241012㉘「野分の巻」28帖・「行幸の巻」29帖・「藤袴の巻」30

「野分の巻」・「行幸の巻」・「藤袴の巻」の名地面を読む。野分の巻では紫の上の美貌を、義理の息子である夕霧が偶然に垣間見る。行幸の巻と藤袴の巻では、光源氏と内大臣かつての頭中将とのライバル関係に注目する。光源氏は内大臣の娘である玉鬘を、自分の娘であると偽って六条院に引き取っている。光源氏と玉鬘の間には実事はないが、それを疑う人はいる。玉鬘の父親である内大臣もその一人である。

 

まず野分の巻を読む。光源氏36歳の8月の出来事である。この巻では野分、暴風、台風の話題が中心である。タイトルは言葉つまり散文の中に用いられている言葉から採られた。秋、野分が都を襲った。生ける仏の御国である六条院の町でも、被害があった。この風のまぎれで、夕霧は紫の上の顔を初めて見たのである。この名場面を読む。

朗読①野分の風で御簾が捲れて、夕霧は美貌の紫の上の顔を偶然見てしまう。

南の殿(とおとど)にも、前栽(せんざい)つくろはせたまひけるをりしも、かく吹き出でて、もとあらの小(はぎ)はしたなく待ちえたる風のけしきなり。折れ返り、露もたまるまじく吹き散らすを、すこし端近くて見たまふ。大臣(おとど)は、姫君の御方におはしますほどに、中将の君参りたまひて、東の(わた)殿(どの)の小障子の上より、妻戸の開きたる(ひま)を何心もなく見入れたまへるに、女房のあまた見ゆれば、立ちとまりて音もせで見る。御屏風(びょうぶ)も、風のいたく吹きければ、押したたみ寄せたるに、見通しあらはなる廂の御座(おまし)にゐたまへる人、ものに紛るべくもあらず、気高くきよらに、さとにほふ心地して、春の曙の霞の()より、おもしろき(かば)(さくら)の咲きみだれたるを見る心地す。あぢきなく、見たてまつるわが顔にも移り来るやうに、愛敬(あいきょう)はにほひたり、またなく目づらしき人の御さまなり。御簾(みす)の吹き上げらるるを、人々押へて、いかにしたるにかあらむ。うち笑ひたまへる、いといみじく見ゆ。

 解説

夕霧の目に映った紫の上の姿である。

南の殿(とおとど)にも、前栽(せんざい)つくろはせたまひけるをりしも、かく吹き出でて

南の殿(とおとど) は、南の御殿即ち春の町の建物である。紫の上が住んでいる春の御殿は、春に咲く花を中心に庭作りがなされているが、前栽(せんざい)には秋の草花も植えてある。それが見頃になったので手入れがされていた。丁度その頃を見計らったかのように、猛烈な野分が吹いてきた。

もとあらの小(はぎ)はしたなく待ちえたる風のけしきなり。折れ返り、露もたまるまじく吹き散らすを、すこし端近くて見たまふ。

もとあらの小(はぎ) は、和歌を踏まえている。

  宮城野の もとあらの小萩 露を重み 風を待つと 君をこそ待て 古今和歌集 よみびと知らず

萩の花の名所である宮城野では、根元の葉が疎らな小萩が生えているが、沢山の露に宿られ重そうである。小萩は風が露を吹き飛ばすのを待っている。それと同じ様に涙で濡れている女が、男の訪れを待っているという歌である。六条院の春の町の草花も、重い露を払ってくれる風を待っているが、とんでもなく強い嵐が吹いてきたので、こんな暴風を待っていたのではないと、今更引っ込みのつかない思いをしていることだろう。

小倉百人一首の

  うかりける 人を初瀬の 山おろし はげしかれとは 祈らぬものを 千載集 源俊頼

という歌も思い合わされる。

兎に角、草花を大きくしなわせて、露だけでなく草花までが全く残っていない程に、暴風が吹きつけるのを、紫の上は部屋の中の少し庭に近い場所、廂の間から眺めていた。

大臣(おとど)は、姫君の御方におはしますほどに、中将の君参りたまひて、東の(わた)殿(どの)の小障子の上より、妻戸の開きたる(ひま)を何心もなく見入れたまへるに、女房のあまた見ゆれば、立ちとまりて音もせで見る。

大臣(おとど) は、太政大臣である光源氏である。光る君は野分の見舞いの為に、まだ9歳の明石の姫君の部屋を訪れていた。

紫の上は女房達を除けば一人だった。そこで夕霧が野分の見舞いの為、紫の上が一人でいる部屋に参上した。夕霧は親孝行なので父親である光る君への挨拶を欠かさない。その夕霧が東側の渡り廊下に置いてある衝立障子の上から、何気なく部屋の方を見たら妻戸が開いている隙間から、紫の上の部屋の中が見えた。障子の上の方は小窓のような隙間が開いているので、そこまで中の様子が見えた。夕霧の目には沢山の女房達が見えたので、立ち止まり息を殺して暫く様子を窺うことにした。

屏風(びょうぶ)も、風のいたく吹きければ、押したたみ寄せたるに、見通しあらはなる廂の御座(おまし)にゐたまへる人、ものに紛るべくもあらず、

部屋の中の仕切りの屏風(びょうぶ) も風がひどく吹いてくるので折りたたんで部屋の隅に寄せてある。夕霧の視界を遮る者は何もない。夕霧は一人の女性に目と心が吸い寄せられた。その女性は、廂の間に置かれた御座所に座っていた。周りには女房達が何人もいるが、彼女たちとは雰囲気が全く違う。一目見ただけで夕霧にはこのお方が父親の最愛の女性である紫の上であると確信した。紫の上の顔を見るのは初めてである。けれどもすぐに分った。

気高くきよらに、さとにほふ心地して、春の曙の霞の()より、おもしろき(かば)(さくら)の咲きみだれたるを見る心地す

にほふ は、嗅覚ではなく、視覚、目に飛び込んでくる華やかさを表す。

(かば)(さくら) は、色の赤い桜の事である。本居宣長は、(かば)(さくら) と朱色の桜が同じものかどうか疑っているが、現在は同じものとされている。その女性には気品があった。清らかな透明感があった。溢れ出る魅力がこちらまで伝わってくるような華やかさがあった。物に例えると、春の曙に辺り一面を覆っている霞に一瞬途絶えが出来、その隙間から美しい樺桜の花が絢爛と咲き誇るのが見えた時の感動といったら良いだろうか。

  朝みどり 野辺の霞は 包めども こぼれてにほふ 樺桜かな 拾遺和歌集 よみびと知らず

という和歌が思い合わされる。樺桜は古今和歌集にも見える。樺色、赤みを帯びた黄色の桜の事である。

あぢきなく、見たてまつるわが顔にも移り来るやうに、愛敬(あいきょう)はにほひたり、またなく目づらしき人の御さまなり。

「湖月抄」 は、あぢきなく は、見たてまつる にかかると考え、本居宣長の弟子の鈴木(あきら)は、少し離れた にほひたり に掛ると考えている。この場面の、あぢきなく は、どうしようもない位の意味である。現在はこの鈴木(あきら)の説を採用している。紫の上に違いない女性から発散されている華やかな魅力は、こっそり見ている自分の顔までどうしようもない程に、染まるのではないかと夕霧には思われた。これほどの女性はこの辺にいるだろうかと、驚嘆する美しさであった。

御簾(みす)の吹き上げらるるを、人々押へて、いかにしたるにかあらむ。うち笑ひたまへる、いといみじく見ゆ。

人々 は女房たちである。風が強く吹くので簾が軽々と吹き上げられている。几帳には風の吹き上げるのを抑える重しが附いているが、役に立たない。何があったのだろうか。紫の上はにっこり笑う。この笑顔を見てこれまた花が咲くように美しい。紫の上は春の季節を愛し、梅や桜や花を愛する女性である。なので今の季節は秋なのに春に咲く樺桜に例えられているのである。

 

これに続く場面を読む。

朗読②夕霧が紫の上の見とれている所に、光る君が部屋に入ってくる。夕霧は父の心を推し量る。

夕霧はこれまで二人を会わせなかった父・光源氏の心を思いやる。「湖月抄」の年立てでは夕霧16歳。紫の上29歳。本居宣長説では夕霧15歳。

花どもは心苦しがりて、え見棄てて入りたまはず。御前なる人々も、さまざまにものきよげなる姿どもは見わたさるれど、目移るべくもあらず。大臣(おとど)のいとけ遠くはるかにもとなしたまへるは、かく、見る人ただにはえ思ふまじき御ありさまを、至り深き御心にて、もしかかることもやと思すなりけりと思ふに、けはひ恐ろしうて、立ち去るにぞ、西の御方より、内の御障子(みしょうじ)ひき開けて渡りたまふ。

「いとうたて、あわたたしき風なめり。御格子(みこうし)おろしてよ。男どもあるらむを、あらはにもこそあれ」と聞こえたまふを、また

寄りて見れば、もの聞こえて、大臣もほほ笑みて、見たてまつりたまふ。親ともおぼえず、若くきよげになまめきて、いみじき容貌(かたち)の盛りなり。女もねびととのひ、飽かぬことなき御さまどもなるを身にしむばかりおぼゆれど、この渡殿の格子を吹き放ちて、立てる所のあらはになれば、恐ろしうて立ち退()きぬ。

 解説

ここは「湖月抄」のもとにした現代語訳する。

紫の上が庭に近い廂の間に座っていたのは、見頃になった草花が野分に吹き乱されるのを可哀想に思ったからであった。草花を見捨てて部屋の奥に戻る決心がつかないのだった。その紫の上の周りには何人もの女房達がいて、かなりの美形ではあるが、一度紫の上を見てしまった夕霧は全く目移りはしない。(ちん)(こう)の長恨歌伝には、楊貴妃一人の前には

後宮の大勢の美女たちが土の如しであったと書かれている。それと同じで紫の上の圧倒的な美貌の前には、女房たちが土や泥のように見えたのである。初めて見た義母である紫の上の美貌に驚嘆した夕霧はふと気付いた。父親・光る君は、私を彼女の部屋から遠ざけている。その理由がやっと理解できた。今、私は偶然に紫の上の顔を見て激しく心が震えた。父上は紫の上の顔を見た男の心は唯では済まなくなるだろうと考えて、私を紫の上から遠ざけているのだ。そして野分の襲来がもたらした偶然によって、自分が紫の上の顔を垣間見た事実を光る君に知られたら、大変なことになるだろうと恐ろしくなった。夕霧はその場所から移動して、垣間見を中止した。丁度その瞬間に、明石の姫君を見舞い終えた光る君が仕切りの隙間をあけて、紫の上の部屋に入ってきた。入ってくるなり光る君は、いやはやひどいものですね、油断のならない風のようですよ、部屋の格子は早く下ろした方がよい、こういう慌ただしい時には何かと部屋の近くまで男たちが入ってきて、修復作業をしたりするものである、彼らから丸見えですよと紫の上に話しかける。その声を聞いて、二人はどういう感じなのか知りたくて、夕霧はもう一度元の場所まで戻って様子を窺った。光る君は更に紫の上に何事か話しかけ、にっこり笑って紫の上の顔を見ている。その光る君の顔は自分の父親とはとても思えない程の若々しさである。なおかつ気高さも兼ね備わっている。まさに36歳の男盛りである。お相手をしている紫の上も29歳で美しく成熟している。まさに最高の美男美女である。夕霧はこの二人が自分の父親と義母である事も忘れて、ぞくぞくしながら見入っていた。その内ハッと気づくと、自分がこっそり垣間見していた寝殿の東側の渡り廊下の格子の風が吹き上げてきた。衝立の後ろから見ている自分の姿も、光る君から見えてしまいそうに思われたのでそこを立ち去った。

 

それでは行幸(みゆき)の巻に進む。光源氏36歳の12月から37歳の2月まで。巻の名称は和歌の言葉から名付けられた。行幸は天皇のお出掛けの事である。この巻では冷泉帝の大原野への行幸が語られている。玉鬘は23歳。光源氏は彼女を冷泉帝に入内させようと思っている。冷泉帝は19歳だが、まだ男の子がいない。光源氏は内大臣・頭中将との間に懸案を二つ抱えている。一つは内大臣の娘である玉鬘を、いつどのようにして内大臣と対面させるか。もう一つは自分の息子の夕霧と内大臣の娘の雲居の雁を、いつどのようにして結婚させるか。光源氏は内大臣との対面にこぎつけ、彼に話しかける。光源氏の政治手腕と交渉能力が発揮される場面である。

朗読③二人は久し振りに対面し、お互いに無沙汰を詫びつつ話し合う。

「昔より、公私(おほやけわたくし)のことにつけて、心の隔てなく、大小のこと聞こえうけたまはり、羽翼(はね)を並ぶるやうにて、朝廷(おおやけ)の御後見(うしろみ)をも仕うまつるとなむ思うたまへしを、末の世となりて、その(かみ)思ひたまへし本意(ほい)なきやうなることうちまじりはべれど、内々の私事(わたくしごと)にこそは。おほかたの心ざしは、さらに移ろふことなくなむ。何ともなくて積りはべる年齢(としよわい)にそへて、いにしへのことなん恋しかりけるを、対面賜ることもいとまれにのみはべれば、事限りありて、よだけき御ふるまひとは思ひたまへながら、親しきほどには、その御勢ひをもひきしじめたまひてこそは、とぶらひものしたまはめとなむ、恨めしきをりをりはべる。」

 解説

ここは「湖月抄」を踏まえた現代語訳で、光源氏が内大臣の友情に訴えようとする話術を堪能しよう。

久し振りの対面なので光る君は親しく内大臣・頭中将に話しかける。

私たち二人は昔から仲の良い友人であった。朝廷に仕える公の政治の世界でも、結婚や恋愛などの私的な側面でも私たち二人の間には何の隠し事もなかった。大は社会全体の事から、小は個人的な恋愛に至るまで、ありのままに私はあなたに打ち明けたし、あなたも私に語ってくれた。私たち二人は中国の伝説的賢人である商山(しょうx@y)()(こう)のような存在であった。漢の皇祖が皇太子を追放して、別の皇子を皇太子に着けようと画策したことがあった。この時四人の賢人が力を合わせて、皇太子の地位を守ったと伝えられる。それが評判の()(こう)である。賢臣、賢い家臣は天子の羽翼(うよく)であるという言い方は、ここから始まった。右大臣と弘徽殿の大后が、冷泉帝を地位から追い落とそうと画策した時に、私たち二人は力を合わせて阻止した。世間では私とあなたを白楽天の長恨歌でいう比翼の鳥のように、一心同体であると噂していた。いつまでもそのような関係でいたいと願っていたが 年を重ねると私たちの信頼関係を損ねる不本意な事が幾つか生じた。無論、公の政治の世界での対立ではなく、私の側面での行き違いである。昔の様な蜜月関係ではないものの、私の本心としたら、あなたへの友情を持ち続けている。

ここで語り手から少しだけ、補足する。光る君は内大臣の娘である弘徽殿の女房が先に入内していたのに、後から自分の養女である秋好中宮を入内させて、冷泉帝の寵愛を奪ったことがあった。また自分の息子の夕霧と、内大臣の娘の雲居雁との結婚が滞っている。更には内大臣の娘である玉鬘を、自分が父親として称して育んでいる。これらのことを念頭に置いて、光る君は話している。

ここからは、光る君の発言に戻る。

はッと気付くと多くの時間が過ぎ去り、いつの間にか私たち二人共年齢を重ねていた。年を取ると無性に昔のことが恋しくて堪らない。懐かしい貴方にあってもらえる機会も殆どなくなった。内大臣という高い地位なので、朝廷の政を一人で決済せねばならず、自由になる時間がままならないことはよく承知している。けれども私のような古い友人に対しては、重い責任のある立場を忘れて、気安く訪ねて来て欲しいと残念に思う事が何度もある。

 

太政大臣と内大臣という最高権力者の二人が、政治の世界で物を言う腹芸を駆使して話し合っている。光源氏と内大臣は、従兄弟同士である。また義理の兄弟でもある。二人は同世代の貴公子として並び称されたが、芸術的な才能でも政治でも恋愛でも、常に光源氏がNO 1であった。内大臣は光源氏の歩む道を少し遅れてたどるMO 2 であった。

 

この場面の続きを読む。

朗読④内大臣は昔は失礼な位、馴れ馴れしくさせて頂きましたが、年を取ると気ままになって失礼しておりますと言う。

いにしへはげに(めん)()れて、あやしくたいだいしきまで馴れさぶらひ、心に隔つることなく御覧ぜられしを、朝廷(おおやけ)に仕うまつりし際は、羽翼(はね)を並べたる数にも思ひはべらで、うれしき御かへりみをこそ、はかばかしからぬ身にてかかる位に及びはべりて、朝廷(おおやけ)に仕うまつりはべることにそへても、思ふたまへ知らぬにははべらぬを、(よわい)の積りには、げにおのつざからうちゆるぶことのみなむ多くはべりける」など、かしこまり申したまふ。

 解説

内大臣は心の中では光源氏がどういう要求を持ち出すか警戒しつつ、表面は(へりくだ)って返事をしている。

いにしへはげに(めん)()れて、あやしくたいだいしきまで馴れさぶらひ、心に隔つることなく御覧ぜられしを、

あなたと同じ様に私も若い頃が恋しい。あの頃はまことに親しく礼儀を忘れて、不思議なほどに馴れ馴れしく、あなたにぶしつけに纏わりついた。雨夜の品定めでも、何の隠し事もせずに話した。

朝廷(おおやけ)に仕うまつりし際は、羽翼(はね)を並べたる数にも思ひはべらで、うれしき御かへりみをこそ、

いささか文脈が不安定で意味が取り難い。「湖月抄」は 羽翼(はね)を並べたる数にも及びはべられ、うれしき御返り身をこそ という本文があると指摘している。次のような意味になる。但し責任ある立場で朝廷にお仕えする立場になってからは、あなたが言われたような、天子の羽翼(はね)という事はありません。私の能力はあなたより決定的に劣っているからである。

比翼の鳥のように羽を並べて実力が拮抗することも恥ずかしながら無かった。あなたの友情と引き立てを賜り、私は辛うじて政治の世界で対処していくことが出来た。

はかばかしからぬ身にてかかる位に及びはべりて、朝廷(おおやけ)に仕うまつりはべることにそへても、思ふたまへ知らぬにははべらぬを、

私の様な非才な者が内大臣という重責を拝命しているのも、あなたのご恩であると感謝している。あなたは私より先に着いた役職を惜しげもなく私に譲ってくれた。

(よわい)の積りには、げにおのつざからうちゆるぶことのみなむ多くはべりける」など、かしこまり申したまふ。

最近ご挨拶に立ち寄りませんのは、年を取りつつなまけ癖が身についた為である。恩義あるあなたへの配慮が足りず、様々な面で不愉快な思いをさせてしまった。誠に申し訳ないとお詫びする。

 

内大臣・頭中将は善人である。けれども光源氏の政治力の前には無力である。内大臣は光源氏を(おびや)かしたり、傷つけたりは出来ない。光源氏の究極のライバルは、若菜上の巻、若菜下の巻、柏木の巻における柏木である。即ち内大臣の長男である。この柏木が光源氏を脅かした。

 

さてこの後光源氏は、内大臣の玉鬘の存在を教える。それを聞いた内大臣はどのように考えたのだろう。次の藤袴の巻に進む。光源氏37歳の8月と9月の出来事である。和歌と散文の両方から巻の名前が付けられた。和歌には

  同じ野に 露にやつるる 藤袴 あはれはかけよ かことばかりも  という夕霧の歌がある。

但し散文では藤袴のことを、ラニ と表記している。オランダのことを漢字で 蘭 と書くが、その 蘭 という漢字には藤袴という意味がある。現在では らん という発音だが、古文では らに と表記されることが多い。玉鬘の結婚問題が

いよいよ最終段階に差し掛かっている。行幸の巻では光源氏と内大臣・頭中将との対面を読んだ。
内大臣はどう感じたであろうか。その事を夕霧が父である光源氏にぶっつける場面がある。夕霧は野分の巻で光源氏が玉鬘と睦まじく接近している姿を目撃している。二人がどのような関係なのか疑問に思っている。

朗読⑤夕霧は玉蔓のことを世間がいろいろ言っているという。しかし光源氏はそんな噂を一笑に付す。

「年ごろかくてはくぐみきこえたまひける御心ざしを、ひがざまにこそ人は申すなれ。かの大臣(おとど)もさやうになむおもぶけて、

大将のあなたざまのたよりに気色ばみたりけるにも、(いら)へたまひける」と聞こえたまへば、うち笑ひて、「方々いと似げなきことかな。なほ、宮仕をも何ごとをも、御心ゆるして、かくなんと思されんさまにぞ従ふべき。女は三つに従ふものにこそあなれど、ついでを(たが)えて、おのが心に任せんことはあるまじきことなり」とのたもう。「内々にも、やむごとなきこれかれ年ごろを経てものしたまへば、えその筋の人数(ひとかず)にはものしたまはで、棄てがてらにかく譲りつけ、おほぞうの宮仕の筋に領ぜんと思しおきつる、いと賢くかどあることなりとなんよろこび申されける と、たしかに人の語り申しはべりしなり」と、いとうるわしきさまに語り申したまへば、げに、さは思ひたまふらむかしと思すに、いとほしくて、「いとまがまがしき筋にも思ひよりたまひけるかな。いたり深き御心ならひならむかし。いまおのづから、いづ方につけても、あらはなることありなむ。思ひ隈なしや」と笑ひたまふ。御気色はけざやかなれど、なほ疑ひはおかる。

  解説

「年ごろかくてはくぐみきこえたまひける御心ざしを、ひがざまにこそ人は申すなれ。

父上が玉蔓をこの様に2年近くも大切にお育てになったことを世間の口さがない者たちは、おかしな風に解釈して言いふらしています。父上が玉蔓を異性として恋愛の対象としているのではないかと言うのである。

かの大臣(おとど)もさやうになむおもぶけて、大将のあなたざまのたよりに気色ばみたりけるにも、(いら)へたまひける」と聞こえたまへば、

かの大臣(おとど) は 内大臣。大将は(ひげ)(くろ)の事である。気色ばみ は 髭黒が玉蔓の実の親である内大臣に、玉蔓との結婚を申し入れたことを指している。髭黒大将が玉蔓を妻に迎えたいと、実の父親である内大臣に伝手を頼って内々で申し込んだようである。その際にも内大臣は今、私が語った噂と同じ様な疑念があると大将に返事したそうである。

うち笑ひて、「方々いと似げなきことかな。なほ、宮仕をも何ごとをも、御心ゆるして、かくなんと思されんさまにぞ従ふべき。

光る君は一笑にふした。世間の噂も内大臣の推測もどちらも見当違いだ。私は玉蔓を冷泉帝の中宮に推挙しようかと考えているのだが、矢張りこういう事は実の父親である内大臣が納得して、娘の玉蔓をこうしようと決めた方針に従うしかあるまい。

女は三つに従ふものにこそあなれど、ついでを(たが)えて、おのが心に任せんことはあるまじきことなり」とのたもう。

光源氏は儒教の (さん)(じゅう)(おしえ) を持ちだす。「湖月抄」は次の様に解釈している。

礼記(らいき) には 三従の教え というものが書いてある。女は幼き時は、父や兄に従い、嫁しては夫に従い、夫に立たれた後は子供に従うという教えである。玉蔓はまだ結婚していないから父の教えに従えばよい。私も玉蔓の養父ある。だから私の一存で決めてもいいのだが、矢張り実の父親がいるのだから、その内大臣の考えに従うべきで、養父の私がしゃしゃりでたら優先順位が乱れる。もっとも嫁しては夫に従う だから私と結ばれていたとしたら、私の発言権が実の父の発言権より大きいのだが当然ながら私と玉蔓の間にはそのような事はない。この様に光る君は筋道を明瞭にして返事をした。

所が夕霧は納得せず食い下がる。

「内々にも、やむごとなきこれかれ年ごろを経てものしたまへば、えその筋の人数(ひとかず)にはものしたまはで、棄てがてらにかく譲りつけ、おほぞうの宮仕の筋に領ぜんと思しおきつる、いと賢くかどあることなりとなんよろこび申されけると、たしかに人の語り申しはべりしなり」

夕霧は人から聞いたことにして、自分の疑問をぷっつけている。これまた内大臣のお言葉である。光る君は玉蔓を愛人にいるのだろう。既に紫の上を始め立派な妻が何人もいるので、更に玉蔓を妻として処遇できないと判断したのであろう。

今が棄て時という訳である。どうせ棄てるのだったら、これを機会に実の父親にゆずり渡して、有難たがらせてやろう。

その上で、女は形だけは冷泉帝に宮仕えさせるけれども、(しょう)()という役職は常に宮中に出仕している必要はなく、里で暮らしていても良い職である。だから鳥を籠の中に閉じ込めて置くように、玉蔓を六条院で生活させこれまで通りに、愛人関係をつづけよう。光る君はこういう、まことに賢明な方法を考え出していたのだ。実の父親としては感謝したいと内大臣が口にしたことを、私はさる男から確かな事実として聞いた。内大臣の感謝は無論父君への痛烈な皮肉であろう。

夕霧はここまで話を語る度胸が備わっているのだ。政治家として有望である。

と、たしかに人の語り申しはべりしなり」と、いとうるわしきさまに語り申したまへば、

夕霧は理路整然と父親に自分の疑問をぶっつけた。

げに、さは思ひたまふらむかしと思すに、いとほしくて、「いとまがまがしき筋にも思ひよりたまひけるかな。いたり深き御心ならひならむかし。いまおのづから、いづ方につけても、あらはなることありなむ。思ひ隈なしや」と笑ひたまふ。

それを聞いた光る君は、成程確かに内大臣の性格ならば、そういう風に思うであろう、さぞかし苦しんでいるだろう内大臣をいたわしいと思った。夕霧に向かっては、内大臣の性格によるものだと答えた。何ともひねくれた思い入れを内大臣はしたものだ。内大臣は事をはっきりさせる性分であるし、一度思い込んだらそれを絶対に変えない頑固なところがある。世間のあちこちで起きているあらゆることに気を回して、世間の噂を信じてしまったのだろうと言って、笑い話にしてしまった。

御気色はけざやかなれど、なほ疑ひはおかる。

光る君の顔付や様子から、夕霧は光る君の言葉に嘘はないだろうという判断に達した。但し野分の直後に添い臥している光る君と玉蔓の濃密な姿を目撃しているだけに、二人の関係についてすっきり疑念が解消された訳ではなかった。

玉鬘の結婚問題はどう決着するのであろうか。

 

「コメント」

 

朝廷の公の事どころではない。自分の周りの火消しに追われている光源氏。遂に息子の夕霧も参戦。