240928㉖「蛍の巻」 26帖/54帖

六条院の季節は夏になった。光源氏36歳の5月である。タイトルの蛍という言葉は、和歌にも散文にも使われている。この巻には二つの中心がある。兵部卿宮が、蛍に照らされた玉鬘を垣間見る抒情的な場面である。この場面から彼は蛍宮と呼ばれている。もう一つは光源氏と玉鬘が物語論を展開する評論的な場面である。この物語論は(はは)(きぎ)の巻の雨夜の品定めと並び、「源氏物語」が批評物語である事を示す部分である。本居宣長も「玉の小串」で詳しく論評している。

 

それでは蛍の場面から読む。兵部卿宮は光源氏の弟で、玉鬘に心を寄せている。彼の心を更に引き付けようと、光源氏は玉鬘に美しい姿を蛍の光で照らし出して見せた。文章の途中からであるがその場面を読む。

朗読①

寄りたまひて、御几帳(きちょう)帷子(かたびら)一重(ひとえへ)うちかけたまふにあはせて、さと光るもの、紙燭(しそく)をさし出でたるかとあきれたり。蛍を薄きかたに、この夕つ方いと多くつつみおきて、光をつつみ隠したまへりけるを、さりげなく、とかくひきつくろふやうにて、にはかにかく掲焉(けちえん)に光れるに、あさましくて、扇をさし隠したまへるかたはら目いとをかしげなり。おどろかしき光見えば、宮ものぞきたまひなむ。わがむすめと思すばかりのおぼえに、かくまでのたまふなめり。人ざま容貌(かたち)など、いとかくしも具したらむとは、え()しはかりたまはじ、いとよくすきたまひぬべき心まどはさむ、と構へ歩きたまふなりけり。まことのわが姫君をば、かくしももて騒ぎたまはじ、うたてある御心なりけり。他方(ことかた)より、やをらすべり出でて渡りたまひぬ。

 解説

寄りたまひて、御几帳(きちょう)帷子(かたびら)一重(ひとえへ)うちかけたまふにあはせて、さと光るもの、紙燭(しそく)をさし出でたるかとあきれたり

現代では さて と続くが、 さと と続いている。光源氏はそっと玉鬘の方に近付いて、彼女の前に置かれている几帳帷子の一枚を引き上げて横木にはね掛けた。几帳 には、五枚の 帷子 があるが、その内の一枚が無くなったのである。引き上げた瞬間に勢いよく何か光るものが放たれた。玉鬘は突然に明かりが何かを近づけられたのかと驚いた様子であった。

蛍を薄きかたに、この夕つ方いと多くつつみおきて、光をつつみ隠したまへりけるを、さりげなく、とかくひきつくろふやうにて、にはかにかく掲焉(けちえん)に光れるに、

薄きかた という言葉はいささか意味不明である。「湖月抄」の解釈はこうである。その  というのは、何だったのだろうか。実は光る君はこの日の夕方に、沢山の蛍を集めていた。それを直衣(のうし)の薄い方の袖に中に何気ない様な素振りで包み隠して、光が漏れないようにしていた。玉鬘は突然にこの様に明るい光が目に入った。「湖月抄」がこの様に解釈したのは、「宇津保物語」に帝が直衣(のうし)の袖に包んでおいた蛍の光で、内侍の顔形をみるという場面があるからである。そこで蛍の巻も 薄きかた は、直衣の薄い方と考えたのである。それに対して本居宣長は、 薄きかた は薄き紙の写し間違いだろうと言っている。蛍を薄い紙で包んでおいたというのである。確かに紙の方が抒情的であるが、現在でも 薄き紙説は多数ではない

あさましくて、扇をさし隠したまへるかたはら目いとをかしげなり。

自分の顔形がはっきりと他の人に見られてしまいそうなので、玉鬘はびっくりして目をそばめつつ扇で顔を隠した。その横顔がとても美しく見えた。

おどろかしき光見えば、宮ものぞきたまひなむ。わがむすめと思すばかりのおぼえに、かくまでのたまふなめり。人ざま容貌(かたち)など、いとかくしも具したらむとは、え()しはかりたまはじ、いとよくすきたまひぬべき心まどはさむ、と構へ歩きたまふなりけり。

この箇所では光源氏の魂胆(こんたん)を語り手が推測している。光る君は次の様に考えた。突然に強い光が見えたら、兵部卿宮もたまらず光っている方角を見るだろう。すると玉鬘の美貌がはっきりと見えるはずだ。宮は玉鬘に求婚しているが、
それは彼女が私の娘のあるという私の偽装を、宮が信じているからであろう。宮は玉鬘がこれほどに心ばせと顔かたちが完璧な女性であるとは思っていないだろう。是非とも玉鬘の美貌を兵部卿宮に見せて、宮の心をこれまで以上に激しく、恋ゆえに迷わせたいものだ。

まことのわが姫君をば、かくしももて騒ぎたまはじ、うたてある御心なりけり。他方(ことかた)より、やをらすべり出でて渡りたまひぬ。

ここは語り手のコメントである。けれども語りである私から、読者の皆さんに申し上げる。こんな振舞いは玉鬘が光る君の本当の娘でないから出来たのである。もしも本当の娘を、具体的には明石の姫君だが、彼女が心も顔かたちも最高の女性であったとしても、蛍の光で輝かせて殿方に見せることを、明石の姫君に対してするとはとても思えない。光る君の考えと行動はまことに不謹慎である。このことを自分で自覚しているかどうか、光る君は兵部卿宮が玉鬘の顔を見ているのとは別の方向から、こっそり部屋を抜け出し自分の部屋に戻ったのである。蛍光(けいか) 蛍の光で美女の顔形を照らし出すという趣向には、先程名前を出した「宇津保物語」の外に、「伊勢物語」の第39段が有名である。

 

さて蛍の光に照らされた玉鬘の美貌を見た蛍宮は、玉鬘と歌を贈答した。最初に読むのが蛍宮の歌で、後で読むのが玉鬘からの返事である。

朗読② 二人の贈答歌 兵部卿宮→玉鬘

  なく声も きこえぬ虫の 思ひだに 人の()つには きゆるものかは 蛍宮

虫の 思ひだに  ひ が 蛍の ひ、光 の掛詞である。小さな蛍は鳴くこともなく、ひたすら心を燃やしている。その火は人がどんなに消そうとしても消せない。蛍の姿を見て私の 思ひ という火の強さを分ってください。

  声はせで 身をのみこがす 蛍こそ いふよりまさる 思ひなるらめ 玉鬘

玉鬘の返事である。この歌の思ひ も 火の掛詞である。 古今和歌集に次の歌がある。

  音もせで おもひに燃ゆる 蛍こそ なく虫よりも あはれなりけれ 源重之

言葉に出して言えば、苦しい心の中の思いも、きっと慰められる事だろう。それなのにあえて心の中の苦しさを言葉に出さず、黙って焦がれ続ける蛍は、言葉を口に出して歌を詠んだあなたよりも、深い心の持ち主ではないだろうか。蛍は忍ぶ恋の代名詞なのである。

 

さてここからは物語論について説明する。この年は例年になく長雨が続いた。六条院の女性たちは所在なさを物語に熱中して紛らわせている。玉蔓の部屋を訪れた光源氏は、彼女が詠んでいた「住吉物語」などの物語類を見て、自分の物語に対する率直な評価を語り始める。

私は初めて読んだ時に、現代文学を思わせる物語の中の物語論という趣向に驚いた。その物語論の最初のテーマは、(まこと)と偽りの関係である。なお平安時代の物語には絵が付き物なので、「湖月抄」では物語のことを物語絵とか絵物語などと呼んでいる。それでは 物語論に続く場面を読む。

朗読③

殿は、こなたかなたにかかる物どもの散りつつ、御目に離れねば、「あなむつかし。女にこそものうるさからず、人に欺かれむと生まれたるものなれ。ここらの中にまことはいと少なからむを、かつ知る知る、かかるすずろごとに心を移し、はかられたまひて、暑かはしき五月雨の、髪の乱るるも知らで書きたまふよ」とて、笑みたまふものから、また、「かかる世の古事(ふるごと)ならでは、げに何をか紛るることなきつれづれを慰めまし。さてもこのいつはりどもの中に、げにさもあらむとあはれを見せ、つきづきしくつづけたる、はた、はかなしごとを知りながら、いたずらに心動き、らうたげなる姫君のもの思へる見るにかた心つくかし。またいとあるまじきことかなと見る見る、おどろおどろしくとりなしけるが目おどろきて、静かにまた

開くたびぞ、憎けれどふとをかしきふしあらはなるなどもあるべし。このごろ幼き人の、女房などに時々読まするを立ち聞けば、ものよく言ふ者の世にあるべきかな。そらごとをよくし馴れたる口つきよりぞ言ひ出だすらむとおぼゆれどさしもあらじや」とのたまへば、

 解説

殿は、こなたかなたにかかる物どもの散りつつ、御目に離れねば、

殿 は、光源氏の事である。光る君は玉蔓の部屋に入った。あちらこちらに玉鬘が書いたり描いたり積んだりしていた物語絵の類が散在していた。光る君はどこに目をやっても物語絵が目に入るので、思わずその感想を述べる。

「あなむつかし。女にこそものうるさからず、人に欺かれむと生まれたるものなれ。

紫式部は女性であるが、男性である光源氏の口を借りて、女性読者を批判している。「ああ何とも困ったことです。男ならば物語絵など頭から信用しないが、女の人は一旦興味を抱くととことんまでそのものを知りたいと思うようです。男から見ると怪しいものでも厄介に思わず、その結果易々と人に騙されてしまうという性格を、女の人は生まれつき持っているようである。

ここらの中にまことはいと少なからむを、かつ知る知る、かかるすずろごとに心を移し、はかられたまひて、暑かはしき五月雨の、髪の乱るるも知らで書きたまふよ」とて、笑みたまふものから、また

ここら は、沢山という意味である。この部屋には沢山の物語絵が集められているが、それらには(まこと)は少ないのです。女の人は物語絵に書かれている内容に偽りや空言(そらごと)が混じっているとは知っているでしょうが、好奇心故に偽りの話に熱中し、結局は騙されてしまうのである。それにしてもこれ程暑苦しい五月雨の季節に、キレイに結い上げてある髪の毛が乱れるのに気付かないほど夢中になって、絵を描いたり物語の言葉を書き写したりなさっているのはご苦労な事である。

拾遺和歌集に

  ほととぎす をちかへり鳴け うなゐ子が うち垂れ髪の 五月雨の空 凡河内躬恒

という歌がある。→ほととぎすよ、繰り返し鳴け。幼い子の下げた髪の毛の様に降る五月雨の様に。

こう言って笑う。光る君は物語絵の端緒を指摘したのだが、その一方で物語絵の長所や、偽りと空言の関係について更に突き詰めて真面目な話をする。

「かかる世の古事(ふるごと)らでは、げに何をか紛るることなきつれづれを慰めまし。さてもこのいつはりどもの中に、げにさもあらむとあはれを見せ、つきづきしくつづけたる、はた、はかなしごとを知りながら、いたずらに心動き、らうたげなる蛭君のもの思へる見るにかた心つくかし。

物語の中にはあはれと感じさせるものがある。あなたが熱中している昔から伝わってきた物語絵は、今の様な暑苦しい五月雨の所在なさを紛らわせる手段として最適である。物語絵には偽り、即ち作り話が書かれているが、それの中には成程確かにそういう事もあるだろうなとしみじみとした感動を、見る人に与え、そのような事が起きてもおかしくはないように、(まこと)らしく書かれている物語絵がある。

所詮(しょせん)人は作り話であると頭で理解していても、何故か無性に心が引き付けられるものである。

古今和歌集の仮名序に

たとへばゑにかけるをむなを見ていたづらに心をうごかすがごとし。

あなたが今、見ていた住吉神社の姫君の様に薄幸のヒロインが、心を痛めているのを見ると、世の中の事や恋愛の大事なことが少しは理解できるようになる。真らしい空言こそが、物語絵の素晴らしい点である。本居宣長もこの部分に注目している。本文に げにさもあらむとあはれを見せ、つきづきしくつづけたる、はた、はかなしごとを知りながら、いたずらに心動き、らうたげなる姫君のもの思へる見る とあるからである。

本居宣長はこの文章について、紫式部が もののあはれ こそが、「源氏物語」の主題であると自ら宣言していると主張する。けれども あはれ と もののあはれ と違う。この箇所は玉鬘が読んでいた、「住吉物語」などの薄幸のヒロインたちの健気な生き方について述べたものである。

またいとあるまじきことかなと見る見る、おどろおどろしくとりなしけるが目おどろきて、静かにまた

開くたびぞ、憎けれどふとをかしきふしあらはなるなどもあるべし。

光源氏の考える物語の二つ目のタイプである。また別のタイプの物語絵もある。こんなことが実際に起きるはずはないと読者が思いながらも、大胆な発想や表現力に引き込まれ魅せられてしまう作品がある。心落ち着けて再び読み直すと、空言であることが分かり、一度目に感動したことが憎らしく思われるのであるが、それでも何故かしら心を動かされる点があり、面白い物語絵だと思えることでしょう。

このごろ幼き人の、女房などに時々読まするを立ち聞けば、ものよく言ふ者の世にあるべきかな。そらごとをよくし馴れたる口つきよりぞ言ひ出だすらむとおぼゆれどさしもあらじや」とのたまへば、

最近私の幼い娘、明石の姫君ですが、仕えている女房達に物語を読ませているのを、何かの折に耳にする機会があった。聞いていてホトホト感心するのだが、本当にまあ、言葉の使い方の巧みな人間が世の中にはいる。空言を言うのに慣れているというか、真らしく語るのに熟練した者たちがこういう物語を作り出すのだというのが、私の率直な感想である。

あなたはどうお考えですかと 光る君は言う。

 

女性読者の多くは物語の内容を真と信じているが、光源氏の目から見ると空言であると言うのである。本居宣長は光源氏の語る物語論は、「源氏物語」の作者である紫式部から読者へ向けられた自作解説であると言っている。本居宣長は光源氏の発言の裏に込められた紫式部の真意を 下の心 表現の根底にある創作意図としてくみ取る。本居宣長によれば、蛍の巻の物語論全体の結論は、「源氏物語」は捨て難い物語であるという事である。けれども最初に「源氏物語」の欠点を正直に(さら)け出しておいた。それはこの部分であるというのである。明石の姫君の箇所で、物語作者の口の巧みさを批判したのは、紫式部の卑下、謙遜であると本居宣長は言っている。

 

さて光源氏の言葉を受けて、玉鬘は反論した。それに対して光源氏が更に自分の考えを述べる。ここでは「日本書紀」という歴史書と、虚構とはどういう関係にあるのかがテーマである。

朗読④

「げにいつわり馴れたる人や、様々にさも酌みはべらむ。ただいとまこととこそ思うたまへられけれ」とて、硯を押しやりたまへば、「(こち)なくも聞こえおとしてけるかな。神代より世にあることを記しおきけるななり。日本紀などはただかたそばぞかし。これらにこそ道々しくくきしはしこことはあらめ」とて笑ひたまふ。

解説 ここは「湖月抄」の解釈を加えた現代語訳による。

光る君の言葉を聞いて、「住吉物語」を熱心に書き写していた玉鬘は口を開いた。「仰る通りです。

偽りを口にする人は確かに世の中にいる。例えば私はあなたの実の娘ではありませんが、世の中に

は私があなたの実の娘だという偽りが吹聴されている。しかも実の娘だと偽っている娘に対して、

恋心をほのめかす偽りの養い親もいるようです。そういう偽りに慣れた人ならば、物語というものを眞

と偽りという観点から様々に分析して、物語は偽りだと決めつけられるでしょう。

私の様に偽りと無縁の人生を生きてきた者には、物語は真のことを書いていると思う。そういいながら

玉鬘は硯を押しやり、物語を書き写すのを止めた。そして面白くない言葉を聞いたと言わんばかに、

光る君の方へ向き直る。玉鬘の機嫌を直してもらおうと、光る君は弁解する。但し物語に熱中する女

性読者を(あなど)笑いのめそうというような気持は変わらなかった。光る君は「おやあなたの心を逆なでし

てしまいましたね。私も余りに無骨に物語の悪口を言ってしまった様である。何とも申し訳ありません

でした。物語が素晴らしいものだという事は、よく私も理解しているのです。人間たちが暮らすように

なる前に、この世界を支配していた神々の時代から現在に至るまで、物語にはありとあらゆることが

書かれている。漢文で書かれた「日本書紀」は我が国の文化を考える時の最高の資料となっている

が、それよりも平仮名で書かれている物語の方が論じている対象は幅広い。「日本書紀」をはじめ

とする六国史に書かれている歴史などは、真実の一部分しか扱っていない。むしろ物語の方にこそ、

我が国の根幹を形作る政にとって、有益なことが詳しく書かれている と言って笑った。この様な「湖

月抄」の解釈に対して、本居宣長は反発している。玉鬘が、いつわり馴れたる人 と非難している相手

を「湖月抄」を光源氏と解釈しているが、それは誤りで世間一般の人々への批判であると本居宣長は

言っている。でもここは赤の他人である玉鬘を、自分の娘と偽って六条院に引き取り、彼女に好色な

振舞いをする光源氏の偽りへの批判と考えるべきであろう。本居宣長は更に言う。

物語は「日本書紀」より素晴らしいと言っているが、これは冗談である。紫式部も冗談のつもりだと言うのである。皆が敬意を払っている「日本書紀」よりも、自分が書いた「源氏物語」の方が素晴らしいと、紫式部はうぬぼれているという世間からの批判を封じる為に敢えて笑い話として、こういう言い方をしているのだという。「湖月抄」も「日本書紀」などはただかたそばぞかし。→ほんの一面に過ぎない という言葉は、光源氏本心ではなく、玉鬘のご機嫌取りだと理解している。けれども私が思うのは、笑い話や冗談というスタイルでしか語れない真実もあるのではないだろうか。物語の俳諧の様に。私自身は平安時代においては、高い評価を受けていた歴史に対して、低い評価に甘んじていた文学の側からの抵抗であったと思いたい。歴史は現実、真実であり、物語は虚構、非現実である。けれども

その虚構や非現実の中にも、人間性の真実がある。それを証明したのが「源氏物語」だと思うからである。

 

さて蛍の巻の物語論は最終段階に入る。紫式部が「源氏物語」を書いた理由、「源氏物語」に登場する人物の性格が明瞭に書き分けられている理由などが語られる。

朗読⑤ 源氏の物語論 決して物語は無益なものではないと言う

「その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、よきもあしきも、見るにも飽かず聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしきふしぶしを、心に籠めがたくて言ひおきはじめたるなり。よきさまに言ふとては、よきことのかぎり選り出でて、人に従はむとては、またあしきさまのめづらしきことをとり集めたる、みなかたがたにつけたるこの世の外のことならずかし。(ひと)朝廷(みかど)のさへ、作りやうかはる、同じ大和の国のことなけば、昔今のに変るべし、深きこと浅きことのけぢめこそあらめ、ひたぶるにそらごとと言ひはてむも、事の心(たが)ひてなむありける。仏のいとうるはしきこころにて説きおきたまへる御法(みのり)も、方便といふことありて、悟りなき者は、ここかしこ(たが)う疑ひをおきつべくなん、(ほう)(どう)(きょう)のなかに多かれど、言ひもてゆけば、一つ旨にあたりて、菩提と煩悩との隔たりなむ、この、人のよきあしきばかりの事は変りける。

よく言へば、すべて何ごとも(むな)しからずなりぬや」と、物語をいとわざとのことにのたまひなしつ。
解説

「その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、よきもあしきも、見るにも飽かず聞くにも

あまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしきふしぶしを、心に籠めがたくて言ひおきはじめたるな

り。

光る君の物語論はいよいよ本質論に入った。作り物語には個性的な人物が沢山登場する。ひどく

好意的に褒められている人物もいれば、こんな人もいるのかと読者に呆れさせる、滑稽な人もいる。

どちらのタイプの登場人物も、物語作者が見たり聞いたりしただけで終わらせるには勿体ないことを、

後の時代の人々に何らかの教訓にしてもらいたいと思って、

書き記したものである。無論、この登場人物が実在した誰れそれであるなどとは、あからさまには書

いてない。

「湖月抄」は架空の登場人物に託して現実世界の真実を語るという手法は、紫式部が古代中国の

荘子から学んだものだと解説している。

よきさまに言ふとては、よきことのかぎり選り出でて、

素晴らしい人物が物語に登場する時には、ありとあらゆる良い点が集中して書かれる。世間の様々

に人々の長所を、物語の主人公や女主人公は一人で全て持ち合わせている様に書かれる。全ての

面で素晴らしい人物は実際には存在しないが、実在する人々の良い点を集約したものなので空言で

はない。「湖月抄」は光源氏や紫の上に関しては、長所ばかりが書かれていると解釈している。 

人に従はむとては、またあしきさまのめづらしきことをとり集めたる、みなかたがたにつけたるこの世

の外のことならずかし。

物語は世間の人々の実態に従っているので、人間の良くない点、奇妙な点も一人の人物に集約して

描かれている。この様に物語に登場する人物は良い人であれ変わった人であれ、実際にこの世にい

る人々ばかりである。末摘花や近江の君たちの人物造形がこれに該当する。

(ひと)朝廷(みかど)のさへ、作りやうかはる、同じ大和の国のことなれば、昔今のに変るべし、深きこと浅きこと

のけぢめこそあらめ、ひたぶるにそらごとと言ひはてむも、事の(たが)ひてなむありける。

(ひと)朝廷(みかど) は中国の事である。この文章の解釈が「湖月抄」と本居宣長とでは正反対である。先ず

「湖月抄」の解釈を示す。物語の書き方は時代の変化によって、本体も言葉も変化する。中国の賢人

たちが書き表してきた漢籍でも時代による変遷がある。我が国でも同じことが言え、神代の昔を書い

た「日本書紀」と最近の人々達とが登場する物語絵とでは文章の組み立て方も大きく変化している。

但し書かれてあるのは実際に世の中に存在する出来事だったり、人物だったりなので根っこは同じで

ある。無論浅いか深いかの違いはある。これらは後の時代の読者にどうしても伝えたい教えを言葉と

して記したものなので、全てが空言と言ってしまったら事実と違う。この解釈に本居宣長は反対する。

本居宣長は中国の作品と日本の作品は、根本的に違っているという。漢文で書かれた唐心を批判

し、物語が表現している大和心を称賛するのである。「湖月抄」の 同じ大和の国のことなれば、昔今

のに変るべし という本文についても 大和の国のことなれ、昔今のに変るべし  とあるべきと

本居宣長は言う。我が国の作品の中でも、漢文で書かれた昔の「日本

書紀」と、平仮名で書かれた今の物語は根本的に違うという立場なのである。私は「湖月抄」の解釈

が文脈に即した自然な解釈であると思う。本居宣長の もののあはれ 論は、かなり強引な本文解釈

により導き出されている。光源氏の物語論に戻る。

仏のいとうるはしきこころにて説きおきたまへる御法(みのり)も、方便といふことありて、悟りなき者は、ここか

しこ(たが)う疑ひをおきつべくなん、(ほう)(どう)(きょう)のなかに多かれど、

仏教語が含まれている難解な部分である。「湖月抄」の解釈は次の様になる。

話は少し難しくなるが、物語が空言だと疑問に思う事は、仏の教えに疑問を持つことと似ている。仏様

は様々な内容の教えを、様々な年齢で、様々な理解力の異なる聴衆に対して、様々なスタイルで説い

た。これを 五時八教 という。仏の教えは五時といって、五つの時期に分かれる。第一期は心も

仏法も美しい姿で説いた。第三期になると本当は大乗の教えを説きたいのだけれども、聴衆の理解

力に合わせて分かり易い小乗の教えを方便・手立て・(たばか)り として敢えて説いた。(ほう)(どう)(きょう) などに顕著

である。

最後の第五期では法華経によって最高の真理を説いた。だから仏の教えが、五つの時期で異なって

いることを知らない人は、お経によって仏の教えが違っている、どれが真の教えで、どれが偽りの教え

なのか分からず理解が混乱するのである。「湖月抄」は、紫式部が仏の第五期である最高の教えを

受け、身に着け、「源氏物語」を書いていると述べている。

言ひもてゆけば、一つ旨にあたりて、菩提と煩悩との隔たりなむ、この、人のよきあしきばかりの事は変りける。

よく言へば、すべて何ごとも(むな)しからずなりぬや」と、物語をいとわざとのことにのたまひなしつ。

けれども第一期から第五期まで違いがあるといっても、それは説き方の違いなので、仏の教えである

点では共通している。大胆な言い方をすれば、悟りを意味する菩提と迷いを意味する煩悩の違いは、

物語に登場する人物の二つの類型、よい事ばかりで書いてある人と悪しきことばかりが書いてある人

との違いと同じなのである。

 

以上のことを纏めると、物語絵を含めて全ては空言ではなく、真であるという結論になる。この様に光

る君は物語絵を大切な仏法と同じと結論付けた。「湖月抄」はこの箇所に関して、紫式部が「源氏物

語」に籠めた仏法の深遠な教義を詳細に書き記している。それに対して本居宣長は「湖月抄」が解説

している仏法の教議は、蛍の巻の物語論とは関わらないとして無視している。「湖月抄」は我が国の

和歌・恋愛・風流と中国の仏教・道教・儒教を重ね合わせ一体化している。

それに対して本居宣長は外国文化を排除し、日本文化の身を残そうとしている。

 

「コメント」

何かもう一つ分かりにくい。本居宣長が国粋文化のみを主張しているのは分かるが、仏教と

物語が同じという光源氏の論は?