241102㉛ 若菜上の巻 2 34帖
今回は若菜上の巻で、読み所満載である。光源氏は41歳である。東宮に入内した明石の姫君の
出産が間近である。
姫君は実の母が住む六条院の冬の町へと移った。そこには姫君の祖母である尼君も住んでいる。姫君は3歳の時に紫の上に引き取られて、尼君の手の届かない所に去った。それ以来、久し振りに姫君を見たのである。尼君は嬉しくて堪らない。孫である姫君の傍に来てはまとわりつく。
母親である明石の君は姫君が東宮に入内してからは、身近でお世話をしているが、昔のことや姫君が何処でどういう経緯で生まれたかは、耳に入れない方がよいと判断して教えていない。
それなのに尼君は昔、明石の浦で起きた事を、涙ながらに包み隠さず話して聞かせた。姫君がどう思ったかを読もう。
朗読① 明石の姫君は自分の身分は卑しいのに、思い上がって慢心していたと自覚した。
心の中には、わが身は、げにうけばりていみじかるべき際にはあらざるを、対の上の御もてなしに磨かれて、人の思へるさまなどもかたほにはあらぬなりけり、身をばまたなきものに思ひてこそ、宮仕のほどにも、肩への人々をば思ひ消ち、こよなき心おごりをばしつれ、世の人は、下に言ひ出づるやうもありつらむかし、など思し知りはてぬ。母君をば、もとより、かくすこしおぼえ下れる筋と知りながら、生まれたまひけむほどなどをば、さる世離れたる境にてなども知りたまはざりけり。いとあまりおほどきたまへるけにこそは、あやしく、おぼおぼしかりけることなりや。
解説
心の中には
自分が受領である、前の播磨の国司の娘を母として、都から遠い播磨の国で生まれた事実を初めて知った姫君は、尼君と同じ様に涙を流す。姫君は心の中で様々な事を考える。
わが身は、げにうけばりていみじかるべき際にはあらざるを、対の上の御もてなしに磨かれて、人の思へるさまなどもかたほにはあらぬなりけり、
対の上 は 紫の上の事である。うけばり は、我が物顔に振る舞う事。
私の身の上は本来ならば、女御という高い地位にいる事の出来ない卑しい生まれだったのだ。私を幼い頃に引き取って育てて頂いた紫の上の御蔭で、世間の人々の評価を引き上げられていたのだ。
身をばまたなきものに思ひてこそ、宮仕のほどにも、肩への人々をば思ひ消ち、こよなき心おごりをばしつれ、世の人は、下に言ひ出づるやうもありつらむかし、など思し知りはてぬ。
これまで何も知らなかった私は自分が光る君の娘なので、素晴らしい生まれをしたと喜んでいた。東宮の女御として宮中で暮らしていても、宮中の女性たちを自分より劣ると軽んじ、私より優れた生まれの女性などいないと大変な驕りをしていた。
何と恥ずかしいことだ。私が生まれた経緯を知っている人は、慢心した私の振舞いをどのように噂していた事だろうか。この様に反省するのが、姫君の人間性の素晴らしい点である。
母君をば、もとより、かくすこしおぼえ下れる筋と知りながら、生まれたまひけむほどなどをば、さる世離れたる境にてなども知りたまはざりけり。
姫君は尼君から教えて貰う以前にも女御である紫の上と違って、実の母親である明石の君の身分が劣っていることは知っていた。但し自分が都から遠い播磨の国でこの世に生まれたことなど、全く思ってもみなかった。
いとあまりおほどきたまへるけにこそは。あやしく、おぼおぼしかりけることなりや。
この部分は草子地で語り手のコメントである。語り手から率直な感想を述べる。姫君はおっとりした性格だが、いくら何でも鷹揚すぎるのではなかろうか。これまで14年間も生きて来て、自分の出生について全く疑問に思わなかったのは、不思議なまでにぼんやりしていると私は思う。読者の批判を先取りすることで、姫君を守っているのである。
3月上旬、姫君は無事、男の子を出産した。姫君14才であった。明石の地でその知らせを受け取った明石の入道は、自分の子孫が天皇の位に付くことが確実になったことを喜ぶ。自分がかつて見た夢の内容を手紙に詳しく書き記して、都の明石の君に送った。入道はこの後、奥山に入って消息を絶つ。潔く命を絶った。わが身を犠牲にして子孫の幸福を呼び寄せた入道の生き方は、これまで笑われ者であった入道の真実の姿を明らかにした。この手紙のことを「湖月抄」は 獲麟の一句 と説明している。
獲麟 は機嫌を取るという意味であるが、最後の文章、一筆、辞世などという意味でも用いられる。
その手紙の前半は現代語訳する。
入道の遺書は次のような内容だった。都の最新の情報を人づてに聞いた所、東宮の女御として入内していた姫君がこの度、男宮を出産されたとかで深く喜んでいる。その理由をこれから長くなるが、初めて言葉にして申しあげる。私自身は卑しい武士であるから、この世でわが身が栄えることなど眼中にない。あなた、明石の君のお幸せをひたすら喜んでいる。
これまで私は出家の身でありながら、澄み切った心境で仏道修行に邁進できず、あなたの幸せばかりを仏に祈ってきた。私自身の極楽往生などに二の次、三の次であった。
ここから先は原文で読む。
朗読②明石の姫君が生まれた時に、入道が見た夢の説明である。
わがおもと生まれたまはむとせしその年の二月のその夜の夢に見しやう、みづから須弥の山を右の手に捧げたり、山の左右より、月日の光さやかにさし出でて世を照らす、みづからは、山の下の蔭に隠れて、その光にあたらず、山をば広き海に浮かべおきて、小さき舟に乗りて、西の方をさして漕ぎゆくとなむ見はべし。夢さめて、朝より、数ならぬ身に頼むところ出で来ながら、何ごとにつけてか、さるいかめしきことをば待ち出でむと心の中に思ひはべしを、そのころより孕まれたまひにしこなた、俗の方の書を見はべしにも、また内教の心を尋ぬる中にも、夢を信ずべきこと多くはべりしかば、賤しき懐の内にも、かたじけなく思ひいたづきたてまつりしかど、力及ばぬ身に思うたまへかねてなむ、かかる道におもむきはべりにし。
解説
わがおもと生まれたまはむとせしその年の二月のその夜の夢に見しやう、
わがおもと は、あなたという呼びかけである。
思い返すと、私の希望の種となっているあなた・明石の君が、間もなく生まれようとしている年の二月のある夜の事であった。私はまことに不思議で生涯忘れられない夢を見た。
みづから須弥の山を右の手に捧げたり、山の左右より、月日の光さやかにさし出でて世を照らす、
みづから は私という一人称。私の右手で須弥山を持っていた。頂上には帝釈天の住まいがあると言われる、あの巨大な須弥山である。その須弥山の左右から、日と月の光が世界中を照らしていた。
みづからは、山の下の蔭に隠れて、その光にあたらず、山をば広き海に浮かべおきて、小さき舟に乗りて、西の方をさして漕ぎゆくとなむ見はべし。
私自身は須弥山の山陰に隠れているので、月と日の光には当たらない。やがて手に捧げ持っていた須弥山を広大な海にそっと浮かべ、私は小さな舟に乗って極楽浄土のあるという西の方面に向かって、ひたすら漕ぎ続けている夢を見た。
夢さめて、朝より、数ならぬ身に頼むところ出で来ながら、何ごとにつけてか、さるいかめしきことをば待ち出でむと心の中に思ひはべしを、
この夢を見た翌朝の私は、これからの人生に大きな希望を抱くようになった。具体的にどの様な行動を起こせば、夢に見た様な壮大な幸福感を実現できるだろうかと、心の中で考えるようになった。
そのころより孕まれたまひにしこなた、俗の方の書を見はべしにも、また内教の心を尋ぬる中にも、夢を信ずべきこと多くはべりしかば、
俗の方の書 は、仏教以外の書物、内教 は、仏教の事である。その頃、あなたが我妻・尼君のお腹に宿られた。私は仏教以外の世俗的な書物を読み漁った。そうしたらある書物には、六種類の夢について書かれており、その中に正夢があると書かれていた。また仏教の書物も熱心に読んだ。そうすると法華経など多くの経典で、夢を信ずべきことが書かれていた。
賤しき懐の内にも、かたじけなく思ひいたづきたてまつりしかど、力及ばぬ身に思うたまへかねてなむ、かかる道におもむきはべりにし。
これらの書物に書かれている内容を信じ、私のように賤しい身の娘として生まれてきたあなたを大切に育てていたが、近衛中将の名で都で宮仕えしていても、どうしても将来への展望が開けないと思い知った。このままでは素晴らしい夢のお告げを実現は出来ないようだったので、受領となって新しい人生に踏み出そうと、この播磨国の国司として赴任してきた。
なお「湖月抄」は入道の見た夢について、次の様に解説している。過去現在因果経に書かれている五つの不思議な夢と似ている。大海に伏す夢、須弥山を枕にする夢、何人もの人々が自分の胎内に入る夢、太陽を取る夢、月を取る夢の五つである。須弥山は、生れてくる子供・明石の姫君が優れた存在であることを象徴している。右手の右は女性を表すから、生まれてくるのが娘であることを示している。須弥山の左右から光を放った月は、明石の君が生むであろう娘・明石の姫君である。太陽はその明石の姫君が生むであろう若宮を象徴している。須弥山を海に浮かべたのは、若宮が天皇として四方の海、即ち世界を保つことの比喩であり、舟に乗って西を目指したのは、入道が般若の舟に乗り、知恵の力で極楽往生することの比喩である。但し須弥山を海の上に浮かべたとある箇所は、明石の君を光源氏に委ねたと解釈することも出来る。
この夢の予言が姫君の男児出産で全く実現したのである。なお本居宣長が所持していた「湖月抄」には、本居宣長の書き込みがある。「蜻蛉日記」に道綱の母が石山寺の法師に祈祷を依頼していた所、法師から不思議な夢を見たという知らせが届いたという箇所がある。そこと似ているというのである。
いぬる五日の夜の夢に、御袖に月と日とを受けたまひて、月をば足の下に踏み、日をば胸にあてて抱きたまふとなん見てはべる。これ、夢解きに問はせ給へ。 「蜻蛉日記」の該当部分
「蜻蛉日記」のこの箇所を本居宣長は書き写して、自分が所持していた「湖月抄」に張り付けた。確かに似ている。
さてここからは柏木が女三宮の姿を見る場面に入る。明石の姫君が東宮の第一皇子を出産した直後である。六条院で蹴鞠の遊びが行われた。三月のうららかな日であった。夕霧たちは夏の町で蹴鞠に興じていたのだが、それを知った光源氏が春の町で蹴鞠をさせたのである。春の町の寝殿の東面は、普段明石の姫君が住んでいる。生まれたばかりの若宮も一緒にあるが、今は宮中に上がっていて不在である。その庭で蹴鞠が行われた。
朗読③ 猫が暴れて御簾を巻き上げてしまった。
御几帳どもしどけなく引きやりつつ、人げ近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫追ひつづきて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、人々おびえ騒ぎてそよそよに身じろぎさまよふけはひども、衣の音なひ、耳かしがましき心地す。猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱いと長くつきたりけるを、物にひきかけまつわれにけるを、逃げむとひこじふほどに、御簾のそばいとあらはに引き上げられたるをとみに引きなほす人もなし。この柱のもとにありつる人々も心あわたたしげにて、もの怖ぢしたるけはひどもなり。
解説
御几帳どもしどけなく引きやりつつ、人げ近く世づきてぞ見ゆるに、
女三宮の住まいには女房達も、主が主なのできちんとしていない。世づき は男女関係に慣れているという意味。
女三宮の住まいでは、いくつもの几帳が部屋の隅に雑然と押し畳まれていて、雑然とした雰囲気である。女主人に仕える女房達がきちんと振る舞っていれば、自然と部屋の中は整理整頓されるものである。簾の向こうでは、すぐ近くまで女房達が集まっている感じで、男女関係にいささか奔放な印象を与える。
唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫追ひつづきて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、
この時突然動きがあった。とても小さくて可愛いらしい猫が、簾の奥から外へ走り出てきたのである。中国から輸入されてきた唐猫である。その直後、それより少し大きい猫が簾から外へ飛び出して、小さな猫を追いかけ始めた。
人々おびえ騒ぎてそよそよに身じろぎさまよふけはひども、衣の音なひ、耳かしがましき心地す。
人々 は、女房達である。
簾の奥では女房達が驚いているようで、あわてて身をよじったり立ち上がったり、着ている衣ずれの音がうるさい程までに外まで漏れ出てくる。こういう締まりのない騒ぎは、身分の高い女性の所ではまず起きることはない。
猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱いと長くつきたりけるを、物にひきかけまつわれにけるを、逃げむとひこじふほどに、御簾のそばいとあらはに引き上げられたるをとみに引きなほす人もなし。
猫はまだ人に懐いていない時期だったのだろうか。長い綱がついていた。その長い綱を首に付けた小さな猫が、大きな猫から逃げ回るので。綱が様々な調度品に引っかかってほどけない。それなのに小さな猫は、大きな猫から必死に逃げようと力任せに綱を引っ張るので、簾までがめくれあがって部屋の中が、外から覗き込める状態になった。けれどもこのことに気付いて、元に戻すような気の利いた女房は、女三宮の下には誰もいない。
この柱のもとにありつる人々も心あわたたしげにて、もの怖ぢしたるけはひどもなり。
簾はめくれ上がってもまだ柱に掛っている。でも柱近くにいる女房達は気が動転して、突然の猫の動きに恐怖すら感じている様子である。女主人である女三宮の性格が影響して、だらしがないのである。
続きの場面を読む。
朗読④ 捲れ上がった簾の隙間から、美しい女三宮の姿が見えた。
几帳の際すこし入りたるほどに、姿にて袿にて立ちたまへる人あり。階より西の二の間の東のそばなれば、紛れどころもなくあらはに見入れらる。紅梅にやあらむ、濃き薄きすぎすぎにあまた重なりたるけぢめはなやかに、草子のつまのように見えて、桜の織物の細長なるべし。御髪の裾までけざやかに見ゆるは、糸をよりかけたるやうになびきて、裾のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、七八寸ばかりぞあまりたまへる。御衣の裾がちにいと細くささやかにて、姿つき、髪のかかりたまへるそばめ、いひ知らずあてにらうたげなり。夕影なれば、さやかならず奥暗き心地するも、いと飽かず口惜し。鞠に身をなぐる若君達の、花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを見るとて、人々、あらはをふともえ見つけぬなるべし。猫のいたくなけば、見返りたまへる面もちもてなしなど、いとおいらかにて、若くうつくしの人やとふと見えたり。
解説
柏木はとうとう、女三宮の顔をはっきりと見たのである。
几帳の際すこし入りたるほどに、姿にて袿にて立ちたまへる人あり。
簾の奥に置いてある几帳の端より少し奥に入った場所に、身分の高い女性であることが一目でわかる袿姿の女性がいた。無論女三宮のである。
階より西の二の間の東のそばなれば、紛れどころもなくあらはに見入れらる。
春の町の寝殿の庭の東側が女御の住まい、階 より西側が女三宮の住まいである。その階 より西の二つ目の柱との間の部屋の東の端なので、男たちが蹴鞠をしている庭からもはっきりと見渡せる。
紅梅にやあらむ、濃き薄きすぎすぎにあまた重なりたるけぢめはなやかに、草子のつまのように見えて、桜の織物の細長なるべし。
その女三宮がお召しになっているのは紅梅襲であろうか、濃い色や薄い色の襲が幾重にも重なって、まるで草子の小口のように見え、上に着ているのは桜襲の細長のようである。
御髪の裾までけざやかに見ゆるは、糸をよりかけたるやうになびきて、裾のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、七八寸ばかりぞあまりたまへる。
髪の毛が裾まではっきり見えていて、糸を撚ってかけたように後ろの方になびいている。髪の裾の方はふさふさと切り揃えてある。誠に可愛らしく、髪の毛は身長より七八寸長い。
御衣の裾がちにいと細くささやかにて、姿つき、髪のかかりたまへるそばめ、いひ知らずあてにらうたげなり。
小柄でほっそりとした体付なので、衣が裾の方に長く上がっている。姿形、髪の毛が掛かっている横顔は、言葉に表せない程の気品があって、見る人の心を引き付ける有様である。
夕影なれば、さやかならず奥暗き心地するも、いと飽かず口惜し。
この様な女三宮の姿を柏木は庭から見た。残念なことに夕方で薄明かりなので、奥の方が薄暗く感じられたのは残念な事であった。
鞠に身をなぐる若君達の、花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを見るとて、人々、あらはをふともえ見つけぬなるべし。
この部分は草子地で語り手のコメントである。
簾が開いたままなのに、女房達が誰一人として気付かない。庭で蹴鞠に熱中している若い貴公子達は、花が散ることなど見る余裕も感動する暇もない。貴公子達が夢中になって蹴鞠に興じているのを、見物することに女房達は気を取られ、女三宮の姿が庭から見えることなど、全く気を配ることなど出来ないのであろう。女三宮には良い女房がいないのである。
猫のいたくなけば、見返りたまへる面もちもてなしなど、いとおいらかにて、若くうつくしの人やとふと見えたり。
これは柏木の目と心である。するとどこからか猫の鳴く声が聞こえた。女三宮はその声を耳にして、猫の方を振り向く。
その顔付や身のこなし方がまことにおっとりとしていて、若く可愛らしい方だと庭にいる柏木には思われた。
なお蹴鞠の催された場所は、最初は寝殿の東面であるが、この場面では寝殿の南側の階の東側が女御の住い、西側が女三宮の住いで、この側の部屋から女三宮達が庭の蹴鞠を見ているので、蹴鞠が行われたのは南面と言うべきであろう。蹴鞠に熱中している内に、貴公子達は鞠を蹴りながら東面から南面に移ってきたので、女三宮達も見物できたのである。そして柏木も女三宮を見ることが出来た。
その女三宮の立ち姿は、室町時代の物語にも代表的な美女の例として、しばしば描かれている。美女と簾と猫の絵は、江戸時代の絵画の題材となっている。偶然に女三宮の立ち姿を見て激しく心が動いた柏木は、六条院からの帰り道で親友の夕霧と語り合う。柏木は女三宮を冷たく扱っていると見える光源氏を批判する。それを聞く夕霧は、思い込みの激しい柏木の恋の行方を不安に思う。
この柏木の言葉を読む。途中、省略の部分がある。
朗読⑤
「院には、なほこの対にのみものせさせたまふなめりな。かの御おぼえのことなるなめりかし。この宮いかに思すらん。帝の並びなくならはしたてまつりたまへるに、さしもあらで屈したまひにたらむこそ心苦しけれ」省略部分→ と、あいなく言へば、「たいだいしきこと。いかでかさはあらむ。こなたは、さま変りて生ほしたてたまへる睦びのけぢめばかりにこそあべかめれ。宮をば、かたがたにつけて、いとやむごとなく思ひきこえたまへるものを」と語りたまへば、「いで、あなかま、たまへ。みな聞きてはべり。いとほしげなるをりをりあなるをや。さるは、世におしなべたらぬ人の御おぼえを。ありがたきわざなりや」といとほしがる。
いかなれば 花に木つたふ 鶯の 桜をわきて ねぐらとはせぬ
春の鳥の、桜ひとつにとまらぬ心よ。怪しとおぼゆることぞかし。
解説
「院には、なほこの対にのみものせさせたまふなめりな。かの御おぼえのことなるなめりかし。
柏木の言葉である。院 は六条院の主人である光源氏のこと。対 は、西の対に住んでいる紫の上。
柏木は二条の太政大臣邸、夕霧は三条の屋敷へと、六条院から帰宅する。同じ方向なので二人は話をしながら戻っていく。女三宮の事を話したくて堪らない柏木は、次の様にいう。
あなたの父君である六条院 光る君は最近でも紫の上の部屋にばかりいらっしゃるようですね。今日も蹴鞠が終わった後で、紫の上の住む対で酒肴が振る舞われた。奥方たちの中でも紫の上へのご寵愛は格別なのでしょう。
この宮いかに思すらん。帝の並びなくならはしたてまつりたまへるに、さしもあらで屈したまひにたらむこそ心苦しけれ」
宮 は女三宮。帝 は父親である朱雀院を指す。そういう状況で女三宮はどうお思いでしょうか。父上である朱雀院があれほどご寵愛され、この上もなく大切に育ててこられたのに、今では六条院でのお立場が紫の上にも劣っている。さぞかし苦しく思っておられるだろうと、他人である私から見ても明らかなので、お可哀想だと思われてならない。
最後の 屈したまひにたらむこそ心苦しけれ の 屈し の解釈を「湖月抄」は間違っている。現在では 屈し と書いて、心がくじけるという意味で解釈する。「湖月抄」は苦しいという意味だと間違った解釈をしている。その点、本居宣長は賢木の巻などで、屈し とあるのは心がくじけることだと正しく解釈している。この後少し省略したが、そこには夕霧の反論が書かれている。光源氏は女三宮を大切にしていると言っている。それを聞いた柏木が又、反論する。
いで、あなかま、たまへ。みな聞きてはべり。
いで は、反発する言葉である。あなかま、たまへ。 ああうるさい、静かにしなさい という慣用句である。
夕霧が光源氏を擁護したので、柏木は更に女三宮への同情を言い募った。いや、それ以上の弁解は結構だ。ごまかして言うのは止めて欲しい。
いとほしげなるをりをりあなるをや。さるは、世におしなべたらぬ人の御おぼえを。ありがたきわざなりや」といとほしがる。
私は女三宮のお立場を詳しく聞いて知っている。宮がとても可愛そうな事が何度もあったと言うではないか。そうでしょう。それにしてもあれほど朱雀院が寵愛なされた宮が、これ程までに辛い扱いを受けるなど絶対にあってはならないことだと、ひたすら女三宮に同情する。柏木は歌を口ずさむ。光源氏への批判である。
いかなれば 花に木つたふ 鶯の 桜をわきて ねぐらとはせぬ
鶯が花から花へと次々と移っていく。好色な光源氏の比喩である。桜は春を代表する花で、女三宮である。
鶯が花から花へと飛び回っているけれど、最も美しい桜の花をねぐらとしないのはおかしなことだ。光る君が女三宮を
ないがしろにするのはおかしなことだ。これが「湖月抄」の解釈である。
花に木つたふ は、多くの花を指し、桜 は桜だけを取り出して歌っている。光源氏は、紫の上や多くの者たちの部屋に足を運ばずに、女三宮の部屋だけにとまり続けて欲しい と、柏木は光源氏を批判する。確かに本居宣長の解釈が厳密である。歌の後にも柏木の言葉がある。
春の鳥の、桜ひとつにとまらぬ心よ。怪しとおぼゆることぞかし。
柏木は歌を口ずさんだ後でも、更に夕霧に光る君への不満を言い続ける。鶯は春の鳥なので、春の花とも言うべき桜の花に止まらないのは、不思議な事だと見えてならない。本居宣長は和歌の解釈と同じで、多くの花、複数の妻たちの間を飛び回らず、桜一つ女三宮一人に止まり続けるのが当然だと厳密に解釈している。
思い込みの激しい柏木は女三宮の未熟さを知る由もないので、一方的に光源氏を批判している。それが若菜下の巻の
悲劇に繋がっていく。
「コメント」
明石の入道のエピソ-ドは初めて知って面白い。また自分の出征の秘密を知った明石の姫君の感想も。
柏木の一件は次への伏線。