250215㊻ 東屋(あづまや)の巻 50帖 

今回は東屋の巻の名場面を読む。「湖月抄」の年立てでは、薫25歳の8月~9月。本居宣長の年立てでは26歳。東屋という巻のタイトルは、薫が詠んだ和歌に因む。この巻では浮舟に様々な苦しみが押し寄せる。薫と浮舟の関係が中心であるが、ストーリ-の脇道も面白い。八宮に捨てられた後、常陸介の後妻となった浮舟の母親・中将の君は自分の体験から娘が薫と結ばれることに気が進まない。中将の君は左近の少将という男を浮舟の婿に選ぶ。けれども浮舟が常陸介の実の子ではなく、妻の連れ子と知った左近の少将は結婚を断る。財力の有る受領階級の婿になりたいと願う左近の中将の俗物性は、これまで見られなかった人物像である。

 

それでは左近の少将の価値観が顕著に表れる場面を読む。縁談を紹介している仲立ち・蔵人との対話である。

朗読①口聞きとの対話。左近の少将は、守に後ろ盾になって貰いたいのが本意。実の娘でないのが不満。

この人追従(ついそう)あり。歌てある人の心にて、之をいと口惜しうこなたかなたに思ひければ、「まことに(かみ)のむすめと思さば、まだ若うなどおはすとも、しか伝へはべらんかし。中に当たるなん、姫君とて、守はいとかなしうしたまふなる」と聞こゆ。

「いさや。はじめより言ひ寄れることをおきて、また言はんこそうたてあれ。されど、わが本意(ほい)は、かの守の(ぬし)の人柄もものものしくおとなしき人なれば、後見(うしろみ)にもせまほしう、見るところありて思ひはじめしことなり。もはら顔容貌(かたち)のすぐれたらん女の願ひもなし。(しな)あてに(えん)ならん女を願はば、やすく()つべし。されど、さびしう事うちあはぬみやび好める人のはてはては、ものきよくもなく、人にも人ともおぼえたらぬを見れば、すこし人に(そし)らるとも、なだらかにて世の中を過ぐさむことを願ふなり。守に、かくなんと語らひて、さもとゆるす気色あけば、何かはさも」とのたまふ。

 解説

物語というよりは説話のような文体である。常陸介は常陸守とも呼ばれる。

この人追従(ついそう)あり。歌てある人の心にて、之をいと口惜しうこなたかなたに思ひければ、

追従 は、人に媚びることである。浮舟と左近の少将との縁談を取り持っている仲人は、口達者だが性格が良くない男だった。浮舟が連れ子だと男に告げなかった仲人は、結婚話が破談となり面白くなく残念に思った。それで左近の少将に代案を提案した。

「まことに(かみ)のむすめと思さば、まだ若うなどおはすとも、しか伝へはべらんかし。中に当たるなん、姫君とて、守はいとかなしうしたまふなる」と聞こゆ。

「あなたが本当の常陸介の娘と結婚したければ、まだ年は若いのだが良い相手がいます。その事を先方にお伝えしましょう。今の奥方・中将の君は常陸介と結婚してから三人の娘を生んでいます。その真ん中の娘を常陸介は姫君と呼んで溺愛しているそうです。」と言う。

「いさや。はじめより言ひ寄れることをおきて、また言はんこそうたてあれ。

左近の少将は流石に躊躇した。「さあどうしたものか。最初は浮舟との結婚を申し入れだが、それをこちらから断っておいて、今更別の娘に求婚するというのも自分としては気分の良いものではない。」

されど、わが本意(ほい)は、かの守の(ぬし)の人柄もものものしくおとなしき人なれば、後見(うしろみ)にもせまほしう、見るところありて思ひはじめしことなり。

かの守 は、常陸介 のことを敬った言い方。

私の方針をはっきり言っておこう。常陸介殿は立派で大人の風格がある。私の政治活動の後見人になって貰いたいと思う事があって、そもそも縁談をお願いしたのである。

もはら顔容貌(かたち)のすぐれたらん女の願ひもなし。

私には顔形の良い女を妻に得たいと思う気持ちはない。

(しな)あてに(えん)ならん女を願はば、やすく()つべし。されど、さびしう事うちあはぬみやび好める人のはてはては、ものきよくもなく、人にも人ともおぼえたらぬを見れば、すこし人に(そし)らるとも、なだらかにて世の中を過ぐさむことを願ふなり。

上品で優雅な妻をえたければ、それは簡単である。そんな女の親はえてして財力がない。貧しい暮らしをしながらもきれいな妻に満足して、風雅な生き方をする男たちが世の中にはいる。だがそうした男は大した出世もせず、世間からも高く評価されないで終わる。そういう実例を見てきたので、私は金銭に目が眩んだとか、少々の悪口はされたとしても、安穏に世の中を生きて行きたい。憂き世の栄華を望むのは当たり前のことです。

守に、かくなんと語らひて、さもとゆるす気色あけば、何かはさも」とのたまふ。

こういう私の考えを常陸介殿には率直に話して欲しい。それで常陸介殿が私の価値観に賛成して、娘さんとの結婚を承諾してくれるならば、私がどうして否という筈があろうか。

 

この様な人生観を持つ左近の少将は2223歳である。学問はあるが、時流に乗って活躍できないでいる。財力のある後見が欲しくてたまらないのである。こういう俗物が登場するのが宇治十帖の面白さである。

さて左近の少将はめでたく常陸介の娘と婚姻出来た。中将の君は縁談が壊れた浮舟を、匂宮の妻となった中君に預ける。そして中将の君は中君の屋敷・二条院で、匂宮の姿を物陰から見たのである。夫の常陸介の官位は五位。その五位や四位そして六位の男たちが、匂宮の前で畏まって跪いている。

朗読②匂宮の様子を見ると、四位五位の連中がぺこぺこしている。またその様子は素晴らしいと驚嘆。

わが継子(ままこ)の式部丞にて蔵人なる、内裏(うち)の御使にて参れり、御あたりにもえ近く参らず、こよなき人の御けはひを、あはれ、こは何人ぞ、かかる御あたりにおはするめでたさよ、よそに思ふ時は、めでたき人々と聞こゆとも、つらき目見せたまはば、ものうく推しはかりきこえさせつらんあさましさよ、この御ありさま容貌(かたち)を見れば、七夕ばかりにても、かやうに見たてまつり通はむは、いとみじかるべきわざかな、と思ふに、若君抱きてうつくみおはす。女君、短き几帳を隔てておはするを、

押しやりて、ものなど聞こえたまふ、御容貌どもいときよらに似あひたり。故宮のさびしくおはせし御ありさまを思ひくらぶるに、宮たちと聞こゆれど、いとこよなきわざにこそありけれとおぼゆ。

 解説

浮舟の母親の人間像をコミカルに描いている。

わが継子(ままこ)の式部丞にて蔵人なる、内裏(うち)の御使にて参れり、御あたりにもえ近く参らず、

中条の君が物陰から匂宮の様子を窺っていると、彼女の義理の息子・常陸介の先妻の息子である 式部丞 式部省の三等官 が、宮中からの使いとして現れた。彼は六位の蔵人を務めている。けれども匂宮の近くには寄らず遠くに畏まっている。

こよなき人の御けはひを、あはれ、こは何人ぞ、かかる御あたりにおはするめでたさよ、

匂宮の美貌と威厳ある立ち居振る舞いを目にした中将の君は驚嘆した。ああ何と素晴らしいお方なのだろう。こんなお方もこの世においでになったのだ。

よそに思ふ時は、めでたき人々と聞こゆとも、つらき目見せたまはば、ものうく推しはかりきこえさせつらんあさましさよ、

こんな匂宮の妻に中君がなったのは何とめでたい事だろう。これまで私は思い違いをしてきた。匂宮と結ばれて幸運な女性だと世間では噂されているけれども、夕霧大将の娘と正式の結婚をした匂宮の心が、中君から離れていくのを恨めしく思っていることだろう。それよりも常陸介のような実直な男を夫に持つべきだなどと思った。

この御ありさま容貌(かたち)を見れば、七夕ばかりにても、かやうに見たてまつり通はむは、いとみじかるべきわざかな、と思ふに、

匂宮の姿や雰囲気を見たら、例え織姫のように年に一度しか牽牛と会えないとしても、何と素晴らしい事だろうと中将の君は思った。

若君抱きてうつくみおはす。女君、短き几帳を隔てておはするを、押しやりて、ものなど聞こえたまふ、

匂宮は中君との間に生まれた若君を抱いて慈しんでいる。中君は礼儀正しく、丈低い几帳を挟んで匂宮と話していたが、匂宮はその几帳を横に押しやって中の君と直接に向かい合って何事か親密そうに話し合っている。

御容貌どもいときよらに似あひたり。

匂宮と中君は気品あふれる美男美女で似合いの夫婦と言える。

故宮のさびしくおはせし御ありさまを思ひくらぶるに、宮たちと聞こゆれど、いとこよなきわざにこそありけれとおぼゆ。

中将の君は八宮との暮らしぶりを思い出し、匂宮と比較する。八宮は経済的にも心理的にも淋しい暮らしぶりだった。同じ宮様でもこれ程までの違いがあるものだと実感した。

 

中将の君は即物的な人生観の持ち主である。けれども彼女が浮舟の幸福を願う母心は本物である。中将の君は匂宮の後、薫の素晴らしい姿も垣間見て驚嘆する。それで浮舟を薫へと思うようになる。所が中君に預けられた浮舟に、匂宮が言い寄る。匂宮が二条院に戻ってきた時に、浮舟は髪を洗っていた。平安時代、女性の髪は長いので濡れた髪が乾くまで動けない。その時間帯に匂宮は浮舟に接近した。この辺りの設定も宇治十帖らしく、ストーリ-の明暗が面白い。

 

浮舟は辛うじて事なきを得たが、中将の君は浮舟を二条院から退去させ、安全な三条の小さな家へと移した。淋しく暮らす浮舟と手紙をやり取りする場面を読む。

朗読③浮舟は殺風景な隠れ家で、物思いに耽る。匂宮が懐かしいが、恐ろしかったとも思う。

旅の宿(やどり)はつれづれにて、庭の草もいぶせきひ心地するに、賤しき東國声(あづまこえ)したる者どもばかりのみ出で入り、慰めに見るべき前栽(せんざい)の花もなし。うちあばれて、はればれしからで明かし暮らすに、宮の上の御ありさま思ひ出づるに、若い心地に恋しかりけり。あやにくだちたまへりし人の御けはひも、さすがに思ひ出でられて、何ごとにありけむ、いと多くあはれげにのたまひしかな、なごりをかしかりし御移り香も、まだ残りたる心地して、恐ろしかりしも思ひ出でらる。

 解説 この場面は「湖月抄の解釈を踏まえた現代語訳をする。

浮舟は匂宮から遠ざかる為に母親が用意した三条の小家に移った。庭には雑草が生い茂り、いかにも侘しい。この家に顔を出しては出て行く男たちは、東国訛りの賤しい者ばかり。気分転換のきれいな花もない。殺風景な環境の中で浮舟は日々を暮らして居る。思い出されるのは、優しかった中君のこと。自分より5歳位しか年上でないのだが、人生経験の浅い浮舟には立派な大人に見えた。次に思い出されるのはあわやとなりそうだった浮舟の様子。心から嫌いな匂宮ならば、思い出すはずはないのに、何故か匂宮のことが心に浮かぶ。あの時には全く耳に入らなかったが、匂宮は聞いている私の心が感動する熱心さで、私に訴えていたことなどと回想に耽る。その時匂宮が焚きしめていた香は、自分の体に染みついていた。それは宮への恐怖の念なのか。

 

浮舟は匂宮に惹かれている。これが重要な点である。次に続く場面を読む。

朗読④母親は浮舟に手紙を書いて慰める。浮舟は 気丈夫な返事をする。母はそれを見て泣く。

母君、たつやと、いとあはれなる文を書きておこせたまふ。おろかならず心苦しう思ひあつかひたまふめるに、かひなうもてあつかはれたてまつることとうち泣かれて、「いかにつれづれに見なにはぬ心地したまふらん。しばし忍び過ぐしたまへ。」とある返り事に、「つれづれは何か。こころやすくてなむ。

  ひたぶるに うれしからまし 世の中に あらぬところと 思はましかば

と、幼げに言ひたるを見るままに、ほろほろとうち泣きて、かうまどはしはふるやうにもてなすことと、いみじければ、

  うき世には あらぬところを もとめても 君がさかりを 見るよしもがな

と、なほなほしきことどもを言ひかはしてなん、心のべける。 

 解説

母君、たつやと、いとあはれなる文を書きておこせたまふ。

解釈不可能な部分として有名な所である。「湖月抄」は次の様に解釈する。三条の小家で淋しく暮らして居る浮舟に、母の中将の君が母親らしく心から心配している。という手紙を送ってきた。中将の君はこれまで自分を卑下する気持ちが強く、自分の意見を主張しなかったが、浮舟がこの様な苦境にあるので謙虚になってもおられず、母親としての情愛を発揮したのである。この他、母君、たつやと、は、やど やどる と濁って読む説もある。本居宣長も紫式部が執筆したのは、母君いかにや という本文だったと想像している。写本を書き写す人が いかにや を たつや と誤ったという。この様に「源氏物語」の本文には、未解決の所が残っている。

おろかならず心苦しう思ひあつかひたまふめるに、かひなうもてあつかはれたてまつることとうち泣かれて、

これは母親からの手紙を読んだ浮舟の心である。浮舟は母親があれやこれやと私の幸福を考えて下さっている。それなのに私の人生は一向に好転しない。母の愛情を無にしているのが心苦しいのである。浮舟は涙を堪えることが出来ない。

「いかにつれづれに見なにはぬ心地したまふらん。しばし忍び過ぐしたまへ。」とある返り事に、

母親の手紙には、「あなたは今、どんなに所在なく不安な事でしょう。でももう少しの辛抱です。幸福な未来が訪れますよ。」と書いてあった。この返事を浮舟は書いた。

「つれづれは何か。こころやすくてなむ。

  ひたぶるに うれしからまし 世の中に あらぬところと 思はましかば

「いいえ、私の暮らしは退屈ではありません。安心してください。」と浮舟は母を慰めた。娘の手紙も感動的な文面だった。

  ひたぶるに うれしからまし 世の中に あらぬところと 思はましかば  浮舟の最初の歌である。

母上が見つけて下さったこの家は、とても住みやすく満足しています。

  世の中に あらぬ所にも えてしかな 年ふりにたる かたちかくさむ 拾遺和歌集 よみびと知らず

という歌もある。世の中の辛い事と無縁に生きられる場所がどこかにあるのならば、そういう場所で生きていければこれ以上の幸せはないと思う。

幼げに言ひたるを見るままに、ほろほろとうち泣きて、かうまどはしはふるやうにもてなすことと、いみじければ、

母を頼るような幼さが感じられる詠み振りである。歌としては未熟である。それでもこの歌を読んだ母親は大粒の涙を流した。娘がこんなにも苦しんでいるのは、母の私が至らなくて娘をほったらかしにしているからだと感じるのでとても悲しい。そこで母は返事の歌を詠んだ。

うき世には あらぬところを もとめても 君がさかりを 見るよしもがな 

お母さんは必ず、あなたが辛い思いをせずに済む住まいを見付けてあげます。もっとあなたは身分の高い男の妻となって幸福になるでしょう。あなたの幸せな姿を私は見たいのです。

と、なほなほしきことどもを言ひかはしてなん、心のべける。 

浮舟の歌も中将の君の歌も、どちらも自分の思っていることをそのまま歌っているだけで、稚拙な歌いぶりである。歌は深く考えてから、幽玄に詠むぺきであって、散文のように詠むのはいけない。この母と娘は歌とは言えない歌を詠み交わして、辛い心を慰め合っているのである。これが「湖月抄」の解釈である。

それに対して本居宣長は、物語の作者である紫式部が、感動的な歌が必要な場面で、良い歌が詠めなかったと卑下、謙遜しているのだと反論している。私(講師)は「湖月抄」に賛成する。

 

さて、なかなか行動を起こさない薫であるが、やっと腰を上げた。薫はまず宇治に赴いた。弁に浮舟との橋渡しを依頼する。弁は宇治から都に出て、三条の小家に行き浮舟と話し合う。そこを薫は訪れ、浮舟と契ったのである。巻のタイトルとなった東屋の和歌はこの時に詠まれた。

 

翌朝、薫は浮舟を伴い、宇治へと向かう。車の中に薫、浮舟、浮舟に仕える侍従という女房そして弁、合計四人が乗車している。その場面を読む。

朗読⑤牛車での道中、弁は嬉しくて涙が流れて来る。浮舟の女房の侍従は、ここで泣くなんてと機嫌が悪い。

近きほどにやと思へば、宇治おはするなりけり。牛など弾き寡婦べき心まうけしたまへりけり。河原過ぎ、法性寺のわたりおはしますに、夜は明けはてぬ。若き人はいとほのかに見たてまつりて、めできこえて、すずろに恋ひたてまつるに、世の中のつつましさもおぼえず。君ぞ、いとあさましきにものもおぼえで、うつぶし伏したるを、「石高きわたりはくるしきものを」とて、抱きたまへり。薄物の細長を、車の中にひき隔てたれば、はなやかにさし出でたる朝日影に、尼君はいとはしたなくおぼゆるにつけて、故姫君の御供にこそ、かやうにても見たてまつりつべかりしか、ありふれば思ひかけぬことを見るかなと悲しうおぼえて、つつむとすれどうちヒソミツツ泣くを、侍従いと憎く、もののはじめに、かたち(こと)にて乗り添ひたるをだに思ふに、なぞかくいやめなると、憎くをこに思ふ。老いたる者は、すずろに涙もろにあるものぞと、おろそかにうち思ふなりけり。

 解説 ここは「「湖月抄」の解釈を踏まえた現代語訳を行う。

ひとつ車に乗った四人は三条の小家を後にした。行き先は薫だけが知っている。残りの三人はどこか近くのたとえば、薫の屋敷である三条の宮ではないにしても、都の中だろうと思っていたが、薫は何と宇治を目指していた。長距離を移動すると牛は疲れてしまうので、途中で牛を取り換える必要があるがその手配もしていた。賀茂の河原を過ぎ、貞信公 藤原忠平 道長の曽祖父 が九条河原に建立した法性寺を過ぎる頃に、夜は明けすっかり明るくなった。この車に同乗している侍従は、薫の容貌を少し見ただけでその魅力に取りつかれている。気恥ずかしさなど全く意識していない。浮舟は予想外の展開に動転し、うつぶせに伏したままである。薫は山道では大きな石がゴロゴロしているから、牛車に乗っていて何かと苦しいものです。などと言いながら浮舟を抱いている。男女が同車する時には、牛車の中に几帳に帷子(かたびら)をかけて仕切りを作る。この仕切りの前に薫と浮舟が、仕切りの後ろに弁と侍従が乗っている。朝日が牛車の中にも射しこんできたので、弁の尼姿が薫たちに見られてきまり悪いと感じられている。大君がまだ生きていて、薫と夫婦になってひとつ車に乗るのではないか、私も同車してお供するのであればどんなに良かっただろうに。私が長生きしたばかりに大君とも死に別れ、浮舟と薫が同車するのを見るという思いがけない体験をしていると思うと悲しく涙が滲んできて泣いてしまった

それをすぐそばで見ている侍従は、不愉快に思う。今は自分の主人である浮舟が、新しい人生を薫と歩み始めた得難い時である、その時に尼姿の老女が同車しているだけでも不吉であるのに、涙をみせるなどもっての外で本当に忌々しい。侍従はこの老尼は何で涙ぐんだりしているのだろうと、憎たらしくも愚かに思う。侍従は大君のことなど何も知らないので、老人は涙もろいそうだが、この尼もそうだろうと思っている。弁と侍従の対立というか、コントラストが見事である。

 

弁は浮舟にも好意を持っていないようである。この続きを読む。

朗読⑥薫は浮舟を憎からず思うが、やはり大君を思い出す。大君を思い出すなと歌を口ずさむ。

君も、見る人は憎からねど、空のけしきにつけても、来し方の恋しさまさりて、山深く入るままにも、霧たちわたる心地したまふ。うちながめて寄りゐたまへる袖の、重なりながら長やかに出でたりけるが、川霧に濡れて、御衣(おんぞ)(くれない)なるに、御直衣(のうし)の花のおどろおどろしう移りたるを、おとしがけの高き所に見つけて、引き入れたまふ。

  かたみとぞ 見るにつけては 朝霧の ところせきまで ぬるる袖かな

と、心にもあらず独りごちたまふを聞きて、いとどしぼるばかり尼君の袖も泣き濡らすを、若き人、あやしう見苦しき世かな、心ゆく路にいとむつかしきこと添ひたる心地す。

 解説

君も、見る人は憎からねど、空のけしきにつけても、来し方の恋しさまさりて、山深く入るままにも、霧たちわたる心地したまふ。

薫も抱いている浮舟を憎くは思わないが、今は9月13日、晩秋の空の色は人の心を悲しくさせる。この道はかつて大君に会うために通っていた道。薫の心は大君への追懐(ついかい)の念で一杯になる。次第に山深く分け入っていく。それにつれて薫は自分の心の中にも、憂愁の深い霧が立ちこめるようで涙を抑えきれない。

うちながめて寄りゐたまへる袖の、重なりながら長やかに出でたりけるが、川霧に濡れて、御衣(おんぞ)(くれない)なるに、御直衣(のうし)の花のおどろおどろしう移りたるを、おとしがけの高き所に見つけて、引き入れたまふ。

薫はぼんやり物思いに耽りながら浮舟に身を寄せていると、二人の袖が一つに重なり車の外まではみ出している。

おとしがけ と言って、急な山道などで、車が高い所から低い所にガンと落ちる場所がある。そこに差し掛かった時、薫が用心の為に車の周囲を注意深く眺めると、紅の袖と重なり合って外にこぼれている直衣が川霧に濡れて色あせていた。

その色が何故か喪服の色を連想させた。薫は慌てて袖を引っ込める。濡れた袖を見ながら、独り言のように歌を口ずさむ。

  かたみとぞ 見るにつけては 朝霧の ところせきまで ぬるる袖かな

この浮舟はかつて私が愛した大君の形見である。浮舟も一緒にいると大君のことが懐かしく思い出される。一面に朝露が降りているように、私の袖は大君を偲ぶ涙でびっしょり濡れてしまった。浮舟と結ばれて早々、泣いてはいけない筈なのに。

と、心にもあらず独りごちたまふを聞きて、いとどしぼるばかり尼君の袖も泣き濡らすを、

語り手である私も、今浮舟と新しい人生を歩み始めるという時に、遠慮してこんな歌を口ずさむべきではないと思う。

この歌を聞いた弁は激しく嗚咽し始め、濡れた袖を絞らねばならない程の大量の涙である。

若き人、あやしう見苦しき世かな、心ゆく路にいとむつかしきこと添ひたる心地す。

それを見ている侍従は心穏やかでない。

喜ばしい結婚が始まるはずなのに、とても厄介な事が起き始めているようだと感じたのであった。

 

(講師)は浮舟の未来を不安に感じる。続きを読む。

朗読⑦

忍びがたげなる鼻すすりを聞きたまひて、我も忍びやかにうちかみて、いかが思ふといとほしければ、「あまたの年ごろ、この道を行きかふたび重なるを思ふに、そこはかとなくものあはれなるかな。少し起き上がりて、この山の色も見たまへ。いと埋れたりや」と、強ひてかき起こしたまへば、をかしきほどにさし隠して、つつましげに見出だしたるまみなどは、いとよく思ひ出でらるれど、おいらかにあまりおほどき過ぎたるぞ、心もとなかめる。いといたう児めいたるものから、用意の浅からずものしたまひしはやと、なほ、行く方なき悲しさは、むなしき空にも満ちぬべかめり。

 解説 ここは「湖月抄」の解釈を踏まえて現代語訳をする。

弁が鼻をすする音が薫の耳にも聞こえてくる。薫も涙が溢れてくるので、音を立てないように鼻をかんだ。浮舟がどう思うかと心配なので、自分が泣いている理由を説明する。私は何年もこの道で都と宇治を往復していたと思っただけで、何故か心がしみじみとするのです。それほど心に滲みる山道の風景です。あなたはずっと臥していたが、少しは起き上がって外の景色をご覧ください。色づいた山は見どころがあります。外の景色を見ると、塞いだ心も晴れ晴れとしますよ。

そう言いながら薫はいささか強引に浮舟の体を起こそうとする。浮舟は扇で顔を隠しながら、そっと車の外を眺めている。

その目元の辺りは、亡き大君とそっくりである。但し余りにおっとりしすぎているので薫は不安に思う。浮舟のおっとりしすぎているという欠点には、これから彼女の人生にずっと付きまとい、彼女の人生を翻弄することになる。薫は思う。この浮舟は鷹揚ではあるけれども、芯の強さはあるかどうかは分からない。亡き大君は鷹揚ではあったものの、しっかりした芯を持っていた。薫が大君と追慕する気持ちはどこへもやり場がない。

  わが恋は 虚しき空に 満ちぬらし 思ひやれども 行く方も無し  古今和歌集 よみびと知らず

という歌のように、大君を愛する気持ちは薫の心の中に一杯満ちているのだろう。

この場面の最後の いといたう児めいたるものから、 は、「湖月抄」では 鷹揚である と理解されているが、現在は 子供っぽい と解釈されている。薫は何の為に浮舟を宇治に住まわせるのだろう。薫は浮舟を愛していないのであろうか。この不安定な状況に、匂宮がつけこんでくる。

 

「コメント」

 

匂宮がトラブルメ-カ-ではあったが、更に薫も加わった感がある。コジラセだ。