250201㊹ 総角の巻(2) 47帖 と 早蕨の巻 48帖
今回は総角の巻の後半と、早蕨の巻 を読む。大君が亡くなり中君は都に出て行く。先ず総角の巻の後半を読む。匂宮と中君とは結ばれている。匂宮は中君と会いたいので宇治でも紅葉狩を計画する。しかし人目もあるので匂宮は中君と会えなかった。姉の大君は妹が匂宮から見捨てられたと落胆する。
朗読① 大君は妹の中君のことを心配して、匂宮の移り気を気にする。
かしこには、過ぎたまひぬるけはひを、遠くなるまで聞こゆる前駆の声々、ただならずおぼえたまふ。心まうけしつる人々も、いと口惜しと思へり。 姫君は、まして、なほ音に聞く月草の色なる御心なりけり。ほのかに人の言ふを聞けば、男といふものは、そら言をこそいとよくすなれ、思はぬ人を思ふ顔にとりなす言の葉多かるものと、この人数ならぬ女ぱらの、昔物語に言ふを、さるなほなほしき中にはこそは、けしからぬ心あるもまじるらめ、何ごとも筋ことなる際になりぬれば、人の聞き思ふことつつましく、ところせかるべきものと思ひしは、さしもあるまじきわざなりけり、あだめきたまへるやうに、故宮も聞き伝へたまひて、かやうにけ近きほどまでは思しよらざりしものを、あやしきまで心深げにのたまひわたり、思ひの外に見たてまつるにつけてさへ、身のうさを思ひそふるが、あぢきなくもあるかな、かう見劣りする御心を、かつはかの中納言もいかに思ひたまふらむ、ここにもことに恥づかしげなる人はうちまじらねど、おのおの思ふらむが人笑へにをこがましきこと、と思ひ乱れたまふに、心地も違ひて、いとなやましくおぼえたまふ。
解説 大君の思い込みの激しさが印象的である。
かしこには、過ぎたまひぬるけはひを、遠くなるまで聞こゆる前駆の声々、ただならずおぼえたまふ。
匂宮は中君と会うことを心から楽しみにしていたのだが、それが出来ずに都に帰っていく。姫君たちは匂宮の来るのを楽しみにしていた。それなのに、匂宮の乗った牛車の先を追う随身たちの声が段々小さくなっていく。残念でならない。
心まうけしつる人々も、いと口惜しと思へり。
宮を迎える準備をしていた人々もがっかりしている。
姫君は、まして、なほ音に聞く月草の色なる御心なりけり。
大君の心の中である。月草 は、露草のことで移ろい易いものの例えである。殊に大君は特に落胆し思い詰めていた。匂宮が宇治までやってきて盛大な遊びを催した挙句、こちらに立寄りもしないのは見下げ果てた男である。やはり世間の人が噂しているように、好色で移り気な男であろう。
いで人は 言のみぞ良き 月草の うつし心は 色ことにして 古今和歌集 よみびと知らず
という歌がある。月草 露草で染めた衣は太陽の光に当たると変色しやすい。そのように言葉だけは愛情たっぷりに聞こえるけれど、心はすぐに移ろってしまう男がいる。匂宮もそうなのであろう。
ほのかに人の言ふを聞けば、男といふものは、そら言をこそいとよくすなれ、
女房達の話では男というものは平気でうそをつくそうだ。
この人数ならぬ女ぱらの、昔物語に言ふを、
ここにいる一人前とも思われぬ女房達が、昔の思い出話として語っている。
さるなほなほしき中にはこそは、けしからぬ心あるもまじるらめ、何ごとも筋ことなる際になりぬれば、人の聞き思ふことつつましく、ところせかるべきものと思ひしは、さしもあるまじきわざなりけり、
女房達がつきあう身分の低い男たちの中には、禄でもない男が混じっているのであろう。身分の高い男は自分の言動が、多くの人々の目や耳に入るのだから一目や人聞きを憚り、悪いことは出来ないだろうとこれまで思ってきた。だがそれは私の思い違いだった。匂宮のような人がいるのだから。
あだめきたまへるやうに、故宮も聞き伝へたまひて、かやうにけ近きほどまでは思しよらざりしものを、
亡き父君も匂宮が好色で移り気であるという評価を知っていた。だから父上は匂宮を婿に迎えたいとは思っていなかった。
あやしきまで心深げにのたまひわたり、思ひの外に見たてまつるにつけてさへ、身のうさを思ひそふるが、あぢきなくもあるかな、
所が不思議な位熱心に、匂宮は誠実な人ですと言うので、予想外の成り行きで匂宮を中君の夫として迎えたのであった。それが原因で悩みの多かった私に、更に苦しみが加わった。何と面白くないことだ。
かう見劣りする御心を、かつはかの中納言もいかに思ひたまふらむ、ここにもことに恥づかしげなる人はうちまじらねど、おのおの思ふらむが人笑へにをこがましきこと、
この文章はいささか複雑である。薫が誉めていた匂宮が実際には見下げ果てた心の持ち主だった。中君を見棄てた匂宮を見て推薦した薫・中納言はどう思うだろう。中君の心が匂宮から見て見劣りするので、匂宮の愛情が薄れたのであれば中君の責任であると思うのではないだろうか。見劣りする御心を は、匂宮の見下げ果てた心 を意味する。けれども中君の心も又、匂宮から見たら見劣りがしたかも知れない という意味が、中納言もいかに思ひたまふらむ、に合わさっている。
ここにもことに恥づかしげなる人はうちまじらねど、おのおの思ふらむが人笑へにをこがましきこと、
この屋敷の中には思惑を憚らねばならない人などはいない。けれども女房達は私達をみっともないとか愚かだと冷笑していることだろう。
と思ひ乱れたまふに、心地も違ひて、いとなやましくおぼえたまふ。
大君はこのように思い悩んでいる。絶望の余り精神的に状態だけでなく、体の具合もおかしくなったように感じた。大君がこれほどまでに苦しんでいる時中胆自身は、匂宮がどうしてもこの屋敷に立ち寄れない事情があったのだろうと冷静に考えていた。姉は観念的、妹は現実的である。だから中君は安定的に性格を手に入れたのだろう。大君は自分が薫と結ばれたら、薫も又匂宮と同じ心変わりして去っていくであろうと思う。人間不信の泥沼に陥った大君は死の国へと旅立っていった。
11月宮中で新嘗祭・豊明節会が行われている頃、宇治では大君が臨終を迎えていた。薫は宇治に留まり死を看取る。雪が降ってきた。
朗読②大君の臨終を薫が見守っている場面である。
世の中をことさらに厭ひ離れねとすすめたまふ仏などの、いとかくいみじきものは思はせたまふにやあらむ、見るままにものの枯れゆくやうにて、消えはてたまひぬるはいみじきわざかな。ひきとどむべき方なく、足摺もしつべく、人のかたくなしと見むこともおぼえず。限りと見たてまつりたまひて、中の宮の、後れじと思ひまどひたまへるさまもことわりなり。あるにもあらず見えたまふを、例の、さかしき女ばら、今はいと由々しきこととひきさけたてまつる。中納言の君は、さりとも、いとかかることあらじ、夢かと思して、御殿油を近うかかげて見たてまつりたまふに、隠したまふ顔も、ただ寝たまへるやうにて、変りたまへるところもなく、うつくしげにうち臥したまへるを、かくながら、虫の殻のやうにても見るわざならましかばと思ひまどはる。
解説
世の中をことさらに厭ひ離れねとすすめたまふ仏などの、いとかくいみじきものは思はせたまふにやあらむ、
薫は思う。私がこれ程に悲しく思うのは、世俗的な暮らしを嫌になり出家して仏の道に入りなさいと、仏様が私に勧めているからだろうか。
見るままにものの枯れゆくやうにて、消えはてたまひぬるはいみじきわざかな。
その薫の目の前で、大君の生命力がみるみる内に細くなり枯れ行くように。命が消えてしまったのは悲しいことであった。大君26歳。「湖月抄」は、薫の心の中では様々な思いが去来していただろうに、作者は淡々と描いていると紫式部の文章力を誉めている。
ひきとどむべき方なく、足摺もしつべく、人のかたくなしと見むこともおぼえず。
薫には大君の命をこの世に引き留める術はなかった。「伊勢物語」第6段「芥川」では、愛する女性を鬼に取られた男が足摺を死ながら悲しんだ。薫も又、地団駄を踏みそうなくらいに悶え悲しんでいる。周囲の者たちから、自分を見失って愚かな男だと笑われても構わないと悲しんでいる。
限りと見たてまつりたまひて、中の宮の、後れじと思ひまどひたまへるさまもことわりなり。あるにもあらず見えたまふを、
大君の命が尽きたのを見届けた中君が、私も一緒に死にたいと泣きわめき、平常心を失っているのももっともだ。中君も呆然としている。
例の、さかしき女ばら、今はいと由々しきこととひきさけたてまつる。
それを見兼ねて小賢しい女房達が、大君は亡くなりました。死の穢れに触れてはいけませんと指図して、中君を部屋の外へと連れ出した。
中納言の君は、さりとも、いとかかることあらじ、夢かと思して、御殿油を近うかかげて見たてまつりたまふに、
薫はそれにしてもこんなに元気な人の命が、あっけなく亡くなることがあってよいものだろうかと思う。明かりを手元に引き寄せて、亡くなったばかりの大君の顔をとくと見る。
隠したまふ顔も、ただ寝たまへるやうにて、変りたまへるところもなく、うつくしげにうち臥したまへるを、
大君の顔は、御召し物の袖で覆ってある。その袖をそっと取り除き、大君の顔をじっと見つめる。彼女は眠っている様にしか見えなかった。可愛らしく横たわっている。
かくながら、虫の殻のやうにても見るわざならましかばと思ひまどはる。
薫はたとえ蝉の抜け殻の様な亡骸であっても、このままずっと眺めて居たいと願った。この時薫は、
空蝉は からを見つつもなぐさめつ 深草の山 煙だにたて
という歌を連想していた。火葬にすると姿や形が失われてしまう。薫は目の前の大君の顔をずっと眺めつづけて居たいのである。
朗読③多い君の死から火葬迄の描写と、それを見る薫の心境描写。
今はのことどもをするに、御髪をかきやるに、さとうち匂ひたる、ただありしならの匂いになつかしうかうばしきも、ありがたう、何ごとにてこの人をすこしもなのめなりしと思ひさまなむ、まことに世の中を思ひ棄てはつるしるべならば、恐ろしげにうきことの、悲しさもさめぬべきふしをだに見つけさせたまへと仏を念じたまへど、いとど思ひのどめむ方なくのみあれば、言ふかひなくて、ひたぶるに煙にだになしはてむと思ほして、とかく例のさほうどもするぞ、あさましかりける。空を歩むやうに漂ひつつ、限りのありさまさへはかなげにて、煙も多くむすぼたまはずなりぬるもあへなしと、あきれて帰りたまひぬ。
解説 ここは「湖月抄」の解説を織り込んだ現代語訳とする。
臨終の儀式の為に、女房達が大君の髪をとかしている。大君の髪からサッと香りが立った。それは薫が闇の中で、三度彼女に迫った時に嗅いだ彼女の香りだった。薫はその香りに心が引き付けられた。この女性に何か一つ良くない点がないものだろうか。欠点があれば、私の愛情もさめるだろう。
でも全てが素晴らしいので、私の悩みも深まるばかりだった。もしも私が虚妄に満ちた俗世を捨てさせるために、愛する大君の命を奪ったのならば、彼女の死顔に恐ろしい形相をさせて、私に世の中を嫌いにさせて下さいと仏に祈るのだ。けれども大君の顔は美しいままだった。薫の心には大君に対する未練と愛着が湧き上がってくる。この愛しい大君の亡骸を火葬して、焼いてしまおう。せめて立ち上がる煙を見れば、愛着を抑えることが出来るかも知れないと考え、淡々と葬送の儀が行われる。薫は大君の火葬に立ち会った。薫は自分の足が地面に着いておらず、空中を雨居て居るように感じられる。牟薫の心は大君に対する溢れる思いにいるのに、大君の火葬の煙は長くは空に留まらず、あっけなく消えた。薫は空しい心で火葬の場から帰ってきた。
大君の死は大きな傷跡を残した。それでは早蕨の巻に入る。薫は24歳。本居宣長説では25歳。大君が亡くなった翌年である。この巻で、匂宮は中君を京都の二条院に迎え入れる。中君は、父八宮の宇治を離れるなという遺言と違う人生を歩むことになる。宇治を訪れた薫は、上京が近付く中君と語り合う。薫は、私の住んでいる三条院は匂宮の二条院のすぐ隣ですと語る。それを受けて中君が語る所から読む。
朗読④ 薫は中君を匂宮に譲ったことを、今になって残念に思う
「宿をば離れじと思ふ心深くはべるを、近く、などのたまはするにつれても、よろづに乱れはべりて、聞こえさせやるべきかたもなく」など、所どころ言ひ消ちて、いみじくものあはれと思ひたまへるけはひなど、いとようおぼえたまへるを、心からよそのものに見なしつると思ふに、いと悔しく思ひゐたまへれど、かひなければ、その夜のこと、かけても言はず、忘れにけるにやとて見ゆるまで、けざやかにもてなしたまへり。
解説 ここは「湖月抄」の解釈を付け加えた現代語訳する。
中君は都に移ることのためらいを口にした。亡き父と姉の思い出の残る宇治の山荘を離れたくないという気持ちは強くある。それなのにあなたは私に宇治を去って都に出ると勝手に決めて、二条院と三条院は近いので安心してという。私の心は宇治に留まるべきか、去るべきかで大きく揺れ動いている。そのためにあなたにはっきりとした返事を出来ないでいるのです。中君の言葉は途切れ勝ちで、ひどく思い詰めて悲しく感じていることが伝わってくる。その中君の雰囲気は亡き大君と似ている。薫はこれほど大君とそっくりな中君を自分の判断で匂宮に譲ってしまったのを残念に思う。あの夜大君は中君を残して寝所を出たので、中君と二人で一夜を過ごしたことは、薫にとって忘れられない出来事なのだが、その事はすっかり忘れているという素振りで振る舞う。薫の態度は立派である。
これに続く場面を読む。
朗読⑤紅梅の花を見て昔を思い出す。
御前近き紅梅の色も香もなつかしさに、鶯だに見過ぐしがたげにうち鳴きて渡るめれば、まして、「春や昔の」と心をまどはしたまふどちの御物語に、をりあはれなりかし。風のさと吹き入るるに、花の香も客人の御匂ひも、橘ならねど昔思ひ出でらるるつまなり。つれづれの紛らはしにも、世のうき慰めにも、心とどめてもてあそびたまひしものを、など心にあまりたまへば、
見る人も あらしにまよふ 山里に むかしおぼゆる 花の香ぞする
言ふともなくほのかにて、絶え絶え聞こえたるを、懐かし気にうち誦じなして、
袖ふれし 梅はかはらぬ にほひにて 根ごめうつろふ 宿やことなる
たへぬ涙をさまよく拭ひ隠して、言多くもあらず、「またもなほ、かやうにてなむ。何ごとも聞こえさせよかるべき」など聞こえおきて立ちたまひぬ。
解説
御前近き紅梅の色も香もなつかしさに、鶯だに見過ぐしがたげにうち鳴きて渡るめれば、
部屋の近くに植えてある紅梅の花が満開で、色も香りも見事で心が引き付けられる。鶯も枝に止って囀り、暫くして名残り惜し気に飛んでいく。
まして、「春や昔の」と心をまどはしたまふどちの御物語に、をりあはれなりかし。
鶯でさえそうなので、薫も中君も梅の花を見て、
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして 古今和歌集 在原業平
という歌を思い出す。薫にとっては恋人、中君に取っては姉である大君が、今はもうこの世の人ではないことを深く悲しむのであった。
風のさと吹き入るるに、花の香も客人の御匂ひも、橘ならねど昔思ひ出でらるるつまなり。
風が急に吹いてきて、紅梅の香りが2人のいる部屋にも入ってきた。梅の香りは、薫の体から放たれている芳香と一つに溶け合う。その薫は
五月まつ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする 伊勢物語 60段
古今和歌集 よみびと知らず
という歌のように、昔の人である大君を中君が思い出す端緒となるのであった。
つれづれの紛らはしにも、世のうき慰めにも、心とどめてもてあそびたまひしものを、など心にあまりたまへば、
姉上はこの紅梅の花を眺め、宇治での無聊を慰めていたなどと思い、懐旧の念に堪え切れず中君は歌を詠んだ。慎み深い中君から先に薫に歌を詠みかけることはないが、この時は姉君への思いが込みあげてきたのだった。
見る人も あらしにまよふ 山里に むかしおぼゆる 花の香ぞする
嵐が吹いているが、私の心も宇治をはなれるべきかどうか迷っている。もし私が宇治を離れたならば、懐かしい昔のことを思い出させるこの梅を、美しいと思って眺め感動する人がいなくなるでしょう。
言ふともなくほのかにて、絶え絶え聞こえたるを、懐かし気にうち誦じなして、
中君は小さな声で、この歌を切れ切れに口ずさむ。その声を聞き取った薫は、自分の口でその言葉を復唱して、歌の心を理解しようとする。薫の姿は真に魅力的である。
袖ふれし 梅はかはらぬ にほひにて 根ごめうつろふ 宿やことなる
薫の返歌である。この梅はあなた・中君のように美しい。あなたは間もなく都に出て、匂宮の待つ二条院に移る。私とあなたは一夜だけど契りはなしに袖を交わしたことがある。この度はあなたという美しい梅の木は、根っこごと匂宮の屋敷に移し植えられる。私の屋敷でないのが残念です。
たへぬ涙をさまよく拭ひ隠して、
蛙は溢れる涙をそっと拭っている。
言多くもあらず、「またもなほ、かやうにてなむ。何ごとも聞こえさせよかるべき」など聞こえおきて立ちたまひぬ。
薫は言葉少なに、都に移ってからもこの様にお話したいものです。屋敷も近いのだからなどと言って部屋を後にする。
親子三人で暮らして居た宇治の山荘から、八宮と大君が逝去し、今は又中君も都に去ろうとしている。宇治の物語はここで終わるのだろうか。2月7日、中君は宇治を去った。続を読む。
朗読⑥中の君は都への険しい道を行く。 もう戻ってくることもないだろうと思いながら。
道のほど遠けくはげしき山道のありさまを見たまふにぞ、つらきにのみ思ひなされし人の、御仲の通ひを、ことわりの絶え間なりけりと思し知られける。七日の月のさやかにさし出でたる影をかしく霞みたるを見たまひつつ、いと遠きに、ならはず苦しければ、うちながめられて、
ながむけば 山より出でて 行く月も 世にすみわびて 山にこそ入れ
様変わりて、つひにいかならむとのみ、あやふく行く末うしろめたきに、年ごろ何ごとをか思ひけんとぞ、とり返さまほしきや。
解説 ここは現代語訳で理解を深める。
中の君の上京の手配は大まかには匂宮がしたが、細かな段取りは薫が取り仕切った。中君は牛車に乗って都を目指す。思ったよりは遠い距離だった。しかも途中に木幡山の険しい山道もある。その道中で中君は匂宮への思いが変わっていくのを感じた。これまでは宇治への訪れが絶え勝ちなので、恨めしく思っていた。これ程遠くて険しい道なので頻繁な訪れは無理だったのだと思い知った。都に前に夜になった。2月7日なので、空には上弦の月が掛かって。その光は春なので霞んでいる。
中君には馴れない牛車の移動なので苦しく感じられた。ぼんやり外を眺めながら中君が読んだ歌。
ながむけば 山より出でて 行く月も 世にすみわびて 山にこそ入れ
空を眺めると、月が出て。あの月は間もなく山の端に沈むだろう。この私は宇治の山里を出て、華やかな都に向かっている。だから私は月と違っている。それでも月は山の端から出てきたものの、再び山の端に沈んでいく。私も宇治の山里を出たばかりだが、ここから先に匂宮の心変わりがあれば私はもう一度宇治の山里に戻らねばならない。だから私と月は同じ運命なのだ。中君は匂宮の愛情が薄れて棄てられるようなことがあれば、私はどうなるのかと不安が募る。中君は今、私が抱えている大きな不安に比べると、これまで幸福に暮らしていた頃、匂宮の訪れが少ないと言って苦しんでいた嘆きなど取るに足りないものだった。苦しみが今より少なかったあの頃に戻りたいと思うのだった。
中君は二条院に到着する。その場面を読む。
朗読⑦
宵うち過ぎてぞおはし着きたる。見も知らぬさまに、目も輝くやうなる殿造りの、三つ葉四つ葉なる中に引き入れて、宮、いつしかと待ちおはしましければ、御車のもとに、みづから寄らせたまひて下ろしまつりたまふ。御しつらひなど、あるべき限りして、女房の局々まで、御心とどめさせたまひけるほどしるく見えて、いとあらまほしげなり。いかばかりのことにかと見えたまへる御ありさまの、にはかにかく定まりたまへば、おぼろけならず思さるることなめりと、世人も心にくく思ひおどろきたり。
解説
宵うち過ぎてぞおはし着きたる。
さて中君は午後1時を過ぎた頃に、都の二条院に到着した。
見も知らぬさまに、目も輝くやうなる殿造りの、三つ葉四つ葉なる中に引き入れて、
宇治の山荘しか知らない中君には想像を絶する輝かしい屋敷であった。この殿は という催馬楽に
この殿はむべも むべも富みけり さき草の あはれさき草の はれさき草の 三つはよつばの中 に 殿作りせりや 殿作りせり
とある。さき草 の枝が三つも四つも分れているように、富裕な人の大邸宅は棟が三つも四つも立ち並んでいるという意味である。二条院はまさに この殿は と歌われているような大邸宅であった。
その中に中君の乗った牛車は迎え入れられた。
宮、いつしかと待ちおはしましければ、御車のもとに、みづから寄らせたまひて下ろしまつりたまふ。
匂宮は中君の到着を今か今かと待ちわびていた。自分から牛車の傍に近付き、中君が車から降りるのを手伝う。
御しつらひなど、あるべき限りして、女房の局々まで、御心とどめさせたまひけるほどしるく見えて、いとあらまほしげなり。
中君が使う部屋はこれ以上はない程に豪華な設備があった。中君に従う女房達にあてがわれる沢山の局にまで、匂宮自らが配慮したことが見て取れる。理想の住まいとはまさにこの事であろう。
いかばかりのことにかと見えたまへる御ありさまの、にはかにかく定まりたまへば、おぼろけならず思さるることなめりと、世人も心にくく思ひおどろきたり。
世間の人は中君が二条院に迎えられると聞いてから、どの程度の扱いを受けるのだろうと興味津々だったが、正式の婚姻のような形で迎え入れられ、中君は匂宮の妻の一人としての地位が定まった。世間の人も匂宮は、中君のことをとても大切に思っていると驚き、中君への評価も高まった。匂宮が宇治に通い始めた頃には、心安からず思っていた母の明石中宮も、今は中君を暗黙の裡に認めているようである。中宮は父の八宮の遺言に背き宇治を離れた。これが吉と出るか凶とでるかともあれここで宇治の物語は終わろうとしている。
「コメント」
薫が気の毒。どうして薫が振られるの?