250104㊵ 橋姫の巻 (1)  45帖 

いよいよ 宇治十帖に入る。今日は橋姫の巻の前半を読む。宇治十帖の作者が紫式部ではなく、

別人であるという説もあるが、「湖月抄」は紫式部の作であると考えて良いと結論している。正編と

続編で70年以上の歳月を描いている。その間に人々の言葉遣いも変化したであろう。宇治十帖と本体とで文体が異なるのは、作者が別人だからではなく、同じ作者が時代の変化を反映させた結果であると「湖月抄」は言う。私(講師)は、長い物語を書いている内に、自ずと文体も変化したと考える。

さて橋姫という巻の名前は、薫が大君(おおいきみ)に送った歌に因んでいる。「湖月抄」の年立てでは、薫の19歳~21歳まで。薫は19歳で宰相中将になったと匂宮の巻にある。橋姫の巻では薫が宰相中将として登場するので、薫の年令を19歳としたのである。所が本居宣長は反論する。薫が宰相中将になったのは19歳だが、匂宮の巻は薫が20歳になった正月までを描いている。ならば橋姫の巻では、匂宮の巻の跡が書かれるはずだから、薫の年令は20歳にすべきだという。どちらの説も確実な根拠はない。現在の通説は本居宣長説に従っている。この古典講読では二つの年立てを並列して紹介する。

 

それでは橋姫の巻の冒頭部分を読む。

朗読① 不遇の八宮は、北の方と睦まじく世を送っていた。

そのころ、世に(かず)まへられたまはぬ古宮(ふるみや)おはしけり。母方などもやむごとなくものしたまひて、筋ことなるべきおぼえなどおはしけるを、時移りて、世の中にはしたなめられたまひける紛れに、なかなかいとなごりなく、御後見(うしろみ)などももの恨めしき心々にて、かたがたにつけて世を背き去りつつ、公私(おほやけわたくし)に拠りどころなくさし放たれたまへるやうなり。北の方も、昔の大臣(おとど)の御むすめなりける、あはれに心細く、親たちの思しおきてたりしさまなど思ひ出でたまふにたとしへなきこと多かれど、深き御契りの二つ亡きばかりをうき世の慰めにて、かたみにまたなく頼みかはしたまへり。

 解説

そのころ、世に(かず)まへられたまはぬ古宮(ふるみや)おはしけり。

そのころ というのは、新しく物語を語り始める際に用いられる表現である。これから新しい物語「宇治十帖」を始めるに当たり、正編の桐壺の巻の書き出しに倣いたいと思う。どの天皇の御代であったか。無論、今上帝の御代である。世間からすっかり忘れ去られた恒例の皇族がおられた。彼は桐壷帝の八番目の皇子だったので八の宮と呼ばれている。

「湖月抄」は八の宮の準拠は、菟道稚郎子(うじのわかいらつこ) であると述べている。応神天皇の皇子で皇位を兄の仁徳天皇に譲り、宇治に隠遁した人物である。それに対して本居宣長は八の宮の準拠は清和天皇との皇位争いに敗れて、洛北の小野に隠棲した是孝親王であるという。「伊勢物語」で小野の(これ)(たか)親王を訪ねる在原業平の姿には、宇治の八の宮を訪ねる薫の面影があると述べている。私(講師)菟道稚郎子(うじのわかいらつこ)(これ)(たか)親王のイメージが、双方合わさっていると思う。

母方などもやむごとなくものしたまひて、筋ことなるべきおぼえなどおはしけるを、

八の宮の母は大臣の娘であった。世が世ならば、この宮が東宮になる可能性もあり、実際にそういう動きもあった。

時移りて、世の中にはしたなめられたまひける紛れに、なかなかいとなごりなく、御後見(うしろみ)などももの恨めしき心々にて、かたがたにつけて世を背き去りつつ、

その内に政治の潮流が変わった。八の宮を東宮とする話は沙汰止みとなった。冷泉帝の御代では八の宮は世間から軽んじられるようになった。一時的に東宮に成る可能性があったがために、後ろ盾や家臣たちも将来の展望が消えた事が恨めしく宮を見限って去っていった。

公私(おほやけわたくし)に拠りどころなくさし放たれたまへるやうなり。

八の宮の世話をする人たちもいなくなり、公の面でも私的な面でも世間との接点が無くなり、その存在もまた忘れられていった。

北の方も、昔の大臣(おとど)の御むすめなりける、あはれに心細く、親たちの思しおきてたりしさまなど思ひ出でたまふにたとしへなきこと多かれど、

八の宮の北の方も大臣の娘であった。物寂しい生活を送るようになると、親たちが自分に寄せていた期待とかけ離れた境遇になった。娘を女御、さらには中宮にしたいと親は願っていたのに、それを裏切る結果となったのが、北の方にはとても悲しく思われた。

深き御契りの二つ亡きばかりをうき世の慰めにて、かたみにまたなく頼みかはしたまへり。

それでも夫である八の宮との夫婦仲は親密であった。お互いの愛を慰めとして生きていた。八の宮は政治的には敗北者であった。

 

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朗読②女の子が生まれ次いで又女の子が生まれたが、北の方は患って亡くなってしまう。

年ごろ()るに、御子ものしたまはで心もとなかりければ、さうざうしくつれづれなる慰めに、いかでをかしからん(ちご)もがなと、宮ぞ時々思したまひけるに、めづらしく女君いとうつくしげなる()まれたまへり。これを限りなくあはれと思ひかしづきたまふに、またさしつづきけしきばみたまひて、この度は男にてもなど思したるに、同じさまにてたひらかにはしたまひながら、いといたくわづらひて()せたまひぬ。宮、あさましう思しまどふ。

 解説 

ここは「湖月抄」の解釈を取り込んで現代語訳で理解を深める。

夫婦二人の日々は過ぎて行ったが、子供に恵まれなかった。生きる張り合いがなかったので、淋しさを慰める可愛らしい子供が欲しいなあとも八の宮は思い、北の方に向かって口にした。すると偶然にも可愛らしい姫君に恵まれた。この女の子は長女なので大君(おおいきみ)総角(あげまき)の巻で亡くなるので総角(あげまき)の君とも呼ばれる。この大君は可愛らしいと大切に育てられた。

引き続き北の方は新しい子供を宿した。今度は男の子であったらいいなと思っていた所、またしても女の子であった。次女なので中の君と呼ばれた。安産だったのだが、北の方は産後の肥立ちが悪くて亡くなってしまう。残された八の宮は呆然として嘆いている。

 

母親が死去し生活力の無い父親と幼い姉妹が残された。八の宮は出家を願っていたが、幼い二人の娘が心配で出家できない。そんな三人のある日の情景を読む。

朗読③八の宮は水鳥を羨ましく思いながら娘たちに琴を教えている。仏道修行で痩せていて奥ゆかしく見える。

春のうららかなる日影に、池の水鳥どもの翼うちかはしつつおのがじし(さえず)る声などを、常ははかなきことと見たまひしかども、つがひ離れぬをうらやましくながめたまひて、君たちに御琴ども教へきこえたまふ。いとをかしげに、小さき御ほどに、とりどり掻き鳴らしたまふ物の()どもあはれにをかしく聞こゆれば、涙を浮けたまひて、

  「うち棄てて つがひさりにし 水鳥の かりのこの世に たちおくれけん

心づくしなりや」と目おし拭ひたまふ。容貌(かたち)いときよげにおはします宮なり、年ごろの御行ひに痩せ細りたまひにたれど、さてしもあてになまめきて、君立ちをかしづきたまふ御心ばへに、直衣(のうし)()えばめるを着たまひて、しどけなき御さまいと恥づかしげなり。

 解説

春のうららかなる日影に、池の水鳥どもの翼うちかはしつつおのがじし(さえず)る声などを、

春のうららかな日が庭に降り注ぎ、池では水鳥たちが囀り交わしている。仲の良い水鳥は(つがい)のおしどりでしょう。杜甫の詩に 鴛鴦不独宿 鴛鴦(えんおう)独り宿せず とあるように、おしどりは一緒に寝る習性がある。番の一方が死ぬともう一方も、後を追って死ぬとも言われる。

常ははかなきことと見たまひしかども、

八の宮はこれまで水鳥を何という事もなく見ていた。

つがひ離れぬをうらやましくながめたまひて、

北の方に先立たれてからは、夫婦の水鳥が仲良く泳ぐのを羨ましく見るようになった。配偶者を失くした人は、感受性が鋭くなるのであろう。

 

君たちに御琴ども教へきこえたまふ。

宮は二人の姫君たちに琴を教えている。

いとをかしげに、小さき御ほどに、とりどり掻き鳴らしたまふ物の()どもあはれにをかしく聞こゆれば、涙を浮けたまひて、

姫君たちはまだ幼くて可愛らしい様子ながら、熱心に琴をかき鳴らしている。その音色が心にしみてきこえるので、父親の目にも涙がにじんでくる。

  うち棄てて つがひさりにし 水鳥の かりのこの世に たちおくれけん

八の宮の歌である。かりのこの世 は、かりそめのこの世と雁の掛詞である。おしどりという水鳥は、夫婦仲よく一緒にいる。所が私は愛する妻に先立たれた。生きる張り合いの無い世の中に私は独り取り残された。運命はどうしてこんなに非情なのだろう。

心づくしなりや」と目おし拭ひたまふ。容貌(かたち)いときよげにおはします宮なり、

八の宮は妻や二人の娘のことを思うと、悲しみは尽きることはないと言いながら、零れてくる涙を拭っている。誠に顔だちの整った方である。

年ごろの御行ひに痩せ細りたまひにたれど、さてしもあてになまめきて、君立ちをかしづきたまふ御心ばへに、直衣(のうし)()えばめるを着たまひて、しどけなき御さまいと恥づかしげなり。

八の宮は北の方に先立たれて以来、仏道に心を入れて修行している。この為痩せている。それが却って優美さを際立たせている。姫君たちを育て上げようとする気持ちから、きちんとした直衣姿である。直衣はやや柔らかく、くつろいだ雰囲気である。見ている方が恥ずかしくなるほどに奥ゆかしい方である。

 

続の場面を読む。

朗読④姫君たちはそれぞれに歌を詠む。

姫君御硯をやをら引き寄せて、手習のやうに書きまぜたまふを、「これに書きたまへ。硯には書きつけざなり。」とて紙奉りたまへば、恥ぢらひて書きたまふ。

  いかでかく 巣立ちけるぞと 思ふにも うき水鳥の ちぎりをぞ知る

よからねど、そのをりはいとあはれなりけり。手は、()ひ先見えて、まだよくもつづけたまはぬほどなり。「若君も書きたまへ」とあれば、いますこし幼げに、久しく書き出でへり。

  泣く泣くも はねうち着する 君なくは われぞ巣守りになるべかりける

 解説  ここは「湖月抄」の解釈に基づいた現代語訳を行う。

父親に続いて姉君も歌を詠もうとなさる。硯を一寸手前に引き寄せてすさび書きのように、硯の上に文字を書いている。これを見た八の宮は「紙に書きなさい。硯は文殊菩薩の(まなこ)だと言われている。

だから硯の表面に文字を書いてはいけないのです」と教え諭しながら紙を渡す。姉君は恥ずかし気にしていたが、やがて歌を書き付けた。

  いかでかく 巣立ちけるぞと 思ふにも うき水鳥の ちぎりをぞ知る 姉君の歌

母上に先き立たれてから、私はあっという間に大きくなった。水鳥が群れで泳ぐ姿を見ると、母上がいない私は、運命の辛さを痛感する。語り手である私は、この歌が詠まれた時良い歌だと感じたが、今思うとそれほどではない。姉君の筆跡は、これから練習すればドンドン上達するであろうと思われる。今はまだ幼い子供がそうであるように、続書きが出来ず、一つ一つの文字が離れて描いてある。父親から中の君も歌を詠んで書きなさいと言われたので、妹君は時間をかけてゆっくりと書く。姉君より幼い筆跡であった。

    泣く泣くも はねうち着する 君なくは われぞ巣守りになるべかりける 妹君の歌

父上は母君に先立たれた悲しみにいつも泣いてばかりである。その父上が私たち姉妹を慈しんで下さらないのなら、私は卵のまま孵化しないでしょう。父上、私達を見捨てないで下さい。

 

中の君は父親が出家して、いなくなることを恐れているのである。そのうち八の宮の屋敷が火事で焼けてしまった。この場面を読む。

朗読⑤ 前半部分は八の宮の人生が書かれている。後半は火事で屋敷が焼け、宇治へ移り住むことになる。

源氏の大殿(おとど)の御弟、八の宮とぞ聞こえしを、冷泉院の春宮におはしましし時、朱雀院の大后の横さまに思しかまへて、この宮を世の中に立ち継ぎたまふべく、わが御時、もてかしづきたてまつりたまひける騒ぎに、あいなく、あなたざまの御仲らひにはさし放たれたまひにければ、いよいよかの御次々になりはてぬる世にて、えまじらひたまはず、また、この年ごろ、かかる聖になりはてて、今は限りとよろづを思し棄てたり。

かかるほどに、住みたまふ宮焼けにけり。いとどしき世に、あさましうあへなくて、移ろひ住みたまふべき所の、よろしきも中りければ、宇治といふ所によしある山里持たまへりけるら移りたまふ。おもひ棄てたまへる世なれども、今はと住み離れなんをあはれに思さる。

 解説

前半部分は八の宮の人生が書かれている。その部分は現代語訳で理解する。

朱雀帝の御代、光る君の弟宮に八の宮と呼ばれるお方がいた。当時の政治は朱雀帝の母親である弘徽殿の大后が動かしていた。大后は光る君や藤壺への反発から藤壺の子である冷泉帝を、東宮から引き摺り下ろし、代わりに八の宮を東宮に立てようとした。所が光る君が復活して、大后の陰謀が挫折した。そんなことがあったので、八の宮は光る君の一族から(うと)まれたのである。その後も光る君の一族ばかりが栄えた。流石に光る君本人は、異母弟の八の宮を突き放すことはしなかった。けれども光る君の子供たちの世代になると、八の宮の存在を思い出す人は誰もいなくなった。加えて、八の宮も仏道修行に心を奪われ、自分の方から光る君の一族の人々に付き合いを願うこともなかった。

 

この後は原文と訳文を相互に読む。

かかるほどに、住みたまふ宮焼けにけり。

そうこうする内に八の宮の屋敷が火事で焼けてしまった。

いとどしき世に、あさましうあへなくて、移ろひ住みたまふべき所の、よろしきも中りければ、

住み辛さが勝る一方だったのに、更に火事になったので気落ちした。宮は都の中に立派な別邸など持っていなかった。

宇治といふ所によしある山里持たまへりけるら移りたまふ。

ここで宇治の物語となったのである。八の宮は宇治に風情のある山荘を持っていたので、ここに移り住んだ。

おもひ棄てたまへる世なれども、今はと住み離れなんをあはれに思さる。

宮は都での暮らしには絶望していた。それでもこれで都ともお別れと思うと、心の底から悲しい思いが込みあげてくる。

 

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朗読⑥

網代のけはひ近く、耳かしがましき川のわたりにて、静かなる思ひにかなはぬ方もあれど、いがはせん。花紅葉、水の流れにも、心やるたよりに寄せて、いとどしくながめたまふより外のことなし。かく絶え籠りぬる野山の末にも、昔の人ものしたまはましかばと思ひきこえたまはぬをりなかりけり。

  見し人も 宿も煙に なりにしを なにとてわが身 消え残りけん

生けるかひなくぞ思しこがるるや。

 解説 ここは「湖月抄」の解釈を織り込んで現代語訳をする。

この様にして八の宮は二人の娘共々、宇治の山荘に移り住んだ。宇治の風物詩に冬の網代・鮎の稚魚を獲る仕掛け がある。宮たちが住むことになった山荘は、網代が設置されている所から近く、流れが早い宇治川の川音が耳障りになる程大きく聞こえてくる。八の宮は静かな田園生活を楽しみたかったのだが、ここより外に住むべき場所がないので仕方なかった。けれども宇治にはそれなりの美しい景色があった。春の花、秋の紅葉、そして季節を問わない川の流れ。

それらを悲しい心を慰めるよすがとして、宮たちはじっと眺めている。宇治は人里から遠く離れた野山ではないのだが、八の宮は野山の奥にまで来たよう感じていた。それにつけても一緒に暮らして居た北の方が、どうして私を残して去ってしまったのかと思う。その気持ちが歌になった。

  見し人も 宿も煙に なりにしを なにとてわが身 消え残りけん

ずっと一緒に暮らしていた愛する妻の命が消え、煙となった。妻と一緒に暮らして居た都の屋敷も、火事で煙となり焼け失せた。それなのに何故私一人がこの世から消えもせず、残っているのだろう。語り手である私も八の宮の境遇に同情する。さぞかしこの世で生きる意味を見出せない程に、北の方を恋しがっているのだろう。

 

八の宮たちが移り住んだ山荘の近くの山には寺があり、阿闍梨が住んでいた。八の宮は彼から仏道を学んだ。この阿闍梨が都の冷泉院に招かれた時に、八の宮のことを話題にした。八の宮の人柄に興味を持った薫は、八の宮と手紙を交わし、やがて宇治を訪れるようになる。八の宮は将来の出世の約束されている薫が、若くして仏道に心を寄せていることに驚く。次の場面を読む。

朗読⑦

宮、「世の中をかりそめのことと思ひとり、 厭わしき心のつきそむることも、わが身に(うれ)へある時、なべての世の恨めしう思ひ知るはじめありてなん道心も起こるわざなめるを、年若く世の中思ふにかなひ、何ごとも飽かぬことはあらじとおぼゆる身のほどに、さ、はた、後の世をさへたどり知りたまらんがありがたさ。ここにはさべきにや、ただ、厭ひ離れよと、ことさらに仏などの勧めおもむけたまふやうなるありさまにて、おのづからこそ、静かなる思ひかなひゆけど、残り少なき心地するに、はかばかしくもあらで過ぎぬべかめるを、来し方行く末、さらにえたどるところなく思ひ知らるるを、かへりては心恥づかしげなる(のり)の友にこそはものしたまふなれ」などのたまひて、かたみに御消息(しょうそこ)通ひ、みづからも(もう)でたまふ。

 解説

宮、「世の中をかりそめのことと思ひとり、厭わしき心のつきそむることも、わが身に(うれ)へある時、なべての世の恨めしう思ひ知るはじめありてなん道心も起こるわざなめるを、

八の宮は薫が仏道に感心を示していることに驚き、次のような感想を口にした。仏道の教えでは、この世の一切は虚妄である。けれどもその真理を知り、俗世間を厭うのには切っ掛けが必要である。わが身に苦悩がある場合に、改めてそう思うようになるものである。深い因縁がなければ、真の宗教心は起こらない。

年若く世の中思ふにかなひ、何ごとも飽かぬことはあらじとおぼゆる身のほどに、さ、はた、後の世をさへたどり知りたまらんがありがたさ。

薫はまだ18歳という若さである。光る君の子供なので、将来は約束されている。自分の思う通りになり、何一つ不満に思う事はないであろう。それなのに幸せな極楽往生まで考えているとは、何と素晴らしい青年であることか。

ここにはさべきにや、ただ、厭ひ離れよと、ことさらに仏などの勧めおもむけたまふやうなるありさまにて、おのづからこそ、静かなる思ひかなひゆけど、

それに引き換え、私はどうだろう。そうなるべき宿命だったのだろうか。妻には先立たれ、住まいは焼けた。仏様がこの不幸を切っ掛けとして、俗世を心から厭い、来世の往生を求めなさいとお勧め頂いている様な身の上なので、自然と心静かにお務めしたいという願いが実現したのであった。

残り少なき心地するに、はかばかしくもあらで過ぎぬべかめるを、来し方行く末、さらにえたどるところなく思ひ知らるるを、

私の残りの命も長くはないようだ。それなのに、しかとした悟りは得られていない。人間はどこから来て、どこへ行くのか。その疑問にはと到頭答えは見いだせなかった。

かへりては心恥づかしげなる(のり)の友にこそはものしたまふなれ」などのたまひて、かたみに御消息(しょうそこ)通ひ、みづからも(もう)でたまふ。

そういう時に、殊勝な青年が私の前に現れた。彼こそは私の(のり)の友、修行仲間なのではなかろうか。八の宮はこのように考え、薫と手紙を交換し始めた。薫はわざわざ宇治の山荘まで足を運ぶようになった。薫が仏道に心を入れているのは、自分が光る君の子供ではないと薄々気付いているからであった。その苦悩を知らない八の宮には、かおるが素晴らしい若者に見えたのである

 

秋も深まった頃、薫は宇治の山荘を訪れた。この場面を読む。

朗読⑧

中将の君、久しく参らぬかなと思ひ出できこえたまひけるののに、有明の月のまだ夜深くさし出づるほどに出で立ちて、いと忍びて、お供に人などもなく、やつれておはしけり。川のこなたなれば、舟などもわづらはで、御馬にてなりけり。入りもてゆくままに霧りふたがりて、道も見えぬしげ木の中を分けたまふに、いと荒ましき風の競ひに、ほろほろと落ち乱るる木の葉の霧の散りかかるもいと冷やかに、ひとやりならずいたく濡れたまひぬ。かかる歩きなども、をさをさならひたまはぬ心地に、心細くをかしく思されけり。

  山おろしに たへぬ木の葉の 霧よりも あやなくもろき わが涙かな

山がつのおどろくもうるさしとて、随身の音もせさせたまはず、柴の(まがき)を分けつつ、そこはかとなき水の流れどもを踏みしだく駒の足音も、なほ、忍びてと用意したまへるに、隠れなき御匂ひぞ、風に従ひて、主知らぬ()とおどろく寝覚めの家々ありける。

 解説

中将の君、久しく参らぬかなと思ひ出できこえたまひけるままに、有明の月のまだ夜深くさし出づるほどに出で立ちて、

中将の君・薫は、そういえばここ暫く宇治を訪れていないのを思い出した。そうなると居ても立ってもおられず、宇治へと向かう。頃は晩秋、9月の下旬である。まだ暗い空に有明の月が、やっと上って来る時間帯に都を立った。

いと忍びて、お供に人などもなく、やつれておはしけり。川のこなたなれば、舟などもわづらはで、御馬にてなりけり。

お供の人数を減らしたお忍びで、目立たない身なりで出かける。八の宮の山荘は宇治川の手前、都の側にあるので、舟に乗って渡ることもない。その為に馬に乗って向かう。宇治川には大化2年 646年に宇治橋が架けられた。その宇治橋を管理していたのが、橋寺である。

入りもてゆくままに霧りふたがりて、道も見えぬしげ木の中を分けたまふに、いと荒ましき風の競ひに、ほろほろと落ち乱るる木の葉の霧の散りかかるもいと冷やかに、人やりならずいたく濡れたまひぬ。

都から宇治に向かうにつれて、山が深くなる。霧が深く立ち込めて、道も定かに見えない。生い茂る木々の中をかき分けるように進んでいく。荒々しく吹き付けてくる風の勢いに、木々の葉の露がほろほろと落ちてきて、薫の体にも乱れ落ちる。薫は冷たい霧にびっしょりと濡れたが、自ら宇治に行こうと思い立った結果であり、本人が招いた冷たさなのである。

かかる歩きなども、をさをさならひたまはぬ心地に、心細くをかしく思されけり。

不断は、夜が深い内に都を離れることはないので心細さくなる。

   山おろしに たへぬ木の葉の 霧よりも あやなくもろき わが涙かな

薫の歌である。激しい山下ろしに耐えきれず、木の葉の露がバラバラとみだれ落ちてきて、私の袖を濡らしている。私の目からも涙が情けない程に乱れ落ちている。

山がつのおどろくもうるさしとて、随身の音もせさせたまはず、

薫は山道を通り過ぎながら、山里の者たちが目を覚まして何の音だろうと驚くのは面倒だと考え、随身達には馬を追う声を控えさせている。

柴の(まがき)を分けつつ、そこはかとなき水の流れどもを踏みしだく駒の足音も、なほ、忍びてと用意したまへるに、

山里の柴の垣根をかき分けながら、通り過ぎる。山里なので水の流があちこちにある。そこを渡る時に、馬の足音が大きく響かないようにせよ と細心の注意を払っている。

隠れなき御匂ひぞ、風に従ひて、主知らぬ()とおどろく寝覚めの家々ありける。

元々薫の体が放っている芳しい匂いが、露-に濡れて一層強くなり風に乗って一帯に広がっていく。

  主知らぬ 香こそ匂へれ 秋の野に たが脱ぎかけし 藤ばかまぞも 古今和歌集 素性(そせい)

という歌もあるが、余りの芳香に驚いて目を覚まし、何の香りだろうかと訝しく思う家々もあった。

薫は都とは違う別世界に足を踏み入れたのであった。

 

「コメント」

 

主人公が薫に変わる。紫式部が何故、宇治を選んだのか。おいおい分るのかな。