2504132② 桐壷の巻 (2)

今週も桐壺の巻を話すが、前回取り上げなかった部分について話す。さて第一回の放送では光源氏の登場から、彼が若くして天皇家から臣下に下されたことまで話した。今回は少し時を遡って、光源氏が生まれる前の事であるが、桐壺帝と光源氏の母の桐壷更衣の出会いと別れについて話す。光源氏の生まれる前の事であるので、最近の小説や映画の言い方によれば、 光源氏の人生のエピソ-ド・ゼロ とでも言う部分である。読者もどこかで読んだり聞いたりしたことがあるかも知れないが、「源氏物語」の冒頭の有名な文章を鑑賞する所からまずは始める。

朗読① 大した家柄でもない更衣が帝の寵愛を受けた。他の後宮の女性や更には貴族たちからも目を(ひそ)められる。

いづれの御時(おほむとき)にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方々、めざましきものにおとしめそねみたまふ。同じほど、それより下臈(げろらふ)の更衣たちははましてやすからず。朝夕の皆仕えにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負うつもりにやありけん、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちになるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人の(そし)りをもえ(はばか)らせたまはず、世の(ためし)にもなりぬべき御もてなしなり。上達部(かんだちめ)上人(うえびと)などもあいなく目を(そば)めつつ、いとまばゆき人の御おぼえなり。

 解説

高校の教科書などでも馴染みの「源氏物語」の冒頭部分である。よく知っている人もいるかも知れない。しかしながら「源氏物語」の冒頭部分が如何に斬新なものであったか、当時の読者はびっくりしたであろうことは最初に話しておく。

つまり「源氏物語」以前にも、「竹取物語」「宇津保物語」「落窪物語」といった物語が既にあった。しかしながらそれらの今日残っているものの冒頭部分を見ると、みな判で押したような紋切り型の文章で始まる。即ち 昔 という言葉から始まる。例えば「竹取物語」は、 今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。 といった調子で、それは「伊勢物語も同じである。

リスナ-の中には むかし、男冠して、奈良の京春日の里にて、狩りに往にけり。 という部分を思い出した人もいるだろう。そうした文章の紋切り型の定番といってよいような物語の始まりを拒むように、「源氏物語」は全く違った文章から始まる。

いづれの御時(おほむとき)にか、

何時の時代だったかはっきりしないけれども、女御更衣が沢山後宮にひしめき合ってという。その中に

いとやむごとなき際にはあらぬが、際 とは身分の事である。

それ程の身分ではないにも関わらず、格別に天皇に寵愛された女性がいた という風に始まる。あの定番の 昔 が使われていない。いづれの御時(おほむとき)にか、 つまりわざと曖昧にぼやかされている訳で、物語全体が薄いべ-ルに包まれている印象である。人間というのは隠されると身を乗りだして覗きたくなるもので、この斬新な文章は私たち読者に対して、いつのことか、どの帝のことかはっきりしないというけれども、はたしていつの時代の事なのだろう。過去の事か最近の事なのかと、身を乗り出させる文章である。しかもそこで語られるのは「竹取物語」のようなファンタジ-でも、「落窪物語」のようなシンデレラストーリ-でもなくて、天皇とその妃たちの物語。帝が一人の女性を過剰に愛するが余り、後宮の秩序が乱れ、上達部(かんだちめ)上人(うえびと)などもあいなく目を(そば)めつつ、

上達部 と呼ばれる貴族たちを巻き込んで、彼らが目をひそめる程になったということで、社会的な広がりを持った政治的話題が提供される。こうした物語が当時如何に斬新なものであったか、リスナ-にきっと理解されたと思う。

 

さてそのようにして物語の舞台に上ることになった二人の登場人物。桐壺帝と桐壷更衣に改めて注目する。ここで桐壷更衣がどのような人物であったか。そのプロフィルを確認する。

朗読② 桐壺更衣の父親は既に亡く、何かある時は後見がなく心細そうであった。

父の大納言は亡くなりて母北の方なむいにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方々にもいたう劣らず、何ごとの儀式をももてなしたまひけれど、とてりたててはかばかし後見(うしろみ)しなければ、事ある時は、なほ拠りどころなく心細げなり。

 解説

彼女の父親は亡くなってしまっていたにも関わらず、入内してきていた。そうした人物である。今の文章の少し後に書いてあるが、父親の大納言は臨終の際に、「私がこのまま死んだとしても、入内を諦めてはいけない。必ず入内するように」 と言い残した。その遺言を護って母一人子一人、いまの場面で 母北の方 と呼ばれていた母親だけに支えられて、更衣は桐壺帝のもとに入内してきた。

 

しかし とてりたててはかばかしき後見(うしろみ)しなければ、事ある時は、なほ拠りどころなく心細げなり。

父親や男兄弟といったこの時代の言葉でいう 後見(うしろみ) がいないまま、天皇のもとに入内することが如何に心細く、拠り所ないことかは、現代の私達でも想像のつく所である。当然そのように心細い人が、後宮で大きな顔をする訳にはいかない。周囲は有力な 後見(うしろみ) を持つ者たちばかり。冒頭の文章にも 

はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方々、めざましきものにおとしめそねみたまふ。

とあったように、我こそは帝から最も大切にされ、寵愛を受けるにふさわしいと思い上がり、高き理想を持って入内してきた女性たちが、この桐壺帝の後宮には沢山いる。そうした女御たちに対して、この桐壷更衣は彼女たちより一枚も二枚も落ちる更衣に留まらざるを得なかった。ここで更衣という文字を思い浮かべて欲しい。現代でも着替えをするための部屋を更衣室という。更衣というのは、着替え、着物を着換えるということである。つまり妃と言っても、更衣は元々帝の身の周りのお世話をするような役目である。

先程の文章に 父の大納言は亡くなりて とあったが、この時代大臣家から入内した女性たちは女御となり、大臣より格下の大納言の家から入内した人は更衣にしかなれなかった。妃は妃でも女御と更衣とでは雲泥の差がある。

 

光源氏の母・桐壷は更衣である。にも拘らず桐壺帝はどの妃にもまして寵愛した。となると当然、周りにいる者たちは面白くない。黙っていられないということで、その代表が弘徽殿の女御である。彼女は右大臣家から入内して、第一皇子を誕生させた。しかし寵愛される桐壷更衣を無視するわけにはいかない。弘徽殿の女御の様子を見てみよう。

朗読③桐壺更衣に皇子が生まれた後、桐壺帝の扱いが変わったので東宮にでもと、弘徽殿の女御は心配した。

この皇子生まれたまひて後は、いと心ことに思ほしおきてたけば、坊にも、ようせずは、この皇子のゐたまふべきなめりと、一の皇子の女御は思し疑へり。人より先に参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女たちなどもおはしますれば、この御方の(いさ)めをのみぞなほわづらはしう心苦しう思ひきこえさせたまひれる。

 解説

 弘徽殿の女御というと、桐壷更衣をいじめて死にまで追いやった人物のようにいわれ、悪役の代表のように思われている。それは必ずしも間違ってはいないのだが、平安時代は身分社会である。社会秩序の点から言えば、弘徽殿の女御の考え方、態度は決しておかしなことではなく、むしろ常識的な一般的なものと言うべきである。有力な大臣家から後見役に支えられて入内した弘徽殿の女御。彼女は第一皇子だけでなく、皇女たちなどもおはしますれば、親王も次々と生んでいる。だからこの御方の(いさ)めをのみぞなほわづらはしう心苦しう この御方 は 弘徽殿の女御。桐壺帝もこの方の忠告だけは無視できなかった。妃の筆頭なのである。そうした右大臣家の娘が、帝の住まいの清涼殿に近い建物・弘徽殿に住むのは当然であった。やがては彼女が中宮に選ばれるのであろう。父親のいない桐壺更衣が実家の支え、後見もなく入内してきて、いとやむごとなき際にはあらぬが、 家柄もさほどのものではないのに、後宮の中ですぐれて時めきたまふありけり。(きわ)、時めいてしまう帝はそうした桐壺更衣を愛してしまう。それは平安貴族社会の身分秩序から言えば、常識外れ、あってはならない事であった。しかし考えてみれば小説や物語で、世間のどこにもあるような話題を提供しても、誰も興味を持ってくれない。世の中には普通にない様な事で、相手を驚かせるような話題を提供してこそ、小説であり物語なのである。「源氏物語」の作者紫式部は、平安時代の貴族社会を舞台にしながら、現実にはあり得ない。しかしもし現実になったらどのようになるのであろうかとい物語を、冒頭から巧みに作り出している。

 

しかし現実にはなかなかあり得ない人間関係の中で、結果的には桐壺更衣がどうなったかは前回話した。

朗読④

使(つかひ)の行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、「夜半(よなか)うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」とて泣き騒げば、御使(つかひ)もいとあへなくて帰り参りぬ。聞こしめす御心まとひ何ごとも思しめしわかれず、籠りおはします

 解説 当時の読者はこの物語が、玄宗皇帝と楊貴妃の物語「長恨歌」と似ていることに

          気付く筈である。

病んだ桐壺更衣は漸く帝の許しを得て、慌ただしく夜中に退出して、実家に辿りついた。彼女[M1]  夜半(よなか)うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる 夜中過ぎる頃にお亡くなりになった。使いがそのように報告した。周囲の恨みつらみを一身に背負うようにして亡くなったのだが、この辺りまで物語を読み進めてくると、特に平安時代の読者は次のような事に気付いたはずである。「似たような話がどこかにあったな」「どこかで聞いた話だな」という風に。このよく似た話は「長恨歌」に描かれる中国の玄宗皇帝と楊貴妃の事である。この事について説明する。

 「長恨歌」とは白楽天・白居易という偉大な詩人が作った弔問歌である。唐の初めの頃、実際に起きた事件を基に、文学的に脚色したもので、日本人にも愛され大きな影響を与えた。

 

例えば、夏目漱石が「草枕」の中で「長恨歌」の一節を主人公に口ずさませている。画家の主人公は温泉につかりながら、楊貴妃が温泉につかり、その体をあたたかな湯が滑らかに洗うエロチックな一節を思い浮かべるというシーンを、夏目漱石は演出している。

朗読⑤ 「草枕」の一節。主人公は「長恨歌」の楊貴妃が、温泉につかっている場面を想像している。

鉱泉と名のつく以上は、色々な成分を含んでいるのだろうが、色が純透明だから、入り心地がよい。折々は口にさえふくんで見るが別段の味も臭いもない。病気にも利くそうだが、聞いてみぬから、どんな病気に利くのか知らぬ。もとより別段の持病もないから、実用上の価値はかつて頭の中に浮かんだ事がない。ただ這入るたびに考え出すのは、白楽天の温泉水滑らかにして 凝脂を洗う と云う句だけである。温泉と云う名を聞けば必ずこの句にあらわれたような愉快な気持ちになる。またこの気持ちを出し得ぬ温泉は、温泉として価値がないと思ってる。

 解説 

  まず、「長恨歌」の説明

この様に日本人にはお馴染みであった「長恨歌」だが、その詩は楊貴妃という絶世の美女・穢れを知らぬうら若い少女が玄宗皇帝の後宮に召される時から始まる。玄宗皇帝は政治にも熱心で聡明な皇帝であったが、楊貴妃に出合って以来、政治も滞りがちで、国も乱れてしまう。安禄山の乱、安史の乱と呼ばれる一大事件を引き起こすことになる。8世紀の半ば、中国で実際に起きた事件である。安禄山というのは元々玄宗の信頼の厚い人であった。信頼していた部下の反乱で二人は都を離れることになり、途中で楊貴妃は命を落とす。ここまでが「長恨歌」の前半に描かれる所であるが、皇帝が一人の女性を愛するあまり政治が乱れ、社会に波紋が広がるという展開は、桐壺帝と桐壺更衣との関係、桐壷の巻全体によく似ている。そして注目しておきたいのは、紫式部はこの哀傷歌の世界を密かに借用し、「長恨歌」の舞台をアレンジして、設定を変えて「源氏物語」の世界を作る為に「長恨歌」を利用した訳ではない。むしろ読者にもはっきりわかるように、当然この時代の読者の中にも中国の歴史や文学に詳しくない人もいたであろうが、そうした読者にもすぐ分かるようにヒントを出している。

 

ヒントどころではない。この 桐壺の巻 を読みながら読者は、「長恨歌」の世界を玄宗と楊貴妃の物語を思い出して下さい と言わんばかりにキ-ワ-ドをはっきり示している。それを具体的に見てみよう。

例えば桐壺の巻の初めの部分。物語が始まってすぐの部分に次のような文章がある。

 朗読⑥

唐土(もろこし)にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れあしかりけれと、やうやう、(あめ)の下にも、あぢきなう人のもてなやみぐさにてなりて、楊貴妃の(ためし)もひき出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心(みこころ)ぱへのたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。

 解説

楊貴妃 という言葉は出てきた。仕掛けに気付いていない読者への気遣いというべきか。

 

物語は進んで桐壺更衣を失った桐壷帝がぼんやりと物思いに耽って、亡くなった桐壺更衣を思い出している所にこんな文章がある。朗読をする。

朗読⑦数人の女房を侍らせて、「長恨歌」の絵に歌を描かせたものを話題にして昔を偲んでおられる。

御前(おまえ)の壺前菜のいとおもしろき盛りなるを御覧ずるやうにて、しまびやかに、心にくきかぎりの女房四五人さぶらはせたまひて、御物語せさせたまふなりけり。

このごろ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、の亭子院(ていじのいん)の描かせたまひて、伊勢、貫之に詠ませたまへる、大和言の葉をも、唐土(もろこし)(うた)をも、ただその筋をぞ(まくら)(ごと)にせさせたまふ。

 解説

そのものすばり「長恨歌」という言葉が出てきた。尚これは読者に気付かれないようにこっそりというやり方ではない。

この物語は「長恨歌」を玄宗と楊貴妃の物語を下敷きにしたものだとはっきりとアビ-ルしている。紫式部は何故この様な事をしたのであろうか。例えばこんな風に考えることが出来るかも知れない。紫式部は「長恨歌」や玄宗皇帝・楊貴妃或いは「長恨歌」の作者・白楽天を使って、自分の作品をアビ-ルして見せた。今の言葉で言えばオマージュと呼ばれるようなものである。しかしながら結論を先に言えば、「源氏物語」と「長恨歌」、作者紫式部と白楽天の関係をそのように単純に考えることは出来ない。それは桐壺の巻物語に次の様に書かれているのに注目すれば分る。それはどういう事か。実は「長恨歌」の世界は、唐の時代に実際に起きた事件・単に歴史上の出来事をなぞった様な物語ではない。特にその後半には現実離れしたファンタスチックな世界が描かれることになるが、それはどういうことかというと、「長恨歌」後半をダイジェストで話す。楊貴妃を失った玄宗皇帝は安禄山の乱が平定され、混乱が収まって都に帰った後も心がやすまらない。楊貴妃の事が忘れ似られないのである。
そんなある日、玄宗皇帝のもとに不思議な術を使う男が現れ、かれは亡き楊貴妃の魂を探し出しと参りましょうと言う。そして遂に彼は楊貴妃の生まれ変わりに会うことが出来た。彼女は海の上に浮かぶ仙人の山、そこに生まれ変わっていた。生まれ変わった楊貴妃は、その不思議な術を使う男に、これを皇帝に届けておくれと形見の品を渡す。それが(かんざし)だが、その釵を半分に折って、その一方を皇帝に渡せば自分に逢ったということになるのであろう。

 

そして生前、周りに人がいない深夜の御殿で、交わし合った愛のささやき、誓いの言葉をこの男に伝える。その様子の描写である。「長恨歌」の一節。

朗読⑧

七月七日長生殿   七月七日長生殿

夜半無人私語時   夜半に人無く私語の時

在天願作比翼鳥   天に在りて願わくば比翼の鳥となり

在地願為連理枝   地に在りて願わくば連理の枝とならん

 解説

生まれ変わったら比翼の鳥となって、仲良く並んで飛びたい。

そして地上に在っては連理の枝となって添い遂げたいと誓った。

この言葉を二人以外には知る人はいないので、この言葉を玄宗に伝えたら、楊貴妃の生まれ変わりに会ってきたことを、彼は信じるであろう。

 

この様に「長恨歌」のその後半では、実に幻想的な様子を描いて終わるのである。桐壺の巻にも今話した「長恨歌」の後半の世界を踏まえた次のような場面が用意されている。桐壷帝が亡き桐壺更衣の実家に一人住むお母さんのもとに使いを送る。その使いが宮中に帰ってきて、里から贈られた更衣の形見の品々を帝が見る場面である。

朗読⑨

かの贈物御覧ぜさす。亡き人の住み()尋ね出でたりけんしるしの(かんざし)ならましかばと思ほすもいとかひなし。

  たづねゆく まぼろしもがな つてにても (たま)のありかを そこと知るべく

絵に描ける楊貴妃の容貌(かたち)は、いみじき絵師といへども、筆限りありければいとにほひすくなし。

 解説

更衣の形見の品が様々に届けられた。それは桐壺帝からすると、まるで「長恨歌」の世界そのままだ。玄宗皇帝は楊貴妃の生まれ変わりから形見の品を受け取ったのに似ている。が、その後に桐壺帝はこう溜息をつく。今の文章にあった

亡き人の住み()尋ね出でたりけんしるしの(かんざし)ならましかばと

ましかば は、英語の IF である。今手元にあるのは、玄宗皇帝が手にした亡き人愛する楊貴妃の生まれ変わりが、一方を手にして、もう一方を手渡しにしてくれた印の(かんざし)。そうした品だったらどんなに心が慰められただろうか、ということで裏返して言えば、今自分の目の前にある桐壺更衣の形見の品は、それとは全然違うというのである。それだけではない。今の場面には、帝の歌も出てきた。

  たづねゆく まぼろしもがな つてにても (たま)のありかを そこと知るべく

まぼろし 「長恨歌」に出て来た不思議な術を使って死者の世界へ行くことが出来たあの人物の事を言う。その まぼろしが もがな というのは、自分にも欲しいということである。現在でも 言わずもがな という言葉が残っている。つまり桐壷帝はこういう訳である。自分にもあの「長恨歌」の世界に出てくる魔法使いのような男がいたらいいのにと。それは裏返して言うと、そんな男はこの世にいる

訳がない、そんな男はどこにもおらず、亡き桐壺更衣に二度と逢えるはずがないと溜息をついた。つまり紫式部は「長恨歌」に描かれた世界を否定して見せている。自分がこれから書こうとしている物語、読者に見せようとする物語は「長恨歌」に似ているが、しかしその世界はとは明確に違うものですと彼女はアビ-ルしている。玄宗皇帝と楊貴妃、二人の関係は死によって引き裂かれたけれども、

しかし白楽天の描き出した「長恨歌」にはまだ救いがあった。不思議な術を使う男によって、玄宗皇帝は生れ変わった楊貴妃の様子を知り、その愛に溢れたメッセ-ジを受け取ることが出来たからである。しかし桐壷帝はどうか。帝の歌の一節。

たづねゆく まぼろしもがな

亡き人の魂を探し出す不思議な術を使う男が、本当にいたらいいな。反対に言えばそんな人がいる訳はない。本当にいたら話は簡単だ。私もその男をどこの世界にでも派遣して、つてにても 例え人伝てだとしても、藤壺のことを知ることが出来るだろう。この様に桐壷帝が嘆かせることによって、そんなところは現実にあり得る訳ではない。死によって隔てられたら、そこで全て終わりなのだと、桐壷帝と桐壺更衣の関係を描いて見せた紫式部。彼女の目はクールで、白楽天よりもずっと醒めている。「源氏物語」の桐壷の巻は、「長恨歌」の世界を下敷きにしたものだとよく言われているが、「源氏物語」の世界と「長恨歌」の世界では、本質的に全然違う。今日の放送を聞いた人は、きっとそう見てくれるであろう。

 

「源氏物語」の世界、紫式部の方が物事の捉え方がずっと冷ややかである。そしてこうした「源氏物語」ならではの、この世に対する乾いた冷静な眼差しをこの後、私達は身に染みて知ることになる。

前回で話したことを思い出しながら、次の一節を聞こう。

朗読⑩ 藤壺の入内の場面である。姿、顔立ちが亡き桐壺更衣と似ている。帝の心はこの藤壺で慰められる。

藤壺と聞こゆ。げに容貌(かたち)ありさまあやしきまでにおぼえたまへる。人の御(きわ)まさりて、思ひなしめでたく、人もえおとしめきこえたまはねば、うけばりてあかぬことなし。かれは、人のゆるしきこえざりしに、御心ざしあやにくなりしぞかし。思しまぎるとはなけれど、おのづから御心うつろひて、こよなう思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。

 解説

あれ程深く愛し、二度と癒えないかも知れない深い憂いの底に沈んでいた桐壷帝のもとに、藤壺という新しい妃が入内する。その事によって帝はどうなったか。彼の心は癒され落ちついてほっとしたと、物語は説明する。その人が藤壺という人で、先代の(おんな)四宮(しのみや)、先代の帝の四番目の娘である。藤壺の入内によって、帝の心の傷はすっかり癒えてしまったというのは、ここも「長恨歌」と全く違う。「長恨歌」では、死によって引き裂かれても、愛する人を忘れることが出来ない。相手への永遠の愛を誓い続ける玄宗皇帝と楊貴妃の関係が最後まで画かれている。それに対して桐壷帝ときたら、人の心は移ろい易く、儚いもの 何とクールな人生観、人間観であろうか。紫式部は人の心の移ろい易さに対して、冷静な視線を注いでいる。それは物語を読み進めて行く時に様々に実感することであるが、今日はその予告である。

 

そろそろ今日のまとめに向けて鑑賞と解説を進める。そういう訳で物語の舞台から桐壺更衣が退場し、新しい女君、藤壺更衣が舞台に上がった。光源氏の心がその女性に、深く引き付けられたことも、既に話した通りである、藤壺は父の妻であり自分の義母である。二重三重の意味で、光源氏と結ばれても良い関係ではない。この辺りから物語の主役が光源氏にバトンタッチされる。藤壺を妃にしてすっかり満足してしまった桐壷帝は、ももう物語の主人公ではない。

 

光源氏12歳の時の事である。彼は元服をして、妻を迎えることになる。の前後の様子を読む。

朗読⑪加冠の大臣は娘を、帝からのお話もあって、源氏の君に差し上げようと思っていた。

引入れの大臣(おとど)の、皇女(みこ)(ばら)にただ一人かしづきたまふ御むすめ、春宮(とうぐう)よりも御気色(けしき)あるを、思しわづらふことありけるは、この君に奉らむの御心なりけり。内裏にも、御気色賜らせたまへりければ、「さらば、このをりの後見(うしろみ)なかめるを、添臥(そいふし)にも」ともよほさせたまひければ、さ思したり。

 解説

引入れの大臣(おとど) 

光源氏に冠を被せる役を務めた左大臣。

時の権力者の娘が、しかも左大臣のもとには、弘徽殿の女御が生んだ第一皇子の妃にとの内々の要請もあった。にも拘らず左大臣は光源氏を選んだ。政治的損得を忘れてしまう程、光源氏が魅力的であったということであろう。

しかしその事によって光源氏の心が満たされるはずもない。この結婚は政略結婚みたいなものである。桐壷帝も左大臣も良かれと思って、この二人を結婚させた訳であるが、突然今日から自分の奥さんと言われて、光源氏は素直に喜べない。まして光源氏の心には藤壺のことが焼き付いて離れない。藤壺の登場ですっかり満足した桐壷帝と、左大臣家の娘と結ばれても決して心が満たされない光源氏とのコントラストが鮮やかである。光源氏の人生はこの後どうなるのか。

そんなことを思わせて、桐壺の巻は終わる。

 

「コメント」

一応「源氏物語」を読んだ人に、登場人物の深堀りと相互の関係、作者の意図の説明、それぞれの出典の説明。いわゆる古文解釈ではないな。