250301㊽ 浮舟の巻② 51帖
とうとう浮舟と匂宮との関係が露見する日がきた。薫は浮舟を都に呼び寄せようとしていたが、その日程は薫の家臣である仲信 から、その娘婿である道定につたわる。その道定は匂宮に筒抜けであった。匂宮と薫、それぞれからの手紙が浮舟に頻繁に届けられる。薫の使いの者・随身は鼻の利く男で、何度か宇治で行き会う男を不審に思った。随身は手下に謎の男を尾行させ、その結果を薫に報告した。明石の中宮の体調が良くないので心配して、六条院の春の町に来ていた匂宮が、道貞から紅の薄様に書かれた手紙を受け取り、熱心に読んでいるのを偶々薫は目撃した。その手紙の色が動かせない証拠となる。
その場面を読む。
朗読①薫の随身が匂宮から浮舟への手紙が渡されるのを、薫もその返事を読んでいる匂宮の
姿を目撃する。露見である。
夜更けて、みな出でたまひぬ。大臣は、宮を先に立てたてまつりたまひて、あまたの御子どもの上達部、君たちをひきつづけてあなたに渡りたまひぬ。この殿はおくれて出でたまふ。随身気色ばみつる、あやしと思しければ、御前など下りて灯ともすほどに、随身召し寄す。「申し蔓は何ごとぞ」と問ひたまふ。「今朝、かの宇治に、出雲権守時方朝臣のもとにはべる男の、紫の薄様にて桜につけたる文を、西の妻戸に寄りて、女房にとらせはべりつる見たまへつけて、しかじか問ひはべりつれば、言違へつつ、そらごとのやうに申しはべりつるを、いかに申すぞとて、童べして見せはべりつれば、兵部卿宮に参りはべりて、式部少輔道定朝臣になむ、その返り事はとらせはべりける」と申す。君、あやしと思して、「その返り事は、いかやうにしてか出しつる」、それは見たまはへず。異方よりい出しはべりにける。下人の申しはべりつるは、赤き色紙のいときよらなる、となむ申しはべりつる」と聞こゆ。思しあはするに、違ふことなし。さまで見せつらむを、かどかどしと思せど、人々近ければ、くはしくものたまはず。
解説 ここは「湖月抄」の解釈を踏まえた現代語訳をする。
明石の中宮の体調が優れないので、匂宮をはじめとする子供たちは六条院に見舞いに訪れる。中宮が持ち直されたので、夜更けなので皆は春の町を退出する。光源氏の長男夕霧(母 紫の上)は、娘・六の君の婿の匂宮を先に立てて、自分はその後をお供して同じ六条院の夏の町へと移動する。夕霧の子息たちである上達部や公達も大勢附き従っている。夕霧の弟である薫(母 女三宮)は六条院を出て三条宮にいるので、匂宮たちとは遅れて退出する。その時になって先刻、浮舟への手紙の使いをしている随身が、何か意味ありげにしているのを不審に思っていた。薫の乗る牛車の先払いをする者たちは、松明の準備をしている。周囲に人がいなくなったので、随身を召し寄せて何を言いたかったかと尋ねる。随身は事実だけを詳細、正確、具体的、かつ簡潔に薫に報告した。「今年の五月、宇治に手紙を届けに参りました所、出雲権守時方朝臣に仕えている男が屋敷の西の妻戸に近付いて、紫色の薄様の手紙を女房に手渡すのを目撃しました。お前は何の為にこの屋敷に出入りするのかと問い詰めました。その男は弁解しましたが、言葉に矛盾がありました。またここだけの嘘を言っている様に思えました。この男は怪しいと思って、私が使っている者に男を尾行させました。
すると男は匂宮の屋敷に入って、式部卿道定朝臣に、宇治からの返事の手紙を手渡したという報告でした。」それを聞いた薫は信じがたいことが起きていると感じ、宇治の女房はどのようにして手紙を使いの者に渡したのかと重ねて尋ねる。
随身はそれは私の目で見ていません。西の妻戸から別の場所から差し出されたものでしょう。けれども尾行させた童は、とてもきれいな赤い色紙だったと申しておりました と答える。薫が思い出すと、六条院で匂宮は道定から受け取って、熱心に読んでいたのは紅の薄様であった。赤い色紙とピッタリ重なる。随身が童に尾行させてまで、手紙の行方を突き止めたのは、素晴らしいと薫は感心する。けれども他の者たちが近くにいるので、それ以上は何も口にしなかった。
薫は浮舟と匂宮の関係を知らない。匂宮に対しても浮舟に対しても薫は怒りを感じている。薫は怒りに駆られて、浮舟に手紙を書く。薫は誰に対して怒っているのだろうか。そもそも薫は浮舟の裏切りを怒る権利はあるのだろうか。
薫の手紙が宇治の浮舟に届いた場面からである。
朗読② 末の松山 の歌を書いて、こうなったら私を笑いものにしないで下さいと付け加えた。
かしこには、御使の例よりしげきにつけても、もの思ふことさまざまなり。ただかくぞのたまへる。
波こゆる ころともしらず 末の松 待つらむとのみ 思ひけるかな
人に笑はせたまふな」とあるを、いとあやしと思ふに、胸ふたがりぬ。御返り事を心得顔に聞こえむもいとつつまし、ひが言にてあらんもあやしければ、御文はもとのやうにして、「所違へのように見えはべればなむ。あやしくなやましくて何ごとも」と書き添えて奉れつ。見たまひて、さすがにいたくもしたるかな、かけて見及ばぬ心ばえよ、とほほ笑まれたまふも、憎しとはえ思しはてぬなめり。
解説
かしこには、御使の例よりしげきにつけても、もの思ふことさまざまなり。
宇治では薫からの手紙がこれまでよりは頻繁になっているので、浮舟は何かと心が苦しめられるようになる。
ただかくぞのたまへる。
薫からの手紙は、挨拶の言葉や用件を述べる文面など全くなく、いきなり歌などが記されていた。
波こゆる ころともしらず 末の松 待つらむとのみ 思ひけるかな
あなたも知っていることでしょうが、
君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 波越えなむ 古今和歌集 東歌
という歌がある。愛する人に誠実であれば、海から遠い所にある末の松山を波が越えることはありません。末の松山は陸奥の歌枕である。他の人に心を移すと、末の松山を波が越えると言われる。あなたが宇治で私だけを待ち続けているものとのみ思っていた。でもそうではなかったようですね。あなたが私以外のだれかと親しくなったことは知っています。末の松山を波が越えた証拠を私は得ました。
人に笑はせたまふな」とあるを、いとあやしと思ふに、胸ふたがりぬ。
この歌の後で薫は、あなたがこの手紙を誰か私以外の男に見せて、私を愚かな男だと笑いあう事だけはしないで下さいと記していた。浮舟はこの手紙を読むなり、どうして薫は匂宮との関係を知ったのだろうと。もし知られていないのであれば、この手紙の文面も理解不可能である。きっと知られてしまったのだと思うと、胸が詰まるように感じる。尚本居宣長はこの説に反対している。匂宮が浮舟に通っていることを知らない愚か者だと、薫が世間から笑われることをしないで欲しいという意味だというのである。ここは本居宣長説が光ると思う。
御返り事を心得顔に聞こえむもいとつつまし、ひが言にてあらんもあやしければ、
この歌に対して正面から返事すると、匂宮との事を認めたことになるからまずい。また薫が誤解をしていて、この手紙を送ってきた可能性もある。この部分には薫は何も説明していない。本居宣長は、薫が浮舟の裏切りを叱責していることと無関係に、その事を否定も肯定もせず、全く別の内容を書いて返事するのも変だろうと解説している。けれどもやや苦しいと私(講師)は思う。叱りつける手紙をよこした可能性があると読んでおく。
御文はもとのやうにして、「所違へのように見えはべればなむ。あやしくなやましくて何ごとも」と書き添えて奉れつ。
様々に考えて薫からの手紙は、そのまま薫に贈り返すことにした。そして手紙は私宛てではなく、誰か別の女性に宛てたもののように思われます。私は今体の具合が良くないので、これ以上は書けませんと書き添えて返送した。浮舟はかなりしたたかである。
見たまひて、さすがにいたくもしたるかな、かけて見及ばぬ心ばえよ、とほほ笑まれたまふも、
返事を見た薫は面白い切り返しをしたものだと、全く想像も出来なかった返事のし方だと苦笑いを浮かべた。
憎しとはえ思しはてぬなめり。
語り手のコメント、草子地である。
薫は浮舟のことを自分を裏切ったのだと思っていないように思える。浮舟の大胆不敵な返事を、薫が感心するのが面白い。薫は心の底から浮舟を思っていないかも知れない。自分のメンツを潰された事への怒りなのである。
さて浮舟と匂宮のことは、浮舟に仕える右近と侍従の二人の女房が支えていた。二人の女房は浮舟が薫よりも匂宮を愛していると考え、匂宮を取るように勧める。浮舟はもはや死ぬしかないと決心し、匂宮からの手紙を処分する。薫は4月にも浮舟を都に呼びよせようと計画している。匂宮はその前の3月下旬に浮舟を連れ出して都にかくまおうと計画していた。状況は緊迫している。薫の命令で宇治の屋敷の警備が厳重になった為、匂宮が浮舟と会えなくなった。侍従が外に出て匂宮と会う。次の場面を読む。
朗読③屋敷の警備が厳重になり、匂宮は帰るしかない。浮舟は泣くばかりである。
夜はいたく更けゆくに、このもの咎めする犬の声絶えず、人々追ひ避けなどするに、弓ひき鳴らし、あやしき男どもの声どもして、「火危うし」など言ふも、いとあわたたしければ、帰りたまふほど言へばさらなり。
「いづくにか 身をば棄てむと 白雲の かからぬ山も なくなくぞ行く
さらばや」とて、この人を帰したまふ。御気色なまめかしくあはれに、夜深き露にしめのたる御香のかうばしさなど、たとへむ方なし。泣く泣くぞ帰り来たる。
右近は、言ひ切りつるよし言ひゐたるに、君はいよいよ思ひ乱るること多くて臥したまへるに、入り来てありつるさま語るに、答へもせねど、枕のやうやう浮きぬるを、かつはいかに見るらむとつつまし。
解説
夜はいたく更けゆくに、このもの咎めする犬の声絶えず、
夜はドンドン更けていく。警備の為に放たれている獰猛な犬たちが、匂宮一行を見付けて吠えたてる声は止まない。
人々追ひ避けなどするに、弓ひき鳴らし、あやしき男どもの声どもして、「火危うし」など言ふも、いとあわたたしければ、帰りたまふほど言へばさらなり。
匂宮の御伴の者たちはまとわりつき、吠え掛かる犬たちを追い払って遠ざけるようと必死である。所がその声を、屋敷を警戒している者たちが聞きつけ、魔よけの為に弓弦を打ち鳴らしている。火の用心などの声を出して見回ったりしている。その声がいかにも意地悪そうに聞こえるので、匂宮は心が落ち着かない。もはや浮舟に会えずに引き返すしかないと決断した。匂宮の切なさは言葉には表現できない。
いづくにか 身をば棄てむと 白雲の かからぬ山も なくなくぞ行く
匂宮の歌である。
なくなく の部分が、山もない と 泣きながら の掛詞である。浮舟と会えないでは生きてはいけない。私はこれから泣きながら都に帰るけれども、途中には白雲の掛からない山がない程険しい山道である。この山道のどこかに我身をすてるべき道があるのだろうか。この歌は以下の拾遺和歌集を踏まえている。
いづくとも 所定めぬ 白雲の かからぬ山は あらじとぞ思ふ
匂宮は浮舟に会えなかったので、いっそ死んでしまいたいと思い詰めていた。
さらばや」とて、この人を帰したまふ。
匂宮は帰京を決断するほど状況が緊迫しているので、あなたはもう帰りなさいと侍従を帰す。
御気色なまめかしくあはれに、夜深き露にしめのたる御香のかうばしさなど、たとへむ方なし。泣く泣くぞ帰り来たる。
侍従の目に映る匂宮は、優美で心に滲みる程であった。衣服の薫物の香りが夜露に濡れて、一層香り立つのは素晴らしい。匂宮は泣く泣く山を越して帰京すると歌を歌ってから、侍従も泣く泣く屋敷に戻ってきた。
右近は、言ひ切りつるよし言ひゐたるに、君はいよいよ思ひ乱るること多くて臥したまへるに、
さて浮舟の部屋では右近が、匂宮の腹心である時方に、今晩匂宮と浮舟が会うのは不可能と、はっきり断った経緯を伝えていた所であった。右近の話を聞いた浮舟は心がみだれに乱れて臥している。
入り来てありつるさま語るに、答へもせねど、
そこに入ってきた侍従が匂宮の様子と言葉を浮舟に伝えた。浮舟は何も返事をしなかった。
枕のやうやう浮きぬるを、かつはいかに見るらむとつつまし。
浮舟は枕も浮くばかりに涙が溢れて止まらなかった。侍従や右近たちは、自分が泣くのは匂宮に会えない悲しさであろうと思うのは恥ずかしい。
さて追い詰めたられ浮舟は死を決意した。おっとりとした性格の彼女がこれまでにない覚悟を持てたのは不思議である。次の手習いの巻で、この決定には物の怪が介在していたことが明らかになる。私は半世紀も前の学部学生の頃に初めて浮舟の巻を原文で読んだ時に、フランスの恋愛小説に親しんでいた影響で、浮舟がこの時匂宮の子を宿していたのではないかと空想をした思い出がある。けれども「源氏物語」の作者は浮舟が懐妊していたのならば、必ずはっきりと書く筈だと思い返した。
さて浮舟は自分の幸福を願ってくれる母親への強い思い入れがある。では薫と匂宮に対しては、それぞれでどういう思いであったろうか。
朗読④匂宮からは色々と文が来る。私が亡くなれば薫もどうせ聞くことになるだろう。これも辛いことである。
宮は、いみじきことどもをのたまへり。今さらに、人や見むと思へば、この御返り事をだに、思ふままに書かず
からをだに うき世の中に とどめずは いづこをはかと 君もうらみむ
とのみ書きて出しつ、かの殿にも、今はの気色見せたてまつらまほしけれど、所どころに書きおきて、離れぬ御仲なれば、つひに聞きあはせたまはんこといとうかるべし、すべて、いかになりけむと、誰にもおぼつかなくてやみなんと思ひ返す。
解説
宮は、いみじきことどもをのたまへり。
匂宮からは痛切な思いの文面の手紙が届いた。
浮舟は自分が死んだ後、自分の手紙が人の目に触れては困ると思うので、匂宮への返事も書きたいことの多くを書かず、あっさりと歌だけ書いてそれを匂宮への別れの言葉とした。
からをだに うき世の中に とどめずは いづこをはかと 君もうらみむ
はか は、計り 目安 基準 のことである。それと墓の掛詞。私は間もなく宇治川に入水して命を終わらせます。水に流されて私の命はこの世には留まらないでしょう。あなたがどんなに私の亡骸を探し求めても見つけ出すことは出来ません。私の墓だけでなく私の居場所も教える目印は、どこにもありません。なおこの歌は
今日過ぎば 死なましものを 夢にても いづこをはかと 君がとはまし 後撰和歌集 源周子
という歌を踏まえている。この歌の作者は源周子・近江の更衣・或いは中将の更衣 とも呼ばれ、醍醐天皇に愛され、源高明の母である。醍醐天皇は桐壺帝、源高明は光源氏の準拠である。彼女は桐壺の更衣に該当する女性である。
醍醐天皇はこの歌に対して
うつつにぞ 問うべかりけり 夢とのみ にほひしほどや はるけかりけん
と返歌している。
とのみ書きて出しつ、
この様に匂宮には深い思いの籠った別れの歌を送った。花の宴の巻で朧月夜は、
憂き身世に やがて消えなば 尋ねても 草の原をば 問はじとや思ふ
と歌っている。苦しい恋の為に自分が死んでしまったならば、あなたはどこが私の墓か草の原なのかわからないという口実で訪ねて来てはくれないのですか。自分の死後、墓に詣でて欲しいのです。出来るならば生きている間に会いに来て欲しいという歌である。
浮舟の匂宮への思いは、朧月夜が光源氏に対して抱いていた気持ちと似ている。
かの殿にも、今はの気色見せたてまつらまほしけれど、所どころに書きおきて、離れぬ御仲なれば、つひに聞きあはせたまはんこといとうかるべし、すべて、いかになりけむと、誰にもおぼつかなくてやみなんと思ひ返す。
浮舟は薫にも死を間近にした自分の心境を歌に詠んで送りたいと思ったものの思い返した。辞世の歌をあちらこちらに残しておくと、薫と匂宮は親しい関係にあるので、今は対立しているものの、いずれ仲直りするに違いない。そうなった際に二人は情報を交換し合って、私が残した辞世の歌を教え合うこともあるだろう。そうすると私が2人の男をどっちつかずで両天秤にかけていたと思われると辛い。結局あの浮舟というのは、どうなってしまったのだろうと皆から不思議がられるような死に方をしたい。それで薫には別れの手紙は書かなかった。浮舟は薫に冷淡であった。さて、浮舟が死を
覚悟している頃、母の中将の君から手紙が届いた。悪い夢を見た。不吉なお告げなので、あちこちの寺で誦経させているが、宇治の山寺でもお経を読んで貰いなさいと言って、阿闍梨への依頼の手紙やらお布施を送ってきた。匂宮が薫を装って浮舟と契ったのが1月、今は3月である。この短い時間で浮舟の人生は大きく変わった。この続きを読む。
朗読⑤母へ返事を書く。鐘の音ともに私の命も尽きたと。右近がいっそどちらかにお決めなさったらという。
寺へ人やりたるほど、返り事書く。言はまほしきこと多かれど、つつましくて、ただ
のちにまた あひ見むことを 思はなむ この世の夢に 心まどはで
誦経の鐘の風につけて聞こえ来るを、つくづくと聞き臥したまふ。
鐘の音の 絶ゆるひびきに 音をそへて わが世つきぬと 君に伝へよ
持て来たるに書きつけて「今宵はえ帰るまじ」と言へば、ものの枝に結ひつけておきつ。
乳母、「あやしく心ばしりするかな。夢もさわがしとのたまはせたりつ。宿直人、よくさぶらへ」と言はするを、苦しと聞き臥したまへり。「物きこしめさぬ。いとあやし。御湯漬」などよろづに言ふを、さかしがるめれど、いと醜く老いなりて、我なくは、
いづくにかあらむと思ひやりたまもいとあはれなり。世の中にえありはつまじきさまを、ほのめかして言はむなど思すに、まづおどろかされて先立つ涙をつつみたまひて、ものも言はれず。右近、ほど近く臥すとて、「かくのみものを思ほせば、もの思ふ人の魂はあくがるなるものなれば、夢も騒がしきならむかし。いづ方と思しさだまりて、いかにもいかにもおはしまさなむ」とうち嘆く。萎えたる衣を顔に押し当てて、臥したまへりとなむ。
解説 巻の最終部分である。
寺へ人やりたるほど、返り事書く。言はまほしきこと多かれど、つつましくて、ただ
阿闍梨の山寺に人を遣わして、浮舟の命の無事を祈るお経をお願いした。使いの者が戻ってくるまでに、母への返事を書いた。匂宮との事を全く知らない母に自分がこの世ではもはや生きていられないことをどう伝えればよいのか。言い置きたいことは沢山あるが、言葉として記すのがどうにも憚られるので、歌だけを書いては母へのお別れとした。
のちにまた あひ見むことを 思はなむ この世の夢に 心まどはで
母上はこちらにお見えにならないので、またお会いした時に色々と積もる話をしましょう。私に関して良くない夢をご覧になった様ですが、気にしないで下さい。私は元気です。裏の意味は、私はもうこの世ではお会いすることは出来ません。
次にお会いできるのは来世でしょう。お幸せに生きて下さい。この歌は表面だけ見たら普通の内容だけど、裏には深い特別の意味が込められていて哀れである。
誦経の鐘の風につけて聞こえ来るを、つくづくと聞き臥したまふ。
山寺では早速母が依頼した誦経が始まった様で、風に乗って遠くから経を読む時に突く、鐘の音が聞こえてくる。すでに死を覚悟した人間の耳に聞こえる、この人を長生きさせて下さいと言う祈りの音を、浮舟はどんな心境で聞いていた事だろう。浮舟はじっと物思いに耽りながら横になっている。
鐘の音の 絶ゆるひびきに 音をそへて わが世つきぬと 君に伝へよ
これは浮舟の歌である。
お経の時に突く鐘の音が鳴って、やがて消えていく。その金の音に私が母を思って泣く声を添えて、母上の耳に届けておくれ。その鐘のひびきは、娘の命はここで終わったと母上に告げることだろう。
持て来たるに書きつけて「今宵はえ帰るまじ」と言へば、ものの枝に結ひつけておきつ。
山寺に遣わしていたものが、巻数を持ち帰った。これは阿闍梨が読んだお経の名前と、読んだ回数が書き記されたものである。使いの者が今日は都には戻りませんと言うので、浮舟は歌を巻数に書き付けて、木の枝に結び付けておいた。
乳母、「あやしく心ばしりするかな。夢もさわがしとのたまはせたりつ。宿直人、よくさぶらへ」と言はするを、苦しと聞き臥したまへり。
幼い頃から浮舟を可愛がってきた乳母が、不思議なほどに 心ばしり するという。心ばしり は、
小野小町の歌に
人に逢はむ 月のなきには 思ひおきて 胸はしり火に 心焼けをり 古今集
にあるのと同じで、胸騒ぎすることである。乳母は母上も夢見が悪かったと仰いました。番人たちよ、しっかり警備するのですよ と指図している。それを聞く浮舟は、今夜抜け出して宇治川に入水する積りなので、警備が厳重になって屋敷から出られなくなったら困ると思いながら横になっていた。
「物きこしめさぬ。いとあやし。御湯漬」などよろづに言ふを、
乳母はなおも、「姫君は何も召しあがっていません。湯漬けなど食べて下さい」 などとあれこれ指図する。浮舟は食欲を失くしていると思われている。若い頃の私(講師)が懐妊説の根拠とした点である。
さかしがるめれど、いと醜く老いなりて、我なくは、いづくにかあらむと思ひやりたまもいとあはれなり。
乳母は私の為に気を使ってくれている。けれども醜い年寄となっている。私が死んだら、彼女はどこにも居場所がないの、落ちぶれてしまう。生きて行けるだろうかと思うと可哀想になる。
世の中にえありはつまじきさまを、ほのめかして言はむなど思すに、まづおどろかされて先立つ涙をつつみたまひて、ものも言はれず。
乳母は匂宮との関係について何も知らない。自分がこの世で生きていられない本当の理由を、乳母にだけ言っておこうかと思うが、そう思っただけで溢れる涙で言葉を口に出来ない。
右近、ほど近く臥すとて、「かくのみものを思ほせば、もの思ふ人の魂はあくがるなるものなれば、夢も騒がしきならむかし。いづ方と思しさだまりて、いかにもいかにもおはしまさなむ」とうち嘆く。
浮舟の近くで横になっている右近は浮舟が涙を流しているのを見て、三角関係の苦しみゆえだと思い、慰めの言葉を口にする。
思ひあまり 出でにしの あるならむ 夜深く見えば 魂むすびせよ 伊勢物語
という歌も有ります。あなたがいつまでも嘆いているから、魂がふらふらと彷徨い出でて母上の夢の中に現れ驚かせてしまったのですよ。二人のどっちを取るかで悩んでいないで、どっちでもよいので一人に決めてしまえばよいのです。そうすればどんな風にでも生きていけるし、私と侍従とで上手くいく様に計らいます などと言って浮舟と一緒に嘆いている。
右近は薫を取るべきと思っている。けれども浮舟が匂宮を愛していると思っているので、どちらか一人という言い方をしたのである。左近ならずとも女はそう考えるもののようである。
萎えたる衣を顔に押し当てて、臥したまへりとなむ。
右近の言葉を聞く浮舟は返事もせず、糊が落ちた衣に顔を埋めて咽び泣きながら横になっている。浮舟は22歳。ここで恋に生きる或いは恋に巻き込まれる人世は終わった。
そう思われたのだが、手習の巻で蘇生した浮舟に新たな恋が生じる。更には出家した浮舟に薫から還俗の要求が迫る。浮舟の苦しみは続くのである。作者は苦しみから逃れられない人生を浮舟に例えたのである。
「コメント」
やれやれで一応終わったと思ったら、講師の最後の言葉で まだか。