241214㊲ 「御法(みのり)の巻」  40

今日は 御法(みのり)の巻 の名場面を読む。この巻で紫の上が死去する。最愛の女性に先立たれた光源氏にも、人生の終幕が近付いている。巻のタイトルは和歌に因んでいる。紫の上と花散る里が詠み交わした歌の中に 御法(みのり) という言葉が見える。御法とは仏の教えのことである。

「湖月抄」も本居宣長も、光源氏51歳の春から秋までとしている。

 

晩春の3月10日、紫の上は少女時代から住み慣れた二条院で法華経千部の供養を主催し執り行った。六条院から明石の君や花散る里も訪れて参列してくれた。明石の君と和歌を贈答した後、花散る里とも和歌を詠み交わす。

朗読①紫の上は体調がとても良くないので、色々な事が出来る最後だろうとしみじみと見渡しておられる。

昨日、例ならず起きゐたまへりしなごりにや、いと苦しうて臥したまへり。年ごろかかる物のをりごとに、参り集ひ遊びたまふ人々の御容貌(かたち)ありさまの、おのがじし(ざえ)ども、琴笛の()をも、今日や見聞きたまふべきとぢめなるらむ、とのみ思さるれば、さしも目とまるまじき人の顔どもも、あはれに見えわたされたまふ。

 解説 紫の上の心に寄り添って読み進める。

昨日、例ならず起きゐたまへりしなごりにや、いと苦しうて臥したまへり。

法要が行われた昨日は、夜もすがら読経の声が響いていた。紫の上は長い時間起きていたので、その疲れが出たのであろう。今日はとても体が苦しいので横になっている。

年ごろかかる物のをりごとに、参り集ひ遊びたまふ人々

遊び は、音楽の演奏や和歌や漢詩の朗詠のことである。長年こういう催しがあると、必ずやってきては詩歌管弦の遊びに加わってくれる人々が、今度も顔を見せてくれた。

容貌(かたち)ありさまの、おのがじし(ざえ)ども、琴笛の()をも、今日や見聞きたまふべきとぢめなるらむ、とのみ思さるれば、

彼らの顔や姿が今日も沢山見えている。それぞれが得意とする才能を持っていて、琴や笛を見事に演奏している。でもご自分の寿命から考えて、今日が彼らの舞姿や演奏を見たり聞いたりできる最後の機会になるのではないかと、無性に心細く感じられてしまうのである。

さしも目とまるまじき人の顔どもも、あはれに見えわたされたまふ。

彼らを見るのは最後だと思うと、不断なら目に留まることもない人々の顔などを、しみじみと見ておられる。

 

迫りくる死の自覚が紫の上に見られるのを、いとおしく感じさせるのである。これに場面は続く。

朗読② 法会が終わって帰っていくが、紫の上には永遠(とわ)の別れのように思われる。花散る里と歌を詠み交わす

まして、夏冬の時につけたる遊び(たはぶ)れにも、なまいどましき下の心はおのづから立ちまじりもすらめど、さすがに(なさけ)をかはしたまふ方々は、誰も久しくとまるべき世にはあらざなれど、まづ我独り()()知らずなりなむを思しつづくる、いみじうあはれなり。

事はてて、おのがじし帰りたまひなんとするも、遠き別れめきて惜しまる。花散里の御方に、

  絶えぬべき みのりながらぞ 頼まるる 世々にと結ぶ 中の契りを

御返り

  結びおく 契りは絶えじ おほかたの 残りすくなき みのりなりとも

 解説

まして、夏冬の時につけたる遊び(たはぶ)れにも、なまいどましき下の心はおのづから立ちまじりもすらめど、さすがに(なさけ)をかはしたまふ

詩歌管弦の遊びに参加する人々ですら顔を見られなくなるのは悲しいのだから、まして光る君と深く関る妻同志として親しくしてきた女君たちとの別れには、深い感慨を覚えずにはいられない。この法要にも夏の町の女主人である花散里と、冬の町に住む明石の君がおいでであった。今から17年前に六条院が造営されて以来、女君たちは夏や冬やそれぞれの季節に行われる詩歌や管弦の遊びで、更には風流な行事、催し事の折々に、互いに自分の美意識や才能が他の女君たちよりは優れている所を見せようと、競い合う気持ちがあった。それでいてライバル心だけでなく、互いに相手の素晴らしさを認め合うことで、光る君が全体を統括している六条院の秩序が維持されてきたのである。

方々は、誰も久しくとまるべき世にはあらざなれど、まづ我独り()()知らずなりなむを思しつづくる、いみじうあはれなり。

この華やかな場に集まった人々も含めてこの世は無常なので、この世に生まれた人はいつか必ずこの世から去らねばならない。それが人間の運命なのである。けれども紫の上には、この場にいる全員がいずれこの場からいなくなるにしても、一番先にこの世から退場していくのが他ならぬ自分である事に、深い悲しみを覚えるのであった。

事はてて、おのがじし帰りたまひなんとするも、遠き別れめきて惜しまる。

さて全ての儀式が終わった。参列していた人々が帰っていく。六条院から来ていた女君たちも帰っていく。紫の上にはこれが彼女たちとの今生の別れであるかのように感じ、名残惜しくなるのである。

花散里の御方に、

紫の上は 花散里 に次の様に別れの歌を詠んだ。

  絶えぬべき みのりながらぞ 頼まるる 世々にと結ぶ 中の契りを

みのり の み には、わが身の 身 が掛詞になっている。

絶えぬべき は、間もなく失われるであろうわが身という意味である。私が主催した法華経千部の法会も無事に終了した。法会を主催するのもこれが最後で、私の命も間もなく絶えてしまう事でしょう。けれども仏の教えが永遠であるように、これまで仲の良かったあなたと私の御縁は、いつまでも続いて欲しいと願っています。

御返り

花散里からの返事は人柄通りの素直な歌であった。

結びおく 契りは絶えじ おほかたの 残りすくなき みのりなりとも

ここでも みのり の み が、わが身 の 身 の 掛詞である。

私の方があなたより年上ですから、私の命の方が先に失われると思います。けれども尊い仏の教えが永遠であるように、あなたと結んだご縁はあの世でも絶えることなく続くものと信じています。

 

本居宣長はこの場面で本文が乱れている箇所がいくつかあると指摘している。中でも紫の上の歌である。

   絶えぬべき みのりながらぞ 頼まるる 世々にと結ぶ 中の契りを

最後の を が、第三句の 頼まるる と適合していないというのである。本居宣長は  は は とあるべきだと主張する。この辺りは言語感覚なので、どちらとも言えないと講師は思う。

 

8月14日が紫の上の最後の日となった。この場面を三つに分けて熟読しよう。

朗読③ ここでは紫の上と明石の中宮が互いに相手を思いやっている。

光源氏、紫の上、そして明石の中宮の三人が登場する。光源氏は51歳。紫の上が亡くなった年令は、若菜の巻の年立で37歳と明記されていたのを信じれば、41歳である。それ以後の巻の年立てで計算すると、「湖月抄」では44歳。本居宣長説では43歳。明石の中宮は「湖月抄」では24歳。本居宣長説では23歳。

秋待ちつけて、世の中すこし涼しくなりては御心地もいささかさはやぐやうなれど、なほともすればかごとがまし。さるは身にしむばかり思さるべき秋風ならねど、露けきをりがちにて過ぐしたまふ。中宮は参りたまひなんちするを、いましばしは御覧ぜよとも聞こえまほしう思せども、さかしきやうにもあり、内裏(うち)の御使(つかひ)(ひま)なきもわづらはしければ、さも聞こえたまはぬに、あなたにもえ渡りたまはねば、宮ぞ渡りたまひける。かたはらいたけれど、げに見たてまつらぬもかひなしとて、こなたに御しつらひをことにせさせたまふ。

こよなう、痩せ()細りたまへけれど、かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりてめでたかりけれど、来し方あまりににほひ多くあざあざとおはせし盛りは、なかなかこの世の花のかをりにもよそへられたまひしを限りもなくらうたげにをかしげなる御さまにて、いとかりそめに思ひたまへる気色(けしき)、似るものなく心苦しく、すずろにもの悲し。

 解説

秋待ちつけて、世の中すこし涼しくなりては御心地もいささかさはやぐやうなれど、なほともすればかごとがまし。

かごとがまし は、何かのせいにすることである。病人には体に応える暑い夏もやっとすぎて秋になった。やや涼しくなったので、紫の上の気分も少し爽やかになった様である。けれどもややもすれば病気が再発する。そうなると具合の良くない原因を何かのせいにしようとされる。

さるは身にしむばかり思さるべき秋風ならねど、露けきをりがちにて過ぐしたまふ。

さるは は、とはいっても というニュアンスである。和泉式部に

  秋吹くは いかなる色の 風なれば 身にしむばかり あはれなるらん 詞花和歌集

という歌がある。そう、病の原因は秋風なのである。とはいっても身にしむ程の秋風は実際に吹いている訳ではない。

けれども命の終わりの近い紫の上は、涙を催しがちな日を過ごしている。

中宮は参りたまひなんちするを、いましばしは御覧ぜよとも聞こえまほしう思せども、

明石の中宮は、養母として自分を育ててくれた紫の上のお体が心配で、ずっと見守っていたいのだが、中宮という立場上いつまでもそういう訳にもいかない。今日にも内裏に戻ろうとなさる。紫の上は自分の命がすぐにも差し迫っているのを自覚しているので、もう少しここに留まって私を見守って下さいという気持ちが強い。

さかしきやうにもあり、内裏(うち)の御使(つかひ)(ひま)なきもわづらはしければ、さも聞こえたまはぬに、

いかにも差出がましいようでもあり、中宮には帝から早く宮中にもどってくるようにとの使いがあるのも気兼ねなので、紫の上は口に出すようなことはない。

あなたにもえ渡りたまはねば、宮ぞ渡りたまひける。

あなた は、紫の上から見た中宮の部屋である。宮中に戻る中宮との別れをしたいけれども、体力の残っていない紫の上には、中宮の御座所に向かうことも出来ない。それで中宮は六条院からわざわざ二条院にお渡りになり、紫の上と対面された。これが「湖月抄」の解釈である。

この場面の少し前を、本居宣長は中宮が何処に滞在しているかについて「湖月抄」の解釈に反対している。「湖月抄」は、明石の中宮は六条院に里住みしており、紫の上を看病しているとしているが、これは誤りである。中宮は紫の上を見舞うために二条院に滞在していて、同じ二条院の中で紫の上と行き来しているのだと言うのである。この本居宣長説が正しいのである。

かたはらいたけれど、げに見たてまつらぬもかひなしとて、こなたに御しつらひをことにせさせたまふ。

中宮という立場の方を自分の部屋にまでご足労願うのは、紫の上のわがままであり申し訳ないと思うのだが、折角の御申し出なので、本当に今会って置かないともうお顔を見る機会はないと思い、紫の上は自分の部屋に中宮の御座所を特別に用意してお出で頂いた。

こよなう、痩せ()細りたまへけれど、

中宮の目に映った紫の上の姿は、ひどく痩せ細っていた。

かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりてめでたかりけれど、

けれどもお痩せになったことで、却って気品があり優美な紫の上の美しさが際立ち、本当に素晴らしいと中宮は感じた。

来し方あまりににほひ多くあざあざとおはせし盛りは、なかなかこの世の花のかをりにもよそへられたまひしを、

紫の上が元気だった頃には、余りにも華やかさが現れていたので、美しさが鮮やか過ぎた。女盛りであった頃には、彼女の内面的人柄や個性が目立たず、自然界の桜の美しさに度々例えられた。

限りもなくらうたげにをかしげなる御さまにて、いとかりそめに思ひたまへる気色(けしき)、似るものなく心苦しく、すずろにもの悲し。

所が今、病気でほっそりされると、彼女の弱々しさやいじらしさや愛らしい様子が、紫の上自身の美しさとして内面から滲みだし表に出てきた。そのような紫の上が、自分がこの世に残されている時間はほんの一時と思っておられる様子は、例えようもなく痛ましく悲しい気持ちになる。

 

次に続く場面を読む。

朗読④

風すごく吹き出でたる夕暮に、前栽(せんざい)見たまふとて、脇息(きょうそく)によりゐたまへるを、院渡りて見たてまつりたまひて、「今日は、いとよく起きゐたまふめるは、この御前(おまえ)にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」と聞こえたまふ。かばかりの(ひま)あるをもいとうれしと思ひきこえたまへる御気色を見たまふも心苦しく、つひにいかに思し騒がんとおもふに、あはれなれば、

  おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風にみだるる はぎのうは露

げにぞ折れかへりとまるへうもあらぬ、よそへられたるをりさへ忍びがたきを、見出だしたまひても、

  ややもせば 消えをあらそふ 露の世に おくれ先だつ ほど()ずもがな

とて、御涙を払ひあへたまはず。宮

  秋風に しばし泊まらぬ つゆの世を たれか草葉の うへとのみ見ん

と聞こえかはしたまふ御容貌(かたち)どもあらまほしく、見るかひあるにつけても、かくて千年(ちとせ)を過ぐすわざもがなと思さるれど、心にかなはぬことなれば、かけとめん方なきぞ悲しかりける。

 解説 三者の和歌が心に残る。

光源氏、紫の上、明石の中宮の三人の家族の肖像が、紫の上の人生の最後の場面で美しく悲しく、言葉で書き留められている。「国宝源氏物語絵巻」も、この場面を悲しく悲しく描いている。

風すごく吹き出でたる夕暮に、前栽(せんざい)見たまふとて、脇息(きょうそく)によりゐたまへるを、

紫の上は中宮と対面していると夕暮れになり、ぞっとするほど悲し気に風が吹き始めた。紫の上は風に吹かれる庭の草花を御覧になろうと、脇息にもたれて外を眺めていた。

院渡りて見たてまつりたまひて、「今日は、いとよく起きゐたまふめるは、この御前(おまえ)にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」と聞こえたまふ。

院 は、六条院即ち光源氏のことである。そこに光る君が入ってこられた。紫の上が珍しく床から起きていらっしゃるのを御覧になって、嬉しそうに話しかけられる。「今日はよくまあ起きていらしっいますね。中宮が目の前にいらっしゃるので、あなたの御気分は晴れ晴れとして、体調も良くなるように思われます。」と光る君が言う。

かばかりの(ひま)あるをもいとうれしと思ひきこえたまへる御気色を見たまふも心苦しく、つひにいかに思し騒がんとおもふに、あはれなれば、

(ひま) は、病の小康状態である。院のお話を聞く紫の上の心には、悲しみが湧き上がってくる。自分は本当の所は気分が優れない。中宮の前だから気が張って、辛うじて起き上がっているだけである。それでいつも床に臥しているので、起き上がって脇息にもたれているだけでも、光る君は大喜びしている。もしも私がこの世から消えてしまったならば、どんなに大騒ぎして悲しまれることだろうかと思うと、切ない気持ちになられる。

  おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風にみだるる はぎのうは露 

紫の上の歌である。彼女の辞世の歌となった。

おく は、起き上がる と、露が 置く の掛詞である。萩の葉の上に露が降りているが、風が吹くと萩の枝が乱れ、あっという間に露が吹き飛ばされてなくなってしまう。私は今ここに起きているが、私の命は間もなくこの世から消えてしまうでしょう。何とも儚い露の様な私の一生でした。

げにぞ折れかへりとまるへうもあらぬ、よそへられたるをりさへ忍びがたきを、見出だしたまひても、

げにぞ は、成程その通りだというニュアンスである。紫の上が見ている庭の様子を、光源氏も御覧になる。成程、萩の花の上に浮いている露が、風に当たり吹き飛ばされてしまいそうである。紫の上が歌を詠むのに合わせたかのように丁度風が吹いてきたので、光源氏は悲しみを堪えきれず歌を

口ずさむ。

  ややもせば 消えをあらそふ 露の世に おくれ先だつ ほど()ずもがな

沢山降りている露は、先を争うように消えていく。人の命もアッという間に消えていく。あなたの命と私の命、出来ることならば二人一緒に旅立ち、どちらか一人だけがこの世に残されることの無いようにと願っている。あなたが亡くなったらすぐに私も後を追いますからからね。

この歌について、「湖月抄」は二首の歌の引用があると指摘している。

  ややもせば 消えぞ死ぬべき とにかくに 思ひ乱るる 刈萱の露 和泉式部

  末の露 (もと)の雫や 世の中の (おく)れ先立つ ためしなるらん    僧正遍照

一首目 ややもせば の歌は、和泉式部歌集には見つからない。謎である。

とて、御涙を払ひあへたまはず。

光源氏の心である。光る君はこの歌を詠んだ後涙をこぼすが、拭っても拭っても涙が溢れてくる始末で、次に宮即ち中宮が歌を詠んだ。

秋風に しばしとまらぬ つゆの世を たれか草葉の うへとのみ見ん

秋風が吹くと、草葉に降りた露はあっという間に吹き飛ばされ消えてしまう。人間の命も同じことである。父上や母上だけでなく、この私も同じ運命です。いつまでも三人で一緒に暮らしたいのですが。

と聞こえかはしたまふ容貌(かたち)どもあらまほしく、見るかひあるにつけても、かくて千年(ちとせ)を過ぐすわざもがなと思さるれど、心にかなはぬことなれば、かけとめん方なきぞ悲しかりける。

光る君の悲しみと語り手の悲しみが一つに溶け合っている。語り手である私はこの場で見ていた。これらの和歌をそれぞれ詠んだ紫の上、光源氏、そして明石の中宮の三人の御器量は、これ以上はない程素晴らしく美しいものであった。

いつまで見ても見飽きないものであった。光る君はこのまま三人が揃った状態で、千年も万年も過ごしたいと願っているが、私もそのように思った。けれども

  たのむるに 命ののふる ものならば 千歳もかくて あらむとや思ふ 後拾遺和歌集

という歌もある。

千年の命はどんなに人間が望んでも、得られないものである。その事がまことに悲しく思われてならない。

 

この場面で悲しい家族の肖像を完成させた直後、紫の上は死の世界へと旅立った。その場面を読む。

朗読⑤

「今は渡らせたまひね。乱り心地いと苦しくなりはべのぬ。言うかひなくなりにけるほどといひながら、いとなめげにはべりや」とて、御几帳ひき寄せて臥したまへるさまの、つねよりもいと頼もしげなく見えたまへば、「いかに思さるるにか」とて、宮は御手をとらへたてまつりて泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露の心地して限りに見えたまへば、

御誦(みず)(きょう)使(つかひ)ども数もしらずたち騒ぎたり。さきざきもかくて生き出でたまふをりにならたまひて、御物の怪と疑ひたまひて()一夜(ひとよ)様々のことをし尽くさせたまへど、かひもなく、明けはつるほどに消えはてたまひぬ。

宮も、帰りたまはで、かくて見たてまつりたまへるを、限りなく思す。誰も誰も、ことわりの別れにてたぐひあることとも思されず、めづらかにいみじく、明けぐれの夢にまどひたまふほど、さらなりや。

 解説 紫の上の命は失われた。文脈にそって読み進める。

「今は渡らせたまひね。乱り心地いと苦しくなりはべのぬ。言うかひなくなりにけるほどといひながら、いとなめげにはべりや」とて、

紫の上の言葉である。三人も美しくも悲しい歌の唱和が終わった直後、紫の上の体調が急変した。紫の上は中宮に早く内裏にお渡りください。私の心は病気の為に堪えきれなくなっております。ここまで弱りきった私ですから、さぞかし見苦しい死に方をすると存じます。その醜態を中宮にお見せするのはご無礼なので、早く部屋をお出になるように促される。

御几帳ひき寄せて臥したまへるさまの、つねよりもいと頼もしげなく見えたまへば、

見えたまへば 見ているのは中宮である。紫の上はもう起きていられなくなり横になる。見苦しい姿を中宮に見せないようにと、几帳を引き寄せられる。命の尽きるまで礼節を守り通そうとされる。紫の上の心はまことに立派である。紫の上の様子がこれまでになく弱々しく生気に乏しく見えたので、中宮の心は激しく動揺する。

いかに思さるるにか」とて、宮は御手をとらへたてまつりて泣く泣く見たてまつりたまふに、

中宮は、「母上どうなさったのですか」と仰りながら、紫の上の手を強く握りしめ泣きながら見守りなさる。

まことに消えゆく露の心地して限りに見えたまへば、御誦(みず)(きょう)使(つかひ)ども数もしらずたち騒ぎたり。

中宮の目の前で、みるみるうちに紫の上は危篤状態になる。先程 

  おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風にみだるる はぎのうは露 

という歌を詠んでから僅かな後である。本当に露が消えるかのように見え、息を引き取られた。大騒ぎになった。あちこちの寺に蘇生の為の祈祷を始めるようにと使いがなされ、数えきれない程の多くの使者が走り回っている。

さきざきもかくて生き出でたまふをりにならたまひて、御物の怪と疑ひたまひて()一夜(ひとよ)様々のことをし尽くさせたまへど、かひもなく、明けはつるほどに消えはてたまひぬ。

以前にも紫の上の息が途絶えた後でも、祈祷の功徳で蘇生したことが何回かあった。今回も物の怪の仕業ならば、蘇りがあるかも知れないと希望を持って、一晩中様々な手段を尽くしたがその甲斐もなかった。夜が果てる頃に紫の上は亡くなった。紫の上の蘇生はなかった。

宮も、帰りたまはで、かくて見たてまつりたまへるを、限りなく思す。

紫の上の臨終に立ち会った中宮は、万感の思いを抱かれる。宮中に帰参する直前にこの事があったので、大恩ある紫の上と最後の別れをすることが出来たが、紫の上の死は限りなく悲しく深い因縁のある事と思われた。紫の上の命の終焉を見届けることが出来たのは有難いことである。中宮はお世話になった紫の上の臨終に立ち会えたのである。

誰も誰も、ことわりの別れにてたぐひあることとも思されず、

誰一人として正気と理性を保っている者はいなかった。人生は無常であり誰も死を免れることは出来ない。けれども誰しも 生者必滅会者定離 の道理などは忘れてしまっている。紫の上の死去はこれまで誰も体験したことの無い、大きな悲しみと人々には見えた。

めづらかにいみじく、明けぐれの夢にまどひたまふほど、さらなりや。

明けぐれ は、夜が明けきる前のまだ暗い時間帯である。夜は明けかかっているけど、まだ暗い。紫の上の死は、そのような 明けぐれ の時間帯に見る夢ではないかと人々が取り乱しているのは、

まことに尤もな事だと語り手の私には思われた。

 

中宮の視点と語り手の視点が融合するようにして、紫の上の死が語られていた。しかし紫の上の逝去直前における光源氏の心は詳しくは語られていない。語れなかったのであろう。生前の紫の上は出家を強く望んでいた。光源氏はせめて死後にでも落飾させてあげたいと思い、夕霧に命じる。夕霧は野分の巻で偶然に垣間見た、紫の上の美貌を15年振りに見た。8月14日に亡くなった紫の上の葬儀は、15日の暁に執り行われた。名月の夜に昇天した紫の上は、竹取物語のかぐや姫のイメ-ジが

ある。残された光源氏は、かぐや姫に去られた竹取の翁の心境だった事であろう。

 

「コメント」

 

中宮をここに登場させて、緊迫感とインパクトで読者を惹きつける描写である。光源氏のことを余り語らない事で、その効果は倍増している。