250118㊷ 椎本の巻 46帖
今回は八宮が、二人の娘の行く末を心配しながら死去する。巻のタイトルは、薫が八宮を追悼した歌
立ち寄らむ 蔭とたのみし 椎が本 むなしき床に なりにけるかな
に因んでいる。
薫は八宮を椎の木の大木のように信頼していたのであった。薫の年立ては22歳の春から23歳の夏まで。本居宣長の年立ては23歳の春から24歳の夏までである。
さて2月の下旬、匂宮は長谷寺の参詣からの帰途、宇治院に泊った。ここは夕霧(長男、母は紫上)が光源氏から相続した別荘である。「湖月抄」はこの宇治院の準拠を、後に平等院と呼ばれた建物と指摘している。宇治川を隔てた都の側には、八宮の別荘がある。「湖月抄」は橋寺の付近であると、場所を推定している。
宇治院で匂宮たちが奏でる管弦の響きが、対岸に住む八宮にも聞こえた。 音楽に堪能な八宮は、致仕の大殿、かつての頭の中将の血筋の誰かが笛を吹いていると直感した。笛を吹いていたのは薫であった。薫は致仕の大殿、かつての頭の中将の長男である柏木を秘密の父としている。
朗読①匂宮は長谷寺参拝の帰り、宇治院に宿泊。薫と管弦の遊びをする。それを聞く八の宮。
宮は、ならひたまはぬ御歩きになやましく思されて、ここにやすらはむの御心も深ければ、うち休みたまひて、夕つ方ぞ御琴など召して遊びたまふ。
例の、かう世離れたる所は、水の音ももてはやして物の音澄みまさる心地して、かの聖の宮にも、たださし渡るほどなれば、追風に吹き来る響きを聞きたまふに昔のこと思し出でられて、「笛をいとをかしう吹きとほしたなるかな。誰かならん。
昔の六条院の御笛の音聞きしは、いとをかしげに愛敬づきたる音にこそ吹きたまひしか。これは澄みのぼりて、ことてごとしき気のそひたるは、致仕の大殿の笛の音にこそ似たなれ」など独りごちおはす。「あはれに久しくなりにけりや。かやうの遊びなどもせで、あるにもあらで過ぐし来にける年月の、さすがに多く数へらるるこそかひなけれ」などのたまふついでにも、姫君たちの御ありさまあたらしく、かかる山ふところにひきこめてはやまずもがなと思しつづけらる。
解説
宮は、ならひたまはぬ御歩きになやましく思されて、
滅多に遠出をしない宮(匂宮)は、長谷寺への旅で疲れた。
ここにやすらはむの御心も深ければ、うち休みたまひて、夕つ方ぞ御琴など召して遊びたまふ。
それでこの宇治院で休息を取る。宮は今の所、八宮の姫君たちに関心を寄せているが、その八宮の山荘が宇治川の川向うにある。それで当初から宇治院で時を過ごす積りであった。暫く休憩した後、夕方から琴などの楽器を取り寄せて、管弦の遊びが始まった。
例の、かう世離れたる所は、水の音ももてはやして物の音澄みまさる心地して、
この宇治のように人里離れた場所は、楽器の音が澄み切って聞こえ、空に昇っていくように感じられた。ましてここは宇治川の流れが、絶え間なく音を立てているので、それが美しい演奏の引き立て役になっている。
かの聖の宮にも、たださし渡るほどなれば、追風に吹き来る響きを聞きたまふに昔のこと思し出でられて、
宇治院で奏でられる妙なる響きは、匂宮の思惑通りに川向うの八宮の山荘にも聞こえた。舟に乗ればすぐにでも渡れる至近距離である。一方こちらは八宮。川向うの宇治院で奏でられる楽の音が、風に乗ってこちら側まで聞こえてきた。響きに耳を傾けていると都で暮らしていた頃、宮中に参内していて、こういう響きを聞いたものだと懐かしく思い出される。
「笛をいとをかしう吹きとほしたなるかな。誰かならん。
八宮はふと、笛の音色に耳を留めた。あの笛は真に素晴らしく吹き鳴らしている。どなたが吹いているのだろうか。
昔の六条院の御笛の音聞きしは、いとをかしげに愛敬づきたる音にこそ吹きたまひしか。
私は昔、宮中で六条院・光る君が見事に笛を吹き鳴らすのを聞いたことがある。それはそれは風情があって、魅力的であった。
これは澄みのぼりて、ことてごとしき気のそひたるは、致仕の大殿の笛の音にこそ似たなれ」など独りごちおはす。
今、聞こえてくる笛の音は、光る君の血筋の人ではなかろうか。一直線に空に昇って行って、どこか仰々しい所がある。
そう、あれは 致仕の大殿 の笛の音と似ている。その血筋の方が、あの笛を吹いているのだろうと感想をもらしている。
この笛は薫が吹いていたのである。薫の本当の父親は、光る君ではなく柏木である。柏木は 致仕の大殿 の長男である。笛の音色は、薫の血筋を証し立てていたのである。
「あはれに久しくなりにけりや。かやうの遊びなどもせで、あるにもあらで過ぐし来にける年月の、さすがに多く数へらるるこそかひなけれ」などのたまふついでにも、
八宮の述懐である。八宮の独り言は続いた。それにしても宮中で過ごした時から今まで、長い時が経過した。こういう素晴らしい宴などに参加することもなくなった。晴れやかな世界から遠ざかり、主流の人々からみれば、私など生きているのかどうかも分からないだろう。それにしては長生きだけはしてきたのは、何とも情けない。こういう風に思う八の宮の心には、二人の姫君のこれからの生き方のことが大きな難問として横たわっていた。
姫君たちの御ありさまあたらしく、かかる山ふところにひきこめてはやまずもがなと思しつづけらる。
姫君たちの身の上が勿体なく思われる。こんな山里に埋もれて一生を終わらせるのは勿体ないので、何とかして二人の人生を輝かせてやりたいという思いが湧いてくる。
薫と笛は深い因縁がある。横笛の巻 37帖 でも、柏木の思いが横笛という形見の宝物として薫に与えられた。光源氏と 致仕の大殿、かつての頭の中将とは政治理念が異なっていた。中庸を目指す光源氏の政治スタイルではなく、良いものは良い、悪いものは悪い とはっきりさせる頭の中将は主張した。
さて八宮は自分の命の終わりを予感し、阿闍梨の山寺に籠ることにした。その前に二人の娘たちに遺言を語った。
朗読② 八の宮の遺言。男の甘言に乗ってはいけない。宇治の山荘で暮らしなさい。
秋深くなりゆくままに、宮は、いみじうもの心細くおぼえたまひければ、例の、しずかなる所にて念仏をも紛れなうせむと思して、君たちにもさるべきこと聞こえたまふ。「世のこととして、つひの別れをのがれぬわざなめれど、思ひ慰まん方ありてこそ、悲しきをもさますものなめれ。また見ゆづる人もなく、心細げなる御ありさまどもをうち棄ててむがいみじきこと。さされどもさばかりのことに妨げられて、長き夜の闇にさへまどはむが益なさ。かつ見たてまつるほどだに思ひ棄つる世を、去りなん後のこと知るべきことにあらねど、わが身ひとつにあらず、、過ぎたまひにし御面伏に、軽々しき心ども使ひたまふな。おぼろけのよすがならで、人の言にうちなびき、この山里をあくがれたまふな。ただ、かう人違ひたる契りことなる身と思しなして、ここに世を尽くしてんと思ひとりたまへ。ひたぶるに思ひしなせば、事にもあらず過ぎぬる年月なりけり。まして、女は、さる方に絶え籠りて、いちじるくいとはしげなるよそのもどきを負はざらむなんよかるべき」などのたまふ。
解説
八宮の苦しい親心を読み取ろう。
秋深くなりゆくままに、宮は、いみじうもの心細くおぼえたまひければ、
八月になって秋は深まっていく。秋は心の憂いが深まる季節である。八宮は自分の命を心細いものに思っている。
例の、しずかなる所にて念仏をも紛れなうせむと思して、君たちにもさるべきこと聞こえたまふ。
宮はこのような時にいつもお籠りをしている阿闍梨の山寺に移って、心行くままに念仏をしようと思う。山寺に向かうに当たり、もしかしたらこれが姫君たちとの最後の対面になるかも知れないという予感もあったが、二人の姫君に自分の亡き後のことを遺言のようにして話した。
「世のこととして、つひの別れをのがれぬわざなめれど、思ひ慰まん方ありてこそ、悲しきをもさますものなめれ。
この世の倣いとして、人の命の尽きるのはどうしても避けられない運命である。私も又、その運命を免れることは出来ない。けれども死別の衝撃はその悲しさを慰める縁があれば、乗り越えられる。
あなた達も物心ついてからこの方、母上がいない淋しさに苦しんできただろうが、父親である私が存命であったから何とかこれまで生きてこられたと思う。その父親も間もなくこの世を去ることになる。
また見ゆづる人もなく、心細げなる御ありさまどもをうち棄ててむがいみじきこと。
それなのにあなた達の面倒を見てくれる信用のおける後見人に、後を託すことも出来ない。経済的にも心理的にも、心許ない生活をしているあなた達をたった二人で、この世に残し見棄ててしまうかのようにこの世を去らねばならない。私は悲しくて堪らない。
されどもさばかりのことに妨げられて、長き夜の闇にさへまどはむが益なさ。
益なし は、無駄、無益であるという意味。けれどもまたあなた達への愛情が煩悩となって、臨終に際して私の心が乱れ、益なしである。
かつ見たてまつるほどだに思ひ棄つる世を、去りなん後のこと知るべきことにあらねど、
考えてみれば私は生きている間にも、あなた達にきちんとした暮らしをさせて上げられず、見棄てているのと同じであった。私が亡くなった後で、どんな苦境に遭遇するかについて私は一切責任を負えません。
わが身ひとつにあらず、、過ぎたまひにし御面伏に、軽々しき心ども使ひたまふな。
面伏 は、不名誉ということ。両親に先立たれるあなた達に言い残すことがある。良く聞きなさい。軽薄な心で言い寄ってくる男に騙されるようなことがあれば、父親の私にとって、不名誉であるばかりでなく、亡き母上の不名誉でもある。
おぼろけのよすがならで、人の言にうちなびき、この山里をあくがれたまふな。
本当に信頼できない男の誘いに乗って、この宇治の山里を離れてふらふらと彷徨い出てはならない。
ただ、かう人違ひたる契りことなる身と思しなして、ここに世を尽くしてんと思ひとりたまへ。
自分達には母親がいない。父親もしっかりしていない。幼くして都に住めなくなって宇治の山里に移り住んだ。その父親も死のうとしている。ここまで私たちが不幸であるのは、前世からの宿命であり因縁だったのだ。自分たちは他の人達と違って、不幸な定めに生まれてきた人間なのだと悟って欲しい。そして宇治の山里で一生を終えると、強く覚悟して欲しい。父親として誠に無責任な言葉に聞こえるだろう。けれども不幸な一生を生きてきた八宮には、この様に言い残すしかなかった。
ひたぶるに思ひしなせば、事にもあらず過ぎぬる年月なりけり。
八宮は彼が辿り着いた人生観を悟っている。人間はどんな辛い一生であっても、今の暮らしが自分の全てなんだと、ひたすらにその事だけに集中してやり過ごせば、それ程苦しい思いなどせずあっという間に年月は過ぎていく。この私がそうであった。都の屋敷が火事で焼けた後、宇治に移り住んだ今日まで、あっという間であった。
まして、女は、さる方に絶え籠りて、いちじるくいとはしげなるよそのもどきを負はざらむなんよかるべき」などのたまふ。
何かと付き合いの多い男の私ですら、都での暮らしを忘れ、世間との交流を断ち切りこれまで生きてきた。ましてあなた達は女性なので、世間との交際をすっぱり断ち切ることは簡単でしょう。今の暮らしがどんなに辛くても、今の暮らしに我慢して山里に籠り続けるのが良いのです。なまじっか、世間との関係を始めたりすると、人から不愉快な悪口を言われたりする。そうならないようにして下さい。
八宮は二人の娘を前にして、この様に人生最後の教訓を語った。
所で 「岷江入楚」という「源氏物語」の注釈書がある。細川幽斎の弟子である中院通勝が書いた。
「湖月抄」以前に中世の「源氏物語」研究を集大成した重要な書物である。その「岷江入楚」は、この八宮に関して次のような重要な指摘をしている。
この教訓は悪しかりしなり。大君はこの心を持ちて、薫君とへのつれなかりししきなり。
「湖月抄」は何故かこの説を採用していない。八宮の遺言は おぼろけのよすが という点に眼目がある。薫のように信用の出来る男であれば、その誘いを受けても良い。けれども好色な男たちの甘い言葉に騙されてはならないというのである。けれども八宮は薫ならば、結婚しても良いとは明言していない。それが次の総角の巻で、大君が頑ななまでに薫の接近を拒否する原因となった。思い返すと若菜の巻では、光源氏は北山に赴いている。北山の僧都に出合う。山には立派な僧侶が住んでいる。光源氏は又、北山の僧都の妹の孫である紫の上と出合い結ばれる。これからどう生きていいか分からない若者は、山奥で立派な宗教者と出合い人生の指針を得る。それだけでなく、宗教者の庇護のもとに育った女性と出合い、結婚して幸福に生きることが出来るようになるパータンである。
薫は山里である宇治で俗聖・優婆塞の八宮と出合う。彼には二人の娘がいたが、結局どちらとも結ばれなかった。
若菜の巻と対照的である。この人間関係は「源氏物語」最終帖である夢浮橋 54帖 で再現する。
比叡山で学問に励む横川の僧都と小野の山寺に住む浮舟。そこを薫が訪れるというパタ-ンである。紫式部はこの人間関係に余程執着していたのであろう。恐らく紫式部は心の底から賞賛できる師、つまり人生の指導者と一生出会うことが無かったのではなかろうか。だからこそ「源氏物語」を書いたと私(講師)は思う。
さて八宮は阿闍梨の山寺で念仏を唱えていたが、体調が優れず逝去する。最後を看取れなかった娘たちの嘆きには深いものがあった。この場面を読む。八宮は臨終を前にして心細く、娘たちともう一度会っておきたいと思う。それを見守る阿闍梨は、心を強く持って娘たちの存在を忘れるようにと諭す。人間は死ぬときには、自分一人である。死は個人で向き合い、解決すべき課題である。人間的な愛情を断ち切ることの難しさを痛感させられる場面である。逆に言えば、自分はどうしても人間的な情愛を断てないと思い知った時に、文学の必要性が明らかになる。
朗読③八の宮は山寺で病で亡くなる。
かの行ひたまふ三昧、今日はてぬらんと、いつしかと待ちきこえたまふ。夕暮れに人参りて、「今朝よりなやましくてなむ、え参らむ。風邪かとて、とかくつくろふねものするほどになむ。さるは、例よりも対面心もとなきを」と聞こえたまへり。胸つぶれて、しかなるにかと思し嘆き、御衣ども綿厚くて急ぎせさせたまひて、奉れなどしままふ。ニ三日はおりたまはず。いかにいかにと人奉りたまへど、「ことにおどろおどろしくあらず。そこはかとなく苦しうなむ。住事もよろしくならば、いま、念じて」など、言葉にて聞こえたまふ。阿闍梨つとさぶらひて、仕うまつりけり。「はかなき御なやみと見ゆれど、限りの旅にもおはしますらん。君たちの御事、何か思し嘆くべき。人はみな御宿世といふもの異〃なれば、御心に掛るべきにもおはしまさず」、と、いよいよ思し離るべきことを聞こえ知らせつつ、「いまさらにに出でたまひそ」と諫め申すなりけり。
解説
かの行ひたまふ三昧、今日はてぬらんと、いつしかと待ちきこえたまふ、
宇治の山荘では、阿闍梨の山寺に籠っている八宮の帰りを今か今かと待っていた。今日あたり念仏三昧が終わって、父上が戻って来るのではないかと姫君たちは待ちわびていた所、
夕暮れに人参りて、
夕暮れに山寺から使いの者がやってきて、
「今朝よりなやましくてなむ、え参らむ。風邪かとて、とかくつくろふねものするほどになむ。さるは、例よりも対面心もとなきを」と聞こえたまへり。
これから帰るという連絡ではなかった。今朝から突然具合が悪くなった。とても山から下りられない。夜も眠れない。風邪だろうかと治療している。それにしても今日はあなた達に会いたくて堪らない という伝言だった。
胸つぶれて、しかなるにかと思し嘆き、御衣ども綿厚くて急ぎせさせたまひて、奉れなどしままふ。ニ三日はおりたまはず。
その言伝を聞いて、姫君たちは驚きと不安が胸を締め付けられる。父上はどうされたのかと心配して、少しでも暖かく過ごせるようにと綿を沢山入れた衣服を届けた。
ニ三日はおりたまはず。
その後、ニ三日たったけれどもまだ戻ってこない。
いかにいかにと人奉りたまへど、
今日の具合は如何ですかと、姫君たちは人を遣わして八の宮の容態を尋ねた。
「ことにおどろおどろしくあらず。そこはかとなく苦しうなむ。住事もよろしくならば、いま、念じて」など、言葉にて聞こえたまふ。
返事は口頭の言伝であった。それほど苦しいというのではない。どこが苦しいというのではないが、体全体が苦しくて堪らない。回復したら、無理をしても山を下りて家に戻ろう。
阿闍梨つとさぶらひて、仕うまつりけり。
山寺では阿闍梨が、八宮の傍につきっきりで看病していた。
「はかなき御なやみと見ゆれど、限りの旅にもおはしますらん。
それ程重くはない様には見えるが、もしかしたら最後の時が近付いているのかも知れません。
君たちの御事、何か思し嘆くべき。人はみな御宿世といふもの異〃なれば、御心に掛るべきにもおはしまさず」、
阿闍梨は宮が山荘に戻りたがっている様子を見て、強く諫めた。姫君たちの事は、あなたが如何に心配してもどうなるものでもない。どうして思い嘆くことがありましょうか。その事は忘れなさい。人間には、その人がもって生まれた宿世というものがある。親がいくどんなに心配しても、子供の人生がどうなるものでもなく、親が全く顧みなくても幸せになることもあるでしょう。親の思いと子供の幸不幸は、別次元のものである。余計な心配はしない方が良い。
と、いよいよ思し離るべきことを聞こえ知らせつつ、「いまさらにに出でたまひそ」と諫め申すなりけり。
ここは草子地で、語り手のコメントである。
阿闍梨の言葉はいかにも伝道者らしく、厳しい口調である。阿闍梨はこのように諭し、娘たちだけでなく全てのものへの執着を捨て去るようにと、宮に教え聞かせている。この山寺を下りてはなりません。この寺で人生の最後の時を、心安らかに過ごしなさいと励まし続けている。ややもすれば、家に帰りたい、娘たちに会いたいという執着心に苦しんでいる宮を、正しい臨終へと導こうとしている。
宮の病は、ことにおどろおどろしくあらず と書かれている。私が「源氏物語」研究に志した大学院修士で書いた二つ目の論文が、「源氏物語」の病についてであった。そこでは おどおどしからぬ とか おどろおどろしくはない病 などと書かれている病が確実に死に至る病であることを論じた。「源氏物語」の登場人物はひどく苦しんで死ぬ というのではなくて、運命によって死去する時期が決まっているような印象を受ける。
さて、宇治の山荘で八の宮の無事な帰りを待つ姫君たちの願いは叶わなかった。父の死の知らせが届き、唯一の保護者を失った悲しみは大きかった。続く場面を読む。
朗読④逝去の知らせが届いた。姫君たちは悲しんで、後を追いたいと思うがそうも出来なかった。
八月二十日のほどなり。おほかたの空のけしきもいとどしきこみ、君たちは、朝夕霧のはるる間もなく、思し嘆きつつながめたまふ。有明の月のいとはなやかにさし出でて、水の面もさやかに澄みたるを、そなたの蔀上げさせて、見出だしたまへるに、鐘の音かすかに響きて、明けぬなりと聞こゆるほどに、人々来て、「この夜半ばかりになむ亡せたまひぬる」と泣く泣く申す。心にかけて、いかにとは絶えず思ひ聞こえたまへれど、うち聞きたまふには、あさましくものおぼえぬ心地して、いとど、かかることには、涙もいづちか去にけん、ただうつぶし臥したまへり。いみじきことも、見る目の前にて、おぼつかなからぬこそ常のことなれ、おぼつかなさそひて、思し嘆くことことわりなり。しばしにても、後れたてまつりて、世にあるべきものと思しならはぬ御心地どもにて、いがでかは後れじと泣き沈みたまへど、限りある道なりければ、何のかひなし。
解説 ここでは八の宮の帰りを待つ姫君たちの心に力点が置かれている。
八月二十日のほどなり。
それは八月二十日であった。
おほかたの空のけしきもいとどしきこみ、君たちは、朝夕霧のはるる間もなく、思し嘆きつつながめたまふ。
晩秋の頃なので、都は勿論宇治の山里でも、見上げる人の心を悲しくさせる空模様が広がっている。あちらこちらの山にも、朝霧が立ち込めている。大君と中君も、心の霧が晴れることなく父の帰りを待ちながら嘆き明かしていた。
有明の月のいとはなやかにさし出でて、水の面もさやかに澄みたるを、そなたの蔀上げさせて、見出だしたまへるに、
父が心配で朝早く起き出すと、有明の月が明るく空に掛り、宇治川の水面で明るく反射している。姫たちは父が籠っている山寺の方角の蔀を上げさせ、そちらの方を見上げている。
鐘の音かすかに響きて、明けぬなりと聞こゆるほどに、
その内に、山寺の鐘が鳴る音が微かに聞こえた。夜が明けたのだと思う。
人々来て、「この夜半ばかりになむ亡せたまひぬる」と泣く泣く申す。
すると山寺から使いの者が来て、この夜半に八宮が亡くなりましたと泣きながら告げる。
心にかけて、いかにとは絶えず思ひ聞こえたまへれど、
姫君たちはずっと病の八宮を心配していたので、ある程度覚悟はしていたが、
うち聞きたまふには、あさましくものおぼえぬ心地して、
ところがいざ、父の逝去の報に接して、余りの驚きに分別は吹き飛んでしまった。
いとど、かかることには、涙もいづちか去にけん、ただうつぶし臥したまへり
余りの悲しさに直面した人々は、涙を流すことさえ忘れてしまうようである。杜甫の詩に
驚き定まって、また涙を拭う というのがある。
これは嬉し涙が極まった状況であるが悲しい涙でも同様である。あまりに驚いた時には涙はこぼれず、心が鎮まってから喜びや悲しみを覚え泣き始める。姫君たちは泣くことさえ忘れ、ひたすらうつぶせ臥して身もだえしている。本居宣長は、 嘆きのせちなる時、涙下らずと言へり と所持している「湖月抄」に書き入れている。
いみじきことも、見る目の前にて、おぼつかなからぬこそ常のことなれ、
けれども普通の場合は愛する人の臨終に立ち会って、亡くなる間際まで様々処置をしてあげてその上で死別となる。
おぼつかなさそひて、思し嘆くことことわりなり。
この度は山寺と山荘に分かれていたので、姫君たちは父の死に目に立ち会えなかった。だから姫君たちの混乱と嘆きの大きさは当然であった。
しばしにても、後れたてまつりて、世にあるべきものと思しならはぬ御心地どもにて
姫君たちは父に先立たれたならば、自分たちもすぐに後を追う積りであった。父のいない世の中で生きていくことなど、想像も出来なかった。
いがでかは後れじと泣き沈みたまへど、限りある道なりければ、何のかひなし。
二人は私も父と一緒に死んでしまいたいと泣き沈んでいたが、持って生まれた運命は姫君たちにまだ生きるように命じていた。いくら死にたいと泣いても無駄であった。語り手の私も、傍で二人の嘆き振りを見ていたが誠に哀れであった。
宗教者である阿闍梨は葬儀の前に、亡き父の亡骸と対面したいという姫君たちの願いを厳しく拒絶した。そしてその厳しさに耐えられなかった、八宮と姫君たちの人間的弱さが浮かび上がってくる。けれどもその弱さこそが、人間にとって最も大切な優しさ、思い遣りでもある。八宮を敬慕していた薫も逝去を深く悲しむ。仏教について語り合っていた八宮と薫の関係は世代を越えた友情であった。薫の感じた喪失感は、大君との愛の深まりをもたらした。宇治十帖はこれから恋に苦手な薫と、恋に心を閉ざす大君との不思議な恋を描くことになる。
「コメント」
総篇より宇治十帖の方が面白い。薫の人間性に興味あり。