第12回三輪山セミナ-イン東京「倭なす神坐す山からのメッセ-ジ」
講師 坂本 信幸 高岡市万葉歴史館長・奈良女子大学名誉教授
「三輪山周辺の歌」
広瀬 和雄 国立歴史民俗博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授
「前方後円墳とはなにか」
日時 平成27年8月22日(土) 13:00~16:00
会場 よみうりホ-ル
「三輪山周辺の歌」
三輪山とは
三輪山は、縄文時代または弥生時代から、原始信仰(自然物崇拝)の対象であったとされている。古墳時代に入ると、山麓地帯には次々と大きな古墳が作られたため、この一帯を中心にして日本列島を代表する政治的勢力、すなわちヤマト政権の初期の三輪王朝が存在したと考えられている。200-300mの大きな古墳が並び、そのうちには第10代の
崇神天皇(行灯山古墳)、第12代の景行天皇(渋谷向山古墳)の陵があるとされ、さらに箸墓古墳は魏志倭人伝に現れる邪馬台国の女王卑弥呼の墓ではないかと推測されている。記紀には、三輪山伝説として、奈良県桜井市にある三輪明神の祭神・大物主神の伝説が載せられている。よって、三輪山は神の鎮座する山、神奈備とされている。
登山を希望する場合は、大神神社から北北東250m辺りに位置する境内の摂社・狭井神社の社務所で許可を得なければならない。
「三輪神社と伊勢神宮との関わり」
天照大神は、三輪神社の摂社の檜原神社(笠縫)に祀られていたが、垂仁天皇の時倭姫に命じて適地を探させ、伊勢神宮になった。よって檜原神社を元伊勢という。
「三輪神社と出雲神社との関わり」
大物主大神が出雲の大国主神の前に現れ「国作りを成就させるためには私を大和の三輪山に祀れ」といった。これが三輪神社の始まりであり、出雲の国作り・国譲りとの関連が生まれた。
万葉集は三輪山周辺の歌から始まる。
「籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らせ そらみつ 大和の国は
押しなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそいませ 我こそは 告らめ 家をも名をも」 雄略天皇(万葉集1-1)
(籠を持って竹べらを持って、この岡で菜摘みの娘さん、何処の家の人か教えてください。名前を聞かせてください。
大和の国は全て私が治めています。私こそまず名乗りましょう。)
娘に名乗ることを求め、自分も名乗りましょうと言っている。当時男が女に家の素性や名前を尋ねることは求婚を意味し、女がそれに応じて名乗れば受け入れたことを意味した。
「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香久山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かもめ
立ち立つ うまし国そ 秋津島 やまとのくには」 舒明天皇(万葉集1-2)
(大和には多くの山があるけれど とりわけ立派な天の香具山 その頂に登って大和の国を見渡せば 土地からはご飯を炊く煙がたくさん立っているよ 池には水鳥たちがたくさん飛び交っているよ ほんとうに美しい国だ この蜻蛉島大和の国は)
国土支配者としての天皇の国見の歌であり、天皇が自らの支配する国土を「見る」ことにより五穀豊穣を祈る支配儀礼の歌である。
・国見→国の形勢を高所から望み見る農耕儀礼。日本各地にこの名がある。
・天の香久山 大和三山の一つ。古代から「天」という尊称が付くほど三山のうち最も神聖視された。
・秋津島 大和にかかる枕詞
「三輪山を 然も隠すか 雲だにも 心あらなも 隠そうべしや」 額田王(万葉集1-一八)
(三輪山を見られるのもこれが最後だというのに、雲よどうして意地悪をするの。飛鳥を離れ遠い近江に行かなければならないのに。この淋しい気持ちを攻めてお前だけは分かってほしい。雲よ、おもいやりがあるならば、三輪山を隠さないで、見せておくれ。)
天智天皇六年(667年)に都が飛鳥から近江京に遷都。その近江に向かう途中、額田王が詠んだ歌。
万葉人にとって、住み慣れた飛鳥と共に三輪山は特別な存在であった
此の神酒は 我が神酒ならず 倭成す 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久 活日(日本書紀15)
このお酒はわたしの酒ではありません。 倭を作った大物主が醸した神酒です。 いつまでも、いつまでも、栄えますよう。
味酒 三輪の殿の 朝門にも 出でて行かな 三輪の殿門を 諸大夫(日本書紀16)
美味しい酒のある三輪神社の社で 朝が来るまで酒を飲んで、朝が来たら帰ろう。 三輪の社の門から。
味酒三輪の殿の 朝門にも出でて行かな三輪の殿門を(日本書紀17)
美味しい酒のある三輪神社の社で 朝が来るまで酒を飲んで帰りなさいな。 三輪の社の門を押し開いて。
以上三歌は、同時に歌われたものである。太田田根子がお告げにより三輪神社の神主となった時、これを祝っての歌で
ある。太田田根子とは、大物主神の子。三輪氏の祖。崇神天皇の代に疫病や災害がつづいたとき,天皇の夢にあらわれた
・味酒 三輪の枕詞
・大夫(まえつきみ) 朝廷に仕える高官
・活日(いくひ) 祟神天皇の御代召されて大神の掌酒(さかびと)となった高橋活日 三輪神社の摂社に活日神社がある。
「采女の 袖吹き返す 明日香風 都を遠み いたづらに吹く」 志貴皇子(万葉集1-51)
采女の袖を明日香の風が吹きかえしているよ。いまはもう京も遠くなりむなしく吹くことだなあ。
壬申の乱で大海人皇子が勝利し、飛鳥浄御原宮で即位したのち、京は藤原京へと遷された。
この歌は京が遷されたのち、志貴皇子がかつての宮だった明日香を訪れて詠んだもの。
「:飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ」 元明天皇(万葉集1-78)
明日香の里を置いて、奈良の都(平城宮)に行ってしまえば、あなたが住んでいるところはもう見えないのでしょうね。
夫の草壁皇子の墓を置いて遷都する悲しさを歌っている。
・飛ぶ鳥の 明日香の枕詞
「山吹の立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなくに」 高市皇子(万葉集 2-158)
山吹が美しく並んで咲いている山の清水を汲みに行きたいのだが、私にはその道がわからないことだ。
清水の「泉」は「黄泉の国」を指すものであり、黄泉の国までも皇女を訪ねていきたいという心情を歌ったものであるとされる
「三輪山の、山辺まそ木綿短木綿かくのみ故に長しと思ひき」 高市皇子(万葉集 2-157)
三輪山の木綿は短くて、そんな風にあなたの命は短いものだったのだ もっと長いと思っていたのに
以上二首は高市皇子の作。天武天皇の子で、壬申の乱で戦いを勝利に導いた人、心を寄せていた異母妹十市皇女が
若くして亡くなったのを嘆き悲しんでの歌。十市皇女は、天武天皇と額田王の子。
「前方後円墳とはなにか」 大和・柳本古墳群を中心として
●巨大な前方後円墳が作られた古墳時代 大和川水系が中心
●日本列島で初めて中央-地方の関係が出来たのが古墳時代である。
●古墳前期 3世紀~4世紀
中期 5世紀
後期 5世紀後半~7世紀
●皇族関係と比定されるものは宮内庁管轄で調査が出来ないが、この為保存されているともいえる。
●巨大前方後円墳は前代首長の霊を古墳で祀ることで新しい首長はその資格を継承する。又地方の首長は中央政権
との繋がりを人々に強調した。極めて政治的な墳墓である。
(畿内5大古墳群)
・大和・柳本古墳群
奈良盆地東南部の春日山山麓に広がった大古墳群。ここに45基の初期大和政権の有力首長の墓が集中。
(西殿塚古墳) 234m
天理市南部に広がる大和古墳群の中でも最大の大きさであり、延喜式で山辺郡にあったとされる手白香皇女衾田陵
の位置にあたるため、宮内庁により手白香皇女衾田陵に治定されているが異論がある。崇神天皇(10代)?
(行燈山古墳) 242m
崇神天皇陵に比定されている。その政治勢力は、三輪王朝とか初瀬王朝と呼ばれている。初期ヤマト政権の
大王陵である。
(渋谷向山古墳) 310m
・佐紀古墳群
奈良市北西部、奈良丘陵の南西斜面、佐保川西岸・佐紀の地に所在する古墳時代前期後葉から中期に かけて
営まれたヤマト政権の王墓を多く含む古墳群である。垂仁天皇、神功皇后、垂仁天皇妃、平城天皇、磐之媛
・馬見古墳群
奈良県北葛城郡河合町、広陵町から大和高田市にかけて広がる馬見丘陵とその周辺に築かれた。
4世紀末から6世紀にかけて造営されたと見られる。古代豪族・葛城氏の墓域とみる説もある。
・古市古墳群
羽曳野市と藤井寺市にまたがる大古墳群。誉田御廟諸山(420m応神天皇)など100基
・百舌鳥古墳群
大阪府堺市にある古墳群。17基が国の史跡に指定され、23基が宮内庁により天皇陵(3基)・陵墓参考地(2基)・陵墓陪冢(18基)に治定されている。
大仙陵古墳(486m仁徳天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳(365m履中天皇陵)。
(さきたま古墳群)
埼玉県行田市にある、9基の大型古墳からなる古墳群。稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣の銘から首長と
当時の政権(ヤマト 雄略天皇)との関係が見える。
(造山古墳)
(西都原古墳群)
宮崎県のほぼ中央に位置する西都市の市街地西方を南北に走る、丘陵上に形成されている日本最大級の古墳群
である。3世紀前半~3世紀半ばから7世紀前半にかけてのものと推定されている。男狭穂塚・女狭穂塚。
(沖ノ島古墳群)
沖ノ島での祭祀を司った宗像氏を中心とする人々が、5世紀頃から作った60基の古墳群。
福岡県宗像市及び福津市内にある宗像三女神を祀る宗像大社信仰との関わりもある。
東京地区には
多摩川台古墳群、荏原台古墳群、野毛古墳群、田園調布古墳群、それぞれ前方後円墳がある。
「巨大古墳が作られなくなった理由」
・仏教伝来
先祖の祀りは祝部(はふり部)、忌部が行っていたが、仏教が司るようになった。寺院で仏像を作るように
なった。
・コスト
費用が掛かりすぎる。
・薄葬令
大化の改新で薄葬礼が出された。