241123㉞ 柏木の巻 36帖
今回は柏木の巻で亡くなる場面である。本居宣長は「玉の小櫛」で この物語を読みて 柏木の事をあはれと思わぬ人は 心の亡き人ぞかし と述べている。本居宣長にとって柏木の死は、もののあはれ の具体的例なのである。巻の名となった柏木は、言葉・和歌・散文でも使われている。柏の木には樹木を守る・葉守の神 が宿ると言われていることから、宮中を守る衛門府のシンボルとされた。
柏木は衛門督であった。
さて光源氏から厳しい視線が向けられ、酒を無理強いされた柏木は、具合が悪くなったまま新年を迎えた。死を覚悟した柏木は、女三宮に手紙を書く。この場面を読む。
朗読① 女三宮に手紙を書いて、せめて可哀想とだけでも言ってくださいと言う。
かしこに御文奉れたまふ。
「今は限りにてはべる有様は、おのづから聞こしめすやうもはべらんを、いかがなりぬるとだに御耳とどめさせたまはぬも、ことわりなれど、いとうくもはべるかな」など聞こゆるに、いみじうわななけば、思ふこともみな書きさして、
「いまはとて 燃えむ煙も むすぼほれ 絶えぬ思ひの なほや残らむ
あはれとだにのたまはせよ。心のどめて、人やりならぬ闇にまどはぬ道の光にもしはべらむ」と聞こえたまふ。
解説 柏木の執念が伝わってくる。
かしこに御文奉れたまふ。
奉れ 奉る と同じ意味である。柏木は女三宮に手紙を書いて、自分の気持ちを伝える。
「今は限りにてはべる有様は、おのづから聞こしめすやうもはべらんを、
私はあなたへの恋心故に、命が尽きようとしています。このことは噂として、あなたの御耳にも入っているでしょう。
いかがなりぬるとだに御耳とどめさせたまはぬも、ことわりなれど、いとうくもはべるかな」など聞こゆるに
それでも私が死にそうだとお聞きになっても、実際にはどうなっているのかと尋ねてはくれませんね。貴女の冷たい態度は私を愛していないのだから尤もです。けれども私には辛くて堪らないと手紙には書いてある。
いみじうわななけば、思ふこともみな書きさして、
柏木は病気が重く手が激しく震えるので、もっと長く書きたかったのだが、最後まで書き続けることが出来なかった。
歌に自分の心の全てを託した。
いまはとて 燃えむ煙も むすぼほれ 絶えぬ思ひの なほや残らむ
私のあなたへの恋心は、あの世まで持ち越されるでしょう。私が焦がれ死にしたら火葬され、煙となって立ち上るでしょう。その煙はあなたへの執着心故に、ずっとこの世に留まり続けます。貴女を思い続ける 思ひ と、火 は、永遠に燃え続けるのです。
あはれとだにのたまはせよ。心のどめて、人やりならぬ闇にまどはぬ道の光にもしはべらむ」と聞こえたまふ。
せめて あはれ 、あなたは何と可哀想な男だという言う言葉だけでも私に掛けて下さい。あはれ という言葉だけでも聞くことが出来れば、私も安心して恋の妄執が晴れるでしょう。あなたへの苦しい恋は、私自身が求めたものです。死後の暗い闇路を流離うであろう私は、あなたの あはれ という言葉を魂を救ってくれる光明としましょう と結んであった。
本居宣長は柏木の詠んだ
いまはとて 燃えむ煙も むすぼほれ 絶えぬ思ひの なほや残らむ
の歌を引用した後で この物語 ここらの物語の中でも、この衛門督の心は、ことに あはれ なる と
共感している。
「源氏物語」には沢山の恋愛が書かれているが、その中でも特に柏木の恋は あはれ であると称賛
するのである。
柏木が待ち望んだ返事が届いた。この場面を読む。
朗読②
紙燭召して御返り見たまへば、御手もなほいとはかはかなげに、をかしきほどに書いたまひて、「心苦
しう聞きながら、いかでかは、ただ推しはかり。とあるは
立ちそひて 消えやしなまし うきことを 思ひみだるる 煙くらべに
後るべうやは」とばかりあるを、あはれにかたじけなしと思ふ。
「いでや、この煙ばかりこそはこの世の思ひ出ならめ。はかなくもありけるかな」と、いとど泣きまさりた
まひて、御返り、臥しながらうち休みつつ書きたまふ。言の葉のつづきもなう、あやしき鶏の跡のやう
にて、
「行く方なき 空の煙となりぬとも 思ふあたりを 立ちは離れじ
夕はわきてながめさせたまへ、咎めきこさせたまはむ人目をも、今はこころやすく思しなりて、かひな
きあはれをだにも絶えずかけさせたまへ」など書き乱りて、
解説 文章の途中だが、敢えてここで切った。「「湖月抄」の解釈を踏まえ訳す。
紙燭召して御返り見たまへば、御手もなほいとはかはかなげに、をかしきほどに書いたまひて、
柏木のもとに女三宮からの手紙が届いた。柏木は灯を持ってこさせて、便りを読む。女三宮の筆跡は
弱々し気であるが、きちんと書いてある。実の所は、しぶしぶ書いているので内容がいささか理屈っぽ
くなっているが、そういう事情は柏木には分からない。
「心苦しう聞きながら、いかでかは、ただ推しはかり。とあるは
女三宮からの手紙の書き出しである。
あなたからの手紙に病気の自分を少しも訪ねてくれないと書いてあった。私も心の中では気がかりに
は思っているが、どうしてこちらからお便りが出来るでしょうか。
また いまはとて 燃えむ煙も むすぼほれ 絶えぬ思ひの なほや残らむ とありました。
自分一人が死んでしまうという歌でした。私はこう思いました。
立ちそひて 消えやしなまし うきことを 思ひみだるる 煙くらべに
あなたは今にも死んで、火葬の煙となって死なんとのこと、わたしもあなたとの辛い出来事の故に間も
なく死んで火葬されるでしょう。あなたを焼く煙と、私を焼く煙とが二条並んで空を上っていきます。
あなたの 思い という 火 の煙と、私の辛くて堪らない 思ひ の煙とどちらが激しく燃えるか比べ
るためにも、私達は同時にこの世から消えさるべきでしょう。
後るべうやは」とばかりあるを、
私があなたに死に遅れることはありませんとだけ書いてあった。
あはれにかたじけなしと思ふ。
柏木は読み終えて、有難い勿体ないと感激した。
「いでや、この煙ばかりこそはこの世の思ひ出ならめ。はかなくもありけるかな」と、いとど泣きま
さりたまひて、
柏木はいやもう、女三宮の歌にある煙比べという言葉こそは、私がこの世に生きた最高の思い出に
なるだろう。それにしても短く儚い宮様とのご縁だったと思うと、涙が溢れ泣き声も大きくなる。
御返り、臥しながらうち休みつつ書きたまふ。言の葉のつづきもなう、あやしき鶏の跡のやうにて、
もう起き上がる体力も残っていないので、横になったままで筆を取って、宮の手紙への返事を書こうと
する。長くは筆を手に持っていられない。意識も混濁しているのか、言葉もはっきりせず筆跡は浜に
ついた鳥の足跡のようにみえる。
古代中国の蒼頡という人が鳥の足跡を見て、漢字を発明したという伝説を思い起こさせるように、
柏木の筆跡は乱れていた。
行く方なき 空の煙となりぬとも 思ふあたりを 立ちは離れじ
煙比べという嬉しい言葉を賜りました。私はいつ死んでも本望です。但し私が死んでも、あなたはこの世で生き続けて下さい。私は亡骸が焼かれて煙が空に上がったとしても、あなたのお屋敷の上空に留まり、空の上からあなたの姿を眺めて参ります。
夕はわきてながめさせたまへ、咎めきこさせたまはむ人目をも、今はこころやすく思しなりて、かひな
きあはれをだにも絶えずかけさせたまへ」など書き乱りて
夕方にはとりわけ空を眺めて、私を焼いた煙が雲となって棚引いていないか探してください。あなたと私との事を厳しく咎めた光る君も、私が死んだらこれ以上私たちの関係を憎まないでしょう。
私は既に命が無くなっているので、あなたが雲を見付けてあはれと思って下さったとしても、甲斐はありません。
けれどもそういうあはれでも結構なので、死んだ私に毎日注いでください。
本居宣長は女三宮と柏木の歌を引用した後で、 この送り答えなどは又ことにあはれ深し。読む心持にもすずろ涙落ちぬべく覚ゆ と貰い泣きしている。本居宣長は柏木にとても好意的である。「源氏物語」の青表紙本と呼ばれる本文を定めた藤原定家は、「新古今和歌集」を代表する歌人である。この定家に煙比べを本歌取り下歌が二首ある。
うち靡き 煙くらべに 燃えまさる 思ひの薪 身も焦がれつつ
みちのべの 野原の柳 下もえぬ あはれなげきの けぶりくらべに
この様に定家は煙比べという言葉に深い関心を示している。この後女三宮は薫を出産する。その後六条院を訪れた朱雀院と対面した女三宮は出家する。実はこれも六条御息所の仕業であった。
柏木は見舞に訪れた親友の夕霧と最後の会話を交わす。この直後に柏木の命は尽きたのである。その場面を読む。
朗読③ 身内が見守る中で、柏木は亡くなる。柏木は思い遣りが深く人柄がよかった。
女御をばさらにも聞こえず、この大将の御方なども、いみじう嘆きたまふ。心おきてのあまねく、人の兄心にものしたまひければ、右の大殿の北の方も、この君をのみぞ、睦ましきものに思ひきこえたまひければ、よろづに思ひ嘆きたまひて、御祈祷などとりわきてせさせたまひけれど、やむ薬ならねば、かひなきわざになむありける。女宮にも、つひにえ対面しきこえたまはで、泡の消え入るようにて亡せたまひぬ。
解説 ここは現代語訳する。
重体に陥った柏木を、血の繋がった妹たちは心から心配している。妹の弘徽殿女御をはじめとして、夕霧の北の方・雲居の雁も大層な嘆きようである。柏木は太政大臣かつての頭中将の長男なので、一族の人々には兄として暖かく接してきた。現在の右大臣の北の方である玉かづらも、兄たちの中では柏木を格別に親しく思ってきた。玉かづらは柏木の突然の重病を大変心配して、加持祈祷を特別に行わせていた。けれども柏木が飲む薬は全く効き目が無かった。柏木が罹ったのは医師が直せる病気ではなくて、恋の病であったからである。古代中国に 扁鵲 という名医がいたと伝えられるが、扁鵲でも柏木の病は治すことは出来なかったであろう。
我こそや 見ぬ人恋ふる 病すれ 逢ふ日ならでは 止む薬なし 拾遺和歌集 よみびと知らず
という歌があるように、恋の病には恋人に会う事しか薬は存在しない。そして柏木と女三宮の対面は最早不可能な状況にある。柏木は自分の北の方である落ち葉の君とも会えず、泡が消えるようにしてこの世を去った。柏木の死は無常の理を世間の人に感じさせた。
「古今和歌集」には
水の泡の 消えでうき身と 言ひながら 流れてもなほ たのまるるかな 紀友則
という歌がある。又法華経には 世は皆牢固ならざること 水沫泡焔の如し という言葉があり、この言葉は「方丈記」の冒頭の よどみに浮かぶうたかたは という部分を連想させる。
さて生まれてきた薫の生後50日目のお祝いがあった。薫を抱く光源氏の胸中は複雑である。国宝「源氏物語絵巻」にも描かれている場面である。この場面を読む。
朗読④
「あはれ、残りすくなき世に生ひ出づべきひとにこそ」とて、抱きとりたまへば、いと心やすくうた笑みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし。大将などの児生ひの思し出づるには似たまはず。女御の御宮たち、はた、ちち帝の御方ざまに、王気づきて気高うこそおはしませ、ことにすぐれてめでたうしもおはせず。この君、いとあてなるに添えて愛敬つざき、まみのかをりて、笑がちなるなどをいとあはれと見たまふ。思ひなしにや、なほいとようおぼえたりかし。ただ今ながら、まなこのゐののどかに、恥づかしきさまもやう離れて、かをりをかしき顔ざまなり。宮はさしも思しわかず、人、はた、さらに知らぬことなれば、ただ一ところの御心の中にのみぞ、あはれ、はかなかりける人の契りかなと見たまふに、おほかたの世の定めなさも思しつづけられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、今日は事忌すべき日をとおし拭ひ隠したまふ。「静かに思ひて嗟くに堪へたり」とうち誦じたまふ。五十八を十とり棄てたる御齢なれど、末になりたる心地したまひて、いとものあはれに思さる。「汝が爺に」とも、諫めまほしう思しけむかし。
解説
前半の部分は「湖月抄」を踏まえた現代語訳で理解を深める。
現在光る君は48歳である。この年で若君 薫 に恵まれた。生50日後の若君を おおこの子は父親の人生の残り少ない時に生まれてきて、これから大きくなっていくのだな と言いながら抱っこする。
今さらに なに生ひいづらむ 竹の子の 憂き節しげき 世とはしらずや 古今和歌集 凡河内躬恒
竹の子は何故この世に生えてきたのか。いづれ沢山の節目が生じるであろう。この幼い子は何故、この世に生まれてきたのか。辛い出来事が沢山待ち受けているだろうに という歌を光る君は思い浮かべる。
その様な光源氏の気持ちを知らぬ気に、薫は無邪気に笑う。ふっくらと肥え、肌は白く可愛らしい。光る君が薫より前に幼子を抱いたのは、夕霧が生まれた時だがもう28年前の昔である。その時の夕霧の顔を微かに思い出すと、今抱いている薫とは似ていない。夕霧は自分の子だが、薫は自分の子ではないからである。明石の女御は今上帝の宮様を何人も生んでいる。光る君の孫であるが、父親の今上帝は朱雀院の子供である。女御が生んだ宮様たちは、いかにも皇族だという気品に溢れている。但し比類のない程に美しい訳ではない。それに対して、この薫は高貴な雰囲気があるだけでなく、人を引き付ける可愛らしさがあり、目元がつやつやと輝き、いつも笑みを湛えている様に見える。ああ可愛らしいと光る君は感嘆される。そう思って見るせいか、薫の顔は柏木と似ている。生まれたばかりの今から、眸も驚くほどに立派である。世間の幼児の面もちとは全く異なっており、匂い立つような美しい顔である。
この後は本文に戻って説明する。
宮はさしも思しわかず
こういう薫の人相については、母親である女宮は何も気付いていない。
人、はた、さらに知らぬことなれば、ただ一ところの御心の中にのみぞ、あはれ、はかなかりける人の契りかなと見たまふに、
他の人は薫の出生の秘密など知る由もないので、光る君だけが柏木と薫の顔の類似に思い及び、ああなんとも儚い柏木の運命だったと思う。
おほかたの世の定めなさも思しつづけられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、
柏木だけではない全ての人には必ず死が訪れる。この世の無常を思うと、光る君は涙がこぼれ落ち
るのを抑えきれない。
今日は事忌すべき日をとおし拭ひ隠したまふ。「静かに思ひて嗟くに堪へたり」とうち誦じたまふ。
ここは「白氏文集」の引用がある。今日は薫の50日のお祝いの日だから縁起でもない涙を見せてはならないと、涙を押し拭って気付かれぬようにする。光る君は漢詩を朗誦する。静かに思ひて嗟くに堪へたり これは白楽天が58歳にして、初めて男の子に恵まれた時に詠んだ詩の一節である。但し光る君は詩の一部を作り変えて口ずさんだ。白楽天の原作では、五十八翁 まさに後あり 静かに思ひて喜ぶに堪へたり また嗟くに堪へたり である。後 とは子孫という意味である。
光源氏はこの詩の 喜ぶに堪へたり という部分を咄嗟に省略して 嗟くに堪へたり の部分だけ口ずさんだ。女三宮と柏木の密通によってかおるが生まれたのだから 喜ぶに堪へたり とは思えなかったのである。
五十八を十とり棄てたる御齢なれど、末になりたる心地したまひて、いとものあはれに思さる。
白楽天は58歳で男子に恵まれ、光る君はそれより10才若い48歳で薫の父親になった。48歳と
人生の終わり近くになって、しみじみとした心境になる。
「汝が爺に」とも、諫めまほしう思しけむかし。
ここは草子地で語り手のコメントである。白楽天の漢詩には 慎んで頑愚は汝が. 爺に似ることなかれ とある。生まれてきた子に向かって、自分のように愚かな父親になるなという戒めの言葉である。これは私(講師)の推測であるが、光る君は 汝が. 爺に似ることなかれ という言葉を心の中で思い浮かべる。白楽天が自分に似るなと言ったのは、謙遜であり自嘲だが、光る君の心の中には薫の秘密の親子関係への反発があったのである。
さて亡くなった柏木であるが、朱雀院の愛情を注がれる女三宮に執着する余り、女二宮を妻に迎えても満足できなかった。彼女は落ち葉の宮と失礼な名で呼ばれている。
瀕死の柏木を見舞った際に夕霧は、この薄幸な宮を後見することを柏木から依頼された。そこで夕霧は足繁く落ち葉の宮を訪れる。
朗読⑤ 夕霧は亡き柏木の北の方を一条宮に見舞う。
かの一条宮にも、常にとぶらひき声たまふ。四月ばかりの葉、そこはかとなう心地よげに、一つなる四方の梢もをかしう見えわたるを、もの思ふ宿は、よろづのことにつけて静かに心細う暮らしかねたまふに、例の、渡りたまへり。庭もやうやう青み出づる若草見えわたり、ここかしこの砂子薄き物の隠れの方に、蓬も所得顔なり。前栽に心入れてつくろひたまひしも、心にまかせて茂りあひ、一叢薄も頼もしげにひろごりて、虫の音添えむ秋思ひやらるるより、いとものあはれに露けくて、分け入りたまふ。
解説
夕霧は柏木が亡くなった後、彼の妻であった落ち葉の宮・女二宮を足繁く弔問する。宮は母親と共に一条宮に住んでいる。柏木が亡くなったのは春、今は4月。空全体が気持ち良さそうである。所が主人を失くした家は、新緑の季節も悲しみに閉ざされている。
鳴き渡る 雁の涙や 落ちつらむ 物思ふ宿の 萩の上の露. 古今和歌集 よみびと知らず
という歌がある。この歌では秋のもの思う宿であるが、初夏にも物思う宿はある。ここ一条宮でも人々は、悲しい物思いに閉ざされ、ひっそりとその日その日を暮らし兼ねている。そこへいつものように夕霧が弔問する。主をうしなった宿はこうなるものか。庭では青み始めた若草が一面を覆っている。厚く敷き詰めてあった白い砂が、全く手入れをしないので薄くなってしまった場所が建物の後ろにある。そこには今まで生えたことの無かった蓬が、砂を分けて生え出てきて我が物顔に伸びている。柏木の生前には特に心を込めて手入れしていた前栽も、剪定してないので雑草と草花が茂っている。中で人目を引くのが、一叢薄である。この薄を見ると
きみが植えし 一叢薄 虫の音の しげきのへとも なりにけるかな 古今和歌集 御春有輔
という歌が思い浮かぶ。夕霧が目にしているのは初春の薄であるが、夏が過ぎて秋になると虫の鳴き声が盛大に加わりもっと寂寥感が深まるだろうと、夕霧には思われる。夕霧の心は深い悲しみに閉ざされ、涙にくれながら庭の草を分け、建物の方に向かう。一条宮では柏木の喪に服しているので、
質素な簾を掛け渡している。几帳を夏用に衣替えしてあるけれども、喪中なので鈍色である。その几帳から透けて見える人影も夏用に衣替えして、可愛らしい女房の姿も見える。彼女たちは夏用の服を着ているが、喪の色なのでそれを目にした夕霧は、死を感じさせるので驚く。
一叢薄が印象的であった。室町時代の謡曲「井筒」には、在平寺の一叢薄が登場する。「井筒」は紀有恒の娘が夫だった在原業平を偲ぶ話である。柏木の巻では親友である夕霧だけでなく、女二宮・落葉宮も柏木を偲ぶという設定で、一叢薄が登場している。
柏木の巻の巻末は、夕霧をはじめとする人々が柏木を追悼している。その場面を読む。
朗読⑥柏木は情け深い人だったので、あはれと言わない人はいなかった。薫は秋には這い這いなどする。
「右将軍が塚に草初めて青し」と、うち口すさびて、それもいと近き世のことなれば、さまざまに近う遠う、心乱るやうなりし世の中に、高きも下れるも、惜しみあたらしがらぬはなきも、むべむべしき方をばさるものにて、あやしう情をたてたるひとにぞものしたまひければ、さしもあるまじき公人、女房などの年古めきたるどもさへ、恋ひ悲しびきこゆる。まして、上には、御遊びなどのをりごとにも、まづ思し出でてなむ偲ばせたまひける。「あはれ、衛門督」といふ言ぐさ、何ごとにつけても言はぬ人なし。六条院には、まして、あはれと思し出づること、月日にそへて多かり。この若君を御心ひとつには形見と見なしたまへど、人の思ひよらぬことなれば、いとかひなし。秋つ方になれば、この君はゐざりなど。
解説
「右将軍が塚に草初めて青し」 ここにも漢詩が踏まえられている。「湖月抄」の解釈を踏まえた現代語訳をする。
夕霧は亡き柏木を追悼してこの漢詩を口ずさんだ。この漢詩は、紀在昌が藤原時平の長男保忠の死を悼んで詠んだ。
保忠は大納言で右近衛の大将を兼任していたので、右将軍 と呼ばれた。但し紀在昌の詩では、 右将軍が塚に初めて秋なり である。夕霧がこの詩を口ずさんだのは初夏であり秋ではない。そこで 草初めて青し と言い換えた。
紀在昌の詩には、藤原時平の長男保忠の死を悲しんで、 天は善人の見方をすると世間では言われているが、私は信じない。保忠ほどの人物を早死させる点には正義が無いという抗議が含まれている。
その柏木の死を前にして夕霧は、天は善人にみかたしないという見方を深くする。藤原保忠の死はまだ人々の記憶に新しい。その保忠の惜しまれる死のように、昔も今も世の中には人々の心を悲しませることが沢山ある。柏木の早すぎる死に接して、身分の高い人も庶民も、哀惜の念を持たない人はいない。柏木は学問や芸能や公の世界で必要とされることは当然として優れていた。それ以外の私的な側面でも不思議なほど、人々に対して仁と思いやりの心を持って接した。それほどの地位でない役人や年老いた女房達も、柏木の遺徳を恋い慕い悲しんでいる。まして柏木を信頼していた今上帝の悲嘆は深い。柏木は帝の筝の先生であったので、宮中で音楽の催しがある度に帝は柏木を思い出して偲ばれる。ああ、柏木の死去ほど悲しいことはない という言葉は、世間の人々の口癖のようになって口にしない人はいない。光る君もまた世間の人以上に、柏木の死をあはれと思う。心の中では薫を、柏木の形見として眺める。薫が柏木の実の子供であることなど他の人は考えもしないので、光る君一人の心の中の思いでありどうしようもない。その薫は何も知らず、
這い這いを始めた。
さまざまに近う遠う、心乱るやうなりし世の中に という箇所を、本居宣長は 近う とあるのが柏木の死、遠う とあるのが 保忠 の死を指すと解釈している。藤原保忠の様な素晴らしい人が早死にした様に、天は必ずしも善人に味方しない。それでは柏木を早死にさせた光源氏にも正義は無いのだろうか。これまで読者から圧倒的に支持されてきた光源氏への信頼感が大きく揺らぎ始めている。
「コメント」
柏木が犯した罪は源氏しか知らないので、人は心から惜しむ。光源氏の心はさぞや複雑であろう。えてして世の中はそうしたものである。殆ど自分の都合の良いように理解し、誤解から成り立っている。