240713⑮「花散る里の巻」

「源氏物語」の本筋は、前回読んだ(さか)()の巻から次回読む須磨の巻へと続いている。朧月夜との密会が露見した光源氏が、須磨へ旅立つという流れである。花散る里の巻は、賢木の巻と時間的に重なる。花散る里の巻は、坂の巻の字余りといわれる。賢木の巻からいきなり、須磨の巻の旅立ちに続けるのを避けたのである。この巻は、「源氏物語」54帖の中で最も短い巻である。思い切り全文を読む。

まず巻の名前であるが、光源氏の和歌の言葉からつけられた。

  橘の 香をなつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ

季節は夏である。「湖月抄」の年立では光源氏24歳の5月である。花散る里の巻を六つの場面に区切り読む。

 

光源氏は麗景殿(れいけいでん)の女御の屋敷に向かう。彼女の妹が花散る里である。

朗読① 光る君は麗景殿に向かう 

人知れぬ御心づからのもの思はしさは何時(いつ)となきことなれど、かくおほかたの世につけてさへわづらはしう思し乱るることのみまされば、もの心細く、世の中なべて厭はしう思しならるるに、さすがなること多かり。

麗景殿と聞こへしは、宮たちはおはせず、院(かく)れさせたまひて後、いよいよあはれなる御ありさまを、ただこの大将殿の御心にもて隠されて過ぐしたまふなるべし。御妹の三の君、内裏(うち)わたりにてはかなうほのめきたまひしなごりの、例の御心なれば、さすがに忘れもはてたまはず、わざとももてなしたまひぬに、人の御心をのみ尽くしはてたまふべかめるをも、このごろ残ることなく思し乱るる世のあはれのくさはひには思ひ出でたまふには、忍びがたくて、五月雨のそらめづにしく晴れたる雲間に渡りたまふ。

 解説

花散る里とその姉が紹介されている。最後に出てきた くさはひ という言葉は、種というのが本来の意味で、原因となるものとか、興味を引く種の意味がある。「湖月抄」で理解している内容を現代語訳しておく。

光る君は藤壺との事や朧月夜とのことなどで、絶えず秘密の情事に心を砕いてきた。好色の道ゆえの悩みは、彼の人生に常に付きまとっているが、桐壺院が崩御されて最大の後ろ盾を失ってからというもの、朧月夜との関係を批判する声も聞こえてきて、厄介に感じる事ばかりが起きている。光る君は無性に心細さにかられ世の中の全てが面倒になり、いっそ出家してしまおうかと思ったりするが、いざとなると俗世を捨て去る決心がつかない。さてこの物語の読者には初めて

紹介するが、麗景殿(れいけいでん)の女御という人がいる。桐壺院が天皇だった時の女御であるが、子供に恵まれなかった。院が崩御されてからは経済的にも困っているが、光る君の援助によって何とか暮らしている様子である。その女御の妹が三宮である。この花散る里の巻に初めて登場するので、彼女の名前は花散る里と呼ばれることになった。

光る君は花散る里と、桐壺院が在位中に宮中で何度か会った、自分と少しでも関わった女性を見捨てないのが自分の性分なので、その後も忘れてしまうことはない。かといって、自分の正式な通い所として処遇こともなかった。女の方では光る君の愛情の薄さを心から恨んで、苦しんだりしていたようだった。この頃、光る君は世の中全てが自分に対して厳しく感じられるので思い乱れている。そういう時にこそ、その存在を忘れている花散る里の事を思い出す。そうすると彼女の事が、光る君には自分の心を苦しめる種の一つになっている。そのままには出来なくて降りしきる梅雨が珍しく晴れた時を選んで、花散る里に会うために出掛ける。

 

同じ屋敷で暮らしている姉妹の内のどちらかと、男が交際するというパタ-ンは、宇治十帖の大君(おおいきみ)(なかの)(きみ)でも使われている。所で麗景殿(れいけいでん)弘徽(こき)殿(でん)に次いで格式が高いとされる。しかも女御として入内しているので、花散る里の父親は大臣だったのだろう。それが経済的に苦しんだというのだから、世の中の定めなさを感じる。二つ目の場面は光源氏が花散る里の屋敷に向かう途中の話である

朗読②途中で中川の女と歌の贈答をする

何ばかりの御よそひなくうちやつして、御前(ごぜん)などもなく、忍びて中川のほどおはし過ぐるに、ささやかなる家の、木立などよしばめるに、よく鳴る琴をあづまに調べて搔き合はせ賑はしく弾きなすあり。御耳とまりて、(かど)(ちか)なる所なれば、すこしさし出でて見入れたまへば、大木なる桂の樹の追風(おひかぜ)に祭りのころ思し出でられて、そこはかとなくけはひをかしきを、ただ一目(ひとめ)見たまひし宿(やどり)なりと見たまふ。ただならず、ほど()にける、おわめかしくや、とつつましけれど、過ぎがてにやすらひたまふ、をりしもほととぎす鳴きて渡る。催し聞こえ顔なれば、御車おし返させて、例の惟光入れたまふ。

  をち返り えぞ忍ばれぬ ほととぎす ほの語らひし 宿の垣根に

 解説

琴の音色とほととぎすの鳴き声が印象的である。中川 はかつて平安京の中を流れていた川である。「湖月抄」の解釈に従って現代語訳する。

光る君はこれといったお出かけの衣装を着ていない。いかにもお忍びという様子で、牛車にも先払いもなくひっそりと車を進めている。牛車は中川の辺りに差し掛かった。その辺りに敷地は狭いのだが、いかにも趣きがありそうな木立の家があった。その家から良い調子の琴の音が聞こえてくる。和琴(わごん)にはよく鳴る調べという調子がある。その調べには、和琴つまり六弦琴を調律して合奏し、華やかな音を奏でているようだ。その音が牛車の中にいる光る君の耳に聞こえた。その屋敷は門からすぐ近くに建ててあるので、光る君は車から顔を外に差し出し、その音が漏れてくる家の中を覗き込む。

大きな 桂の樹 を風が吹き過ぎて行く。その風の香りを嗅いでいる内に、光る君は4月の葵祭の事を思い出した。賀茂の葵祭では諸蔓(もろかずら)といって、葵と桂を頭に飾る風習がある。今は5月だが、桂の香りが4月の葵祭の記憶を呼び覚ましたのである。この家の周囲には好ましい風情が感じられる。光る君は記憶を辿ってこの家の女主人とは、かつて一度だけ会ったことがあると思いだした。思い返してみるととても懐かしい。一度だけ会ったと言ってもかなり以前である。この家の女が今でも自分の事を覚えているか、それとも別の男を通わせているのかはっきりしない。かと言ってこのまま通り過ぎてしまうことも出来ず、車を止めてためらう。丁度その時、ほととぎすが鳴きながら上空を飛んでいった。そのほととぎすの声が光る君に、勇気を出してこの家に宿っては如何ですかと誘っているかのように聞こえた。そこで牛車の向きを変えて女の家まで戻り、いつもの様に惟光に女の家に入って行かせる。惟光が持参した光る君の歌

  をち返り えぞ忍ばれぬ ほととぎす ほの語らひし 宿の垣根に 光源氏の歌

ほととぎすが何度も鳴きしきっています。その声を聞いている内に、私はこの家に住むあなたともう一度お会いしたいと気持ちになった。いつぞやはほのかな語りだけで終わったので。

 

桂の葉の香りが光源氏懐かしい気持ちにさせたのである。この香りが花散る里の巻の重要なモチーフになっている。なお、光源氏が詠んだ歌の をち返り は、「湖月抄」は 初めに戻る という意味である。現在では昔に戻る、昔を思い出して という解釈が有力である。

 

それでは三つ目の場面に進む。有能な惟光が交渉しても、光源氏は中川の家には入れなかった。

朗読③ 中川の女の返歌

寝殿とおぼしき屋の西のつまに人々いたり。さきざきも聞きし声なれば、(こわ)づくり気色どりて御消息(せうそく)聞こゆ。若やかなるけしきどもしておぼめくなるべし。

  ほととぎす 言問ふ声は それなれど あなおぼつかな 五月雨の空  女の歌

ことさらたどると見れば、「よしよし、植えし垣根も」とて出づるを、人知れぬ心にははねたうもあはれにも思ひけり。

さもつつむべきことぞかし。ことわりにもあれば、さすがなり。かやうの(きは)に、筑紫の五節(ごせち)がらうたげなりしはや、とまづ思し出づ。いかなるにつけても御心の暇なく年月を経ても苦しげなり。なほかように、見しあたり情過ぐしたまはぬにしも、

なかなかあまたの人のもの思ひぐさなり。

 解説

「よしよし、植えし垣根も」 という惟光の言葉には、和歌が踏まえられている。

また 筑紫の五節(ごせち) という女性の名前も突然出て来て、誰だろうと読者に思わせる。それらは「湖月抄」に全て説明してある。「湖月抄」に基いて現代語訳する。

惟光は中川の女の家に入って行く。惟光はこれまで光る君の色恋を取り仕切ってきた実績がある。目指すは女が住んでいる寝殿であるが、小さな家なのでどれが寝殿なのか今一つはっきりしない。それでも寝殿の様な建物の西の端の方に女房達が控えている。光る君は唯一度しかこの屋敷に足を運んだことはないのだが、惟光と女房達は互いに相手の声を記憶している。惟光は自分が光る君の信頼の厚い従者の惟光であるということが、女房達に伝えるように咳ばらいをした。そして相手が自分の事を思い出したようだと判断してから光る君の歌を伝えた。若々しい女房達が何人も中で動いている気配がしたが、女主人には誰からの手紙なのか分からない振りをして届けようと思った様である。不在があまりにも長かったので、女を取り巻く状況が変わっているのだろう。

  ほととぎす 言問ふ声は それなれど あなおぼつかな 五月雨の空 女の歌

今鳴いているほととぎすの声は、いつか我が家に飛んできて鳴いていたほととぎすと同じようであるが、本当に同じほととぎすなのかははっきりと分り兼ねる。この歌を詠んだ方ももしかしたら、いつぞや私と話したあの方かしらと思ったりするが、どうも違っているようである。あなたは人違いをしていませんか。

惟光はこの歌を見て、誰が詠んだのか分からないと意図的に言っていると見て取った。それで惟光は女房達に「ああそれならば結構です」

  花散りし 庭の(こずえ)も 茂りあひて 植ゑし垣根も えこそ見わかね 明星抄  という歌がある。垣根がどこにあるのかも分からないという意味の歌だが、私の方でも歌を届ける家の垣根を見間違えたようである。ではお暇します と言い置いて屋敷を出た。実の所、女の方では未だに光る君の事を待っていたのであるが

それなのに惟光があっさり引き下がったので、もっと言い寄って欲しかったと思うと癪にさわる。それに今では自分が光る君の愛情を受け入れられないことが、女にはしみじみと悲しく思われる。惟光は、女には光る君との対面を避ける何かしらの事情があったのだろう、光る君の訪れは余りにも間隔が空き過ぎた、別の男が通っているのであればさすがにこれ以上の申し出は遠慮すべきだろう、気に入らないがやむを得ない と思った。

惟光からの報告を聞いた光る君は、こういう身分の女の中ではあの筑紫の五節(ごせち)がまことに可愛らしかったなと思い出される。筑紫の五節は太宰大弐の娘で、光る君の足が遠のいても彼女は一途に光る君を慕い続けた。光る君はこのようにあちらこちら、多くの女との関係で心が休まる時が無く、いつになっても苦しんでいる。語り手の私が思うには、この中川の女の様に一度だけしか会わなかった女ならば、とっくに忘れてしまった方がよい。それなのに光る君の場合にはそんな女たちを見捨てず、さっさと通り過ぎないで歌を届けるような振舞いをするので、沢山の女たちを苦しめる原因を作るのである。

 

なお惟光が口ずさんだ 植えし垣根も」 という言葉も、「湖月抄」は 

  花散りし 庭の(こずえ)も 茂りあひて 植ゑし垣根も えこそ見わかね

という歌の一節だと説明していた。けれどもこの歌の出典は分かっていない。しかも歌の中に 花散りし とあり、花散る里 という巻のタイトルとピッタリし過ぎている。もしかしたら「源氏物語」の花散里のこの箇所の表現から創作された和歌なのかもしれない。

 

さて 花散る里の巻を六つに区切った四番目に進む。光源氏は麗景殿の女房の屋敷に着き語り合う。橘の香りが印象的である。

朗読④ 麗景殿の女御との語らい

さてかの本意の所は、思しやりつるもしるく、一目なく静かにておはするありさまを見たまふもいとあはれなり。まづ、女御の御方にて、昔の御物語など聞こえたまふに、夜更けにけり、二十日の月さし出づるほどに、いとど小高き影ども木暗く見えわたりて、近き橘のかをりなつかしく匂ひて、女御の御けはひ、ねびにたれど、飽くまで用意あり、あてにらうたげなり。すぐれてはなやかなる御おぼえこそなかりしかど、睦まじうなつかしき方に思したりしものを、など思い出できこえたまふにつけても、昔のことかき連ねうち泣きたまふ。

 解説

本意の所は は本来の目的地という意味。解説を含みこんだ現代語訳で読む。

花散る里のもとに向かう途中、中川の辺りで女の家に入り込もうとした光る君の試みは挫折した。そこで今夜の外出の目的地である花散る里の屋敷に到着した。光る君が想像していた通りでひっそりとしている。仕えている者たちも少なく、」まして訪れる人もいない。余りの静寂ぶりと荒廃ぶりに、光る君の心は悲しくなる。光る君はまず花散る里の姉である麗景殿の女御の部屋で挨拶をする。何やかやと、今は亡き桐壺院が天皇に在位していた頃の楽しい思い出話を申しあげている間に、あっという間に夜も更けた。今宵は5月20日。二十日の月は更待(ふけまち)(つき)という別名があるように、午後10時になってやっと昇ってくる。手入れしていないので、高く伸び放題の木々で作る若木が鬱蒼とした闇の領域を広げている。濃くなった闇の中で軒近い所で咲いている橘の花が、なつかしい香りを辺り一面漂わせている。

橘の香には恋しい人を思い出させる喚起力がある。

  五月まつ 花橘の香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする 古今和歌集 夏 読み人知らず

の歌の通りである。麗景殿の女御は橘の香そのものの奥ゆかしい人である。かなり年をとっているが、気配りが素晴らしく気品があり傍にいて愛おしく感じられる。光る君はこの方は、ずば抜けた桐壷帝のご寵愛こそなかったものの、帝は慕わしく奥ゆかしい女性としてこのお方を大切に思っておられたと思い出すにつけても、過ぎ去った日々の出来事が脳裏によぎり泣いてしまった。

丁寧な文体が橘の花の懐かしい香りと相まって、麗景殿の女御の人物を表している。勿論その妹である花散る里の人柄も姉と同じであろう。

 

それでは五番目の場面に進む。

朗読⑤ 麗景殿の女御と光る君の昔を忍ぶ会話

ほととぎす、ありつる垣根のにや、同じ声にうち鳴く。慕ひ来にけるよ、と思さるるほども艶なりかし。

「いかに知りてか」など忍びやかに(ずん)じたまふ。

  「橘の 香をなつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ  光る君

いにしへの忘れがたきなぐさめにはなほ参りはべりぬへかりけり。こよなうこそ紛るることも、数そふこともはべりけれ。

おほかたの世に従ふものなれば、昔話もかきくづすべき人少うなりゆくを、ましていかにつれづれも紛れなく思さるらん」と聞こえたまふに、いとさらなる世なれば、ものをいとあはれに思しつづけたる御気色の浅からぬも、人の御さまからにや、多くあはれぞ添ひにける。

  一目なく 荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまとなりけれ  女御

とばかりのたまへる。さはいへど人にはいとことなりけり、と思しくらべらる。

 解説

まず「湖月抄の理解した内容を現代語に訳す。

光る君が音もなく泣いている時、部屋の外からほととぎすの鳴き声が聞こえた。その声は先程中川の宿の垣根で聞いたほととぎすの鳴き声に全く同じだった。あのほととぎすは私を慕ってここまで追いかけて来たのだろうかと思っている光る君の姿は、まことに優美な物だった。光る君は心に浮かんだ古い歌をしみじみと口ずさむ。

  いにしえの こと語らへば ほととぎす いかに知りてか 鳴き声もする 

それに引き続いてご自身も歌を詠んだ。

  橘の 香をなつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ 光る君

私の心を良く理解しているほととぎすは、橘の花の懐かしい香りに心惹かれるので、その花の匂いの源を求めて、橘の花散り敷いたこの屋敷を探し求めてここまで飛んできたのだ。私もまた亡き桐壺院の思い出を語り合う相手があなたしかいないので、あなたとお話したくてここまでやってきました。あのほととぎすは私です。光る君は歌に寄せて心の内を述懐する。昔のことが懐かしくてどうしようもない時には、真っ先にこの屋敷に参上すべきです。ここに来ると他では解消できない悲しみが癒やされることもあるが、逆に一層悲しみが増すこともある。世間の人々はその時々の権力者に追従する倣いなので、もう権利を持っていない昔の人のことなどを語り合い、人の心に積もった悲しみを語り合って解消することなどとても期待は出来ない。私の様に公の世界を生きている者でもそうなのだから、ましてあなたの様に他人との交際も少ない人は、どんなにか話し相手もなく積もった悲しみを晴らす術がない事だろうか などと申し上げる。

女御は全てが移り変わってしまう世の中なので、自分の悲しみは口にしても仕方ないと思い続けている。女御の目には光る君が誠に心深く憂いを抱いているのが分るので、そのまま接して女御は更に大きく悲しみを感じるのであった。女御は歌を詠んだ。

  一目なく 荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまとなりけれ 女御

私の家は誰も訪れるとてなく荒れ果てている。端近くに橘の花が咲いているが、その橘の香りが光る君をこの家にまで引き寄せる端緒となったのである。言葉はなくこの歌だけを口にする。

光る君は麗景殿の女御は桐壷帝の寵愛が無かったとはいっても、流石に優れていらっしゃったし、今はこれほどのお方は滅多にいないと、他の女性たちと比較して高く評価するのだった。

 

麗景殿の女御の歌の少し前に、ものをいとあはれに思しつづけたる御気色の浅からぬも、という文章があった。

「湖月抄」の傍注では光源氏の様子と取っているが、頭注には女御の様子であるというという説も紹介している。本居宣長はどちらとも言っていない。現在では女御とする解釈が多い。古文は主語を省略するので解釈が分かれるのである。日本語の宿命である。

 

さて  橘の 香をなつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ という光源氏の歌であるが、「湖月抄」は二首の古歌を踏まえていると言っている。

  橘の 香を懐かしみ ほととぎす 片恋しつつ 鳴かぬ日はなし 万葉集

  橘の 花散る里に 通いなば 山ほととぎす とよもさむかも  万葉集

ただし本居宣長は万葉集巻8にある歌を指摘している。

  橘の 花散る里のほととぎす 片恋しつつ 鳴く日しそ多き 大伴旅人

花散る里 という言葉が出てくるので、こちらの歌が「源氏物語」と近い。また麗景殿の女御の歌は、意味が分かりにくいと本居宣長は指摘している。

   一目なく 荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまとなりけれ 女御

本居宣長は最終的には「湖月抄」の解釈に従うしかないだろうと言いつつも、光源氏を招く端緒となったことを、

軒の つま となると言うのは不思議な読み方であると疑問に感じている。

本居宣長ほどの合理的近代的解釈をする学者でもすっきりしない歌なのである。現代人が花散る里という女性について考える時に、必ず連想するのはこの場面である。所がここでは花散る里の姉が光源氏と橘の歌を詠み交わしている。

次の場面に花散る里本人が登場するが和歌の贈答はない。

 

それでは花散る里の巻の最後の場面を読む。光る君は今夜の目的だった花散る里と語り合う。

朗読⑥ 光る君は花散る里と語らう

西(おもて)には、わざとなく忍びやかにうちふるまひたまひてのぞきたまへるも、めづらしきに添へて、世に目馴れぬ御さまなれば、つらさも忘れぬべし。何やかやと、例の、なつかしく語らひたまふも、思さぬことにあらざるべし。仮にも見たまふかぎりは、おし並べての(きわ)にはあらず、さまざまにつけて、言ふかひなしと思さるるははなければにや、憎げなく、我も人も(なさけ)かはしつつ過ぐしたまふなりけり。それをあいなしと思ふ人は、とにかくに変るもことわりの世の(さが)と思ひなしたまふ。ありつる垣根も、さようにてありさま変りにたるあたりなりけり。

 解説

「湖月抄」が読み取った内容を現代語訳する。

麗景殿の女御の住まいの西の方の部屋に花散る里は住んでいる。光る君は姉の麗景殿の女御に挨拶するのが、本来の目的であるかのように振る舞い、花散る里に会うのも表沙汰ならないようにする。光る君が花散る里の部屋に顔を出してからの事は、私・語り手が説明する。

光る君がここに来るのは久し振りであるのに加えて、他ではお目に掛れない程の美貌なので、花散る里は日頃淋しい思いをしていることの恨めしさもきっと忘れてしまったことだろう。また光る君があれこれと言葉を尽くして暫く顔を見せなかったことをお詫びするので、花散る里もその言葉に納得した事だろう。かりそめにも光る君ほどの人が通う女性たちは、どの人も身分が低い訳でも教養が浅い訳でもない。

色々な面において問題にならない程、ひどい女などいないので、例え光る君の訪れが長く絶えていたとしてもそれを恨むことはなかった。光る君の方でも女の方でも互いに相手を信頼しあっているからこそ長続きしているのである。特にこの花散る里はおっとりとした心の持ち主だったので、光る君は最後まで忘れなかった。但し細く長く付き合うことを不満に思うような女たちもいる。彼女たちは何かと心変わりして、他の男を通わせるようになるのである。光る君はそういう女に対しても、それもまた世間の習いでありやむを得ないことだと承知して、女を恨みに思う事はない。

先程中川の宿で光る君の申し出を人違いでしょうと、とぼけた女もそういう(ことわり)の世の(さが)で他の男と付き合うようになっていたのである。

 

なお 何やかやと、例の、なつかしく語らひたまふも、思さぬことにあらざるべし。 の部分であるが、「湖月抄」は思さぬ の主語は 花散る里 と取っている。光源氏が優しく語りかけてくれるので、花散る里も有難いと思うだろうというのである。それに対して本居宣長の弟子である鈴木(あきら)、この部分は草子地であると述べている。語り手が光源氏の心を推測していると言うのである。光源氏が優しくしているが、花散る里を愛しているからだろうという解釈である。現代では鈴木(あきら)の解釈が有力である。この場面では中川の女と花散る里が対照的に描かれている。

中川の女は男の気持ちを信じていない。この様なタイプの女性は男の訪れが滞ると、男との関係を断念したり、同居していた場合には自分から家を出て出奔してしまう。例えば「伊勢物語」には、男を信じられない女がいて家を出てしまうという内容が何段かある。そういう場合、室町時代の注釈書等では、この心の軽い女は小野小町であると述べている。それに対して花散る里は小野小町の様な美女ではないが、心が重い女である。だから政治的な苦境に直面している光源氏は、どんなことがあっても自分を待ってくれている女として花散る里を大切にしているのである。今回は一つの巻を全文購読するという初めての試みだった。次回からは再び名場面でつづるスタイルに戻る。

 

コメント」

 

全く地味な巻であった。そして自分勝手な見解であったが、作者がこういうスト-リ-を書くことが少し不思議。