241221㊳ 「幻の巻」 41帖 「雲隠の巻」

今回は幻の巻の名場面を読む。又巻のタイトルのみが存在し、本文が存在しない雲隠の巻について説明する。光源氏の最後の姿が描かれている。巻の名は和歌の言葉から採られた。その場面は後程取り上げる。「湖月抄」は忘れがたき心、日々月々に絶え間なく表せる書き様、心あるものなり と述べている。「湖月抄」も本居宣長も、光源氏52歳の一年間としている。この一年間、光源氏は紫の上を偲び続けるのである。これから後の宇治十帖の年立ての基準となる薫はこの巻で5歳である。紫の上に先立たれた光源氏は中納言の君や中将の君などの女房を前にして、自らの人生を振り返る。

朗読①

「この世につけては、飽かず思ふべきことをさをさあるまじう、高き身には生れながら、またひとよりことに口惜しき契りにもありけるかなと思ふこと絶えず。世のはかなくうきを知らすべき、仏などのおきてたまへる身なるべし。それを強ひて知らぬ顔にながらふれば、かくいまはの夕べ近き末にいみじき事のとぢめを見つるに、宿世(すくせ)のほども、みづからの心の(きは)も残りなく見はてて心やすきに、今なん露の(ほだし)なくなりにたるを、これかれ、かくて、ありしよりけに目馴らす人々の今はとて行き別れかはどこそ、今一際(ひときわ)の心乱れぬべけれ。いとはかなしかし。わろかりける心のほどかな」

 解説

52歳の光源氏の率直な人生回顧である。光源氏は自分の人生は苦しさの連続だったと言う。

「この世につけては、飽かず思ふべきことをさをさあるまじう、高き身には生れながら、またひとよりことに口惜しき契りにもありけるかなと思ふこと絶えず。

をさをさ は殆どないという意味である。

私は自分の人生を振り返って、色々と思う事がある。この世で私の生きてきた過去を振り返ると、不満に思う事は殆どない。桐壷帝を父親とする最高の身分でこの世に生まれてきた。その後、準太上天皇になるなど、恵まれた人生だったと実感している。だがそれと同時に、他の人々がだれ一人として体験しなかった様な大きな悲しみに耐え続ける、不如意な人生の連続であったという感慨を禁じ得ない。

世のはかなくうきを知らすべき、仏などのおきてたまへる身なるべし。

恐らく私がこの世に生まれてきたのは、仏様が世の中は無常である、生きることは儚くて辛いことだという真理を教え諭す、格好の相手として私を選んだからであろう。

それを強ひて知らぬ顔にながらふれば、かくいまはの夕べ近き末にいみじき事のとぢめを見つるに、

私はその事に気付いていたが、気付かない振りをしていた。この世に生まれてきた喜びを味わおうと、あがき続けてきた。この結果どうであっただろうか。もう私の人生はそう残っていないという最晩年になって、仏様の厳しいお叱りを受けてしまった。自分にとっては掛け替えのない存在の紫の上に先立たれる悲しい人生の結末を、仏様から突き付けられた。

宿世(すくせ)のほども、みづからの心の(きは)も残りなく見はてて心やすきに

私はもっと早く人生の無常を知り、出家すべきであった。それが出来なかったのは、私が持って生まれた宿命の(ごう)の深さだった。紫の上に先立たれた今は、もう悲しみの限りを体験した。俗世間を遁世して仏門に入るのは耐え難く悲しいことだが、この悲しみは紫の上を失った悲しみに比べると耐えられるに違いない。

今なん露の(ほだし)なくなりにたるを、

今はもう何の心配もなく出家できる。この世には何の未練も残っていない。

これかれ、かくて、ありしよりけに目馴らす人々の今はとて行き別れかはどこそ、今一際(ひときわ)の心乱れぬべけれ。

そう思うのだけど、実際にはそれほど簡単なことではない。例えば中納言の君そして中将の君、お前たちとも私が出家する時には、別れなければならない。そうなれば私は一層心が乱れることであろう。

いとはかなしかし。わろかりける心のほどかな」

人生はどうやってもうまくいかないように出来ている。でも世間にある小さな喜びですら捨てきれない。私の心は余程、諦めが悪いのだろう。

 

光源氏はこれ以上はない素晴らしさをもって、生まれてきた主人公である。それなのに自分ほど苦しんだ人間はいないとしみじみと述べている。物語の主人公とは、苦しむ神、或いは救済さるべき救済者という側面があると私は思っている。本人が誰よりも苦しんでいるからこそ、苦しい人生を生きている他人に、希望を与えることが出来るのであろう。

光源氏の人生は喜びも悲しみもとても大きなものであった。その事実を私達読者は納得する。この後、四季折々の風物に触れながら、亡き紫の上を追悼する。ここでは10月の情景を取り上げる。幻の巻のタイトルとなった由来の場面である。大空を雁がねが渡って行く。それを見る光源氏は、自分も大空を翔けて、亡き紫の上の魂の在処をさぐりたいと思うのであった。

朗読②光源氏は十月はひとしお涙勝ちで物思いに沈む。

神無月は小保方も時雨(しぐれ)がちなるころ、いとどながめたまひて、夕暮のそらのけしきにも、えも言はぬ心細さに、「振りしかど」と独りごちおはす。雲居をわたる(かり)の翼も、うらやましくまもられたまふ。

  大空を かよふまぼろし 夢にだに 見えこぬ(たま)の 行く()たづねよ

何ごとにつけても、紛れずのみそへて思さる。

 解説  ここは「湖月抄」の解説を織り込んで、現代語訳をする。

神無月(旧暦10)になった。

  神無月 いつも時雨は 降りしかど かく袖ひつる 折はなかりき

という歌があるように、神無月の空は時雨勝ちである。光る君は一層物思いに沈み勝ちで、夕暮れの空模様が心細く感じられる。いつも時雨は と口ずさみながら、時雨ならぬ涙で袖を濡らしている。ふと空を見上げると、雁の群れが飛んでいくのが見える。雁の群れは列を乱さずに仲間と一緒に空を飛んでいく。独りぽっちの光る君は雁が羨ましくて、じっと見続けている。大空を自由に飛べる雁を見ていると、亡き紫の上が今どこにいるのか探すために、自分も空を自由に飛べないのが残念に思われる。その気持ちを歌に詠んだ。

  大空を かよふまぼろし 夢にだに 見えこぬ(たま)の 行く()たづねよ

長恨歌で、楊貴妃の生まれ変わった場所を求めて、天に昇って探し求めたという幻、即ち魔法使いと、大空を自由に飛べる雁は同じだと思う。長恨歌では、玄宗の夢にも現れなかった楊貴妃の魂の在処を、魔法使いは探し当てた。雁よ、私の夢の中に姿を現してくれない紫の上の魂の在処(ありか)を探し出し、私の尽きない思いを彼女に伝えて欲しい。この様に光る君は何を見ても紫の上を失った悲しみが晴れない。月日がどんなに経過しても、紫の上を追慕し続けている。

 

幻は魔法、妖術という意味であるが、魔法を使う事も意味している。

大空を かよふまぼろし 夢にだに 見えこぬ(たま)の 行く()たづねよ

という歌は「源氏物語」に引用されることで有名になったが、出典のよく分からない歌である。

 

さて光源氏は大切な宝物の様な手紙の束を思い切って破り、焼却したのである。この場面を読む。

朗読③手紙の中に紫の上の手紙が束になっていた。女房達に破らせるが、涙が流れて止まらない。

落ち泊りてかたはなるべき人の御文ども、「()れば惜し」と思されけるにや、すこしづつ残したまへりけるを、もののついでに御覧じつけて、破らせたまひなどするに、かの須磨のころはひ、所どころ奉りたまひけるもある中に、かの御()なるは、ことに結ひあはせてぞありける。みづからしおきたまひけることなれど、久しうなりにける世のことと思すに、ただ今のようなる墨つきなど、げに千年(ちとせ)の形見にしつべかりけるを、見ずなりぬべきよと思せば、かひなくて、(うと)かからぬ人々ニ三人ばかり、御前にて()らせたまふ。

いと、かからぬほどのことにてだに、過ぎにし人の跡と見るはあはれなるを、ましていとどかきくらし、それとも見分けかれぬまで降りおつる御涙の水茎にながれそふを、人もあまり心よわしと見たてまつるべきがかたはらいたうはしたなければ、おしやりたまひて、

  死出の山 越えにし人を したふとて 跡を見つつも なほまどふかな

解説

落ち泊りてかたはなるべき人の御文ども、「()ば惜し」と思されけるにや、すこしづつ残したまへりけるを、もののついでに御覧じつけて、破らせたまひなどするに、

()れ ()る は、(やぶ)る、引きちぎるの意である。紫の上を追慕する一年も最早終わろうとしている。来年には出家するつもりである。光源氏は自分が出家した後まで残って、万一他人の目に触れて都合の悪い手紙類を見付けたので、破らせたりして処分した。

  ()ればよし ()らねば人に 見えぬべし 泣く泣くもなほ 返すまされり 後撰和歌集  元良(もとよし)親王

という歌があるが、それと同じ様に処分に困っていたのであろう。大切な手紙は、手紙を送ってくれた人毎に何通か残してあったのである。

かの須磨のころはひ、所どころ奉りたまひけるもある中に、かの御()なるは、ことに結ひあはせてぞありける。

光る君が都から須磨へと旅立ったのはもう27年も前である。その頃に都に残った人たちから届いた手紙も残っていた。その中で亡き紫の上から届いた手紙は、特別に結い合わせて綴じ合わせてあった。

みづからしおきたまひけることなれど、久しうなりにける世のことと思すに、

紫の上からの手紙を結い合わせたのは、光る君自身がしたことであるが、内容はもう忘れていた。

手紙を前にするのはもう27年も前の事かと思うと感慨無量である。

ただ今のようなる墨つきなど、げに千年(ちとせ)の形見にしつべかりけるを

紫の上の手紙を読み返してみると、たった今筆を取ったかのように、墨痕(ぼっこん)鮮やかである。

  かひなしと 思ひなけちそ 水茎の 跡ぞ 千歳の 形見ともなる 古今六条

紫の上の手紙はまさに千歳(ちとせ)の形見にもしたい様な見事な筆跡であった。

見ずなりぬべきよと思せば、かひなくて、(うと)かからぬ人々ニ三人ばかり、御前にて()らせたまふ。

間もなく私は出家する。出家したものはもう世俗的な関係とは絶縁してしまうから、この手紙を読み返すことはもうない。このまま残しておいても無駄になると考えた。光る君は親しい女房達三人に命じて、光る君の目の前で破り捨てさせた。

いと、かからぬほどのことにてだに、過ぎにし人の跡と見るはあはれなるを、

「湖月抄」は、清少納言の「枕草子」と話題が共通していると指摘する。紫の上の手紙ほどには素晴らしくはなくても、まだ生きている人の手紙であっても、かつて貰った手紙を読み返すと、しみじみとした感情が湧き上がってくる。清少納言の「枕草子」には、 過ぎにし方、恋しきもの という段の中に、昔貰った手紙を雨が降ったしめやかな雰囲気の時に見付けて、読み返すことの具体例として挙げられている。

ましていとどかきくらし、それとも見分けかれぬまで降りおつる御涙の水茎にながれそふを、人もあまり心よわしと見たてまつるべきがかたはらいたうはしたなければ、おしやりたまひて、

まして亡き紫の上の手紙を読み返すと、視界が霞んで読んでいる文面が見えなくなるほどに涙が溢れ、手紙の上までこぼれ落ちてしまう。白楽天に今は亡き友の手紙を読み、涙を流すという内容の漢詩がある。光る君もまさに同じ心境である。

いつまでも涙を流していると、端から見ている女房達から余り気弱すぎると思われてしまう。光源氏はその事がきまり悪く、みっともないので、紫の上の手紙を押しやって歌を口ずさむ

  死出の山 越えにし人を したふとて 跡を見つつも なほまどふかな

死出の山 は、人が亡くなってから霊界に向かう際に越える山の名前である。紫の上は死出の山を越えて冥界へと去った。その紫の上を慕い続け、足跡ならぬ筆の跡を眺めては心が惑うことだ。

 

これに続く場面を読む。

朗読④ 光る君は取り乱しそうなので、それ以上手紙を御覧にならずに、全部焼かせてしまわれた。

さぶらふ人々も、まほにはえひきひろげねど、それとほのぼの見ゆるに、心まどひどもおろかならず。この世ながら遠からぬ御別れのほどを、いみじと思しけるままに書いたまへる言の葉、げにそのをりをりもせきあへぬ悲しさやらん方なし。いとうたて、いま一際(ひときわ)の御心まどひも、女々しく人わるくなりぬべければ、よくも見たまはで、こまやかに書きたまへるかたはらに、

  かきつめて 見るもかひなし 藻塩草 おなじ雲居の 煙とをなれ

と書きつけて、みな焼かせたまひつ。

 解説

さぶらふ人々も、まほにはえひきひろげねど、それとほのぼの見ゆるに、心まどひどもおろかならず。

まほ は、正面からハッキリと という意味である。光る君から手紙の処分を言いつかった女房達は、それらを全部広げて誰の筆跡かと確認することはしない。けれどもこれは紫の上の筆跡だとみてとれるので悲しみにくれている。

この世ながら遠からぬ御別れのほどを、いみじと思しけるままに書いたまへる言の葉、げにそのをりをりもせきあへぬ悲しさやらん方なし。

紫の上が生前に悲しい思いで書いた手紙を、紫の上の死後に読み返すと、光源氏は悲しみを堪えきれない。

都と須磨の別れとはいっても、同じ世界の中での別れであって、今生の別れではなかった。それなのにとても悲しいと思い詰めて、紫の上が書いた手紙を読むと、その当時よりも更に大きな悲しみに襲われるのであった。今、紫の上はこの世ならぬ遠い所、しかもどこか分からぬところに去ってしまった。

いとうたて、いま一際(ひときわ)の御心まどひも、女々しく人わるくなりぬべければ、よくも見たまはで、こまやかに書きたまへるかたはらに、

いやもう全くみっともないことだ。これ以上悲しみに取り乱すと、周りからは意気地がないと思われ、体裁が悪いだろうと思うので、光る君は紫の上の手紙を詳しく見ないようにしている。

こまやかに書きたまへるかたはらに、

紫の上が切々と描いた文章の横に、光る君は自分の歌を書き付けた。

  かきつめて 見るもかひなし 藻塩草 おなじ雲居の 煙とをなれ

藻塩草 は、海草・海の草と手紙という意味の掛詞である。私は須磨と明石の浜を3年間流離(さすら)って、藻塩草 を熱心にかき集めている海士達を見た。その頃紫の上からもらった 藻塩草 手紙を見るのは、今は何の甲斐もないことだ。海士が 藻塩草

を焼いて塩を作るように、私も紫の上の 藻塩草 手紙を燃やしてしまうのである。

手紙を焼いた煙よ、紫の上を焼いた煙と一緒になって空に立ちあがっておくれ。

と書きつけて、みな焼かせたまひつ。

この様に書いて、思い切って紫の上からの手紙の束を全て焼き棄てさせた。

 

「竹取物語」の末尾でも、帝はかぐや姫の手紙と一緒に、不死の薬を焼いている。人間が堕落して一度は手にした宝物を失くしてしまう昔話があるが、ここはそれとは違う。自分が大切にしていた手紙という宝物を、自分から進んで放棄することで、来世も新しい宝物、極楽往生の獲得を目指すという発想なのである。 光源氏は間もなくこの世での名誉や地位を放棄して出家する。紫の上への追慕も捨てて出家する。その為にも手紙という思い出の詰まった宝物を捨てなくてはならないのである。

 

来る年に全ての執着を捨てて出家する。ここに続く場面を読む。

朗読⑤  ここは「源氏物語」で、生前の光源氏の姿が描かれる最後である。

年暮れぬと思すも心細きに、若宮の、「()やらはんに、音高かるべきこと、何わざをせさせん」と、走り歩きたまふも、をかしき御ありさまを見ざらんこととよろづに忍びがたし。

  もの思うと 過ぐる月日も 知らぬ間に 年もわが世も 今日や尽きぬる

(つい)(たち)のほどのこと、常よりことなるべくとおきてさせたまふ。親王(みこ)たち、大臣(おとど)の御引出物、品々の(ろく)どもなど()なう思しうけてとぞ。

 解説 ここは現代語訳で生前の光源氏の姿が描かれる最後である。最後の姿に思いをはせよう。

光る君は出家する最後の一年間と位置付けていた今年も終わってしまったと思う。万感の思いが胸にこみ上げてくる。自分が俗世間で暮らす最後の一年が暮れたので、心細く感じる。その時元気の良い大きな声が聞こえてきた。声の主は若宮、三宮、二宮である。今日は大晦(だいつごもり)追儺(ついな)がある。鬼を追い払うために、とにかく大きな音を立てなければならない。何をすれば大きな音が立てられるだろうかと言いながら、6歳の二宮は辺りを走り回っている。この世の舞台から退場していくものと、これから

舞台に上がっていくもの、まさに悲喜こもごもの歳末風景である。光る君は若宮の可愛らしい姿を、来年出家したら目にすることは出来ないのだと、何かにつけて悲しみを感じる。この時の歌が、光源氏として伝わる最後の一首である。

  もの思うと 過ぐる月日も 知らぬ間に 年もわが世も 今日や尽きぬる

この一年間、私は紫の上を追慕する気持ちだけで生きてきた。永遠に続くかと思われ、悲しい物思いに閉ざされた長い一日に耐え、今日到頭最後の日である大晦日となった。年が暮れるだけでなく、私の人生も又終わりを告げる。光る君は俗世間で詠む最後の歌をどのように詠むか悩んだ。その時心に浮かんだ歌があった。

  物思ふと 過ぐる月日も 知らぬ間に 今年も今日に 果てぬとか聞く 後撰和歌集 藤原敦忠

この歌の上の句をそのまま用いて、最後の歌を詠んだ。光る君は明日正月(つい)(たち)は、皆が六条院に年始の挨拶に来るであろうから、格別の配慮でもてなすようにと指示した。というのは来年早々にも出家するつもりなので、再来年の年始の拝礼を受けることはないからである。お出でになる親王方や大臣方への引き出物や、それ以下の参加者への賜わり物としては、これ以上はないという物を用意させたという事である。

 

年の暮れには人生を振り返る思いが湧いてくる。「紫式部日記」にも、紫式部が年の暮れに詠んだ歌が記されている。

  年暮れて わがよふけゆく 風の音に 心のうちの すさまじきかな  紫式部

年の暮れ、私の人生も終わっていく。心の中には沈鬱な感情が湧いてくる。光源氏もこの歌と同じ様な心境であったのだろう。

さて光源氏はこれから宗教の世界で新しい人生を生きていくことになる。けれども出家した人の心の旅路は、王朝物語では書けない。何故ならば、物語は男と女の関係を通じて、人間の生きる喜びや悲しみを探求する文学ジャンルであるからである。出家した遁世道の内面が文学作品のテーマになるには、中世の草庵文学の出現を待たねばならない。

 

ここで雲隠の巻にも触れておく。

文字がない巻として有名である。「湖月抄」は巻の名だけあって本文が伝わらない例は、仏典にも漢籍にもあると言っている。「湖月抄」の最も重要な説は、雲隠という巻の名には、主人公である光源氏の死が意味されているという理解である。但し人の死を(あら)わに書かないのは、永遠の命を獲得した可能性があるからだと示唆している。古代の武内宿禰などである。在原業平も「本朝神仙紀伝」によれば、吉野川の川上の巌谷(いわや)(にゅう)(じょう)した・姿を消した・昇天したと伝えられる。

中国古代の皇帝は竜に乗って昇天したとされる。但し本居宣長はこの説に反対している。

武内宿禰など古代の人の没年が歴史書に記されてないのは、死んだがどうかが不明だからではない。時代が古くて

正確に分からないので、没年は書かなかっただけのことであるとする。

在原業平に関しては、「伊勢物語」や「大和物語」にその臨終の様子がはっきり書かれている。それでは本居宣長は、

雲隠の巻についてどのように考えていたのであろうか。

「玉の小串」には次の様に書いてある。

さて又この物語は、すべて「もののあはれ」を旨と書きたるに、旨とある源氏ノ君の隠れ給へる悲しさのあはれを書かざるは如何にといふに、長き別れの悲しき筋の「もののあはれ」は、幻巻に書き尽くしたり。そは、紫ノ上隠れ給へるを、源氏ノ君の悲しみ給へるにて、「もののあはれ」のかぎりを尽くせり。同じ悲しきことも、その人の心の深さ浅さにしたがひて、あはれの深さも浅さもこよなきを、よろずすぐれて「もののあはれ」を知り給へる源氏ノ君の悲しみ給へるにてこそ、
深きことはかぎりもなきを、もし源氏ノ君の隠れ給へる悲しさを書かむとせば、誰が上の悲しみにか書くべき。源氏ノ君ならぬ人の心の悲しみにては、深きあはれは尽くしがたかるべし。これ、はた、源氏ノ君の隠れ給へること書かざる故の

一つなり。

本居宣長の文体は噛んで含めるように論理的である。聞いていてすぐに理解できる。素晴らしい講義口調である。所で度々紹介していた「湖月抄」であるが、本居宣長は今、読んだのとは少し違う書き込みを残している。それを読むと、本居宣長の主張は次のようなものだと理解できる。

紫式部には、光源氏の死を書くという選択肢もあった。その場合には光源氏を先に死なせて、この世に残された紫の上が、光る君の死の意味を考え、心から追悼することになる。けれどもそれには限界がある。
だから紫式部は先に紫の上を死去させて、生き残った光源氏にこれ以上はない程の悲しみを感じさせたのである。だから光源氏の死の意味を感じる人々など誰もいない。そこで光源氏の死のことは書かれずに、雲隠という名前だけが残ったのである。

 

(講師)はこの本居宣長の考えに心から引かれる。何故ならば、これから始まる宇治十帖の意味が理解できるからである。光源氏の死を悲しむことの出来る人間など誰一人としていないのが、宇治十帖の世界である。限界のある登場人物たちが繰り広げる、救いようのない人間絵巻。それが今から始まる。

 

ここで物語の中心であった 光源氏 とお別れをする。

 

「コメント」

 

ここで終わってしまってもいい気分だけど。行き掛り上、続ける。