250315㊿ 手習の巻 53帖
今日は 手習の巻を読む。宇治川に入水して死んだと思われていた浮舟は生きていた。この巻のタイトルは言葉即ち散文に由来している。手習いという言葉は五回、この巻で使われている。宇治から小野に移った浮舟を、手習いの君と呼ぶことがある。手習いはふと心に浮かんだ思いを、すさび書きすることである。「湖月抄」の年立てでは薫 26歳から27歳。本居宣長の年立てでは27歳から28歳。前回読んだ蜻蛉の巻と今回読む手習いの巻は、時間的には同時進行している。
さて二段の年表を作り、上の段に蜻蛉の巻の薫や匂宮の人生、下段に浮舟の人生を描き出すと、薫や匂宮の生き方の軽さが浮かび上がってくる。
さて手習いの巻は
そのころ横川に、なにがし僧都とかいひて、いと尊き人住みたり
と始まる。比叡山の横川に尊い僧都が住んでいた。「湖月抄」は恵心僧都と呼ばれた源信が準拠であるとしている。紫式部と同時代の人である。源信は「往生要集」を著し、浄土教思想の基礎を築いた高僧である。高僧と出合って浮舟は生まれ変われるのであろうか。僧都の母親の尼が長谷寺の参りの帰途、宇治で発病した。僧都は三年目の山籠もりの最中であったが、母の為に比叡山を下り弟子たちと宇治へと向かう。病気の母を宇治院に移す準備をするために、僧都たちは宇治院に入る。そこで横川の僧都の弟子が浮舟を発見したのである。
この場面を読む。
朗読① 僧都一行は宇治院に入った。白いものがあって皆は恐れる。僧都が出て行って確かめることとなる
まづ、僧都渡りたまふ。いといたく荒れて、恐ろしげなる所かなと見たまひて、「大徳たち、経読め」などのたまふ。この初瀬に添ひたりし阿闍梨と、同じやうなる、何ごとのあるにか、つきづきしきほどの下臈法師に灯点させて、人も寄らぬ背後の方に行きたり。森かと見ゆる木の下を、疎ましげのわたりやと見入れたるに、白き物のひろごり見ゆる。「かれは何ぞ」と、立ちとまりて、灯を明くなして見れば、もののゐたる姿なり。「狐の変化したる。憎し。見あらはさむ」とて、一人はいますこし歩みよる。いま一人は「あな用な。よからぬ物ならむ」と言ひて、さやうの物退くべき印を作りつつ、さすがになほまもる。頭の髪あらば太りぬべき心地するに、この灯点したる大徳、憚りもなく、奥なきさまにて近く寄りてそのさまを見れば、髪は長く艶々として、大きなる木の根のいと荒々しきに寄りゐて、いみじう泣く。「めづらしきことにはべるかな。僧都の御坊に御覧ぜさせたてまつらばや」と言へば、「げにあやしきことなり」とて、一人は参でて、かかることなむと申す。「狐の人に変化するとは昔より聞けど、まだ見ぬものなり」とて、わざと下りておはす。
解説 怪奇小説のような緊迫した場面である。
まづ、僧都渡りたまふ。
病気の母の尼をこの宇治院に移す前に、横川の僧都がまず先に確認に来た。
いといたく荒れて、恐ろしげなる所かなと見たまひて、「大徳たち、経読め」などのたまふ。
僧都は建物と庭をご覧になって、思った以上に荒れ果てていて恐ろし気な所だと印象を持った。良くないものが潜んでいるかもしれない。弟子たちを呼んでお経を読んで邪気を払うのだと指図する。
この初瀬に添ひたりし阿闍梨と、同じやうなる、何ごとのあるにか、つきづきしきほどの下臈法師に灯点させて、人も寄らぬ背後の方に行きたり。
母の尼に付き添って初瀬まで出かけていた阿闍梨ともう一人、同じくらいの僧二人が、この恐ろし気なる建物には何か潜んでいるかもしれないと思って、人が立ち入りそうもない建物や裏に回って様子を窺った。いつもこういう役割をさせている下臈法師、身分の低い法師に松明を持たせていた。なお本居宣長は所持している「湖月抄」の つきづきしきほどの下臈法師 の箇所に、甲斐甲斐し下法師 とか 旅の宿りを見回るも用心の心なるべし などという説を書き入れている。
森かと見ゆる木の下を、疎ましげのわたりやと見入れたるに、白き物のひろごり見ゆる。
森ではあるまいかと思われる程、鬱蒼と茂っている大木の根元を恐ろし気な所だと思って見ると、何か白い物が広がっている。
「かれは何ぞ」と、立ちとまりて、灯を明くなして見れば、もののゐたる姿なり。
あれは何だろうかと立ち止まり、松明を明るくして凝視すると、何か人間のような物が横たわっている。もう少し後に判明するのだが、これは浮舟が前後不覚でうずくまっていた姿であった。でも僧達にはまだ分からない。
「狐の変化したる。憎し。見あらはさむ」とて、一人はいますこし歩みよる。
変化 は化けることである。僧たちは狐が化けたのであろうか、憎い奴だ、正体を現してやろうと、一人の僧は不気味な物の方にずかずかと歩み寄る。
いま一人は「あな用な。よからぬ物ならむ」と言ひて、さやうの物退くべき印を作りつつ、さすがになほまもる。
あな用な。
用なしで無用という意味。
退く
退けるという意味。
どうせ碌なものではなかろう。近寄らずにほって置けと言って魔物退散させる祈りを行っている。それでも恐いもの見たさでずっと様子を窺っている。
頭の髪あらば太りぬべき心地するに、
人間が恐怖に駆られることを、髪が逆立つ と形容する。僧たちは剃髪しているので髪の毛は一本もないが、もしもこの時の僧達に髪の毛が生えていたら、恐怖の余り髪の毛が逆立ってしまったことであろう。緊迫した場面でこのユ-モア、紫式部は冷静である。「湖月抄」は「枕草子」を引用している。清少納言が折角入念に髪の毛を手入れしたのに、男性貴族たちからじろじろ見られ、緊張と羞恥心で髪の毛が逆立ってしまったように感じたという部分である。でもこれは恐怖心からではない。
この灯点したる大徳、憚りもなく、奥なきさまにて近く寄りてそのさまを見れば、髪は長く艶々として、大きなる木の根のいと荒々しきに寄りゐて、いみじう泣く。
この 大徳 は、下臈法師 のことなのか、二人の 阿闍梨 のことなのか今一つはっきりしない。所が松明を手にしている法師は恐怖という感情を知らないかのように、ためらいも見せずにづかづかと近寄って行き間近で正体を見届けた。その謎のものは、髪の毛がとても長く艶々として美しい。大きな木の根っこのごつごつとして節くれだった所に、寄りかかって伏し泣きじゃくっていた。
「めづらしきことにはべるかな。僧都の御坊に御覧ぜさせたてまつらばや」と言へば、「げにあやしきことなり」とて、一人は参でて、かかることなむと申す。
阿闍梨の一人は何とも不思議な事もあるものだ。これはぜひ師の御坊に御覧になって頂き、御判断を頂きたいものだと言う。もう一人は真に奇怪千万な事だと同感した。一人が横川の僧都のもとに戻って行き、こういう不思議な事がございましたと報告した。
「狐の人に変化するとは昔より聞けど、まだ見ぬものなり」とて、わざと下りておはす。
僧都は、「狐は人に化けることもあるとは聞いているが、まだ見たことはない」と言って、わざわざ建物から降りてくる。
それでは僧都が浮舟を助ける場面を読む。
朗読②僧都はこんな不思議な事はない。正体は分からないがこのままでは死んでしまうと言って助けさせる。
何にまれ、かくあやしきこと、なべて世にあらじとて、見はてんと思ふに、「雨いたく降りぬべし。かくておいたらば、死にはてはべりぬべし。垣の下にこそ出ださめ」と言ふ。僧都、「まことの人のかたちなり。その命絶えぬを見る見る棄てんこといみじきことなり。池におよぐ魚、山になく鹿をだに、人にとらへられて死なむとするを見つつ助けざらむは、いと悲しかるべし。人の命久しかるまじきものなれど、残りの命一二日をも惜しまずはあるべからず。鬼にも神にも領ぜられ、人に追はれ、人にはかりごたれても、これ横さまの死をすべきものにこそはあめれ、仏のかならず救ひたまふべき際なり。なほ
こころみに、しばし湯を飲ませなどして助けこころみむ。つひに死なば、言ふ限りにあらず」とのたまひて、この大徳して抱き入れさせたまふ。
解説
何にまれ、かくあやしきこと、なべて世にあらじとて、見はてんと思ふに、「雨いたく降りぬべし。かくておいたらば、死にはてはべりぬべし。垣の下にこそ出ださめ」と言ふ。
弟子の僧侶は、この者の正体が何であったとしても、これほど奇妙な事は滅多にないことだという。正体が何か見届けたいと思うのだが、「生憎雨が降ってきそうな空模様である。このままここに放置していたら、この者は雨に打たれて死んでしまう事でしょう。垣根の下か、軒の下に移しましょう」と言う。
僧都、「まことの人のかたちなり。その命絶えぬを見る見る棄てんこといみじきことなり。池におよぐ魚、山になく鹿をだに、人にとらへられて死なむとするを見つつ助けざらむは、いと悲しかるべし。
この言葉を聞いた僧都は、この者を助けると決断した。この者は見れば見るほど人間の形をしている。その命が失われようというのを見捨てるのは無慈悲な事だ。例えば池で泳いでいる魚や、山で鳴いている鹿のような動物であれ、人に捕らわれ、人に殺されそうになっているのを見たら、助けないのは心が痛むことではないか。
人の命久しかるまじきものなれど、残りの命一二日をも惜しまずはあるべからず。
勿論人の命は永遠ではない。でも残された寿命があるうちは、一日でも二日でも愛おしく大切に生きたいと思うものだ。
鬼にも神にも領ぜられ、人に追はれ、人にはかりごたれても、これ横さまの死をすべきものにこそはあめれ、仏のかならず救ひたまふべき際なり。
ここで死にかかっている者は、鬼か神に取り付かれ、はたまた恐い人間に家を追い出され、運悪く非業の死を遂げようとしているのであろう。けれどもこういう境遇にある物をこそ、仏はお救いなさるものだ。薬師経には九種類のお経が書かれているし、法華経の仏典を思い浮かべながらお話になって
いるのだろう。
なほこころみに、しばし湯を飲ませなどして助けこころみむ。つひに死なば、言ふ限りにあらず」とのたまひて、この大徳して抱き入れさせたまふ。
矢張り放置せず、なお暫く薬湯を飲ませるなどして、たすかるものであれば助けてやろう。それでも死ぬのであれば自業自得の因果であるかにやむを得ない。僧都はこう言って、先程物怖じせず大木の下で倒れているものを覗き込んだ阿闍梨に、抱えさせて建物の中に運び入れた。横川の僧都の言葉には、ヒューマニズムが溢れている。
さて母の尼と一緒に宇治院にやって来て浮舟と出合った妹の尼は、長谷寺で夢の御告げを受けていたので、人の出会いは偶然とはおもえない。僧都の母の尼の容態が回復した。一行は宇治から洛北の小野に移動した。小野では僧都の祈りの力で、浮舟に取り付いた物の怪が退散した。物の怪は、
大君は採り殺せたが、浮舟はすんでの所で命を奪えなかったと告白した。やがて意識を回復した浮舟は、心の中でこれまでの人生を振り返る。蘇生した浮舟の目に映った小野の自然は、どのように映ったのだろうか。
朗読③ここは以前住んでいた宇治より水音も穏やか。松の影も深くひっそりと静かに暮らして居る。
昔の山里よりは水の音もなごやかなり。造りざまゆゑある所の、木立おもしろく、前菜などもをかしく、ゆゑを尽くしたり。秋になりゆけば、空のけしきもあはれなるを、門田の稲刈るとて、所につけたるものまねびしつつ、若き女どもは歌うたひ興じあへり。引板ひき鳴らす音もをかし。見し東国路のことなども思ひ出でられて。
かの夕霧の御息所のおはせし山里よりはいますこし入りて、山に片かけたる家なれば、松蔭しげく、風の音もいと心細きに、つれづれに行ひをのみしつつ、いつともなくしめやかなり。
解説
昔の山里よりは水の音もなごやかなり。
記憶の戻ってきた浮舟の目には、小野の情景が入ってくる。小野の山里は、かつて住んでいた宇治の山里よりは水の音が耳に優しく聞こえる。あの宇治川の音は、余りにも激しく荒々しかった。
造りざまゆゑある所の、木立おもしろく、前菜などもをかしく、ゆゑを尽くしたり。
ゆゑ は、優れた情緒や趣味があること。小野の庵室のつくりは風趣に富んでいて、木立も風流に感じられ、内庭の植えこみなども風情が感じられる。この小野の自然はあらゆる面で浮舟の心を暖かく包み込んでいる。
秋になりゆけば、空のけしきもあはれなるを、門田の稲刈るとて、所につけたるものまねびしつつ、若き女どもは歌うたひ興じあへり。
秋の気配が深まって来ると、空の景色までが心に染み入ってくる。
門田の稲刈るとて、所につけたるものまねびしつつ、若き女どもは歌うたひ興じあへり。
庵の直ぐ近くに作っている田も、稲が収穫の時期を迎えている。農夫たちが歌を歌いながら、稲を刈り取っているのを真似て、娘たちが歌を歌って楽しみながら興じている。
引板ひき鳴らす音もをかし。見し東国路のことなども思ひ出でられて。
門田の近くには、引板 鳴子が付けられていて稲を守っている。大きな音を立てて、動物たちを退散させる仕掛けである。浮舟の耳には この引板 の鳴る音がいかにも面白く聞こえ、都に上ってくる前に暮らして居た時に耳にした田園風景が懐かしく思い出される。
かの夕霧の御息所のおはせし山里よりはいますこし入りて、
そういえば夕霧の巻で、夕霧御息所と落葉の君が住んでいた小野でもこの 引田 の場面があった。
この小野は南北に広いのである。でも浮舟の暮らして居る小野の山里は、その御息所たちの山荘のあった小野よりは、やや深く北側にはいった所にある。
山に片かけたる家なれば、松蔭しげく、風の音もいと心細きに、つれづれに行ひをのみしつつ、いつともなくしめやかなり。
今、浮舟のいる小野の山里は、一条御息所の山荘があった所より更に山深い場所なので、庵の片側は斜面になっている。大きな松の木が茂って影が深く、松風の音も淋しく聞こえるので、浮舟は所在なくお勤めばかりを行いつつ静かに暮らして居た。
小野の山里が和やかであるのは、宇治の山荘が荒々しかったのと対照的である。それでは宇治を離れた浮舟には平和で平穏な人生が待ち受けているのだろうか。この場面の後に、浮舟が詠んだ歌がある。手習に
身を投げし 涙の川の早き瀬を しがらみかけて 誰かとどめし
三角関係の悩みが余りにも高かったので、悲しみの余り自分は入水して死のうとした。でもこの様に助かったのは、一体だれが私を留めようとするしがらみの役目をしたのだろうか。浮舟をこの世に引き留めたのは、誰だったのだろうか。母か薫か匂宮か。それとも神仏なのか。
さて横川の僧都の妹の尼は、初瀬詣での帰り道で会った浮舟を、長谷寺の観音様から授かった宝物と思っている。かぐや姫を得た竹取の翁のような心境である。妹の尼には娘がいたが亡くなったという。その娘を婿だった中将という男が今もたまに姿を見せる、妹の尼が再び長谷寺に詣で、留守中に中将が来訪する。浮舟は僧都の母の尼の近くで夜を過ごし、中将から事なきを得る。浮舟は横川の僧都に出家をしたいと強く決意を告げる。このような俗世間には自分はどうにも生きて行けないと訴えたのである。それを聞いた僧都は、一度は引き留めた。尼になった後で、出家したこと後悔するようなことがあれば、良かれと思って出家したことが却って罪深い結果になってしまうと心配したからである。けれども浮舟は必死に食い下がる。横川の僧都は浮舟の願いに根負けしてついに、浮舟の出家を認めてしまう。そして浮舟は尼になる。その場面を読む。
朗読④浮舟が 「流転三界中」 などと唱える中、僧都は額髪を削ぐ。僧都は後悔してはいけないという。
「流転三界中」など言ふにも、断ちはててしものをと思ひ出づるも、さすがなりけり。御髪も削ぎわづらひて、「のどやかに、尼君たちしてなわさせたまへ」と言ふ。額は僧都ぞ削ぎたまふ。「かかる御容貌やつしたまひて、悔いたまふな」など、尊きことども説き聞かせたまふ。とみにせさすべくもなく、みな言ひ知らせたまへることを、うれしくもしつるかなと、これのみぞ生けるしるしありておぼえたまひける。
解説
「流転三界中」など言ふにも、断ちはててしものをと思ひ出づるも、さすがなりけり。
浮舟の出家の儀式が始まった。剃髪に際して横川の僧都は尊い仏の教え「流転三界中」などを唱える。三界 の中に流転 して、恩愛を断つこと能わず。・・・・。
その言葉を聞く浮舟は既に宇治に入水して死のうと決意した時に、この世への執着を捨てきったはずなのにと、身を捨てて死のうとしたときの心境を思い出す。流石に母親が恋しくなり悲しくなる。かつて親から授かった身を捨てて、死のうとしたのは親不孝であった。けれども今仏の道に入るのは、真実の、親への報恩であると聞いた浮舟はしみじみとした気持ちになる。
御髪も削ぎわづらひて、「のどやかに、尼君たちしてなわさせたまへ」と言ふ。
剃髪を仰せつかった阿闍梨は、若くて美しい浮舟の髪を、肩の所まで短く切ってしまうのが勿体なくて、手がすくんでうまく切り揃えることが出来ない。後から尼君たちにお願いしてきちんと整えて下さいと言う。
額は僧都ぞ削ぎたまふ。「かかる御容貌やつしたまひて、悔いたまふな」など、尊きことども説き聞かせたまふ。
額髪を削ぐのは戒師・出家をする人に戒めを授ける法師の役割なので、横川の僧都が自ら削ぐ。僧都はこれほどまでに美しい器量に恵まれるから、尼姿に身をやつすことをこれから決して後悔してはならないと、尊い仏の教えを教え聞かせた。
とみにせさすべくもなく、みな言ひ知らせたまへることを、うれしくもしつるかなと、これのみぞ生けるしるしありておぼえたまひける。
出家を志した浮舟は、これまで出家の志を妹の尼に告げても、直ぐに出家させてもらえそうになかった。他の尼たちからも出家してはいけませんと教え諭されていた。妹の尼たちが留守をしていた御蔭で、この様に出家出来て嬉しいと思う。自分は長谷寺などに詣でたりした、何の甲斐もなく仏の恵はなかった。だから死のうとまで思い詰めた。でもあの時に死に損ねた御蔭で、一日一夜であったりしても大きな功徳があるという出家を果たせたと思うと、仏の恵みを有難く思う。
浮舟はこれまで生きていてよかったと言っているのである。長谷寺から戻った妹の尼たちは、浮舟の出家に驚くがもうどうしようもない。一方横川の僧都は浮舟を出家させた後、都へと向かう。女一宮の母親である明石の中宮と世間話をする中で、出家したばかりの浮舟のことを話題にした。それを聞いた明石の中宮は、薫の恋人である小宰相を通じて、浮舟の情報を薫に伝えた。浮舟の生存を知った薫は驚く。手習の巻の巻末を読む。
朗読⑤薫は浮舟の住む所はどこだろう。僧都にあって色々確かめようと横川に向かう。これからどうしようと思い乱れる。
住むらん山里はいづこにかあらむ、いかにして、さまあしからず尋ね寄らむ、僧都にあひてこそは、たしかなるありさまも聞きあはせなどして、ともかくも問ふべかめれ、など、ただ、このことを起き臥し思す。
月ごとの八日は、わざせさせたまへば、かならず尊き薬師仏に寄せたてまつるにもてなしたまへるたよりに、中堂には、時々参りたまひけり。それより、やがて横川おはせんと思して、かのせうとの童なる率いておはす。その人々には、とみに知らせじ、ありさまにぞ従はんと思せど、うち見む夢の心地にも、あはれをも加へむとにやありけん。さすがに、その人とは見つけながら、妖しきさまに、容貌ことなる人の中にて、うきことを聞きつけたらんこそいみじかるべけれと、よろづに道すがら思し乱れけるにや。
解説 現代語訳する。
中宮から浮舟の消息を聞いた薫は、一日中考えこんでいる。浮舟は今、小野の山里に住んでいるという話だったが、小野のどの辺りであろうか。住んでいたとして、世間体が悪くないように会いに行くにはどうすれば良いのか。そうだ、浮舟を出家させたという横川の僧都に会って彼女の様子を訪ねてから、小野に住んでいるという浮舟に問い合わせの手紙を出せばよいのではないだろうか。毎年8月は薬師仏の縁日でもある。薫は月の8日には、人々を病の苦しみから守って下さる薬師物の供養をしている。比叡山延暦寺の根本中道は、延暦7年 788年に最澄が建立した。本尊の薬師如来は最澄自ら建立させた。その後梵天、帝釈、四天王を藤原良房が、日光月光菩薩を藤原頼道が寄進した。薫は薬師仏に寄進しているので、根本中堂には時々足を運んでお詣りしている。根本中堂にお詣りしたついでに、横川まで足を延ばして、僧都に会おうと思い至った。薫は浮舟の弟である小君をお伴として連れて行くことにした。小君は父親は常陸介であるが、母親は浮舟と同じ中将の君である。薫は浮舟の失踪後は、見た目の良い小君を身近に置いて使っている。浮舟の母親や乳母たちには、今すぐには浮舟の生存を知らせることもあるまい。今後の成り行きに応じて知らせるかどうか適宜判断すればよいと考えた。それでも小君を随行させたのは、浮舟が弟の顔を見れば感極まり、夢のような気持ちになるだろうと期待しての事だったのであろう。今、私は夢のような気持といったが、それがどんな夢なのかは、次の夢の浮橋の巻で詳しく話す。薫は比叡山の根本中堂に向かう道すがら、ああだこうだと様々な可能性に思いを巡らしては、悩み続けていた。浮舟が生きている事実を知ったのは嬉しい。けれども思っても見なかった尼姿をしているというし、周りにも尼たちばかりがいるようだと、嬉しさもそれ程ではないかもしれない。まして浮舟に別の男が通っているようなことがあれば、がっかりするに違いないと考え、悩んでいたとかいう事である。
薫は浮舟に裏切られた体験から、今も浮舟が誰かと交際しているのではないかと邪推している。薫は浮舟を信じていない。自分を信じない男を、浮舟は信じられるだろうか。悪い夢を見ているのは浮舟ではなく、薫の方なのかもしれない。
「コメント」
横川の僧都はどうして、浮舟の事を明石の中宮に話したのか。単なる世間話か。その意図は? 分からない。さあ次はどうなるのか。本篇より余程面白いぞ。