250322 51回 「夢の浮橋」
今回は夢の浮橋の巻である。この巻で紫式部は「源氏物語」の筆を置いた。「湖月抄」の年立てでは薫27歳、本居宣長では28歳。この巻で夢という言葉は5回使われている。浮橋という言葉はない。「湖月抄」は、浮橋は54番目の巻だけでなく、「源氏物語」54帖全体に及ぶ命名であると述べている。本居宣長もこの見方に賛成している。浮舟の一生だけでなく、薫の一生、光源氏の一生、紫の上の一生も儚い夢だったのである。「夢の浮橋」という近代小説がある。この作品は、桐壷帝、光源氏、冷泉帝らの秘密の関係を近代小説に移し変えている。谷崎潤一郎も又、夢の浮橋という言葉を、「源氏物語」の雰囲気を現す言葉として用いている。
薫は横川の僧都と対面し、浮舟の事を尋ねる。その後で、比叡山を下りて都に戻った。夜の山道を照らす薫一行の豪勢な松明の火を、浮舟たちは見ていた。その場面を読む。
朗読①薫が横川の僧都に会うために、比叡山の道を通る松明の火が小野から良く見える。浮舟は物思いである。
小野には、いと深く茂りたる青葉の山に向かひて、紛るることなく、鑓水の蛍ばかりを昔おぼゆる慰めにてながめゐたへるに、例の、遥かに見やらるる谷の軒端より、前駈心ことに追ひて、いと多うともしたる灯ののどかならぬ光を見るとて、尼君たちも端に出でゐたり。「誰がおはするにかあらん。御前などいと多くこそ見ゆれ」、「昼、あなたにひきぼし奉れたりつる返り事に、大将殿おはしまして、御饗(おおんあるじのことにはかにするを、いとよきをりとこそありつれ」、「大将殿とは、この女二宮の御夫にやおはしつらむ」など言ふも、いとこの世遠く、田舎びにたりや。まことにさにやあらん、時々かかる山路分けおはせし時、いとしるかりし随身の声も、うちつけにまじりて聞こゆ。月日の過ぎゆくままに、昔のことのかく思ひ忘れぬも、今は何にすべきことぞと心憂ければ、阿弥陀仏思ひ紛らはして、いとどものも言はでゐたり。横川に通ふ人のみなん、このわたりには近きたよりなりける。
解説
小野には、いと深く茂りたる青葉の山に向かひて、紛るることなく、鑓水の蛍ばかりを昔おぼゆる慰めにてながめゐたへるに、
薫は横川の僧都に浮舟の事を尋ねたが、ひとまず下山することにした。比叡山の西の麓にある小野の山里では、浮舟がぼんやりと物思いに耽っていた。今は夏、一面の青葉が生い茂っている。庵の前を流れている鑓水には、蛍が飛び交っている。それを見ると浮舟は昔のことが思い出され、聊か心が慰められるのだった。なお浮舟が宇治に住んでいたのは、9月から3月なので宇治の風物詩である夏の蛍を見たことはないはずである。彼女が懐かしく思い出している昔は、いつの事なのだろうか。
例の、遥かに見やらるる谷の軒端より、前駈心ことに追ひて、いと多うともしたる灯ののどかならぬ光を見るとて、尼君たちも端に出でゐたり。
庵からの眺望がとりわけ良いのが、谷に面した軒端である。浮舟はそこからいつものように遠くを見ていると、誰か身分の高い人が比叡山から下りてきているようで、先を追う従者たちの声が大きく聞こえる。松明が沢山点されていて、従者たちの歩みが前後するのに伴って、松明の光もチラチラと揺らめいている。その光を尼君たちは端近くに出で来て、一緒に眺めていた。
「誰がおはするにかあらん。御前などいと多くこそ見ゆれ」、
尼君たちが松明の灯を見ながら話し合っているのが、浮舟の耳にも入ってくる。「どなたがお通りになっているでしょうか。あれだけ賑やかな声なので、お供だけでも多くの人数ですね。」
「昼、あなたにひきぼし奉れたりつる返り事に、大将殿おはしまして、御饗のことにはかにするを、いとよきをりとこそありつれ」、
「そう言えば、横川にいらっしゃる僧都に、ひきぼし(海藻を乾燥させた食品)を差し上げました所、大将殿がここにおいでになるので急に接待することになった。丁度良いというお礼がありました。
「大将殿とは、この女二宮の御夫にやおはしつらむ」など言ふも、いとこの世遠く、田舎びにたりや。
「その大将は今の帝の女二宮の婿であるお方なのでしょうか。」と世間話に興じているのは、まったく世間離れして田舎びた様子ではないか。
まことにさにやあらん、時々かかる山路分けおはせし時、いとしるかりし随身の声も、うちつけにまじりて聞こゆ。
成る程あれは薫の一行に違いないと、浮舟も気付いた。かつて私が宇治にいた頃、この様な山道を通ってあの薫が私に会いに来ていた。声がはっきりしてきて、聞き分けられる従者がいて、あの声が聞こえたら薫の訪れだと記憶していた。その声が混じって聞こえてくる。
月日の過ぎゆくままに、昔のことのかく思ひ忘れぬも、今は何にすべきことぞと心憂ければ、阿弥陀仏思ひ紛らはして、いとどものも言はでゐたり。
自分が宇治を去ったのは去年の晩春、一年以上も前。忘れていて当然なのに、昔聞いた薫の声までが思い出される。全てを棄てて出家し尼になった自分が、昔のことを思い出してもどうなるものでもあるまいと情けない。
その思いを紛らわそうと、浮舟は阿弥陀仏を念じて、尼たちの会話には加わらなかった。
横川に通ふ人のみなん、このわたりには近きたよりなりける。
これは草子地で語り手のコメントである。小野は殆ど通う人もいない。横川に上る人と、横川から下りる人だけがここを通る。そうでなければ誰も通らない。淋しい山里なのである。所で「源氏物語」を愛した川端康成は、昭和22年に「浮舟」という小説を書いた。その小説の最後には、闇を見つめる浮舟の姿が描かれている。夢浮橋の巻ではこの後、横川の僧都からの手紙と薫からの手紙が紹介されるが、川端はあえてそれを書かなかった。川端康成の美意識は素晴らしいと思う。川端は浮舟の目と心を一体化して、深い闇の中に消えていく光に見入っていたのである。
さて比叡山の横川に上った薫は、僧都から浮舟に宛てた手紙を預かっていた。薫はその手紙を浮舟の弟の小君に持たせ浮舟に届けた。
朗読②僧都の手紙は、還俗を勧め、薫との仲を戻すようにとの内容であった。
僧都の御文見れば、
今朝、ここに、大将殿のものしたまひて、御ありさま尋ね問ひたまふに、はじめよりありしやうくはしく聞こえはべりぬ。
御心ざし深かけれどもあなたがりける御仲を背きたまひて、あやしき山がつの中に出家したまへること、かへりては、仏の責そふべきことなるをなん、うけたまはり驚きはべる。いかがはせん。もとの御契り過ちたまはで、愛執の罪をはるかしきこえたまひて、一日の出家の功徳ははかりなきものなれば、なほ頼ませたまへとなん。ことごとには、みづからさぶらひて申しはべらむ。かつがつこの小君聞こえたまひてん。
と書きたり。
解説 僧都からの手紙を、小野の尼君たちが読むと、次のような文面だった。
今朝、ここに、大将殿のものしたまひて、御ありさま尋ね問ひたまふに、はじめよりありしやうくはしく聞こえはべりぬ。
今朝と書いてあるので、僧都がこの手紙を書いたのは昨日の事である。
今朝、比叡山の横川まで大将殿・薫殿がわざわざお見えになりました。そしてあなた・浮舟の事をお尋ねになった。私はあなたに関して知っていることを詳しくお話ししました。宇治で助けたことから、今に至る全部です。
御心ざし深かりける御仲を背きたまひて、あやしき山がつの中に出家したまへること、かへりては、仏の責そふべきことなるをなん、うけたまはり驚きはべる。
これほどまでにあなたに執着なさっている薫殿との事を、きちんと整理することなくそのままにしておいて、私の妹や母上のような賤しいものの中でお暮らしになり、出家して尼になられたことは、あなた自身にとって大きな問題を抱えています。今後もしもあなたが尼になったことを後悔するような事態になれば、救いを齎すはずだった出家が却って、大きな罪を作る原因となるかもしれません。薫殿からお話を聞いてあなたのこれまでの人生について、何も知らなかった私は驚きました。薫殿のあなたへの執着心をそのまま残してしまったことが、仏の教えに背いていることであり、罪の深い事なのです。
いかがはせん。
けれどもあなたが尼になったことは、今更どうしようもない事です。これからどうするかです。
もとの御契り過ちたまはで、愛執の罪をはるかしきこえたまひて、
あなたは自分と薫殿との本来の契りが、どういうものであったかとお考えになり、その契りを過たないように生きていくとよいでしょう。あなたは薫殿の抱えている執着心が消えるようにしてあげなさい。薫殿の心の罪を残したままでは、あなたの救いへの道は開けません。
一日の出家の功徳ははかりなきものなれば、なほ頼ませたまへとなん。
あなたと薫殿の契りに背かないようにするには、俗世界の関係に戻るのが良いと考えられるのなら、それもよい事でしょう。心地観経というお経には、発心して一日でも出家したものは地獄に落ちないで済むと書いてある。あなたは修行した期間は短くても、功徳が得られます。これからどんな時代になっても、あなたに救いがあることは間違いないので安心なさい。
ことごとには、みづからさぶらひて申しはべらむ。かつがつこの小君聞こえたまひてん。
と書きたり。
なおこれ以上の詳しい事は、手紙ではなくてお目に掛かって私の口から直接に申し上げましょう。それ迄はこの手紙を持参する小君に私の考えを伝えてあるので、小君の口から申し上げることもあるでしょう。この様に僧都の手紙は書かれていた。
仏教の教えに精通した横川の僧都が、浮舟に還俗を勧めていると「湖月抄」は解釈していると思う。本居宣長も「湖月抄」の解釈に異を唱えていない。
浮舟は薫の心に苦しみや悩みを残したまま、彼との人間関係を放棄して死のうとした。命永らえて尼となったことも、薫に知らせてなかった。これらの事が浮舟の罪であると僧都は言うのである。
そもそも薫が愛していたのは大君であり、浮舟を愛しているのではない。それなのに浮舟は薫の愛執の罪を救わなければ、自分の救いもないと僧都から言われている。
浮舟は僧都からの手紙を持参した弟の小君が懐かしく思われ、母のことを尋ねてみたかったのだが尋ねなかった。僧都の妹の尼君は、薫からの手紙を開けて読むようにと浮舟に勧める。
朗読③浮舟には昔の儘の薫の手紙である。あなたの罪は許します。お話をしたいものです。
尼君、御文ひき解きて見せたてまつる。ありしながらの御手にて、紙の香など、例の、世づかぬまでしみたり。ほのかかに見て、例の、ものめでのさし過ぎ人、いとありがたくをかしと思ふべし。
さらに聞こえん方なく、さまざまに罪重き御心をば、僧都に思ひゆるしきこえて、今は、いかで、あさましかりし世の夢物語をだにと急がるる心の、我ながらもどかしきになん。まして、人目はいかに。
と、書きもやりたまはず。
法の師と たづぬる道を しるべにて 思はぬ山に ふみまどふかな
この人は、見忘れたまひぬらむ。ここには、行く方なき御形見に見るものにてなん。
などいとこまやかなり。
解説
尼君、御文ひき解きて見せたてまつる。
小君が返事を急かせるので、薫からの手紙を妹尼が開封して、浮舟に見せる。
ありしながらの御手にて、紙の香など、例の、世づかぬまでしみたり。
浮舟はチラッと見て、確かに薫の筆跡だと思う。紙にはこんなに良い匂いであるのかと思う匂いが、ふんだんにしみ込んでいる。
ほのかかに見て、例の、ものめでのさし過ぎ人、いとありがたくをかしと思ふべし。
草子地で語り手のコメントである。妹の尼に仕えている海士達は一寸した風流にもいたく感動する性格である。わきからほんの少し見ただけの手紙なのに、こんな手紙はみたことがない、まことに素晴らしいと感動しているようである。
ここから先が薫の手紙である。
さらに聞こえん方なく、さまざまに罪重き御心をば、僧都に思ひゆるしきこえて、
あなたには何を言って良いのか分かりません。私を裏切って過ちを犯したことや、母親を残して自分だけ死のうとしたことなど、あなたは沢山の罪を作ってきた。あなたの罪は横川の僧都が引き受けてくれることでしょう。私もあなたの罪を許しましょう。
今は、いかで、あさましかりし世の夢物語をだにと急がるる心の、我ながらもどかしきになん。
あなたと過去の過ちの話をしたいのではない。あなたが突然に宇治からいなくなり、私がどれほど衝撃を受けたか、まるで夢のように見えた出来事について、私の本心を伝えたいと思う。早く会いたいという気持ちを自分でも抑えきれない。
そう言う自分を私自身がもどかしく思っている。
まして、人目はいかに。と、書きもやりたまはず。
自分でも自分の焦りが分るので、周囲の人々には私がどのように映っているでしょう。この様に、書きたいこともうまく言葉に出来ないような文面だった。
本居宣長はこの文章のニュアンスを丁寧に解説している。
幾重にも私に背いてきたあなたに、ここまでしても会いたいと思うのが、我が心ながらもどかしく感じられる。まして人目にはどのように思われていることだろうか。
法の師と たづぬる道を しるべにて 思はぬ山に ふみまどふかな 薫の歌である。
私は横川の僧都を、仏の教えを説いてくださり悟りへと導いてくれる師として、すがる思いで比叡山に上ってきた。
それなのに思いもよらず僧都には、あなたとの恋をやり直す為に力添えを頂いています。仏への道へは入れず、恋の山で私の心は乱れに乱れています。
「湖月抄」は薫の歌の初句、法の師と の と が面白いという。法の師を というのが普通であろう。
この人は、見忘れたまひぬらむ。ここには、行く方なき御形見に見るものにてなん。
などいとこまやかなり。
この手紙を持参した少年を、まさか見忘れてはいないでしょうね。あなたの弟です。私はこの少年を、突然私の前から姿を消したあなたの形見として、可愛がっているのですと、浮舟の情に訴える言葉を書き添えている。
薫は浮舟を さまざまに罪重き御心 と決めつけている。浮舟の失踪と出家は、彼女にとってはそうするしかなかった切迫した行動であった。けれどもそうした浮舟の行動が、周囲の人々にとっては悩みの種になり苦しみの種になっている。それが浮舟の罪だと言っているのである。薫は大君の身代わりとして浮舟を扱ってきた。けれども浮舟は大君とは違う。この当たり前の事実を薫は認められるのだろうか。薫と浮舟との新しい関係が始まるには、薫の浮舟への認識を変える必要がある。
浮舟は頑ななまでに、薫からの手紙を読もうとしない。その心を理解するために次の文章に入る。
朗読④どうにも返事のしようがないし、頭が混乱して浮舟は突っ伏してしまうが、尼たちはそういう浮舟を非難する。
かくつぶづぶと書きたまへるさまの、紛らはさん方なきに、さりとて、その人にもあらぬさまを、思ひのほかに見つけきこえたらむほどの、はしたなさなどを思ひ乱れて、いとどはればれしからぬ心は、言ひやるべき方もなし。さすがにうち泣きてひれ臥したまへれば、いと世づかぬ御ありさまかなと見わづらひぬ。「いかが聞こえん」など責められて、「心地のかき乱るやうにしはべるほどためらひて、いま聞こえむ。昔のこと思ひ出づれど、さらにおぼゆることもなく、あやしく、いかなりける夢にかとのみ心も得ずなん。すこし静まりてや、この御文なども見知らるることもあらむ。今日は、なほ、持て参りたまひね。所違へにもあらむに、いとかたはらいたかるべし」とて、ひろげながら尼君にさしやりたまへれば、「いと見苦しき御事かな。あまりけしからぬは、見たてまつる人も、罪避りどころなかるべし」など言ひ騒ぐも、うたて聞きにくくおぼゆれば、顔も引き入れて臥したまへり。
解説
薫は浮舟への思いを細々と具体的に書いていた。宛先が自分であることも、書かれている内容も、自分とは関係ないと言い逃れることも出来ない。かといって、薫の申し出を認めると、昔の自分とは似ても似つかぬ尼姿の自分をお目にかけるしかない。そうなった場合のいたたまれなさを思うと、浮舟の心は乱れる。これまでも暗い気持ちだったけれども、一層暗雲に覆われ言葉も出てこない。堪え切れずに泣き伏し、突っ伏してしまった。尼君はそんな浮舟を見兼ねて、本当に生きるのが下手な人だと呆れてしまう。尼君から、この手紙にはどのように返事するのですかと催促された浮舟は、やっとのことで言葉を口にした。今は頭が混乱していて心も苦しくてならない。暫くして心が落ち着いたらご返事します。この
小野に来る前に、私が体験した出来事を思い出そうと努力していますが、何一つとして記憶していないのです。この手紙には、あさましかりし世の夢物語 と書いてあるようですが、それがどんな夢なのか全く理解できません。
もう少し混乱治まったら、この手紙を書いたのが誰なのか思い出すかもしれません。今のところは、このまま手紙はお持ち返り下さい。手紙の宛先が私ではないかもしれませんので、可笑しな返事をしたらみっともないことになります。浮舟は薫からの手紙を広げたままで、妹尼の方に押しやった。妹尼に仕える尼たちは浮舟の様子を見て、本当に見ていられない振舞いです。あまりにも失礼なことをすると、私たち周りの者たちの落ち度ともなりましょう といって浮舟を非難する。
浮舟はその言葉が耳に痛いので気分が悪くなり臥している。
浮舟は薫に返事しなかった。けれども浮舟が明瞭な返事をするべき時が迫っていた。間もなく僧都が横川から下りて小野にやってくる。その時、浮舟は僧都にどのような言葉を告げるのであろうか。それには薫も浮舟に会って話をしようと小野を訪れるであろう。その時、薫に向かってどういう言葉を口にするのだろうか。浮舟には、その言葉の原案らしきものが、心の中に在るのだろうか。作者には、浮舟にどういう言葉を口にしてほしいという願望があるのだろうか。
さて小君は、尼君の斡旋にも拘らず、姉の浮舟と直接に顔を合わすことも出来なかった。浮舟から薫への返事も持ち帰れなかった。小君の報告を聞いた薫の心を描いて「源氏物語」は唐突に終了する。
朗読⑤
いつしかと待ちおはするに、かくたどたどしくて帰り来たれば、すさまじく、なかなかなりと思すことさまざまにて、人の隠しすゑたるにやあらんと、わが御心の、思ひ寄らぬ隈なく落としおきたまへりしならひにとぞ、本にはべる。
解説
いつしかと待ちおはするに、かくたどたどしくて帰り来たれば、
早く浮舟からの返事を読みたいと、薫は小君の帰りを待ちわびていた。そこへ小君は、文使いの役目を果たせなかったのでしょんぼりと戻ってきた。小君の報告は全く要領を得ない。
すさまじく、なかなかなりと思すことさまざまにて、
薫は面白くない。こんな事では却って手紙など出さない方が良かったとまで思う。あれやこれやと様々な可能性を考える。
人の隠しすゑたるにやあらんと、わが御心の、思ひ寄らぬ隈なく落としおきたまへりしならひにとぞ、
元々薫はありとあらゆる可能性を熟慮する性格である。そこで誰かが浮舟を小野の山奥にこっそり住まわせている男がいるのではないかという疑いも湧いてくる。自分はかつて、浮舟を宇治の山里に隠したまま住まわせていたが、
足繁く通うことはなく捨て置いた。それと同じ状況が隠している男を変えたただけで、今小野の山里で起きているのではないかなどと、薫は自分自身の体験によって考えてしまう。
落としおき は、ほったらかしておくという意味である。おどしおく と濁点を打てば、浮舟が恐がるほどに薫がひどい扱いをするというニュアンスになる。そのように解釈する立場もある。それほど人間としての薫の信用は低いのである。
最後はとぞ、で突然終わっている。「湖月抄」は、とぞ、本にはべる。 という本文もあると指摘している。この場合には次のような意味になる。
語り部から説明する。
ここでこの巻もこの物語も終わっている。中途半端な文章で終わっているが、私が書き記している元の写本もこの様な中途半端な本文で終わっている。それにしても文章を最後まで書かずに、途中で終わらせるのはいかにも唐突な幕切れである。夢が突然に断ち切られて、目が覚める感じを巧みに表現している。
これから薫と浮舟はどうなるのであろうか。薫は本心から浮舟の還俗を希望し、二人でもう一度人生をやり直そうと思っているのであろうか。薫には女二宮という正妻がいる。浮舟はどういう立場になるのであろうか。
読者は薫の人間性に不信感を抱いている。その薫に向かって何か言葉を口にしても、恐らく薫の心に響かないであろう。浮舟がこれから口にするであろう言葉は、薫にではなく「源氏物語」の読者に向けられていると思う。その言葉を読者たちは千年も待ち続けてきた。私は「源氏物語」を通読する以前には、漠然とこれ以上は先の無い極限まで、作者は辿り着いたのだろうと思っていた。
太宰治の「津軽」にある外ヶ浜の竜飛の描写が念頭にあったのである。本州の極致に行きつくと、道はなくなり後は海に転げ落ちるばかりとなる。「津軽」一節を読もう。
朗読⑥
諸君も明記せよ。諸君が北に向かって歩いている時、その道をどこまでも遡り遡り行けば、かならず外ヶ浜街道に到り、道はいよいよ狭くなる。更にさかのぼれば、すぽりと鶏小屋に似た不思議な世界に落ち込み、そこにおいて諸君の道は全く尽きるのである。
解説
この場面と「源氏物語」の最終場面とを重ねてイメージしていた。所が実際に最後まで読むと不思議な事に、
そこは行き詰まりでも袋小路でもなかった。物語や文学の道の尽きる場所ではなく、むしろここからどこへでも行ける場所が広がっていた。浮舟の前にはいくつもの人生の選択肢が用意されている。彼女は多くの道が交差する分かれ道に佇んでいる。但しどの道も一歩足を踏み出したら、もう後へは戻れない。私が感じる夢の浮橋の巻の終わり方は、岐 という故事成語である。悲絲 は、厭い悲しむ。 泣岐 は分岐点で泣く。
古代中国の墨子という人物は、白い糸がこれから黄色にも黒にも染められることを悲しんだ。
楊朱という人物は分かれ道が南にも北にも行けることを悲しんで泣いた。作者は物語を作り上げる力を持っている。ストーリ-作るのも、登場人物の性格設定を行うのも作者である。作者がその役割を果たさないと物語は始まらない。紫式部はこれまで浮舟をさんざん苦しめてきた。けれども最後の最後になって、これから浮舟をどのように生きさせるのか決断を下す必要に迫られて、墨子悲絲 楊朱泣岐 の状況を味わったのではなかろうか。紫式部は作者として浮舟に選択を強制することを恐ろしいと感じたのであろう。紫式部はその後の浮舟を書かなかった。物語作家としての使命を手放したのである。紫式部はこれから物語作家としてではなく、紫式部本人として生きていく。かくて「源氏物語」は作家を失い、ここで終了したのである。読者は紫式部から見捨てられたであろうか。私はむしろ紫式部の温かさを感じる。紫式部は読者にこう問いかけているのではなかろうか。私は浮舟の未来を一つに決定することを止めます。これからは浮舟本人に決めて貰いましょう。但しここまで「源氏物語」を読んできた読者の皆さんにお願いがあります。これからはあなたが作者の立場になって、浮舟がどのように生きれば良いのかを決めて下さい。或いはあなたが浮舟本人になり替わって、物語の中に入り込み浮舟の人生を生
きて下さい。これからどう生きればよいか、複数の選択肢の前で悩んでいるのは浮舟ではなく、浮舟になっている読者自身です。夢の浮橋の巻の後で、浮舟はどのように生きるべきか、私達読者も浮舟に成りきって考えましょう。そこから新しい物語が始まる。
「コメント」
宇治十帖は別、作者が違うという見方があるという意味が分かってきた。続きもあるらしい。探すか。
放送時間変更
本放送 (日) 6:00 再放送 (土) 17:00
次の古典講読 「光源氏でたどる源氏物語」 4/6(日)6:00