240622⑫「葵の巻」

葵祭とも呼ばれる賀茂の祭が背景となっている。「湖月抄」の年立てでは21才から22才の正月まで。直前の花の宴の巻が、19才の3月までだったので、葵の巻が始まるまでに19才の4月以降と20才の期間が省略されている。

この空白期間に桐壺帝が退位し、朱雀院が即位し冷泉院が東宮になった。弘徽殿(こきでん)の女房は大后(おおきさき)となり、光源氏は大将となり新しい斎宮と斎院が決まった。本居宣長の年立では一才年齢が繰り上げられている。光源氏の22才から23才の正月までである。

この巻の柱は三つある。一つ目は車争いで、六条御息所が葵の上から屈辱を受けた事。二つ目は葵の上が夕霧を出産後に、六条御息所の生霊に祟り殺された事。三つ目は光源氏と紫の上が新枕を交わしたことである。

この三つの名場面を「湖月抄」で読んでいく。

さて六条御息所は、年下の光源氏の自分への愛が薄れたことを嘆いている。娘が斎院に任命され、伊勢国に下向するのに、自分も同行したいと思い始めた。

 

折しも賀茂祭に先立って行われる御契(ぎょけい)の儀に、光源氏の姿を見ようとした六条御息所は、葵の上一行から、乗っていた牛車を押しのけられる屈辱を受けた。

朗読① 葵の上と六条御息所の車争い①

日たけゆきて、儀式もわざとならぬ様にて出でたまヘリ。(ひま)もなう立ちわたりたるに、よそほしうひきつづきて立ちわづらふ。良き女房車多くて、雑々の人なき隙を思ひ定めてみなさし退()けさする中に、網代のすこし馴れたるが、下(すだれ)のさまなどよしばめるに、いたうひき入りて、ほのかなる袖口、裳の裾、汗衫(かざみ)など、物の色いときよらにて、ことさらにやつれたるけはひしるく見ゆる車二つあり。「これはさようにさし退()けなどすべき御車にあらず」と、口強くて手触れさせず。いづ方にも、若き者ども()ひすぎたる騒ぎたるほどのことはえしたためあへず。おとなおとなしき御前の人々は、「かくな」など言へど、えとどめあへず。

 解説

日たけゆきて、儀式もわざとならぬ様にて出でたまヘリ。

光る君の子供・後の夕霧を身籠っている葵の上の気を引き立てようと周囲の者たちは、御禊(ぎょけい)見物をすることを強く勧めた。葵祭に先立ち、斎宮は鴨川で禊をする。それが御禊である。斎院の行列に光る君も従う。その晴れ姿を見ようと葵の上は急遽、牛車を何台も仕立てて左大臣家を出発した。急に決まった外出なので、屋敷を出発したのは、もう日が高くなってからであった。

(ひま)もなう立ちわたりたるに、よそほしうひきつづきて立ちわづらふ。

葵の上の一行より早く朝早くから到着して、良い席を確保することに成功した物見車が、ぎっしりと立錐の余地もなく立ち並んでいる。

良き女房車多くて、雑々の人なき(ひま)を思ひ定めてみなそし退()けさする中に

葵の上たちの車は数も多く、車を止める場所を見付けあぐねた。すでに止まっている車の中から、お供の者が附き従っていない車を見付けては、つぎつぎにそこを立ち退かせている。左大臣家の娘という権門に驕った振舞いである。なお、良き女房車多くて は、現在では先に止めてある車の事と解釈するが、「湖月抄」は葵の上一行の車だと指摘している。本居宣長もそれに反対していない。

網代のすこし馴れたるが、下(すだれ)のさまなどよしばめるに、いたうひき入りて、ほのかなる袖口、裳の裾、汗衫(かざみ)など、物の色いときよらにて、ひとさらにやつれたるけはひしるく見ゆる車二つあり。

強引に立ち退かされる車の中に、少し古ぼけた網代車があった。六条御息所の車だと判明するのだが、立ててある下簾(しもすだれ)の雰囲気がいかにも上品である。乗っている女性はお忍びで来ているのであろう。奥の方に引きこもっていて、外からは見えない。わずかに見えるお供の女房の袖口や裳の裾、更には(めの)(わらわ)が着る汗衫(かざみ)などは色合いが洗練されていて美しい。この上もなく高貴な女性がお忍びで、わざと装いを質素にやつしてお見えになっていることが一目瞭然である。その牛車が2輛止まっている。

「これはさようにさし退()けなどすべき御車にあらず」と、口強くて手触れさせず。

葵の上の従者たちが、この2輛を強引に立ち退かせようとすると、六条御息所の従者たちが懸命に抵抗する。

「この車はあなた達が簡単に立ち退かせられる様な、そういうお車ではありませんぞ。」と言って立ち退きを拒否した。

いづ方にも、若き者ども()ひすぎたる騒ぎたるほどのことはえしたためあへず。

したためる は、うまく処理することである。抵抗する側も、立ち退かせようとする、どちらの若い男たちは酒を飲んで酔っていた。人生経験が乏しく、未熟な若者たちは、葵の上の側も六条御息所の側も怒りを抑制できない。そこで一触触発の事態を未然に収めきれず、爆発させてしまったのである。それぞれの側にいる年上の大人たちが「そこまではしてはいけない」などと叫んでも、若者たちの衝突を止められなかった。

 

それでは車争いの続きを読む。

朗読②車争いの続き

斎宮の御母御息所、もの思し慰めにもやと、忍びて出でたまへるなりけり。つれなしづくれど、おのづから見知りぬ。「さばかりにては、さな言はせそ。大将殿をぞ豪家には思ひきこゆらむ」など言ふを、その御方の人もまじれれば、いとほしと見ながら、用意せむもわづらはしければ、知らず顔をつくる。つひに御車ども立てつづけつれば、副車(ひとだまひ)の奥に押しやられてものも見えず。心やましきをばさるものにて、かかるやつれをそれと知られぬるが、いみじうねたきこと限りなし。(しじ)などもみな押し折られて、すずろなる車の(どう)にうちかけたれば、またなう人わろく、悔しう何に来つらむと思ふにかひなし。

 解説

「湖月抄」の解説を参考に六条御息所の心を理解しよう。

斎宮の母御息所、もの思し慰めにもやと、忍びて出でたまへるなりけり。

なりけり は実はこうだったという驚きを示す語法である。実はこの時、2輛の牛車には新たに斎宮に選ばれた御方の母親である六条御息所と、そのお付きの女房達が乗っていたのである。六条御息所は若い光る君から、年上の自分が忘れられつつある嘆きが少しでも癒されるかもしれないと思って、その光る君の御姿をこっそり眺めようとここに来ていたのである。

つれなしづくれど、おのづから見知りぬ。

六条御息所は自分の素性を、他の見物人から見られないように配慮していたのだが分かってしまった。

「さばかりにては、さな言はせそ。大将殿をぞ豪家には思ひきこゆらむ」など言ふを、その御方の人もまじれれば、いとほしと見ながら、用意せむもわづらはしければ、知らず顔をつくる。

豪家 は頼りにしている、後ろ盾という意味である。この部分は小説風に訳しておく。

牛車に乗っているのが六条御息所と知った葵の上の従者たちは、途端に(あなど)る。「なんだ、かつては東宮の奥さんだった人だ。今ではうちの大将・葵の上のご主人である方の、年の離れた通い所となっている人だな。こちらは大将の北の方であるぞ。通い所風情の女にこの車は触ってはいけないなどと、偉そうに命令される筋合いではないぞ。そっちは大将の御力を借りている積りだろうがそうはいかないぞ」と耳にするのも(はばか)られる(ののし)り方をする。実はこの葵の上の一行の中には、光る君に仕えている従者たちも混じっていた。彼らはご主人の光る君と六条御息所の関係を知っているので、六条御息所が可哀想だと思わないでもない。だが、ここで六条御息所の肩を持てば、葵の上の従者たちの反発を買うことは必定である。そこで彼には素知らぬ振りでやり過ごそうとした。この辺の機微は、突然に始まった喧嘩がどうして止められなかったか、その理由を明らかにしている。

つひに御車ども立てつづけつれば、副車(ひとだまひ)の奥に押しやられてものも見えず。

副車(ひとだまひ) は、「湖月抄」に出車(いだしくるま)の事と説明してある。副車(ひとだまひ) は祭り見物の際に、女房達に役所から貸し出される車の事である。本居宣長は副車(ひとだまひ) を、付き添いの女房達の乗る車だと述べている。「湖月抄」と同じである。

次の様に訳す。

到頭葵の上の従者たちは、葵の上の乗った牛車を強引に留めてしまった。それだけでなくその付き添いの女房達の車も陣取って留まった。その結果としてそれまでは物見が可能な位置に停車していた六条御息所の車は、葵の上の付き添いの女房達の乗った車の更に後ろへと押しやられた。もはや行列を見物することも出来ない。

心やましきをばさるものにて、かかるやつれをそれと知られぬるが、いみじうねたきこと限りなし。

こういう無礼をされた六条御息所が、忌々しく思ったのは言うまでもない。自分の正体を見抜かれた上に、その程度の女、北の方ではなく愛人だと馬鹿にされた屈辱は、葵の上への妬ましい気持ちを倍加させたのである。後から考えれば、これが六条御息所が生霊となって、葵の上に祟りを為した切っ掛けなのであった。

(しじ)などもみな押し折られて、すずろなる車の(どう)にうちかけたれば、またなう人わろく、悔しう何に来つらむと思ふにかひなし

(しじ) は、牛車を止めて牛を外した後、長柄を乗せる道具である。車の(どう) は、車輪の真ん中の部分である

六条御息所の乗った車の (しじ) は、「どけどかぬ」の大騒ぎの中で完全に破壊されて折れてしまっていた。その(しじ) 壊れてしまっているので、六条御息所の乗った車の長柄は、何とか停止状態を保つために、他の車の車輪の中にある 車の(どう) に押し入れてある。何ともみっともない。気位の高い六条御息所は、光る君の御顔を見て心を慰めようと思った自分の思いが今となっては、悔しくてたまらない。どうして私がここにきてしまったのだろうかと思うのだが、後悔先に立たずである。六条御息所の感じた屈辱感が読者に伝わってくる。この後葵祭の当日、光源氏は紫の上と一緒に乗って見物に出かける。この時好色な老女である源(ないし)(すけ)と葵祭に因んで葵祭の歌を贈答する。この場面が 葵 という巻の名前の由来である。

 

さて車争いの後、葵の上は物の怪に悩まされ始める。しかも葵の上の出産が近づいている。この辺りはダイジェストで説明する。

葵の上を見守る方々もお産が始まるまでには時間があるだろうと油断をしていた。所が突然、葵の上に出産の兆候が見られ、それに伴ってひどく苦しみ始める。験者たちはあらゆる秘術を尽くして、物の怪を退治しようと祈り続けるのだが、例によって一つだけ最後まで退散しないしつこい物の怪があった。霊験あらたかな験者たちも、それにしても不思議な霊がいるものだと処置に困っている。けれども最後まで残ったしつこい物の怪も、験者たちの懸命な祈祷が効果を示し始めたものと見え、いかにも辛そうに泣き始めた。そして到頭、口を開いた。

「ああ苦しい、一寸で良いから祈りを中断して下さい。光る君に申し上げたいことがあるので」この声は葵の上の声だが、彼女に取り付いた物の怪がそう言わせているのである。見守る方々もやっと物の怪も弱ってきたから、何か理由があって光る君に言いたいことがあるのだろうと考え、葵の上が臥している寝床の前の几帳の近くまで、光る君を招き入れる。この後で光源氏と物の怪との対決となる。

 

朗読③光る君と物の怪との対決

あまりいたく泣きたまへば、心苦しき親たちの御事を思し、またかく見たまふにつけて口惜しうおぼえたまふにやと思して、「何ごともいとかうな思し入れそ。さりともけしうはおはせじ。いかなりともかならず逢ふ瀬あなれば、対面はありなむ。大臣(おとど)宮なども、深き契りある仲は、めぐりても絶えざなれば、あひ見るほどありなむと思せ」と慰めたまふに、「いで、あらずや。身の上のいと苦しきを、しばしやすめたまへと聞こえむとてなむ。

かく参り来むともさらに思はぬを、もの思ふ人の魂はげにあくがるるものになむありける」となつかしげに言ひて、

  なげきわび 空に乱るる わが(たま)を 結びとどめよ したがひのつま

とのたまふ声、けはひ、その人にもあらず変わりたまへり。いとあやしと思しめぐらすに、ただかの御息所なりけり。あさましう、人のとかく言ふを、よからぬ者どもの言ひ出づることと、聞きにくく思してのたまひ()つを、目に見す見す、世にはかかることこそはありけれと、疎ましうなりぬ。あな心憂(こころう)と思されて、「かくのたまへど誰とこそ知らね。たしかにのたまへ」とのたまへば、ただそれなる御ありさまに、あさましとは世の常なり

 解説

長い場面であるが緊迫しているので一気に読んだ。

あまりいたく泣きたまへば、心苦しき親たちの御事を思し、またかく見たまふにつけて口惜しうおぼえたまふにやと思して、

光源氏は目の前で葵の上が激しく泣くので、不憫に思った。光る君は彼女に取り付いている物の怪が泣いていることも忘れ、葵の上があまりにも激しく泣くので、自分の命が長くないと思い辛い思いをしている両親の事を心配し、またこのように夫である私と対面するにつけても、命を失うことを残念に思っているのだろうと推測する。そして慰めの言葉を口にする。

「何ごともいとかうな思し入れそ。さりともけしうはおはせじ。いかなりともかならず逢ふ瀬あなれば、対面はありなむ。大臣(おとど)宮なども、深き契りある仲は、めぐりても絶えざなれば、あひ見るほどありなむと思せ」と慰めたまふに、

その様に自分の命が危ないなどと思い詰めてはいけないよ。きっと治るでしょう。万一、最悪の事態となっても、命が無くなったとしても、夫婦は二世と言うのです。両親である左大臣と母宮は、親子は一世という諺があるとしても、深い因縁で結ばれた人間関係は絶える事はないと言うので、再び巡り会えるでしょう。安心してください。すると葵の上に乗り移った六条御息所の生霊が炎上する。

「いで、あらずや。身の上のいと苦しきを、しばしやすめたまへと聞こえむとてなむ。

かく参り来むともさらに思はぬを、もの思ふ人の魂はげにあくがるるものになむありける」

あくがるる は魂が肉体から遊離して彷徨(さまよ)い出す状態である。光る君が優しく葵の上に語り掛けていると、女君は突然話を(さえぎ)って「いえいえ、私は泣いていたのはそんな理由からではないのです。験者たちの祈りに責められて、わが身が苦しくて堪らないから、身もだえしていたのです。そこで少しでも祈りをやめてほしいとあなたにお願いする為に、あなたにここまで来て貰ったのです。悩みを抱えた人間の魂は、ふらふらと体から遊離して彷徨(さまよ)い出てしまうものなのです。」といかにも光る君と親密な関係にあるかの様な物の言い方をする。生霊は葵の上に取り付いたまま、葵の上の口を借りて歌を詠んだ。

  なげきわび 空に乱るる わが(たま)を 結びとどめよ したがひのつま

したがひ は、着物の下前(したまえ) の事である。つま は 褄 襟である。私の魂は深い嘆きのために体から抜け出して、空を彷徨っています。もう一度体に戻すには着物の下前の褄を結ぶとよいそうです。だれか無論、光る君あなたです。私の悩みを消して、私のあくがれ出づる魂を元の体に戻してください。私の苦しみを救ってわたしの心を取り戻させてください。

とのたまふ声、けはひ、その人にもあらず変わりたまへり。いとあやしと思しめぐらすに、ただかの御息所なりけり。

なりけり は発見の驚きを表す。

この様に詠う物の怪の声と雰囲気は、葵の上と全く別人になっている。光る君は本当に不思議な事と思って記憶を辿り、誰の声なのかを思いだそうとした。すると六条御息所のそれなのだった。

あさましう、人のとかく言ふを、よからぬ者どもの言ひ出づることと、聞きにくく思してのたまひ()つを、

よからぬ者ども は、身分の低い人々。

のたまひ()つを は、否定するという意味の尊敬語。

光る君は余りの事に驚き慌てている。これまで六条御息所の生霊が、葵の上に祟りを為しているという噂を耳にしたことはあった。けれども口さがない、性格の良くない者たちがことあれかしと思って、偽りを言いふらしているのだと思い、そんなことはないと否定していた。

目に見す見す、世にはかかることこそはありけれと、疎ましうなりぬ。

所が今、自分の目の前で、葵の上が六条御息所の雰囲気に変わり、六条御息所の声で話すのを聞いて、ああ世の中にはこんなこともある物だ、噂は本当だったと気付いて、光る君は気味が悪くなった。

あな心憂(こころう)と思されて、「かくのたまへど誰とこそ知らね。たしかにのたまへ」とのたまへば、ただそれなる御ありさまに、あさましとは世の常なり。

光る君と物の怪の対話が続いている。光る君はああ嫌なことだと思う。葵の上に取り付いた霊に向かって尋ねる。

「あなたの言いたいことは分かった。でも私にお願いしているあなたは、一体どなたですか。私には分からないので、はっきりとあなたの口から名前を名乗って下さい。」すると物の怪は更に一層六条御息所としか思えない仕草や特徴的な話しぶりを明らかにしたので、光る君は疑いようもなく六条御息所の生霊が葵の上に取り付いているのだと分かった。驚いたなどと言う普通の言葉では、光る君の気持はとても表現できない。なおこの場面で、本居宣長の弟子である鈴木(あきら)は、ただそれなる御ありさまに とあるのは、物の怪が自分は六条御息所であると名乗ったのだと解釈している。けれども名乗りはしなくても、光源氏にははっきりと六条御息所の生霊と分かったと読むのが良いと思う。

 

さて葵の上は後の夕霧を出産した後で、物の怪に取り付かれて死去する。光源氏は葵上が暮らして居た屋敷で喪に服する。「源氏物語」では亡き人を偲ぶ場面が何度も繰り返される。桐壷の巻では桐壺帝が桐壺の更衣を偲び、葵の巻では光源氏が葵の上を偲び、幻の巻では光源氏が紫の上を偲んでいる。それらの場面では漢詩と和歌が情緒たっぷりに用いられている。葵の巻でも名場面が沢山あるが、省略する。葵の上の喪が明け、光源氏は左大臣の屋敷を去り二条院に戻る。久し振りに見る紫の上は急速に大人びていた。この場面はダイジェストで読む。

 

光る君が久し振りにご覧になった紫の上はとても可愛らしくきれいに装っている。光る君は長い御無沙汰でした。8月から冬までの数か月であったが、これほどまでに大人びた雰囲気になっていのには驚いたと言いながら、几帳の帷子を引き上げながら、座っている紫の上の顔をとくとご覧になる。紫の上は顔を正面から見られるのを恥ずかしく思い横を向いている。そこに漂っている大人の女性の雰囲気は、ここが不足だという欠点が何一つない程理想的である。灯に照らされている横顔も頭の形も、私が心の底から憧れていた藤壺と瓜二つに成長したと思うととても嬉しい。葵の上の死を心から悼んだ後、紫の上との新しい関係が始まったのである。

 

私は堀辰雄の「聖家族」という小説の冒頭を思い出す。

死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。

かくて二人は男と女の関係になる。時に紫の上14才、光源氏21才。

朗読④

つれづれなるままに、ただこなたにて碁打ち、編つぎなどしたまひつつ日を暮らしたまふに、心ばへのらうらうじく愛敬(あいぎょう)づき、はかなき戯れごとのなかにもうつくしき筋をし出でたまへば、思し放ちたる年月こそ、たださる方のらうたさのみはありつれ、忍びがたくなりて、心苦しけれど、いかがありけむ。人のけぢめ見たてまつり分くべき御中にもあらぬに、男君はとくおきたまひて、女君はさらに起きたまはぬ朝あり。人々「いかなればかくおはしますならむ。御心地の例ならず思さるにや」と見たてまつり嘆くに、君は渡りたまふとて、御硯の箱を御帳の内にさしいれておはしにけり。人間(ひとま)にからうじて(かしら)もたげたまへるに、ひき結びたる(ふみ)御枕のもとにあり。何心もなくひき開けて見たまへば、

  あやなくも 隔てけるかな 夜を重ね さすがに馴れし 夜の衣を

と書きすさびたまへるようなり。

 解説

つれづれなるままに、ただこなたにて碁打ち、編つぎなどしたまひつつ日を暮らしたまふに、

碁 は 囲碁である。編つぎ は、どんなものか分かっていない。最初に何編の漢字を決めて、その篇に属する漢字を書物の中からより早く見つけた方が勝ちだとする遊びと「湖月抄」は紹介している。但し別々になっている漢字の篇と(つくり)を組み合わせて、一つの漢字を作る遊びとされることが多い。

心ばへのらうらうじく愛敬(あいぎょう)づき、はかなき戯れごとのなかにもうつくしき筋をし出でたまへば、

らうらうじ は、本居宣長の説では物事に巧みであるという意味である。ここでは紫の上が囲碁や(あみ)つぎに関して、賢く巧みであるという事である。可愛らしいだけでなく、知的なのである。他愛ない遊びに関しても光る君が感嘆する囲碁の手を打ったり、漢字の知識を発揮したりするのである。

思し放ちたる年月こそ、たださる方のらうたさのみはありつれ、忍びがたくなりて、心苦しけれど、

(おぼ)し放ち は、思い放つ の尊敬語で、男女関係の事を忘れているという意味である。4年前に姫君を二条院に引き取ってからこれまでは、姫君が幼いので男女の道に関して、光る君は全く考えていなかった。姫君と夫婦の契りを結ぶことは思ってもいなかったので、ただ幼い様子を可愛らしく眺めているだけだった。けれども姫君の成長を実感することが多くなると、姫君と実事を結ぶことを我慢出来なくなってきたのである。

いかがありけむ。人のけぢめ見たてまつり分くべき御中にもあらぬに、男君はとくおきたまひて、女君はさらに起きたまはぬ朝あり。

いかがありけむ。 は、語り手から読者へのナレ-ションである。ここからは語り手である私から説明しよう。

光る君には紫の上と男女の関係を結ぶことを、いたわしいことだと躊躇(ためら)う気持ちもあった。光る君は姫君に惹かれる心と、可哀想だと思う心とをどの様に扱ったのであろう。二人はいつも一緒に打ち解けて過ごしているので、いつまでが夫婦になる前で、いつからが夫婦になったのか周囲の者にさえ分かりかねるが、一緒に寝ていた男君が早く起き、女君は一向に起きないという朝があった。光る君が葵の上の喪が明けて二条院に戻ってきてから、暫く時が経ってからである。この朝に新婚の新枕が交わされたのであろう

人々「いかなればかくおはしますならむ。御心地の例ならず思さるにや」と見たてまつり嘆くに、

人々 は、紫の上に仕える女房達である。彼女たちは今朝に限って姫様の目覚めが遅いのは、どこか体の具合が悪いのかとなど心配している。

君は渡りたまふとて、御硯の箱を御帳の内にさしいれておはしにけり。

光る君は朝になったので自分の部屋に戻る際に何か紙に文字を書いていたが、書き終わるとそのまま硯の箱を紫の上が臥せっている寝室の几帳の中にそっと差し入れた。

この硯を使って返事を書きなさいと言う心であったのだろう。

人間(ひとま)からうじて(かしら)もたげたまへるに、ひき結びたる(ふみ)御枕のもとにあり。何心もなくひき開けて見たまへば、

これは紫の上の視点である。紫の上は女房達が誰もいなくなった後で、しぶしぶ起きた。すると結び文にした手紙が枕元に置いてあった。何気なく引き開けてご覧になると、光る君の歌が書かれていた。

   あやなくも 隔てけるかな 夜を重ね さすがに馴れし 夜の衣を

これまでずっと私たち二人は、夜も一緒に過ごすなど馴れ親しみ、仲睦まじく過ごしてきた。けれども何故か男女の関係はなかった。今となってはこんなに魅力的なあなたと一緒に過ごしながら、どうして今まで夫婦の関係と無縁であったのか、何故夫婦の契りを避けてきたのかその理由が分からない。と この様に自分の気持ちを書き付けたという雰囲気で書かれていた。これが男君から後朝の歌だったのである。この様にして光る君と紫の上の関係が始まった。

 

「コメント」

 

今なら犯罪である。小さい子を自分の屋敷で養育し自分の妻にする。こんなことが当時の社会では何の御咎めもなく出来ていた。価値観・徳が何とも違う。こういうのが当時べストセラ-で読まれていたのである。