歴史再発見「黄金」から見直す日本史                加藤 廣 

 

④「金と遣唐使と弘法大師 平安時代」 13年4月23日() 20時30分~ 

前回は奥州での金発見と、大仏建立について話した。大和朝廷は・統一国家の象徴である大仏の金メッキ・中国との交易の代金支払い・遣唐使派遣の費用に金を使った。

 

遣唐使

国際情勢や大陸文化を学ぶために唐に派遣された公式使節。630年~894年まで250年間に16回実施された壮大なプロジェクト。

 

・目的  建前は「大陸文化の吸収」であったが、実際は「唐に朝貢しつつ第二の百済にはならないぞと、唐の動きを監視」

・組織  大使・副使ら32の職種の人が参加。当初2隻→4隻、250人~500人程度。

・ル-ト ①北路        難波→博多→壱岐、対馬→朝鮮西海岸→揚子江

      ②南島道      九州南端→東支那海→揚子江

      ③南路        一挙に東支那海を横切る  

 当初①であったが、朝鮮との関係が悪くなると②③となる。距離は短くなったが,大海なので遭難/難破が多発。 16回のうち、半分は遭難。

・菅原道真が遣唐使に指名された時、「危険高し・唐の政情不安」として中止を建議、これで遣唐使は廃止された。

  講師は①これにより先進文化の吸収が止まってしまった ②自分が指名された時、中止をいうのは卑怯

       ③日本の外洋船の開発が出来なくなった  ④暦の開発が遂に出来なくなった。→最も残念なこと。

・遣唐使の中での花形は留学僧。その典型が最澄と空海。教科書では何年に行ったとかばかりで面白くない。この二人の関係ほど面白く、スト-リ-性のあることはない。

 最澄・・・行く時は留学僧のトップ  東大でのエリ-ト中のエリ-ト  戒を受けた正式僧    通訳を介してしか話せない

 空海・・・その他大勢組        私立大の中退的存在       戒を受けてない      語学の天才 唐語に堪能

空海は20年留学の予定であったが、習得できたとして2年で帰国。その際、仏教、鉱山学、農業などの本を買って帰国。

帰国後最澄は、密教について空海に教えを乞うことになる。この辺から二人の確執が始まる。真面目一方の最澄がやり手で政治坊主の空海に敵うはずもなかった。

 

暦    

神に対して正しい暦を献上するのが帝王の役目であるが、広大な平地がない日本では出来てない。これは盆地の京都にいるから余計、天文学が発達しなかったため。信長はこの為四方を見渡せる安土に壮大な城を築いた。暦を作りたかったに違いない。

 

伊勢神宮の不思議  よく理解できない?

五十鈴川にかかる宇治橋の真ん中の所の真上から冬至・夏至の時日が昇り月が出る。これを設計したのは誰だろう。

これは中国で勉強した空海以外にはない。

 

不思議なことへの対応

不思議なことがあると普通の人はそのまま疑問も持たずに見逃すが、講師はどうしてだろう/どうしてだろうと考え込んでしまう。