私の日本語辞典「万葉語の由来をさぐる」 講師 夛田 一臣(東京大学名誉教授)
聞き手 秋山和平アナウンサ-
151003① 万葉語の由来をさぐる
「秋山」
先生は東大名誉教授として、放送大学の客員教授としても専門の講義をしてこられた。日本の上代文学と古代の文化論が五千門で、古代の文学を調べていく中で日本の古代の有り方、それも言語表現上の関係をさぐる試みをされている。著書「古代文学の世界像」「万葉集全解全7巻」等多数の著書がある。今回のテ-マに関わりがあるが「万葉語誌」という本もあるしそれから「日本霊異記 上中下」これの現代語訳。幅広い研究の中から古い時代の日本人がどのような世界観を持って、それを文学表現に繋げてきたのだろう。その辺りを5回にわたって話し戴く。語誌と言う言葉になると単なる語の意味という事と背景が違ってくるような気がする。どのように捉えたらいいのか。
「多田」
辞書と言うものがあるが、そこには言葉の意味が書いてある。語誌と言った場合には、もっと幅が広いというか奥が深いというか、その言葉がどのように伝わって来たのかと言う事を歴史的に或いは言葉の生み出された状況とか、そういうものを含みこんで考えていくことになる。辞書よりももう少し広い視点で社会背景と言うものも含めて言葉を捉えていくというのが語誌的な捉え方という事になる。
「秋山」
著書を拝見すると今まで何回か万葉語の意味や解釈をやって来たけれど、なかなかそれだけでは充分でないという気持ちがあって、今指摘された重要性を感じたという事が書いてある。そこに到るにはその分野での研究のそもそものスタ-トがどういう所からどの様であったか、どのように今日に到ったかを伺いたい。先生の「思い出」というメモを読むと、大学が荒れた時に入学したが大学のアカデミズムに引かれていたと書いてあるが。
「多田」
当時の大学紛争は大学の特権的有り方、それがある意味ではアカデミズムになるのだろうが、今振り返ってみるともはや今の日本にはアカデミズムと言うものは無くなった。しかしアカデミズムと言うのは学問の本質を持っているかもしれないと思っていた。大学紛争の中で色々と考える所があって、純粋に学問の世界に入り込む事の大切さと言うものを追っかけてみようと思った。高校生の時に高木市之助の「国文学50年」と言う本に感銘し一つの導きとなった。そこで国文学の世界を目指すようになった。
「秋山」
入学当初からそういう事で国文学でいこうという気持ちは固まっていたのですね。
「多田」
大学に入る前から国文学と決めていた。「国文学50年」を読んだのが高校生の時だし、その前から文学の世界が好きであった。
最初は宮沢賢治が大好きで宮沢賢治研究会の例会に参加していた。しかし大学に入り段々と関心は古典の方に向かった。
「秋山」
それからずっと本筋一筋ですね。先生の著書「古典文学の世界像」「古典文学表現詩論」こういうものを拝見すると、日本の古い人たちがどういう世界観を持っていてそれが言葉との結びつきの中で、それをどう捉えるかと言うようなことを試みられるように思う。例えば「古典文学の世界像」でいうと、まず視覚と嗅覚、混とんと物の怪とかそういう部分から段々と組織とか国家とか大きい所へ展開して
いる。万葉語誌が言葉として扱う大本を模索しておられるように感じる。
「多田」
匂うという言葉は実に不思議な言葉で匂うというのは視覚にも嗅覚にも用いる。これはどういう事なんだろうと最初に疑問に思った。
辞書を引くと視覚ではこれこれ、嗅覚ではこれこれと言う様に分けて解釈している。しかし言葉と言うのはそんなものではなく、辞書の説明と言うのはある物差しに合わせて言葉を考えているのではないか。でも本当は古代の言葉は古代の人達が使っていた訳で、我々の様に一番の意味二番の意味三番の意味と言う様に考えていた訳ではない。もっと総合的に言葉を捉えるべきだと思う。そうすると言葉と言うのは言葉を使っていた人たちの世界像、世界認識、そういうものに支えられていることが分かる。
共同体を構成している人たちの全体を貫くような生活意識とか生活感覚そういうものに言葉は依拠しているはずである。
故にそこまで考えなければと思った次第である。
「秋山」
匂うは神の名になるけれど、香は神の名にならないと書いてあるが。
「多田」
この事は私が言ったことではないが、聞いた時は成程と思った。源氏物語で匂と薫という名が出てくるが、どちらもにおうのでこういう対比があるわけで面白い。
「秋山」
作者はその様な対比の事を意識の中に置いて名付けたのであろうか。
「多田」
作者紫式部の中に匂うと薫(香る)と言う言葉について明確な区別の認識があったはずである。
「秋山」
日本の古い時代の記紀万葉にかけての意識と言うのが平安時代の日本人の中にもきちんと底流に流れていたのでしょうか。
「多田」
源氏物語の一番のもとになっているのは歌の世界である。源氏物語の言葉と言うのは基本的に言うと散文と言うよりは韻文の世界に近い。
(韻文→韻文の形式を有する文。単語・文字配列・音数に一定の決まりのあるもの 詩・短歌・俳句)
韻文の中に残されている古代の言葉の感性・感覚が紫式部の中に強く残されている。
源氏物語を読むには万葉集からきちんと勉強しないと本当な意味で理解できない。
「秋山」
著書の中で、和歌の言葉と言うのは記紀にある古事と言う言葉の世界とは違うものだろうと言う一方で、歴史的背景とか万葉集が書かれた意図からすると、記紀にあるようなあの時代の朝廷の意図が万葉集を作っていくと書いておられるが。
「多田」
今の問題は万葉集が如何に成立したかと言う問題とも関わってくる。万葉集の元を考えるとやはり古事記のような世界、あれは国家の歴史と言っていいし、朝廷の歴史を描こうと意図である。万葉集は宮廷史を受け継ぐという意図が最初にあって、特に巻一、巻二この辺りは完全に天皇の代毎の歌を並べている。これは古事記の編成と似ている。取り上げられている歌を見ても宮廷の歴史を語って行こうという強い意識が見える。古代の事をある段階で日本書紀にしろ古事記にしろ万葉集にしろ、まとめ上げて一つの歴史をつくっていこうという強い意図を感じる。
「秋山」
記紀の後に今度は和歌の形式で歴史が作られたと考えればいいのですね。万葉集は大伴家持主催で彼の独壇場と思っていたが。
「多田」
大友家持には親しい橘諸兄と言う有力者がいて、その人の命で万葉集編纂を行ったと思う。
橘 諸兄→奈良時代の皇族、政権トップになるが藤原仲麻呂に敗れる)
故に単なるアンソロジ-ではなくきちんとした政治的意図のもとに作られたと言える、特に巻一、巻二は。
万葉集は宮廷の歴史と言ったが、どの歌も物語になっている面白さを持っている。例えば天武天皇の息子たちの恋愛問題とか。
これは古事記にも言えることで、古事記の歴史認識を万葉集が受け継いでいることに繋がっていくことになる。
「秋山」
これに関わった人達が人間臭い事を歌と古事記のような文体で残して行こうとしたことはとても面白い事ですね。
「多田」
万葉集の場合は歌が中心であるが、歌の背後にある物語を想像できるような形で歌が並べられている。それから万葉集の場合は題詞という、万葉集以降は詞書という言い方をするが、その題詞にも物語が分かるような内容になっている。この工夫で読者は歌の並び具合を見て背後にある物語を想像しやすくなる。
「秋山」
当時の人々はどの辺から神話の世界でどこからが実の世界との意識はあったのか。
「多田」
これは明瞭にあったと思う。天皇については巻一巻二の話をしたが、舒明天皇が歴史的境目とされていた。
舒明天皇→34代 593~641年 岡本宮 初めての遣唐使派遣 天智天皇・天武天皇の父 皇后は皇極、斉明天皇)
古事記は舒明天皇の一代前の推古天皇で終わる。万葉集の場合は実質的には舒明天皇から始まったと考えてもよい。
天智天皇、天武天皇を現代とすると舒明天皇は現代を作りだした人、明治天皇みたいな存在である。万葉集には舒明天皇以前も入っている、雄略・仁徳、聖徳太子でこれらの歌は実作とは考えられていない。歴史的に言うと万葉集は実質的に舒明天皇から始まったというのが万葉集研究者の共通認識である。
「秋山」
現代となる幕開けの舒明天皇以降の有様を歌の形で表していくというのが万葉集のスタ-トの考え方であったのですね。
「多田」
ただ万葉集がどのように出来上がっていったかと言うのは色々な説があってなかなか難しい。巻ごとに全部性質が違うし、研究者全部が納得するような成立の説と言うのはまだない。
「秋山」
万葉集に使われている具体的表現と言うのは古事記のような表現だけでなく、和歌としての歌語で形作っているのですね。
(歌語→和歌を詠む時に使う言葉、表現。鶴をたづと言う類、または序詞・枕詞・掛詞など)
「多田」
歌の言葉と言うのは特殊で、日常の言葉と違う。古事と言われるいわゆる語り事に近いものも日常語とは違うが、歌はもっと特殊で韻律を持つし五七五七七と音数、序詞、枕詞とか、そういう修飾的な表現もくっついてくるし、とにかく日常の言葉と区別しようとする意識が非常に強かった。
「秋山」
我々は万葉集は五七から始まっていると認識しているが、その前の段階には色々な形式があったのでしょうね。
「多田」
記紀歌謡と言うか、万葉集以前の歌謡の段階は必ずしも五七五七七ではなかった。大事なことは短い音節に長い音節が付くという肉で形成されていたという事。五七と言うのは大和朝廷の音数律でなかったかと思う。私は万葉集が宮廷歌集と認識しているので、宮廷の文化の有りようが反映されているのだ。
「秋山」
前提の話が聞けたので次回は具体的にお話を伺う。
「コメント」
そうなのか、宮廷歌集なのか。橘諸兄の名が万葉集との関わりで出て来るとは予想もしなかった。私は成り立ちなど気にしないで解釈に一生懸命であった。誰もそんなことは言わなかった、先生方でもそんなことを考える人はいなかったのだ。
そういう目で歌を眺めていくと、又面白みも変わる。
現代短歌をやるにも万葉集必修と言われているが、源氏物語もか。