行為は、君主が空間地域だけではなく、
時間までも支配するという観念である。君主によって定められた元号と暦を用いることは、君主への服従を表すのである。
「コメント」
あらためて中国の歴史の古さ、広大さ、強大な権力を感じる。今元号を使っている唯一の国として、年号を大事にしたい。今同世代でも、年号を使わず西暦で表す人が多い。先日は皇族の一人が西暦でイベントを示していたのは、何とも遺憾ではある。