241019㉙「真木柱の巻」31帖・「梅枝の巻」32帖・「藤裏葉の巻」33

今回は「真木柱の巻」31帖・「梅枝の巻」32帖・「藤裏葉の巻」33帖という三つの巻を取り上げる。「源氏物語」54帖は三部で構成されている。光源氏39歳までが第一部。40歳以降が第二部。そして光源氏の次の世代が第三部である。

今回で「源氏物語」の第一部を読み終わる。真木柱の巻は玉蔓というヒロインが登場した玉蔓十帖の最後の巻である。

光源氏の37歳から38歳までを描く。玉蔓は髭黒大将と結ばれた。髭黒は政治の世界では有力者である。現在の東宮即ち次期天皇から見て、母方の伯父に当たる。

 

髭黒大将は紫の上の父親である式部卿宮かつての兵部卿宮の娘を北の方にしている。紫の上とは異母姉妹である髭黒の北の方は、物の怪で苦しんでいる。玉蔓に会いに出かけた髭黒に、北の方は灰をかけたりする。到頭、子供を連れて実家に戻ることになる。玉蔓の結婚は相手の家庭を崩壊させたのである。髭黒の北の方が実家に戻る場面を読む。

朗読①髭黒の北の方は実家に戻ろうとするが、娘は父に一目会いたいと願う。

日も暮れ、雪降りぬべき空のけしきも心細う見ゆる夕なり。「いたう荒れはべりなん。早う」と御迎えの君達そそのかしきこえて、御目おし(のご)ひつつながめおはす。姫君は、殿いとかなしうしたてまつりたまふならひに、「見たてまつらではいかでかあらむ、いまなども聞こえて、また逢ひ見ぬやうもこそあれ」と思ほすに、うつぶし臥して、え渡るまじと思ほしたるを、「かくおぼしたるなん、いと心憂き」などこしらへきこえたまふ。ただ今も渡りたまはなんと待ちきこえたまへど、かく暮れなむに、まさに動きたまひなんや。常に寄りゐたまふ東面(ひがしおもて)の柱を人に譲る心地したまふもあはれにて、姫君、檜皮(ひわだ)色の紙の重ね、ただいささかに書きて、柱の乾割(ひわれ)れたるはさまに、(こうがい)の先して押し入れたまふ。

  今はとて 宿()れぬとも 馴れきつる 真木の柱は われを忘るな

えも書きやらで泣きたまふ。母君、「いでや」とて、

  馴れきとは 思ひいづとも 何により 立ちとまるべき 真木の柱ぞ

御前なる人々もさまざまに悲しく、さしも思はぬ木草のもとさへ、恋しからんことと目とどめて、鼻すすりあへり。

 解説

母親と娘の心が対照的に描かれている。

日も暮れ、雪降りぬべき空のけしきも心細う見ゆる夕なり。

今にも雪が降りだしそうな夕方の空のようなので、人の心は不安で閉ざされる。

「いたう荒れはべりなん。早う」と御迎えの君達そそのかしきこえて、御目おし(のご)ひつつながめおはす。

北の方と子供たちを迎えに来た式部卿宮の子息たちは、ひどく荒れそうな空のようです。降り出さないうちに、宮様のお屋敷に着くようにしましょう。お急ぎくださいと急がせる。お迎えの人達も涙で滲む目頭を手で押当てたりして、暗い空をぼんやり眺めている。

姫君は、殿いとかなしうしたてまつりたまふならひに、「見たてまつらではいかでかあらむ、いまなども聞こえて、また逢ひ見ぬやうもこそあれ」と思ほすに、

姫君はこれまで父から溺愛され父に懐いていたので、これからも父上のお顔をずっと見て居たい、今から出かけますという別れの挨拶もしないでここを出て行き、もう会えなくなるのは悲しいと思う。

うつぶし臥して、え渡るまじと思ほしたるを、「かくおぼしたるなん、いと心憂き」などこしらへきこえたまふ。

姫君はうつぶせに伏して身もだえ、ここを離れたくないという気持ちをその姿勢で示した。母君が、あなたがそういう気持でいるのは、この家では暮らしたくないと決心している私には情けないの一言です。きっぱりとここを出て行こうなどと言って、姫君を脅かそうとする。

ただ今も渡りたまはなんと待ちきこえたまへど、かく暮れなむに、まさに動きたまひなんや。
ここは草子地で語り手のコメントである。姫君は今すぐに、父上がこの家に戻ってきて欲しい。きちんと別れの挨拶をしたいと、ひたすら髭黒の帰りを待っている。けれども語り手の私の目から見ると、こんなに暗くなってから髭黒が玉蔓の部屋から出るなんてことがあるだろうか。姫君は一目父親と会いたいと願っても、それは無理である。

常に寄りゐたまふ東面(ひがしおもて)の柱を人に譲る心地したまふもあはれにて、姫君、檜皮(ひわだ)色の紙の重ね、ただいささかに書きて、柱の乾割(ひわれ)れたるはさまに、(こうがい)の先して押し入れたまふ。

姫君はさすがに諦めて、これまで自分が暮らしていた東南の部屋を最後に見渡した。するといつも背もたれして座っていた柱が目に入り、その柱と別れるのが切なく感じられた。私がここを出て行ったら、あの柱には別の人が背もたれすることだろう。私はその人に柱を譲るのだと思うと、胸にこみ上げてくるものがある。柱は真木、杉や檜で作られている。その古びた柱の色に似ている檜皮色のやや黒ずんだ色の紙が重ねてあったので、それに文字を書き付け、さしていた髪飾りの笄を使って、柱のひび割れしている部分に押し込んだ。それは別れの歌であった。

  今はとて 宿()れぬとも 馴れきつる 真木の柱は われを忘るな

私は今、この家を出て行くが、お前と深く馴れ親しんだ私のことをいつまでも忘れないでいて欲しい。

この歌によって、この姫君は真木柱と呼ばれている。

えも書きやらで泣きたまふ。母君、「いでや」とて、

姫君はこの歌を書き終えるのがやっとで泣き崩れた。母の北の方は、いやもう全く諦めの悪い子だこと、もうここでは暮らせないのですよと言って、自分でも歌を歌った。

   馴れきとは 思ひいづとも 何により 立ちとまるべき 真木の柱ぞ

娘よ、あの柱には命はない。だから心もない。あの柱が御前の事を忘れないとか、懐かしく思い出すことはないのです。

けれども万一奇跡が起きて、柱が御前の事を思い出したとしても、御前の母である私には、この屋敷にもう一度戻ってきてこの真木の柱見るつもりなどない。

御前なる人々もさまざまに悲しく、さしも思はぬ木草のもとさへ、恋しからんことと目とどめて、鼻すすりあへり。

人々 は女房たちである。女房達も一人一人様々な悲しみを感じていた。普段は取り立てて気にも留めなかった庭の木や草などの風情までも、ここを離れたら恋しく思い出されるだろうと見入って、鼻をすすり合っている。

 

次に梅枝の巻に進む。光源氏39歳の春の出来事を描いている。明石の姫君は東宮に入内する準備が着々と進んでいる。嫁入り道具として、姫君の習字の手本となるような優れた筆跡も集められた。そうした中、光源氏は紫の上に仮名文字に関する思い出を語る。

朗読②諸事、昔の方が優れているが、仮名は今の方がよい。中宮の母の六条御息所の筆跡は優れていた。

よろづのこと、昔に劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど仮名のみなん今の世はいと(きは)なくなりたる。古き跡は、定まれるやうにはあれど、ひろき心ゆたかならず、一筋に通ひてなんありける。妙にをかしきことは、外よりてこそ書き出づる人々ありけれど、女手(おみなで)を心に入れて習ひし盛りに、ことのなき手本多く(つど)へたりし中に、中宮の母御息所の、こころにも入れず走り書いたまへりし一行ばかり、わざとならぬを得て、(きは)ことにおぼえしはや。さてあるまじき御名も立てきこえしぞかし。悔しことに思ひしみたまへりしかど、さしもあらざりけり。宮にかく(うしろ)()仕うまつることを、心深うおはせしかば、亡き御影にも見なほしたまふらん。宮の御手は、こまやかをかしげなれど、かどや後れたらん」と、うちささめきて聞こえたまふ。

 解説

平仮名の事を仮名、カンナ、女手などという。ここは「湖月抄」の解釈を盛り込んで現代語訳する。

光る君は紫の上に向かって、これまで自分が受け取った仮名文字の手紙の印象を、率直に語り始めた。あらゆる面で現在の文化の水準は昔より劣っている。けれども仮名文字だけは、それが広まったのがそう古くない為だろうが、今の世の中の方が、これ以上はない程に素晴らしく思われる。昔の時代の仮名文字は、楷書、隷書、草書という漢字の筆法をそのまま残しており、書道の決まりのある筆法であった。だから今の仮名文字の様な自在さや伸びやかさに欠けていて、堅苦しい印象を受ける。最近になって仮名文字の名手が出て来ている。私が仮名文字、即ち女手に興味を持って熱心に学んでいた頃、素晴らしい手本を手に入れた。その中に秋好中宮の母君である六条御息所がお書きになった仮名文字があった。何気なく無造作に書かれた一行くらいの短い文章だった。美しい文字を書こうなどと言う意識の全くない自然な筆使いだったが、これが何ともはや絶品であった。こういう文字を書くのは、さぞかし素晴らしい女性だろうと思ったのが、私と六条御息所が浮名を流すきっかけであった。六条御息所は後になって、私との交際を後悔された。六条御息所は私の心変わりをひどく嘆かれた。けれど私には心変わりなどなかった。私は六条御息所を深く尊敬していたので、六条御息所の娘である秋好中宮を養女にし、心からお世話をした。亡き六条御息所は人情の機微がよく分かった方なので、草葉の陰で私という人間を立派な男だと高く評価していることでしょう。秋好中宮のお書きになる仮名文字も細部まで注意が行き届いている。但しほとばしる才気が感じられず、弱々しいと紫の上には声を潜めてお話になる。

 

最後の所で本居宣長は感想を述べている。光源氏が秋好中宮の文字についての批評を声を潜めて話したのは、紫の上との会話が中宮付の女房達に聞かれて中宮の耳に入ったら、まづいと用心したからであるという。

ではこの平仮名談義の続きを読む。

朗読③ 亡き藤壺の宮、朱雀院の尚侍は上手。更に紫の上も上手と誉める。

「故入道の宮の御手は、いとけしき深うなまめきたる筋はありしかど、弱気ところありて、にほひぞ少なかりし。院の(ないし)(かみ)こそ今の世の上手におはすれど、余りそぼれて癖ぞ添ひためる。さはありとも、かの君と、前斎院と、ここにとこそは書きたまはめ」とゆるしきこえふたまへば、「この数にはまばゆくや」と聞こえたまへば、「いたうな過ぐしたまひそ。にこやかなる方のなつかしさは、ことなるものを。(まん)()のすすみたるほどに、仮名はしどけなき文字こそまじるめれ」とて、まだ書かぬ草子ども作り加えて、表紙、紐などいみじうせきせたまふ。

 解説

故入道 は藤壺。院の(ないし)(かみ) は、朱雀院に仕えている朧月夜。前斎院 は朝顔の斎院。彼女たちも平仮名の名手だった。「湖月抄」を踏まえた現代語訳をする。

光る君はなおも紫の上に向かって仮名文字の名手について話す。

故入道の宮 藤壺の筆跡は深い教養を反映していて、上品であった。但し筆勢が弱いと感じられ物足りなさがあった。

音楽でもいえることだが、強い主張があればおのずと余情が湧き出てくる。最初から美しさのみを大切にすると、弱々しい書体となり奥行きが感じられないものである。朱雀院の(ないし)(のかみ)(おぼろ)月夜(づきよ)は当代きっての名手であるが、癖が強く感じられる。そうはいってもこの尚侍と前の斎院、そしてあなた紫の上が現代を代表する女手(おんなで)の書き手であると言える。光る君は、紫の上を仮名文字の名手として認めた。それを聞いた紫の上は、現代を代表する二人と私を同列にするのは恥ずかしいと謙遜する。すると光る君は口調を変えて、真面目な話をした。謙遜もすぎると自慢している様に聞こえる。藤壺と朧月夜の筆使いについては欠点も述べたので、あなたの筆使いについて率直に述べる。あなたの仮名文字の際立った長所は、やわらかでふっくらとした優しさである。所が漢字、仮名をうまく書こうと意識する余り、平仮名を書く時にいわゆる捨て筆と呼ばれる無造作な文字が混じっていると批評する。光る君は入内する明石の姫君に持たせる書道の手本として、現代の名筆家に書いて貰おうとする。まだ文字の書かれていない、真っ白な紙の束を綴じた草子が幾つも作られている。真っ白な巻物を作ったようである。表紙や紐等装飾にも意を尽くした立派なものである。

 

光源氏が紫の上の書について触れた いたうな過ぐしたまひそ。 という言葉は、現代では謙遜する必要はないと解釈されている。また紫の上の欠点について、現代では漢字と平仮名を併用している男性に対する一般的な批評であると理解されている。

 

それでは「源氏物語」第一部の最後である藤の裏葉の巻に入る。

光源氏は準太上天皇となって栄華の頂点に立つ。もしここで「源氏物語」が終了すれば、ハッヒ-エンドであった。紫式部にはここで筆を置く積りは最初から無かったと思う。タイトルの藤裏葉は若葉の事である。光源氏39歳の3月から12月を描く。第一部の大団円というに相応しくこれまでの伏線が殆ど回収される。夕霧は雲居雁との結婚を認められる。明石の姫君は東宮に入内した。実の母親である明石の君は姫君の後見役となり、娘と対面できた。また紫の上と明石の君との初めての対面もあった。太政大臣であった光源氏は、準太上天皇になって上皇に準じた。内大臣は太政大臣に、
夕霧は中納言に昇進した。来年光源氏は40歳という節目の年を迎える。

 

それでは紫の上と明石の君が初めて対面する場面を読む。

明石の姫君が東宮に入内したのは「湖月抄」の年立てでは12歳、本居宣長の年立てでは11歳。

4月の20日過ぎ、明石の姫君が東宮に入内した。光る君は派手な儀式にしたくないと考えたが、実際には盛大な儀式になった。紫の上が姫君を手元で育て始めたのは9年前。9年間姫君を大切に慈しんで育ててきた。それでも心の奥底では、別の思いもある。実の娘がいてその娘がこんな風に入内するのであれば、どんなにか喜ばしい事だろうという思いである。光る君はだけでなく、野分のいたずらで紫の上の美貌を偶然に見た夕霧、紫の上に実の子供がいないことを残念な事だと思っている。それでは次の場面を読む。

朗読④明石の姫君が東宮に入内。二人の母親の初めての顔合わせ。

三日過ごしてぞ、上はまかでさせたまふ。

立ちかはりて参りたまふ夜、御対面あり。「かくおとなびたまふけぢめになん、年月のほども知られはしべれば、うとうとしき隔ては残るまじくや」となつかしうのたまひて、物語などしたまふ。これもうちとけぬるはじめなめり。ものなどうち言ひたるけはひなど、むべこそはとめざましう見たまふ。またいと気高う盛りなる御けしきを、かたみにめでたしと見て、そこらの御中にもすぐれたる御心ざしにて、並びなきさまに定まりたまひけるも、いと道理(ことわり)と思ひ知らるるに、かうまで立ち並びきこゆる契りおろかなりやはと思ふものから、出でたまふ儀式のいとことによそほしく、御輦車(てぐる)などゆるされたまひて、女御の御ありさまに異ならぬを、思ひくらぶるに、さすがなる身のほどなり。

 解説 実の母親と養母という二人の母親が対面したのである。

三日過ごしてぞ、上はまかでさせたまふ。立ちかはりて参りたまふ夜、御対面あり。

姫君に付き添って宮中で過ごした紫の上は、一連の儀式が終わった三日後に六条院に向かった。その後宮中で、姫君のお世話をするのは姫の実の母親である明石の君である。紫の上は自分と交代して宮中に参内してきた、明石の君とその夜対面した。2人が顔を合わせ、直接に言葉を交わすのはこれが初めてである。

「かくおとなびたまふけぢめになん、年月のほども知られはしべれば、うとうとしき隔ては残るまじくや」となつかしうのたまひて、物語などしたまふ。これもうちとけぬはじめなめり。

紫の上は明石の君に優しく話しかけた。この度、姫君は東宮にめでたく入内され、大きな節目を迎えました。昔、母親であったあなたから幼かった姫君をお預かりしてから9年も経ちました。姫君が入内されるまでに大きくなられたので、その間全くお会い出来なかったあなたの心は、痛い程ほどわかります。今初めてあなたと対面出来ました。これからは(わだかま)りもなく姫君の生みの母、育ての母として仲良くやっていきましょうと仰る。そして何かと世間話に時間を過ごす。この事も、長い事互いに相手に対してしこりがあった二人が、心を割って話し合い和解するきっかけとなった。

なお本居宣長はこの読み方に反対している。「湖月抄」はここで紫の上と明石の君が初めて和解したとしているが、そういうことはない。二人は六条院に入った時から、すでに親しくなっている。親しくなった時からこれまでに、長い時間が経ったという文脈である。そのように本居宣長は言う。

春の町と冬の町とに離れていても、同じ六条院で共に暮らし始めたことが、うちとけぬるはじめなめり と、本居宣長は考えるのである。けれども無理な解釈だと思う。

ものなどうち言ひたるけはひなど、むべこそはとめざましう見たまふ。またいと気高う盛りなる御けしきを、かたみにめでたしと見て、そこらの御中にもすぐれたる御心ざしにて、並びなきさまに定まりたまひけるも、いと道理(ことわり)と思ひ知らるるに、

主語を盛り込んで訳する。

明石の君の言葉遣いや見識、人柄に初めて接した紫の上は、やはり光る君が明石の君がこの人を特別の女性だと大切にするわけが分かったと、彼女の人柄が優れていることに驚きつつ納得した。相手の素晴らしさを認めるのは明石の君も同じだった。紫の上に気品があり、美しい容貌であるのを目の前にして、光る君には並ぶものがない第一夫人としての地位を築いたのも誠に尤もだと、これまた納得するのだった。

かうまで立ち並びきこゆる契りおろかなりやはと思ふものから、

それにつけても、明石の君はこれほど素晴らしい紫の上と、この私とが姫君の二人の母親として対等な立場でいられるのは、私のもって生まれた運命が、さぞかし素晴らしいものだったからだろうと自信を強くする。

出でたまふ儀式のいとことによそほしく、御輦車(てぐる)などゆるされたまひて、女御の御ありさまに異ならぬを、思ひくらぶるに、さすがなる身のほどなり。

けれども次の瞬間には、自分が前の播磨守の娘でしかない身の程を思い知らされた。宮中から退出する一連の式次第は、光る君の正室への扱いに相応しくまことに重々しい。内裏からは輦車(てぐるまく)に乗ったままで退出することを許され、女御と同等の扱いを受けている。それに対して自分は内裏の中に入る時も、出る時も徒歩で移動せねばならない。姫君の母親である自負心と、受領の娘という負い目が明石の君の心の中で交錯するのであった。

 

紫の上と明石の君は、「源氏物語」を代表する二人の女君である。最後に冷泉帝、朱雀院、準太上天皇となった光源氏が、六条院に打ち揃う場面を読む。六条院に冷泉帝と朱雀院がお越しになったのである。

朗読⑤夕方になり紅葉を見て朱雀院、冷泉帝も歌を詠む。

夕風の吹き敷く紅葉のいろいろ濃き薄き、錦を敷きたる渡殿の上見えまがふ庭の面に、容貌(かたち)をかしき(わらべ)への、止む毎泣き家の子どもなどにて、蒼き赤き白(つるばみ)、蘇芳、葡萄(えび)(ぞめ)など、常のごと、例の()(づら)に、額ばかりのけしきを見せて、短きものどもをほのかに舞ひつつ、紅葉の蔭にかヘリ入るほど、日の暮るるもいと惜しげなり。楽所(がくしょ)などおどろおどろしくはせず、上の御遊びはじまりて、書司(ふみのつかさ)の御琴ども召す。物の(きょう)(せつ)なるほどに、御前にみな御琴どもまゐれり。宇陀の法師の変わらぬ声も、朱雀院は、いとめづらしくあはれに聞こしめす

  秋をへて 時雨ふりぬる 里人も かかる紅葉(もみじ)の をりこそ見ね

恨めしげに思したるや。帝

  世のつねの 紅葉とや見る いにしへの ためしにひける 庭の錦を

と聞こえ知らせたまふ。御容貌(かたち)いよいよねびととのほりたまひて、ただ一つものと見えさせたまふを、中納言さぶらひたまふが、ことごとならぬこそめざましかめれ。

 解説

「湖月抄」の解釈を踏まえた現代語訳をする。

夕風が吹きしきり、色取り取りの紅葉が庭に散り敷く。渡り廊下には豪華絢爛たる錦が敷き詰められている。人々は錦と、庭を埋め尽くした天然の紅葉が一続きであるかのように錯覚する。その庭で眉目秀麗な童たちが、左右二つに分かれて舞をしている。彼らは名門の子息たちで舞を披露する際には、常に着用する色々な色彩の衣装を身に着けている。彼らはいつもそうするように、髪を少年らしく結い、頭には金物の冠をつけている。彼らは短い舞を何曲か披露し、紅葉の蔭に消えていく。見ていると日の暮れるのが惜しまれる風情である。楽員たちも大勢ではないので、大げさな演奏はせず、やがて堂上の遊びが始まって、行幸に付き添ってきた殿上人たちの演奏が始まる。楽器を管理する役所から、由緒ある楽器の数々を持ってこさせる。帝、院、準太上天皇の前にも和琴が置かれた。朱雀院は和琴の名器 宇陀の法師 をお弾きになる。朱雀院は長く伝わってきた名器が、昔聞いたのと変わらない音で演奏されるのを聞くのが久し振りなので感慨深く感じられる。

その朱雀院の歌。

  秋をへて 時雨ふりぬる 里人も かかる紅葉(もみじ)の をりこそ見ね

私はここにいる三人の中でも最も年長である。時雨が降ると紅葉の色が美しく染まると言われているが、私は長い人生でこれ程素晴らしい紅葉を見たことはない。朱雀院が帝位にあった時には、こういう豪華な行幸が無かったことを残念に思っているのだろう。冷泉帝も歌を披露する。

   世のつねの 紅葉とや見る いにしへの ためしにひける 庭の錦を

朱雀院はこのように美しい紅葉を見たことはないと言われるが、そんなことはない。本日の行幸は、桐壷の帝の御在位中、上皇をお祝いした紅葉の宴を再現したものである。その時に朱雀院はまだ東宮であられたが、儀式を御覧になったはずです。冷泉帝は朱雀院にこの様に教えて差し上げた。22歳になる冷泉帝の容貌は大人の雰囲気を漂わせている。そのお顔が39歳の光る君とお顔と瓜二つだと人々の目には見えた。しかもこの場に控えている19歳の夕霧の顔も又、この二人とそっくりなのである。これは夕霧の容姿が素晴らしいという事なのだが、いささか面倒な事でもある。夕霧が光る君の顔と似ているのは、親子だから何の問題もない。冷泉帝と光る君の顔は、あまり似ているというのはどういうものだろうか。この二人は秘密の親子なのだから。

 

登場人物の年令は、「湖月抄」の年令計算である。この大団円では、天皇、上皇、準太上天皇の三人の天皇が揃った。また光源氏、冷泉帝、夕霧という親子関係にある三人も揃った。風で散り敷く紅葉が、人々を美しく包んでいた。

残照、夕映えの中に浮かび上がった、この美しい時間は永遠に続くものだろうか。

 

「コメント」

 

華々しい光源氏の時代は過ぎて、今までの事が複雑に絡みあい、今後は波乱万丈の予感。これで半分過ぎたのだ。