240629⑬「(さか)()の巻(1)

今回と次回は賢木の巻を読む。賢木は漢字二文字で書く場合と、(さかき)と一文字で書く場合がある。北村季吟の「湖月抄」には、言葉並びに歌を以て巻の名とするとある。さかき という言葉は和歌の中にも散文にもみられる。

光源氏が22歳の9月から24才の夏までの3年間である。

この巻の内容は大きく三つある。第一に嵯峨野にある野宮(ののみや)での六条御息所との別れである。この部分は今回じっくりと読む。第二に桐壺院の崩御後の藤壺ヘの接近である。苦悩する藤壺は出家して尼になる。ここからは次回読む。第三は、朱雀帝に仕える(ないし)(かみ)となっている朧月夜と光源氏は密会を続けていたが到頭露見した。この様に賢木の巻には御息所・藤壺・朧月夜という三人の女君が入り混じって登場する。まず光源氏が野宮に御息所を訪ねる場面を読む。

さて御息所は葵の上に祟ったことが世間の噂となり悩んでいる。御息所の娘が斎宮となり伊勢国に下向するので、一緒についていく決心をした。御息所が娘の斎宮と共に精進潔斎している嵯峨野の野宮を光源氏は訪ねる。せめて美しい別れを演出しようとしたのである。9月7日の事であった。室町時代の謡曲「野宮(ののみや)では、御息所の霊魂が毎年この9月7日 長月7日になると野宮に現れ、光源氏を偲ぶという設定になる。彼女の人生の最高の思い出の日となっている。

朗読①光源氏が野宮に御息所を訪ねる場面

はるけき野辺をわけいりたまふよりいとものあはれなり。秋の花みなおとろへつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあはせて、そのこととも聞きわかれぬほどに、物の()ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。

睦ましき御前十余人ばかり、御随身(みずいじん)ことごとしき姿ならで、いたう忍びたまへれど、ことにひきつくろひたまへる御用意いとめでたく見えたまへば、御供なるすき者ども、所がらさへ身にしみて思へり御心にも、などて今まで立ちならさざりつらむと、過ぎぬる(かた)(くや)しう(おぼ)さる。ものはかなげなる小芝垣(こしばがき)大垣(おおがき)にて、板屋(いたや)どもあたりあたりいとかりそめなめり。黒木の鳥居どもは、さすがに神々(かうがう)しう見わたされて、わづらはしきけしきなるに、神官(かむづかさ)の者ども、ここかしこにうちしはぶきて、おのがどちもの言ひたるけはひなども、ほかにはさま変りて見ゆ。火燃屋(ひたきや)かすから光りて、人げ少なくしめじめとして、ここにもの思はしき人の、月日を隔てたまへらむほどを(おぼ)しやるに、いといみじうあはれに心苦し

 解説

はるけき野辺をわけいりたまふよりいとものあはれなり。  なり は、何々するとすぐに というニュアンスである。光る君は伊勢国に下る御息所と別れの言葉を交わすために、嵯峨野の野宮に向かう。見渡す限りの野原の中を、野宮を目指して進んでいく。嵯峨野に足を踏み入れた途端に、早くも あはれ の思いを抱く。

秋の花みなおとろへつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあはせて、そのこととも聞きわかれぬほどに、物の()ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。

9月の終わりまでは秋である。7日は秋の盛りの筈だが、ここでは冬の印象である。光源氏と御息所の恋愛がすでに終わっていることを映している。浅茅が原もかれがれなる虫の音 の部分について、「湖月抄」は掛詞が面白いと言っている。浅茅が原もかれがれ は秋草が枯れているという意味、かれがれなる虫の音 は、虫の音が鳴き涸らして(かす)れているという意味。かれがれ が、花と虫の両方に掛る。掛詞はもう一つある。

そのこととも聞きわかれぬほどに、物の()ども絶え絶え聞こえたるの部分である。 

そのこと の、こと は、事柄の ことと、音楽の 琴 の掛詞である。しかも楽器の 琴 を演奏する音と、松風の音とが入り混じるという発想は和歌を踏まえている。

  琴の音に 峰の松風 通ふなり いづれのおより 調べそめけむ 

    徽子(きしし)女王(じょおう)(斎宮女御) 拾遺和歌集

いづれのおより  お が、山の尾根(おね)の お と、弦楽器の糸・弦との掛詞である。野宮に相応しい和歌である。この部分は和歌を凝縮した散文なので、口語文に訳すと長くなる。

今は晩秋なので少し前までは、繚乱(りょうらん)と咲き乱れていたであろう秋の花の殆どは萎れ始めている。一面の野原を覆っている秋の草は枯れ枯れで、その枯野の中から虫たちの鳴き涸らしている声が湧き上がってくる。その虫たちの鳴き声に、峰から吹き下る松風の淋しい音が重なって一つに聞こえてくる。その二つの音の中に混じって、遠くから聞こえてくる別の音が聞こえてくる。最初は何の音か分からなかったが、それは琴の音だった。村山天皇の女御となった徽子(きしし)女王(じょおう)(斎宮女御)がかつて野宮で詠んだ 琴の音に 峰の松風 通ふなり いづれのおより 調べそめけむ という和歌がある。() と、琴()(糸・弦) の 掛詞である。 この歌を光源氏は思い出した。あの音は野宮にいる御息所たちの琴の音なのだろう。それが風に乗って耳に届いたのである。風の音にかき消されて、琴の音は途切れ途切れに聞こえてくる。誠に幽遠な気持ちになる。

睦ましき御前十余人ばかり、御随身(みずいじん)ことごとしき姿ならで、いたう忍びたまへれど、ことにひきつくろひたまへる御用意いとめでたく見えたまへば、御供なるすき者ども、所がらさへ身にしみて思へり

これは野宮へ向かっている光源氏一行の様子である。このお出かけには光る君の信頼の厚い腹心ばかりが10名余りしか同行していない。護衛を務める随身も、都の中での外出の時とは異なり、いかにも護衛していますというと言わんばかりの物々しいいで立ちではない。

いたう忍びたまへれど、ことにひきつくろひたまへる御用意いとめでたく見えたまへば、御供なるすき者ども、所がらさへ身にしみて思へり

光る君はお忍びなのだが、これから会う相手六条御息所なので、恥ずかしくない装いをしている。それが御供をしている者たちの目にも素晴らしく見える。お供の者たちも光源氏に仕えているので、風流を解する美意識の持ち主ばかりである。この様に光る君は大層なお忍びで野宮へ出かけたが、それでも身なりは大層きちんと整えている。会う相手の六条御息所がこちらを恥ずかしくさせるほどの立派な女性なので、光る君の方でもそれにふさわしい姿なのである。光る君の装いがあまりにも素晴らしいので、御供の者たちも光る君の御姿と野宮の秋の風情を、身に染みて感じ入っている。

御心にも、などて今まで立ちならさざりつらむと、過ぎぬる(かた)(くや)しう(おぼ)さる

これは光源氏の心である。立ちならす は、何度も訪れること。光る君本人も都から野宮まで、風情のある面白い旅だったので、どうしてこれまでにここを訪ねるという決心がつかなかったのだろう。もっと早く何度もここを訪れるべきだった と、これまで六条御息所を放っておいたことを残念に思った。

ここからは野宮に到着した光源氏の目に映った情景である。

ものはかなげなる小芝垣(こしばがき)大垣(おおがき)にて、板屋(いたや)どもあたりあたりいとかりそめなめり

いとかりそめなめり。は、直訳すると、一時的な仮作りであるように見えるという意味である。光源氏の目と心により沿った表現である。光る君は野宮に着いた。野宮の周囲は小柴垣で囲まれている。この小柴垣がいかにも簡素なのである。天皇の即位の際に執り行われる大嘗祭でも芝垣が用いられるし、伊勢大神宮でも芝垣である。

芝垣には不浄を遠ざける力があると言われている。板で屋根を葺いた小屋があちらこちらに、いかにも仮作りという感じで建っている。野宮は帝一代に月一度だけ、しかも短期間のみの使用なのである。それが嵯峨野の風情と似あう。

黒木の鳥居どもは、さすがに神々(かうがう)しう見わたされて、わづらはしきけしきなるに

黒木の鳥居は野宮のシンボルである。木の表面の皮を剝いでないのが黒木で、剥いでいるのが赤木である。

神々(かうがう)しい 雰囲気が漂っているので、これから六条御息所に会おうとしている光源氏は流石に緊張する。野宮には黒木の鳥居が立っていて、皮を剥いでない丸木が用いられている。いかにも神々しい雰囲気である。野宮の建物は簡素なものであっても、ここが神域であることは一目瞭然なので、さすがの光る君も色恋を憚る気持ちになる。

これから六条御息所と逢うのは色恋の為ではなく、美しい別れを演出する為である。心に(よこしま)な気持ちはない。

それでも光る君は粛然とした気持ちになる。

神官(かむづかさ)の者ども、ここかしこにうちしはぶきて、おのがどちもの言ひたるけはひなども、ほかにはさま変りて見ゆ。

神官たちがあちらこちらで咳払いをしながら、何事か自分たちの用件を語り合っているようであるが、他の場所とは雰囲気がかなり変わっている。

火燃屋(ひたきや)かすかに光りて、人げ少なくしめじめとして、ここにもの思はしき人の、月日を隔てたまへらむほどを(おぼ)しやるに、いといみじうあはれに心苦し。

火燃屋(ひたきや) について、「湖月抄」は神様に供える食事を調理する場所と理解している。但し現在では警備する者たちの詰め所だとされている。神に供える御膳を作る火を焚きながら、火を燃やしている微かな光が漏れてくる。

この野宮は誠に人が少なく、しんみりとした物寂しい雰囲気の場所である。ここで心の中に大きな悩みを抱えた六条御息所が、一年近い時間を過ごしてきたかと思いやられる。すると何とも切ない気持ちになり、六条御息所の事がいたわしく思われるのであった。

私は賢木の巻の野宮の場面を読むたびに、何故か野宮の中ではなく海の底の奥に住んでいる女性の嘆きの声を聞く思いがする。生霊にも死霊にもなった六条御息所は、室町時代の謡曲の格好の素材である。謡曲「野宮」の能舞台には、黒木の鳥居が置かれている。その左右には小柴垣もついている。

さて光源氏は野宮で六条御息所と対面した。常緑樹である(さかき)を手に持ち、この榊の様に変わる事なく私は永遠にあなたを愛しています。だからここまで会いに来たのです。

 

その後六条御息所と光源氏が榊という言葉を織り込んだ歌を詠み交わす。賢木という巻の名の由来である。最初が六条御息所の歌で、後の方が光源氏の歌である。

朗読② 二人が交わした歌

  神垣は しるし杉も なきものを いかにまがへて 折れるさかきぞ

と聞こえたまへば

  少女子(をとめご)が あたりと思へば (さかき)()の 香をなつかしみ とめてこそ祈れ

 解説

しるし杉 は、大和国三輪神社にある目印となっている杉の木である。野宮は仮作りの建物だから目印はない。「湖月抄」は深い解釈をしている。心のしっかりとした六条御息所がかつて若い光源氏になびいたのは、光源氏の口から必ず正妻にしますという固い約束があったからだろう。光源氏は六条御息所を軽く扱った。それなのに光源氏は何を思ったか、ここにやってきた。あなたは私を(だま)そうとするのですか、それとも単なる人違いですか。本居宣長もこの解釈に賛同している。光源氏は、いえ人違いではありません。あなたがここにいらっしゃると確信してここまで会いに来たのですと弁明している。この歌を詠み交わし段階で、二人の仲はまだぎくしゃくしている。特に六条御息所の心の中は凝り固まった恨みが積もっている。この恨みは溶けるのであろうか。

二人は長い一夜を語りあかした。するとお互いの心の中に淀んでいた、相手への(わだかま)りが少しずつ溶けて行った。

 

歌の後の情景を読む。

朗読③野宮での再会した二人の交わす会話

おほかたのけはひわづらはしけれど、御簾(みす)ばかりはひき着て、長押(なげし)におしかかりてゐたまへり。心にまかせて見たてまつりつべく、人も慕ひざまに思したりつる年月に、のどかなりつる御心おごりに、さしも思されざりき。

また心の中にいかにぞや、(きず)ありて思ひきこえたまひし後、はたあはれもさめつつ、かく御仲も隔たりぬるを、めづらしき御対面(たいめ)の昔おぼえたるに、あはれと思し乱るること限りなし。来し方行く先思しつづけられて

心弱く泣きたまひぬ。女は、さしも見えじと思しつつむめれど、え忍びたまはぬ御気色(けしき)を、いよいよ心苦しう、なほ思しとまるべきさまにぞ聞こえたまふめる。月も入りぬるにや、あはれなる空をながめつつ、恨みきこえたまふに、ここら思ひあつめたまへるつらさも消えぬべし。やうやう今はと思ひ離れたまへるに、さればよと、なかなか心動きて思し乱る。

殿上の若(きむ)(たち)などうち連れて、とかく立ちわづらふなる庭のたたずまひも、げに艶なる方に、うけばりたるありさまなり。思ほし残すことなき御仲らひに、聞こえかはしたまふことども、まねびやらむ方なし。

 解説 

この奥深い心の中に分け入ろう。

おほかたのけはひわづらはしけれど、御簾(みす)ばかりはひき着て、長押(なげし)におしかかりてゐたまへり。

光源氏は六条御息所がいる部屋の外の一段低くなっている所に座り、簾の中には顔だけ差し入れている。野宮は辺り一帯が神々しいのでさすがに光源氏も、六条御息所の部屋に立ち入るのをためらっている。

そこで六条御息所がいる部屋の簾を少し引き上げて、顔だけ差し入れ体は部屋の外の一段低い板にもたれて座っている。

心にまかせて見たてまつりつべく、人も慕ひざまに思したりつる年月に、のどかなりつる御心おごりに、さしも思されざりき。

光源氏は車争いによる生霊事件が起きる前の時点から、二人の関係を振り返っている。光る君は六条御息所とのこれまでの付き合いを振り返っている。その気になったらいつでも会えたし、六条御息所のほうでも光る君を慕っていた頃は、いつまでもこういう状況が続くだろうと思って、おっとりと構えていた。簡単に会えなくなってから、会いたいと思う気持ちが湧いてくるのが光る君の心の不思議さである。

また心の中にいかにぞや、(きず)ありて思ひきこえたまひし後、はたあはれもさめつつ、かく御仲も隔たりぬるを、

これは葵の上に取り付いた生霊が六条御息所の霊だったことを思い出している箇所である。また六条御息所が物の怪となって葵の上に祟る恐ろしい情景を、自分の目で目撃して何という事だ、六条御息所の心には大きな (きず) があると思われたからには、六条御息所への熱い思いもすっかり冷めてしまった。そのため長いこと会わなかった。光源氏の方で六条御息所に対面することに抵抗があったのだ。

めづらしき御対面(たいめ)の昔おぼえたるに

対面(たいめ)  御 は、六条御息所が自分に対面してくれたことに光源氏が感謝しているのである。でもこうやって久し振りにお会い出来た六条御息所の方にも、心の蟠りがあっただろうに対面してくれた。

あはれと思し乱るること限りなし。来し方行く先思しつづけられて、心弱く泣きたまひぬ。

主語は光源氏である。光る君は六条御息所と間近に向かい合っているが、物の怪事件によって心に蟠りをおぼえる以前の昔に、戻った様な気持ちになり心の奥底から あはれ という感情が湧き上がってくる。光る君は心弱くなって涙をこぼす。

女は、さしも見えじと思しつつむめれど、え忍びたまはぬ御気色(けしき)を、

見えじ  え は、受け身を表す。女は見られたくないというのが直訳である。女は男だけではなくて、自分も泣きたいくらいに悲しんでいるという事を、男に知られないように泣くことだけはすまいと懸命に(こら)えている。

それでも我慢できずに忍び泣きしている様子である。

いよいよ心苦しう、なほ思しとまるべきさまにぞ聞こえたまふめる。

再び主語は光源氏に戻る。最後の 聞こえたまふめる。 は、敬語を省略すると 言うめる で言っていたようであるという意味である。二人の対面を見続けていた語り手が、読者に説明しているのである。六条御息所の悲しそうな姿を見て光る君は、更に一層悲しい思いに駆られた。やはり伊勢国に下るのをお止めになったら如何ですかと改めて言う。語り手の説明は続く。

月も入りぬるにや、あはれなる空をながめつつ、恨みきこえたまふに、ここら思ひあつめたまへるつらさも消えぬべし。

月も入りぬるにや、 と推測しているのは語り手である。

消えぬべし の べし も、語り手が六条御息所の心の中を推し量っているのである。今夜は9月7日である。7日の月は深夜の内に沈んでしまう。もうそういう時間になったのだろう。光る君は暗くなった空を眺めつつ自分を振り切って、伊勢国へ去っていく六条御息所への恨み事を切々と訴えている。それを聞いている六条御息所の心は、さぞかし癒されて、これまで積りに積もった光る君への恨めしいという気持ちも、すっかり解消されたであろう。光る君が野宮を訪れた目的は、美しい別れをするすること、つまり六条御息所の抱いている自分への恨みを失くすことであった。その目的が達成されつつあるようであった。

やうやう今はと思ひ離れたまへるに、さればよと、なかなか心動きて思し乱る。

これは六条御息所の心である。さればよ は、六条御息所が光源氏と会ってしまうと、伊勢国に下る決心が鈍るのではないかと恐れていたが、案の定そうなったというニュアンスである。六条御息所は娘と一緒に伊勢国に下ろうかいや止めようかと思い悩んだ挙句に、最早これまでだ、私は都を去るしかないと決心するが、光る君の優しい言葉に触れ心が揺らぐのであった。光る君がおいでになる以前より六条御息所は悩んでいたが、光る君と会った後の方が却って悩みは大きくなった。これはかねて予感していた事であったが。

殿上の若(きむ)(たち)などうち連れて、とかく立ちわづらふなる庭のたたずまひも、げに(えん)なる方に、うけばりたるありさまなり。思ほし残すことなき御仲らひに、聞こえかはしたまふことども、まねびやらむ方なし。

語り手はここで視線を二人から庭の方に向ける。うけばる は、得意そうに振る舞うことである。六条御息所がいる野宮の風情は素晴らしいと殿上人の若い (きむ)(たち) が何人かた

って、わざわざ野宮を訪れてはここを立ち退きたくないなどと惜しんでいる噂であるが、成る程この庭の雰囲気は優美である。これもただの優美さではない。これが優美でないのならばこの世の何処にも優美さなど存在しないと、得意気に言わんばかりの最高の優美さである。思ほし残すことなき御仲らひに、聞こえかはしたまふことども、まねびやらむ方なし。これは語り手のコメントである草子地の役割の一つに省略の草子地がある。ここはそれである。男君も女君もどちらも嘆きの限りを尽くしている。この時に二人がどういう会話をしていたか、それをここで言葉にして語ることなど、幾らこの物語の語り手である

私であってもとても出来ない。なおこの辺りへは本居宣長は「湖月抄」の解釈に対して、特段の反対を述べていない。但し本居宣長は光源氏と御息所のそもそもの馴れ初めを描いた「手枕」という物語を創作しているので、御息所に対する関心は大きかったと思われる。本居宣長の年譜には少年期に、ある人物から「論語」や「孟子」と並んで、謡曲「野宮」を学んだと書いていてある。

 

さて「源氏物語」の語り手は光源氏と御息所が月の長い夜に、どのような会話を交わしたのかは、具体的には書かなかった。その代わりに二人の美しい贈答歌を載せている。歌でしか伝えられない心の底の思いがある。

それでは二人が別れの朝に歌い交わした別れの歌を味わう。

朗読④ 朝になって二人の別れ

やうやう明けゆく空のけしき、ことさらに作り出でたらむやうなり。

  あかつきの 別れはいつも 露けきを こは世に知らぬ 秋の空かな

出でがてに、御手をとらへてやすらひたまへる、いみじうなつかし。風いと冷やかに吹きて、松虫の鳴きからしたる声も、をり知り顔なるを、さして思ふ事なきだに、聞き過ぐしがたげなるに、ましてわりなき御心まどひどもに、なかなかこともゆかぬにや。

  おほかたの 秋の別れも かなしきに 鳴く()な添へそ 野辺の松虫

悔しきこと多かけれど、かひなければ、明けゆく空もはしたなうて出でたまふ、道のほどいと露けし。女もえ心強からず、なごりあはれにてながめたまふ。

 解説

「湖月抄」に導かれてこの場面を読み解く。

やうやう明けゆ空のけしき、ことさらに作り出でたらむやうなり。

何事かを語り尽くした二人だったが、いつの間にか長い夜は明け始めた。少しずつ白んでいく空の景色は、美しい別れを共同して作り出そうとしている二人の心を理解して、自然まで協力しているかのような見事さであった。

  あかつきの 別れはいつも 露けきを こは世に知らぬ 秋の空かな 光源氏の歌である。

和歌や漢詩を踏まえている。現代語訳する。

あかつきの後朝の別れで愛する女性のもとを去っていく男の着ている服はいつも朝露で濡れている。そして男のこぼす涙でも袖は濡れている。私もあなたのもとを去って行く暁には、何度もそういう悲しみをこれまで体験して生きた。けれども今朝、私が感じている悲しみは生まれてこれまで、全く経験したことの無いものである。

和歌で紀貫之が

  暁の なからましかば 白露の おきてわびしき 別れせましや  後撰和歌集

と歌い、漢詩では白楽天が歌っている。それらの詩歌が私の心を代弁してくれている。

出でがてに、御手をとらへてやすらひたまへる、いみじうなつかし。

出でがて は、立ち去り難いという意味である。光る君はいかにもここを離れたくないという様子で、御息所の手をしっかり握りしめたまま、この部屋を出ていく決心がつかない。

その様子が大層魅力的である。これはその場で見ていた語り手の感想である。

風いと冷やかに吹きて、松虫の鳴きからしたる声も、をり知り顔なるを、さして思ふ事なきだに、聞き過ぐしがたげなるに、ましてわりなき御心まどひどもに、なかなかこともゆかぬにや。

こともゆかぬにや。 も語り手のコメントである。この野宮での別れの場面は、時と場所と場面、いわゆるTPOが揃っている。だから光源氏はもっと素晴らしい和歌が詠めたはずだが、それほどの傑作ではないと、語り手は茶化している。そこでは吹きつける晩秋の風がとても冷たい。鳴きしきっていた野辺の松虫が今では、枯れ声で鳴いている。虫もまた今部屋の中で交わされている、男と女の別れの切なさを承知していると言わんばかりである。語り手である私の様に、これと言った深い悲しみを抱えている訳ではない者でさえ、身に染みて感じられる虫の声である。ましてこれ以上はない程の悲哀を心に抱いている二人にはどんなにか深い思いを抱かせる鳴き声だった事だろう。先程の光る君の歌もそれほど優れたものではなく、庭や野宮の景色の素晴らしさに負けていた事だろう。御息所もまた秋の風情を上回る歌を詠めないのも仕方のない事であろう。そして次にも歌が書かれている。

  おほかたの 秋の別れも かなしきに 鳴く()な添へそ 野辺の松虫

この歌は御息所が詠んだ歌だと考えられるのが多数説である。ただでさえ人と別れるのは悲しい。まして風情のある、秋という季節に素晴らしい人である光る君と別れるのは悲しくて堪らない。野辺では松虫が鳴いている。これ以上お前が鳴くと、私も泣くのを堪えきれなくなるからもうこれ以上鳴くのはやめて。

本当は光る君との別れがこんなに悲しいのは、自分が伊勢国へ下る決心をしたからである。でも今は秋という季節が別れの悲しみそそったという事にしておいて下さい。但し「湖月抄」はこの二首目の歌は、一首目の歌に引き続き光源氏が詠んだとする説があると言っている。直前の なかなかこともゆかぬにや。 という文章を御息所は様々な思いが込みあげて来て歌を詠めなかったとするのである。光源氏が一首目に引き続き二首目を詠んだと読めないこともない。けれども御息所が詠んだ歌と理解して初めて、殊更に作ったように別れの

哀切な贈答歌が完成するのである。

悔しきこと多かけど、かひなければ、明けゆく空もはしたなうて出でたまふ、道のほどいと露けし。

この歌を聞いた光る君は、あの時はこうするべきだった、あの時はこうするべきではなかったなどと後悔の念で一杯になる。でも今更どうすることも出来ない。空は段々明るくなっていき、これ以上野宮という神聖な場所に留まるのも心が落ち着かないので部屋を出て行った。野宮から都までの帰り道、朝露だけでなく光る君の袖は濡れた事だろう。

女もえ心強からず、なごりあはれにてながめたまふ。

御息所もまた、心を強く持って悲しみを堪えることが出来ず、光る君が立ち去った後も、情緒に浸りながらぼんやりと物思いに沈んでいる。こうして野宮で光源氏と御息所は悲しくも美しい別れを交わしたのであった。

 

「コメント」

 

伊勢の斎宮になる前に精進潔斎する場所が平安時代時代は野宮なのか。奈良時代はどこなのだろう。大伯皇女は?。葵の上を執り殺した御息所への怒りはないのか。

ここは不思議。