240810⑲「『明石の巻2』 と『澪標の巻』」

今回は明石の巻と澪標(みおつくし)の巻の名場面を読む。先ず明石の巻の後半である。明石の入道は光源氏と娘を接近させようとするが、娘は光源氏はと結ばれても苦しむだけだと悩んでいる。

 

都では大きな政変があった。朱雀帝が目を病んだのである。その場面を読む。

朗読①亡き桐壺院が朱雀帝に現れて、色々と仰せになってご機嫌が悪い。そして朱雀帝は目を病む。

その年、朝廷(おほやけ)に物のさとししきりて、もの騒がしきこと多かり。3()(よい)13日(十日余りみか)、雷ひらめき雨風騒がしき夜帝の御夢に、院の帝、御前(おんまえ)()(はし)の下に立たせたまひて、御気色いとあしうて(にら)みきこえさせたまひて、かしこまりておはします。聞こえさせたまふことども多かり。源氏の御事なりけんかし。いと恐ろしういとほしと思して、(きさき)に聞こえさせたまひければ、「雨など降り、空乱れたる夜は、思ひなしなることはさぞはべる。軽々しきやうに、思し驚くまじきこと」と聞こえたまふ。

睨みたまひしに見合はせ給ふと見しけにや、御目にわづらひたまひてたへがたく悩みたまふ。御つつしみ、内裏(うち)にも宮にもかぎりなくせさせたまふ。

 解説 「湖月抄」に導かれて行間を味わう。

その年、朝廷(おほやけ)に物のさとししきりて、もの騒がしきこと多かり。

須磨で激しい雷雨があった年である。都でも怪異現象がしきりと起き、朝廷でも大騒ぎがあった。

3()(よい)13日(十日余りみか)雷ひらめき雨風騒がしき夜

中でも3月13日には、都でも雷が鳴り響き稲妻がきらめき、大雨と大風に見舞われた。本居宣長は光源氏が亡き桐壺院の夢を見たのは、3月12日の夜である。それから京に戻ったので、13日と書いたのだろうと述べている。

帝の御夢に、院の帝、御前(おんまえ)()(はし)の下に立たせたまひて、御気色いとあしうて(にら)みきこえさせたまひて、かしこまりておはします

帝は朱雀帝。院の帝 は亡き桐壺院の霊魂である。須磨で光る君の夢に現れた亡き桐壺院の霊魂は、これから都に向かうと言い残された。その言葉通り、院は都で朱雀帝の夢の中にも現れた。亡き桐壺院は朱雀帝が寝ている清涼殿の東庭にある階段の近くに立っておられた。院のご機嫌はひどく悪かった。怒りに燃えた目で朱雀帝を睨みつけられる。

朱雀帝はひたすら畏まって院の仰せをお聞きになる。

聞こえさせたまふことども多かり。源氏の御事なりけんかし。

これは草子地で語り手のコメントである。院は沢山の事をお話になった。語り手である私が推測すると、恐らくは光る君の処遇を巡ってのお言葉だったろう。

いと恐ろしういとほしと思して、(きさき)に聞こえさせたまひければ、

夢から覚めた朱雀帝の反応である。朱雀帝は夢から覚めてからも、亡き院の激しい怒りが恐ろしかった。そして死後も成仏できずに地獄で苦しんでおられることが可哀想であった。院が仰った光る君の処遇について、母親の大后と相談なさった。

「雨など降り、空乱れたる夜は、思ひなしなることはさぞはべる。軽々しきやうに、思し驚くまじきこと」と聞こえたまふ。

弘徽殿の大后(おおきさき)の言葉である。大后は気の強い性格であったし光る君を憎んでいたので、亡き桐壺院のお叱りについても懐疑的であった。雨なども降って空の模様が良くない時には、心の奥底で何となく思っていることが夢に現れるそうです。夢に動揺して狼狽(うろた)えてはなりませんと仰る。

睨みたまひしに見合はせ給ふと見しけにや、御目にわづらひたまひてたへがたく悩みたまふ。

見しけにや  け は、理由を示す言葉である。朱雀帝は亡き桐壺院の怒りに燃える目と、自分の目が合った夢を見たのが原因だろうかと、目をひどく患うようになられた。我慢できない程の痛みだった。

御つつしみ、内裏(うち)にも宮にもかぎりなくせさせたまふ。

内裏(うち) 宮中。宮 は 大后 をさす。朱雀帝の宮中でも母の大后も目の病が治るように手をお尽くしになる。「湖月抄」はこれと関連して三条天皇も目を病んで難儀したと指摘している。但し三条天皇が即位した1011年には、「源氏物語」の殆どの部分が書かれていた。だから実在した三条天皇の眼病からヒントを得て「源氏物語」の朱雀帝の眼病が書かれたのではない。

さて明石では8月13日の頃光源氏と明石の君が結ばれた。この女性は「湖月抄」でも本居宣長の著書でも、明石の上と呼ばれている。所が戦後の国文学研究は、彼女を明石の君と呼ぶことから出発した。彼女は自分の身分について、厳しい認識を持っていた。この古典講読では、「湖月抄」の解釈を推奨することを最大の目的としている。悩んだが私が呼び馴れている明石の君と呼ぶことにした。

 

続きの場面を読む。

朗読②突然光る君が訪れたので明石の君は別の部屋に隠れる。無理強いに契った明石の君の雰囲気は六条御息所と似ている。

むつごとを 語りあはせむ 人もがな うき世の夢も なかばさむやと     源氏

明けぬ夜に やがてまどへる 心には いづれを夢と わきて語らむ     明石

ほのかなるけはひ、伊勢の御息所にいとようおぼえたり。何心もなくうちとけてゐたりけるを、かうものおほせえぬに、いとわりなくて、近かりける曹司(ぞうし)の内に入りて、いかで固めけるにかいと強きを、しひてもおし立ちたまはぬさまなり。されど、さのみもいかでかあらむ。人ざまいとあてにそびえて、こころ恥づかしきけはひぞしたる。かうあながちなりける契りを思すにも、浅からずあはれなり。御心刺しの近まさりするなるべし。常は厭わしき夜の長さも、とく明けぬる心地すれば、
人に知られじと思すも心あわたたしうて、子まかに語らひおきて出でたまひぬ。

御文いと忍びてぞ今日はある。あいなき御心の鬼なりや。

 解説

この場面は「湖月抄」の解釈を元にした現代語訳で理解を深める。

光源氏は緊張している明石の君の心を解きほぐそうと歌を詠む。

  むつごとを 語りあはせむ 人もがな うき世の夢も なかばさむやと 

私は今、辛い世の中で苦しんでいます。まるで悪い夢を見ている最中の様です。心を許して全てを語り合える人が近くにいたらなあと願っています。貴女と親密に語らえば、私を苦しめている憂き世の夢も覚める事でしょう。

女も歌で返事した。

  明けぬ夜に やがてまどへる 心には いづれを夢と わきて語らむ

私も又、明けることの無い闇の中で苦しんでいます。悪い夢を見続けているので、あなたの見ている悪い夢を覚ます力などこの私にはありません。

暗いので女の様子ははっきりとは分からない。けれども光る君は女が気高く心深いことに気付いた。だれかと似ていると感じたので良く思い出してみると、今は伊勢国に下っている六条御息所とそっくりなのだった。今夜、光る君が女を訪ねたのは、明石入道の強い希望によるものであった。入道は娘に光る君が来ることを教えていなかったようである。女は何の心の準備もなく寝ていた所に、突然光る君が入ってきたので、困った女は大慌てで少し奥の部屋に逃げ、どういう風に鍵をかけたものか固く入口を閉ざしてしまった。恐らくは障子の向こう側に心棒を挿して、開かないように細工したのであろう。光る君も女の心を思いやって無理強いしようとは思っていなかった様子である。けれどもどうしていつまでもそのままでいられようか。どうしたものか、光る君は奥の部屋に入った。会った女は自分というものを強く意識している所がある。光る君は侮れない女だと感じる。この様にして二人は実事を持った。光る君は都で暮らして居た自分が明石という土地でこの女と結ばれたのは前世からの深い因縁があったからだと考えた。女と深い仲になってみると、予想していたよりも優れた女だったので、嬉しかったのであろう。今は8月15夜の少し前、秋の夜は長い。けれども今夜ばかりはあっという間に別れの朝がきた。

  長しとも 思ひぞはてぬ 昔より 逢ふ人からの 秋の夜なれば  古今集 (おうし)河内躬(こうちのみ)(つね)

という歌があるようにも、長い夜が短く感じられたのであろう。所が光る君がこの女と深い仲になったことを世間には内緒にしたいと思って、暗いうちに戻ることにした、後朝(きぬぎぬ)の文はこっそり遣わした。こんな深い仲になってまで、都への外聞を憚るというのは、何とも味気ない良心の呵責である

明石の君が六条御息所とよく似た雰囲気だとされるのは興味深い。

 

さて年が明けた。明石の君は光源氏の子を宿した。都では大きな政変があり、光源氏は都に呼び戻されることになる。

それでは明石の君との別れの場面である。

朗読③ 暁の別れである。歌を交換して別れを惜しむ。

立ちたまふ暁は、夜深く出でたまひて、御迎えへの人々も騒がしければ、心も空なれど、人間(ひとま)をはからひて

  うちすてて たつも悲しき 浦波の なごりいかにと 思ひやるかな    源氏

御返り

  年へつる 苫屋(とまや)も荒れて うき波の かへるかたにや 身をたぐへまし  明石の君

とうち思ひけるままなるを見たまふに、忍びたまへど、ほろほろとこぼれぬ。心知らぬ人々は、なほかかる御住まひなれど、年ごろといふぬばかり馴れたまへるを、いまはと思すはさもあることぞかしなど見たてまつる。義清などは、おろかならず思すなむめりかしと憎くぞ思ふ。

うれしきにも、げに今日を限りにこの渚を別るることなどあはれがりて、口々しほたれ言ひあへることどもあんめり。されど何かはとてなむ。
 解説

ここも「湖月抄」の解釈をベ-スとして、現代語訳で理解を深めよう。

光る君を都に召還するという知らせは、7月下旬に明石に届いた。いよいよ明石を発つ当日となった。例によって暁の暗い時間帯の旅立ちである。何かとざわついているし、都から明石まで迎えに来た人も多いので、光る君も心静かに明石の君と別れを惜しめない。それでも周囲に誰もいない時に、別れの歌を贈る。

  うちすてて たつも悲しき 浦波の なごりいかにと 思ひやるかな  源氏

明石の浦に沖から打ち寄せてくる波は、必ず沖へ帰っていく。都から明石へと流れてきた私も、また都へと戻らねばならない。波が帰った後にも打ち寄せてきた波のいくらかは残っている。私も都へ帰った後、ここに残るであろうあなたのこれからを思うと悲しくて堪らない。だから返事には心の中の思いが率直に詠われていた。

  年へつる 苫屋(とまや)も荒れて うき波の かへるかたにや 身をたぐへまし  明石の君

私は生まれた時からこの明石で暮らしてきました。都からやってきたあなたは都へと戻っていく。これまであなたが住んでいた明石の屋敷は誰も住まなくなって荒れ果てて辛い事でしょう。出来る事なら私もあなたと一緒に都に行きたいと思います。

光る君は女の真心に触れて大粒の涙を流す。その姿を見た迎えの人々は、光る君がこの明石で女と結ばれていたことを知らないので、涙の理由が分からない。都から遠い明石での日々は辛かったろうが、何年も住み続けるとここでの暮らしにも慣れ、もうこれでこことはお別れだとなると、こみあげてくる感情があるのだろうとなどと見当違いの見方をしている。

但し光る君と明石の君の関係を知っている義清は自分が彼女との結婚を望んでいたこともあるので、光る君はこの女の事を深く愛しているのだと、心の中では忌々しく思っているのであった。光る君に仕えていた従者たちも、都に戻れるので嬉しくて堪らないのだが、流石に今日限りこの明石の磯辺に帰ってくることはないのは淋しいなどと口々に話し合い、
しんみりと別れの歌を詠み合いながら泣いているようであった。但しこの物語の語り手としては、彼らが詠んだ歌をここで書き示して読者の皆さんにお聞かせする必要はないと思うので省略する。

 

本居宣長は明石の君の歌に、彼女の光源氏への恨みを読み取る。この歌はもと来た方角へ帰っていく波と一緒に、私も海の沖の方に出て、そこに身を投げて死んでしまいたいと言っているのだと言う。私も本居宣長説に賛成する。明石の君の覚悟を知っている光源氏は涙を抑えきれなかったのであろう。

さて都に戻った光源氏は紫の上と対面した。権大納言にも昇進した。これからは権力の頂点へと昇りつめていく。

 

次に澪標(みおつくし)の巻の名場面を鑑賞する。巻のタイトルは和歌の言葉を用いている。その和歌は後程読む。

「湖月抄」では光源氏が27歳で明石から帰京して、翌年28歳の11月まで。本居宣長は28歳の10月から29歳の冬までとしている。この巻では朱雀帝が退位し冷泉帝が即位する。
光源氏と藤壺の不義の子が遂に天皇となる。光源氏は内大臣に昇進する。それを受けて光源氏が自分の運命について考える場面を読む。明石の君に生まれてきた子供は娘だったので、将来(きさき)として入内できる。光源氏の娘が天皇の后に、さらには次の天皇の母親となる道がここに切り開かれたのである。

朗読④ 光源氏の予言に関する部分である。

宿曜(すくよう)に「御子三人、帝、(きさき)かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは太政(おほき)大臣(おとど)にて位を極むべし」と(かむが)へ申したりしこと、さしてかなふなめり。おほかた、(かみ)なき位にのぼり世をまつりごちたまふべきこと、さばかり(かしこ)かりしあまたの相人(そうにん)どもの聞こえ集めたるを、年ごろは世のわづらはしさにみな思し()ちつるを、当帝(とうだい)のかく位にかなひたまひぬることを思ひのごとうれしと思す。

 解説 「湖月抄」の解釈に基づいて解説する。

宿曜(すくよう)に「御子三人、帝、(きさき)かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは太政(おほき)大臣(おとど)にて位を極むべし」と(かむが)へ申したりしこと、

宿曜(すくよう) は占星術である。若紫の巻で藤壺が光る君の子供を懐妊した際に、光る君は不思議な夢を何度も見た。その夢がどういう未来を告げ知らせているかを 宿曜(すくよう) を占う者たちに尋ねたことがあった。かれこれ11年前の事である。彼らは綿密に占って答えた。光る君には三人の子供が生まれます。このうちの二人は天皇と后である。三人の子供の内の残り一人は、天皇より后より身分は劣るが太政大臣となって最高の位を極めるであろう。天皇は冷泉帝、母は藤壺。后は明石の中宮、母は明石の君。太政大臣は夕霧、母は葵上のことである。

中の劣り腹に女はいできぬべしとありしことさしてかなうなんめり

占いでは三人の子供の内、后となる女性は三人の子供の母親たちの中でも最も身分の低い女性を母親として生まれるでしょうともあった。(さき)の播磨守の娘という明石の君の身分と考えあわせると、この予言はぴったり実現しているようだと光る君には思われる。

なお現代では大島本と呼ばれる写本で読むのが主流である。その大島本には 中の劣り腹に女はいできぬべしとありし

 という文章が欠落している。ここでは「湖月抄」の本文で解釈した。

おほかた、(かみ)なき位にのぼり世をまつりごちたまふべきこと、さばかり(かしこ)かりしあまたの相人(そうにん)どもの聞こえ集めたるを、

年ごろは世のわづらはしさにみな思し()ちつるを、

ここは光源氏本人に関する予言である。桐壺の巻で光る君の人相を占った高麗の相人も又、予言の道に秀でた人々も光る君の未来を最高の位にまで昇進し政治の中枢に立つことを予言していた。

けれども光る君が須磨に左遷された

時には予言が外れたと考え、忘れ果てていた。

当帝(とうだい)かく位にかなひたまひぬることを思ひのごとうれしと思す。

当帝(とうだい) 今上陛下即ち冷泉帝の事である。この度、朱雀帝が退位し我が子である冷泉帝が即位したので光る君は本望だと思うと同時に嬉しいと喜ぶ。予言は見事に的中した。

 

それでは続きの文章を読む。

朗読⑤予言が当たっていることについての光源氏の感想である。

みづからも、もて離れたまへる筋は、さらにあるまじきことと思す。あまたの皇子(みこ)達のなかにすぐれてらうたきものに思ししかど、ただ人に思しおきてける御心を思ふに、宿世(すくせ)遠かりけり。内裏(うち)のかくておはしますを、あらはに人の知ることならねど、相人の(こと)(むな)しからず、と御心の(うち)に思しけり。

 解説

みづからも、もて離れたまへる筋は、さらにあるまじきことと思す。

光る君は自分が皇位を継承して天皇の位に着くことはあり得ないし、また在ってはならないとことだと思っている。

あまたの皇子(みこ)のなかにすぐれてらうたきものに思ししかど、ただ人に思しおきてける御心を思ふに、宿世(すくせ)遠かりけり。

桐壺院は大勢の皇子たちの中からとりわけ私を可愛がって下さった。にも拘らず私を臣下とされた。その心を思うと私は天皇になることとは大きくかけ離れた宿命を持ってこの世に生まれてきたのだと考える。

内裏(うち)のかくておはしますを、あらはに人の知ることならねど、相人の(こと)(むな)しからず、と御心の(うち)に思しけり。

内裏(うち) は 冷泉帝の事である。

それでも世間ではただ一人として知る者はいないけど、我が子である冷泉帝が即位した。宿曜(すくよう) で占う者たちの予言は正しかったのだと光る君は確信した。

 

更にこの続きの文章を読む。

朗読⑥住吉の神の助けもあり明石の君は畏れ多い位に着くことになった。都に迎える事にしよう。

いま行く末のあらましごとを思すに、住吉の神のしるべ、まことにかの人も世になべてならぬ宿(すく)()にて、ひがひがしき親もおよびなき心をつかふにやありけむ。さるにては、かしこき筋にもなるべき人のあやしき世界にて生まれたらむは、いとほしうかたじけなくもあるべきかな。このほど過ぐして迎へてん、と思して、東の院急ぎ造らすべきよしもよほし仰せたまふ。

 解説   ここは「湖月抄」の解釈を踏まえた現代語訳をする。

光る君は熟慮される。すでに冷泉帝の即位によって予言が正しいことは裏付けられた。自分が明石の姫君に恵まれた経緯を思い出すと、住吉神社の御導きの御蔭であった。明石の君という女性の優れた宿命を持って生まれてきたのだろう。だからこそ父親の途方もない野望をすでに娘に託して、娘と私を結び付けようとしたのだろう。それにしても将来は確実に天皇の后となるであろう貴重な女性が、播磨国の明石という田舎で誕生したのは勿体ないことである。ゆくゆくは姫君をその母親共々都にお呼びしよう。光る君は住まいである二条院の東側に新たに対して建物を建築しているが、その

造営を急ぐように命じる。二条院は光る君の母親である桐壺の更衣の実家であった。その東側の土地、二条東の院は亡き桐壺院の相続した土地である。ここには花散る里たちを住まわせる積りだったけれども、明石の君もここに住まわせようと考えたのである。

 

姫君と母親をいつ都に呼び寄せるのかが、これからの焦点となる。次に光源氏が住吉詣でで明石君とすれ違う場面を読む。

明石の君は内大臣である光源氏の余りの威勢の大きさに名乗る勇気がなかった。それを知った光源氏が明石の君を慰める。澪標の巻のタイトルの由来である。

朗読⑦住吉神社で出合った二人だが、光る君の威勢に気押された明石の君を気遣って、歌を贈る。明石の君はその心遣い嬉しく思う。

かの明石の舟、この響きにおされて過ぎぬることも聞こゆれば、知らざりけるよとあはれに思す。神の御しるべを思し出づるもおろかならねば、いささかなる消息(せうそこ)をだにして心慰めばや、なかなかに思ふらむかし、と思す。御社(おやしろ)立ちたまひて、処どころに逍遥を尽くしたまふ。難波の御(はらへ)などことによそほしう仕まつる。堀江のわたりを御覧じて、「いまはた同じ難波なる」と、御心にもあらでうち()じたまへるを、御車のもと近き惟光うけたまはりやしつらむ。さる召しもやと例にならひて懐に設けたる柄短き筆など、御車とどむる所にて奉れり。をかしと思して、畳紙(たとうがみ)に、

  みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも めぐり逢ひける えには探しな   源氏

とてたまへれば、かしこの心知れる下人してやりけり。駒()めてうち過ぎたまふにも心のみ動くに、露ばかりなれど、いとあはれにかたじけなくおぼえてうち泣きぬ。

  数ならで なにはのことも かひなきに などみをつくし 思ひそめけむ    明石の君

()(みの)島に(みそぎ)仕うまつる御(はらへ)のものにつけて奉る。

 解説

かの明石の舟、この響きにおされて過ぎぬることも聞こゆれば、知らざりけるよとあはれに思す。

主語を明らかにする。昨日あの明石の君もまた舟に乗って住吉まで参詣に来ていた。惟光がそのことを光る君の耳に入れた。彼女は内大臣となった光る君の盛大さに圧倒され挨拶も出来なかった。光る君は全く気付かなかったと可哀想に思われた。

神の御しるべを思し出づるもおろかならねば、いささかなる消息(せうそこ)をだにして心慰めばや、なかなかに思ふらむかし、と思す。

光る君は御后となるべき女児に恵まれたのは、住吉の神の導きだったと、光る君は明石の君のことを大切に考えている。それでせめて便りを出して、彼女の悩みをなぐさめてあげたい。昨日私と同じ日に住吉に参詣してなまじ私達一行の姿を見たが為に、却って自分の身の程を思い知らされ、思い詰めていることだろうと思う。

御社(おやしろ)立ちたまひて、処どころに逍遥を尽くしたまふ。難波の御(はらへ)などことによそほしう仕まつる。堀江のわたりを御覧じて、「いまはた同じ難波なる」と、御心にもあらでうち()じたまへるを、

小倉百人一首で有名な歌が引用されている。光る君は住吉神社をご出発になり近くの名所をあちらこちらと散策する。

朝廷では七瀬 といって七つの瀬、水辺で毎月お祓いをさせている。このうちの一つがこの難波である。また仁徳天皇の御代に掘られた堀江の辺り、現在の天満川を御覧になった。光る君はふと古い歌を思い出しおもわず

  いまはた同じ 難波なる と口ずさんだ。  

  わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ 拾遺和歌集 

元良親王の一節である。この歌の 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ という部分に光る君の心がある。

明石の君と会いたかったという気持ちである。

御車のもと近き惟光うけたまはりやしつらむ。さる召しもやと例にならひて懐に設けたる柄短き筆など、御車とどむる所にて奉れり。をかしと思して、畳紙(たとうがみ)

語り手が惟光の有能振りについてコメントしている。いまはた同じ 難波なる という言葉を惟光はすぐ近くで聞いていたのであろう。彼は常に準備万端で光る君のどんな要求にも即座に応えられるように心掛けているので、筆の必要が生じるかも知れないと考え、携帯用の柄の短い筆を持参していた。牛車が止まった所で、車の中の光る君に筆を差し入れる。光る君は惟光の心掛けを面白いと感心して懐紙に歌を書き付ける。

みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも めぐり逢ひける えには探しな  源氏

みをつくし は水の深さを表す目印の 澪標 と、恋に心を苦しめる 身を尽くす との掛詞である。

えには  難波江  え と 笑む 縁 の掛詞である。難波江には舟人に水が深いことを知らせる 杭 が置かれていて、これが澪標(みおつくし)と言われている。私は今あなたの深い恋心に身を尽くして難波まで来ました。貴女とここで巡り合えたのは私たち二人の前世からの(えにし)の深さを示しているのでしょう

かしこの心知れる下人してやりけり。

この歌を記した紙を惟光は光る君から受け取り、光る君と明石の君との事情を良く知っている下人に命じて明石の君に届けさせた。

()めてうち過ぎたまふにも心のみ動くに、露ばかりなれど、いとあはれにかたじけなくおぼえてうち泣きぬ。

明石の君たちは、光る君一行が豪華な馬を並べて通り過ぎるのを黙って見ていた。立派な光る君と取るに足りない身の上の自分との違いを痛感するばかりだった。そこへ光る君の思いやりに溢れた歌が届いたものだから、たった一首の手紙とは言え、嬉しくも勿体ないも思われ、心が慰められ女は感激の涙を流した。

  数ならで なにはのことも かひなきに などみをつくし 思ひそめけむ  明石の君

明石の君の歌である。私は身分も低く、とるに足りない女である。生きる甲斐もなく、愛される見込みもないのに、どうして難波の浦に置かれている澪標の様に、恋に身を尽くしてあなたを愛してしまっただろうか。

()(みの)の島に(みそぎ)仕うまつる御(はらへ)のものにつけて奉る。

女はこの歌を ()(みの)の島 で禊をする時に用いる (ゆう) という道具に結び付けて光る君に届けた。この二人の関係はこれからどうなるのだろうか。読者は心配しながら先を読み進めることだろう。

 

「コメント」

 

明石の入道の策略に乗せられたとはいえ、自分の身の上を考えると慎重にやらねばとんでもないことが起きる。でもここが物語の面白さであろう。