250222㊼ 浮舟の巻① 51帖 

浮舟の巻は特に人気の高い巻である。巻の名は和歌に因んでいる。その歌は後程読む。「湖月抄」の年立てでは、薫27歳。匂宮は薫の一歳年上である。浮舟は21歳前後であろう。匂宮は二条院で見つけて言い寄った女が、突然姿を消したことが気になっていた。浮舟が中君に新年の挨拶を送った手紙から、彼女が宇治にいることを知る。薫の愛人であることも分かった。薫は浮舟を宇治に住まわせたものの、殆ど足を運ばない。薫にとって浮舟は大君を偲ぶ(よすが)に過ぎないからである。浮舟に強い関心を持つ匂宮は密かに宇治を訪れる。ここから物語は大きく動き始める。

 

浮舟たちは石山詣での準備をしていた。その旅立ちの前夜であった。明日の準備は終わらなかったが、浮舟の母親から迎えの車が来るのは遅いだろうと、安心して女房達は寝ることにした。格子の隙間から部屋の中を覗いていた匂宮が、中に入り込む場面を読む。

朗読①宇治の浮舟の家では、明日は石山詣でと早く寝ている所へ、匂宮が薫の真似をして入り込む。

君も少し奥に入りて臥す。右近は北面(きたおもて)に行きて、しばしありてぞ来たる、君の(のち)近く臥しぬ。ねぶたしと思ひければいととう寝入りぬるけとき見たまひて、またせむやうもなければ、忍びやかにこの格子を叩きたまふ。右近聞きつけて、「誰そ」と言ふ。(こわ)づくりたまへば、あてなる(しはぶき)と聞き知りて、殿のおはしたるにやと思ひて起きて出でたり。「まづ、これ開けよ」とのたまへば、「あやしう。おぼえなきほどにもはべるかな。夜はいたう更けはべりぬらんものを」と言ふ。「ものへ渡りたまふへかなりと仲信が言ひつれば、おどろかれつるままに出で立ちて、いとこそわりなかれつれ。まづ開けよ」とのたまふ声、いとようまねび似せたまひて忍びたれば、思ひも寄らずかい放つ。「道にて、いとわりなく恐ろしきことのありつれば、あやしき姿になりてなむ。灯暗うなせ」とのたまへば、「あないみじ」とあわてまどひて、灯は取りやりつ。「我人に見すなよ。来たりとて、人おどろかすな」と、いとらうらうじき御心にて、もとよりもほのかに似たる御声を、ただかの御けはひにまねびて入りたまふ。

 解説 匂宮は薫になりすます。ミステリ-のような展開である。

君も少し奥に入りて臥す。右近は北面(きたおもて)に行きて、しばしありてぞ来たる、君の(のち)近く臥しぬ。

右近は浮舟に仕える女房であるが、浮舟の部屋の奥まったところに入って横になる。右近は部屋の北側に行って暫くして戻ってきた。そして浮舟の足元の辺りで横になった。

ねぶたしと思ひければいととう寝入りぬるけとき見たまひて、またせむやうもなければ、忍びやかにこの格子を叩きたまふ。

右近は明らかに眠そうで、すぐに眠り始めた。部屋の中をこっそりのぞいていた匂宮は、皆が寝ている事、特に右近が特に眠そうにしていることを見て取った。そこで格子をこっそり叩く。

近聞きつけて、「誰そ」と言ふ。(こわ)づくりたまへば、あてなる(しはぶき)と聞き知りて、殿のおはしたるにやと思ひて起きて出でたり

その音を聞きつけた右近が「どなたですか」と尋ねる。匂宮は咳ばらいをした。その声を聞いた右近は高貴な方の咳払いと聞いた。この屋敷に来る高貴な方は薫しかいないと思い込んだ。それで起き上がり格子の近くまでやって来た。

「まづ、これ開けよ」とのたまへば、「あやしう。おぼえなきほどにもはべるかな。夜はいたう更けはべりぬらんものを」と言ふ。

匂宮は「とにかく格子を開けなさい。」と言う。右近は「思いもよらぬ妙な時間にお見えになりましたね。こんな夜更けですよ。」と答える。

「ものへ渡りたまふへかなりと仲信が言ひつれば、おどろかれつるままに出で立ちて、いとこそわりなかれつれ。まづ開けよ」とのたまふ声、いとようまねび似せたまひて忍びたれば、思ひも寄らずかい放つ。

仲信 は薫に仕える人物である。その娘婿が匂宮に浮舟の情報を流している。匂宮は薫の声を真似て小声で返事をする。家来の 仲信 から気になる話を耳にした。どこかに物詣でするようだと言っている。びっくりして都を立ってこちらに向かったのだ。途中でひどい目に合った。とにかく格子を開けなさい という。右近はまさか薫ではない男とは思いもよらず、格子戸を開けた。

「道にて、いとわりなく恐ろしきことのありつれば、あやしき姿になりてなむ。灯暗うなせ」とのたまへば、「あないみじ」とあわてまどひて、灯は取りやりつ。

「ここに来る途中でひどい目にあった。恐ろしい盗賊に襲われた。今、人目に見せられない姿になっているので、灯を暗くしなさい。」これは暗くして自分が薫でないことを気付かせない為である。これを聞いた右近は恐ろしさに縮み上がった。

「なんてまあひどい事」と言いながら慌てて明かりを取り除けた。

「我人に見すなよ。来たりとて、人おどろかすな」と、いとらうらうじき御心にて、もとよりもほのかに似たる御声を、ただかの御けはひにまねびて入りたまふ。

らうらうじ は、知恵が働くこと。匂宮は「よいか。私の姿を他のものに見せるな。また私がここに来たことを他のものに知らせる必要はない。」という。匂宮と薫は元々声が似ている。そして薫になりきって、浮舟が寝ている部屋に入った。右近は匂宮に騙された。

 

では浮舟はどうであったか。

朗読②

女君はあらぬ人なりけりと思ふに、あさましういみじけれど、声をだにせさせたまはず、いとつつましかりし所にてだに、わりなかりし御心なれば、ひたぶるにあさまし。はじめよりあらぬ人と知りたらば、いかが言ふかひもあるべきを、夢の心地するに、やうやうそのをりのつらかりし、年月ごろ思ひわたるさまのたまふに、この宮と知りぬ。いよいよい恥づかしく、科の上の御事など思ふに、またたけきことなければ、限りなく泣く。宮も、なかなかにて、たはやすく逢ひ見ざらむことなどを思すに泣きたまふ。夜はただ明けに明く。御供の人来て声づくる。

 解説

女君はあらぬ人なりけりと思ふに、あさましういみじけれど、声をだにせさせたまはず、

浮舟はこの男は薫ではないと気付くと、驚き呆然たる思いで激しく動揺するが、余りのことに声は出せなかった。

いとつつましかりし所にてだに、わりなかりし御心なれば、ひたぶるにあさまし。

あの二条院で何の遠慮もなく浮舟に近付いたほどだから、この宇治で何の躊躇いもない匂宮である。呆れるほどに乱暴に振る舞うのである。

はじめよりあらぬ人と知りたらば、いかが言ふかひもあるべきを、夢の心地するに、

浮舟はまだ前に薫と別人と気付いていれば、もっと強く抵抗できたかも知れない。どうしようもなかった。悪い夢を見ているような心境である。本居宣長は浮舟の心の問題ではなく、他に行動することが出来たと解釈している。浮舟が声を立てて右近に知らせることも出来たと、本居宣長は考えている。

やうやうそのをりのつらかりし、年月ごろ思ひわたるさまのたまふに、この宮と知りぬ。

匂宮はやっと話始める。二条院で浮舟と結ばれず、恨めしかったこと。その後行方が分からず探し続けたことなどを切々と話す。その声を聞いて浮舟はこの人は匂宮と分かった。

いよいよい恥づかしく、科の上の御事など思ふに、またたけきことなければ、限りなく泣く。

そう思うと一層いたたまれない。薫に対してだけでなく、中君がどう思うかと、ただ激しく泣くばかりである。これが「湖月抄」の解釈であるが、この時には薫のことは念頭になかったのではなかろうか。たけきことなければ、限りなく泣く。 は、本居宣長が指摘しているが、他にすることが無いのでただ泣くだけというニュアンスである。

宮も、なかなかにて、たはやすく逢ひ見ざらむことなどを思すに泣きたまふ。

匂宮も、浮舟が薫の愛人であることを思うと、今後そう容易(たやす)く会えないだろうと泣いてしまうのだった。

夜はただ明けに明く。御供の人来て声づくる。

そうする内に夜はあっけなく明けた。匂宮の御供が近くまでやってきて、咳払いして出発を急がせる。

所が匂宮は宇治に留まる決断をする。右近は匂宮の側近である 時方 と連携して何とか乗り切った。その後久し振りに宇治を訪れた薫は、浮舟の雰囲気が急速に大人びていることに驚く。浮舟は匂宮との事で、薫に会わせる顔が無いのである。浮舟の心の中を知る由もない薫は、浮舟が成長したと喜んでいる。薫と浮舟が宇治で歌を交わす場面である。

朗読③薫は薫で、浮舟は浮舟で物思いに耽る。二人は歌を交わす。

男は過ぎにし方のあはれをも思し出で、女は、今より添ひたる身のうさを嘆き加へて、かたみにもの思はし。山の方は霞隔てて、寒き洲崎に立てる(かささぎ)の姿も、所がらはいとをかしう見ゆるに、宇治橋のはるばると見わたさるるに、

柴積み舟の所どころに行きちがひたるなど、ほかにて目馴れぬことどものみとり集めたる所なれば、見たまふたびごとに、なほ、その(かみ)のことのただ今の心地して、いとかからぬ人を見かはしたらむだに、めづらしき仲のあはれ多かるべきほどなり。まいて、恋しき人によそへられたるも、こよなからず、やうやうものの心知り、都馴れゆくありさまのをかしきも、こよなく見るまさりしたる心地したまふに、女はかき集めたる心の(うち)にもよほさるる涙ともすれば出で立つを、慰めかねたまひつつ

宇治橋の 長きちぎりは 朽ちせじを あやぷむかたに 心さわぐな いま見たまひてん」とのたまふ。

  絶え間のみ 世にはあやふき 宇治橋を 朽ちせぬものと なほたのめとや

 解説 「湖月抄」の解釈を踏まえた現代語訳する。

空には2月上旬の月がかかり、情緒を醸し出している。それを見上げている二人がいる。二人はそれぞれ別々のことを考えている。薫は3年前に亡くなった大君との悲しい恋を思い出している。浮舟は匂宮との事を考えている。二人とも嘆きは尽きない。山の方は霞が掛かって良く見えない。宇治川の三角州に降り立っている(かささぎ)の姿も、いかにも宇治という土地柄に相応しい雰囲気である。尚、この鵲であるが実際には(さぎ)のことである。和漢朗詠集に(みぎわ)に鷺が立っているという漢詩がある。けれども鷺では優美さに欠けるので、ここでは鵲と書いてある。遠くには宇治橋の姿がはっきりと見えている。宇治川には柴を積んだ柴舟が行き交っている。これほど淋しい風景はこの宇治以外では目に出来ない。心に滲みる景物が揃っている。薫は大君の死去がたった今起きたかのように鮮明に心に蘇る。浮舟はやっと都での暮らしにも慣れ、宇治の田舎暮らしの雰囲気も消えた。薫はそんな浮舟の姿を見て、好ましさが増してくるのを感じた。浮舟は薫の前に居ると、自分の過ちについて、あれやこれや考えてしまう。すると涙がこぼれおちる。薫は浮舟が泣いているのは、自分の訪れが少ないからだろうと申し訳なく思う。浮舟の涙は止まらず、薫は慰めることが出来ず、歌を詠んで聞かせた。

  宇治橋の 長きちぎりは 朽ちせじを あやぷむかたに 心さわぐな

あなたは私の訪れが少ないと恨んでいるようですね。けれどもあそこに見える宇治橋は、何百年も前に掛けられたがまだ架かっている。私のあなたへの愛も長く続きます。私の愛も今に分るでしょう。橋がいつ果てるかと心配しながら、恐る恐る足を運ぶことはありません。間もなくあなたをこの宇治から都へと移します。そうすれば私のあなたへの愛の強さを分ってもらえる事でしょう と話しかける。

けれどもそれに対する浮舟の返歌にはいささか(とげ)があった。浮舟が薫を意識して詠んだ歌には、いつも棘がある。それだけ薫の愛を信じていないのだろう。

  絶え間のみ 世にはあやふき 宇治橋を 朽ちせぬものと なほたのめとや

浮舟の歌である。宇治橋に置かれている橋げたは、隙間が多く足元がおぼつかないと聞いている。

それなのに危険な宇治橋を永遠の愛の象徴とあなたは言う。私はあなたの愛の誓いが信じられません。

 

二人の会話は噛み合っていない。薫はもっと長く宇治に留まりたいと思うが、人目を気にしてすぐに都に帰った。2月10日頃、宮中で漢詩を作る催しがあった。雪が降っていた。薫は自分の訪れを待っているだろう浮舟を思い遣り、衣かたしき今宵もや と口ずさむ。

さむしろに 衣かたしき 今宵もや 吾を待つらん 宇治の橋姫 古今和歌集 よみびとしらず

の一節である。

 

薫の言葉を聞いた匂宮はいても立ってもおられず、浮舟会いたくて宇治を訪れる。雪の中、匂宮と浮舟は舟に乗って宇治川を渡る。浮舟の中でも屈指の名場面である。後の時代に多くの美術作品に描かれた。この時に詠んだ歌から浮舟という巻の名前とヒロインの名がついた。

朗読⓸小さな舟で雪の日に二人は宇治川を渡る。歴史のある橘の小島があった。降りる時に

    浮舟を抱いて下ろすので周りの人はどうしてと不思議がる。

いとはかなげなるものと、明け暮れ見出だす小さき舟に乗りたまひて、さし渡りたまふほど、遥かならむ岸に漕ぎ離れたらむやうに心細くおぼえて、つとつきて抱かれたるもいとらうたしと思す。有明の月澄みのぼりて、水の(おもて)も曇りなきに、「これなむ橘の小島」と申して、御舟しばしさしとどめたるを見たまへば、大きやかなる岩のさまして、されたる常盤木の影しげけり。「かれ見たまへ。いとはかなけれども、千年(ちとせ)()べき緑の深さを」とのたまひて、

  ()とも かはらぬものか 橘の 小島のさきに  契る心は

女も、めづらしからむ道のやうにおぼえて、

  橘の 小島の色は かはらじを このうき舟ぞ ゆくへ知られぬ

をりから、人のさまに、をかしくのみ、何ごとも思しなす。

かの岸にさし着きて下りたまふに、人に抱かせたまはぬはいと心苦しければ、抱きたまひて、助けられつつ入りたまふを、いと見苦しく、何人をかくもて騒ぎたまふらむと見たてまつる。

 解説 情景を思い浮かべながら読もう。

いとはかなげなるものと、明け暮れ見出だす小さき舟に乗りたまひて、さし渡りたまふほど、

主語は浮舟である。浮舟は小さな舟に匂宮と一緒に乗って、宇治川の対岸に渡った。薫の来訪がなく一日中宇治川沿いの情景をぼんやり眺めている時に、小さくて頼りないと思っていた舟である。宇治川を渡るには宇治橋を渡る方法もある。けれども雪の降りしきる中、舟に乗って渡るのが格段に風流である。

遥かならむ岸に漕ぎ離れたらむやうに心細くおぼえて、

屋敷から宇治川の向こう岸は見えるのだが、舟に乗ると向こうが見えなくなる。浮舟はこちらの岸を離れて遥か彼方に向かって漕ぎ出した舟が、思っていた以上に心許ないので不安に感じた。

つとつきて抱かれたるもいとらうたしと思す。

浮舟が心細さで寄り添い抱かれているのを、匂宮はいじらしく思う。

有明の月澄みのぼりて、水の(おもて)も曇りなきに

空には有明の月が澄み切った光を放っている。宇治川の水面(みなも)は月の光に照らされて輝いている。

「これなむ橘の小島」と申して、御舟しばしさしとどめたるを見たまへば、

船頭の「そこは橘の小島と申します。」という声が聞こえたので二人は我に返った。橘の小島とは今は無いが、宇治橋から一町ほど川下にあった三角州のことである。船頭はわざわざそこで舟を停めた。二人は小島の情景を見た。

大きやかなる岩のさまして、されたる常盤木の影しげけり。

そこには大きな岩のように見える樹木が生えていて、形が歪んでいる。樹齢の多そうな木が生い茂っていた。それが橘なのであろう。「湖月抄」は、されたる を歪んでいる解釈する。本居宣長は されたる を洒落ていると解釈する。現在は本居宣長説に従っている。又橘は大木にならないとも言っている。だから岩の様な木は橘ではないだろう。かつてここに橘の木が生えていたので橘の小島というのであろうと推測している。

「かれ見たまへ。いとはかなけれども、千年(ちとせ)()べき緑の深さを」とのたまひて、

匂宮は浮舟に「ほら、あの木を御覧なさい。どういうこともない木ですが、千年の年令を保ちそうな濃い緑ではありませんか。」と言う。

  橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜ふれど いや常盤の木 古今六帖 原歌 万葉集

匂宮はこの歌を意識していたのであろう。

いとはかなけれども という言葉に対して、本居宣長は深い解釈をした。心を持たない儚い草木ではあるが、それなりの寿命を保つのだから、まして深い心で語り合う男女の心は、何年経っても変らないと言うのである。

  年()とも かはらぬものか 橘の 小島のさきに  契る心

匂宮の歌である。私はあなたに約束します。橘の小島に生えているあの常盤木のように、私の愛は永遠に続くことを。

女も、めづらしからむ道のやうにおぼえて、

女は普段から目にしている場所ではあるものの、舟に乗って間近に眺めたことはなかったので、初めて見るように感じられた。

橘の 小島の色は かはらじを このうき舟ぞ ゆくへ知られぬ

浮舟の歌である。成程この島に生えている橘の木は、いつまでも色が変わらないでしょう。けれどもこの舟のように儚く運命に翻弄されている私は、これからどこに向かっていくのでしょうそれが分からないので不安で仕方がありません。

をりから、人のさまに、をかしくのみ、何ごとも思しなす。

主語は匂宮。匂宮はこの雪の情景も、舟の中にいる女も何もかも雅に感じられてうっとりするのであった。

かの岸にさし着きて下りたまふに、人に抱かせたまはぬはいと心苦しければ、抱きたまひて、助けられつつ入りたまふを、いと見苦しく、何人をかくもて騒ぎたまふらむと見たてまつる。

匂宮の性格がよく表れている。やがて舟は宇治川の対岸に着いた。匂宮は、浮舟を男に触れさせたくなかったので、自分で抱いて舟を下りる。舟が揺れるので支えられやっとのことで降りた。その家の管理人はその有様を見て、見苦しいことだ、匂宮は一体どなたをこれ程までに寵愛しているのだろうと不思議がっている。

 

さてこの後二人は宇治川の対岸の家で過ごす。

朗読⑤匂宮は歌を書くが、浮舟は歌を恥じて破ってしまう。匂宮は優しく語り掛ける。

雪の降り積もれるに、かのわが住む方を見やりたまへれば、霞のたえだえに梢ばかり見ゆ。山は鏡をかけたるやうにきらきらと夕日に輝きたるに、昨夜(よべ)分け()し道のわりなさなど、あはれ多うそへて語りたまふ。

  「峰の雪 みぎわの氷 踏みわけて 君にぞまどふ 道はまどはず

木幡の里に馬はあれど」など、あやしき硯召し出でて、手習ひたまふ。

  降りみだれ みぎはにこほる 樰りも 中空(なかぞら)にてぞ われは()ぬべき

と書き消ちたり。この「中空」をとがめたまふ。げに、憎くも書きてけるかなと、恥づかしくてひき破りつ。さらでだに見るかひある御ありさまを、いよいよあはれにいみじと人の心にしめられんと、尽くしたまふ言の葉、気色(けしき)言はむ方なし。

解説

二首ともいい歌である。

雪の降り積もれるに、かのわが住む方を見やりたまへれば、霞のたえだえに梢ばかり見ゆ。

辺り一面に雪が降り積もっている。匂宮は宇治川の対岸に視線を移した。そこには自分が昨夜泊まった浮舟の住む屋敷、旧八宮邸があるはずである。その遥か向こうが都である。けれども立ち込める霞に遮られて、木々の梢だけが見えている。

山は鏡をかけたるやうにきらきらと夕日に輝きたるに、昨夜(よべ)分け()し道のわりなさなど、あはれ多うそへて語りたまふ。

雪を被った山は、夕日を浴びてキラキラと輝き、まるで鏡を掛けたかのように見える。あの雪の積もった山を越えて、川向うの屋敷を訪れたのだよ。それほど会いたかった。そして舟に乗ってここまでやって来た。などと浮舟の気を引こうと、いささか誇張して感動的に話す。

  峰の雪 みぎわの氷 踏みわけて 君にぞまどふ 道はまどはず

私は会いたくて、都から宇治まで雪の山を越えてやってきました。道中は雪や氷に苦しめられて、まさに艱難辛苦の連続でした。どうしてもあなたに会う目的があったので、道には迷いませんでした。今あなたにお会いして、私の心はあなたへの愛情故に激しく惑っています。

木幡の里に馬はあれど」など、あやしき硯召し出でて、手習ひたまふ。

匂宮は屋敷の者に命じて硯を持ってこさせたが、粗末なものしかなかった。それでも

  山科の 木幡(こはた)の里に 馬はあれど かちよりぞ来る 君をおもへば 拾遺和歌集 元歌は万葉集

という歌をすさび書きして浮舟に見せる。木幡(こはた) というのは、宇治への途中にある土地の名。浮舟はその紙の余白に自分の歌を書き記した。

    降りみだれ みぎはにこほる 樰りも  中空(なかぞら)にてぞ われは()ぬべき

雪は空から降ってくるが、空中では風に吹かれて舞乱れ、やっと地上に降りて又寒さに凍結して氷になる。私はあなたとの事で心が乱れ安住の地に辿り着く前に、空のなかで命が尽きてしまいそうです。この歌は浮舟の心の迷いを詠っているが、不吉な死を予感させる。視聴者は覚えておられるだろうか。夕顔の巻で次の歌を詠んで、夕顔は急死した。

  山の端に 心も知らで行く月は うはのそらにて 影や絶えなむ

浮舟の歌の 中空(なかぞら) は、夕顔の歌の うはのそら と同じく、不幸な未来を予感させる。

と書き消ちたり。この「中空」をとがめたまふ。げに、憎くも書きてけるかなと、恥づかしくてひき破りつ。

浮舟はどう思ったのか。自分でも気に入らなかったのか。この歌を書きかけたものを途中で消してしまった。歌を覗き込んだ匂宮は、この歌の 「中空」 という言葉を見咎めて、どういう事ですかと不満を口にした。浮舟の心を自分だけに向けさせたと思ったのに、浮舟が薫のことを思っていると不満に思ったのである。そう言われると確かに自分の歌は、薫と匂宮の間で迷っている様にも読める。良くない歌を書いたと恥じた浮舟は、紙を破ってしまった。

さらでだに見るかひある御ありさまを、いよいよあはれにいみじと人の心にしめられんと、尽くしたまふ言の葉、気色(けしき)言はむ方なし。

匂宮は更に一層浮舟の心を自分に引き付けようとして、言葉を尽くして語り続ける。ただでさえ、傍で見ていても飽きない容姿なのに、それに加えて浮舟の心を動かして、自分で一杯にしたいと言葉を繰り出した。

 

匂宮の 峰の雪 みぎわの氷 踏みわけて 君にぞまどふ 道はまどはず の歌を本歌取りしたのが、叙景歌人として有名な永福門院である。

  峰の雪 谷の氷もとけなくに 都の方は 霞たなひく  玉葉和歌集 選者 京極為兼

恋の歌が自然を読む歌に影響を与えている。和泉式部には

  かき曇る 中空にのみ ふる雪は 人目も草も かれはれにして 

 という歌がある。

 

「コメント」

 

展開が何だがバカバカしくなった。