古典講読「名場面でつづる源氏物語」 電気通信大学名誉教授 島内景二
240511⑥「夕顔の巻」1
今回は浮舟の巻の前半を読む。とても人気のある巻である。巻名について「湖月抄」には、歌並びに言葉を持って巻の名とするとある。夕顔という言葉は和歌の中にも散文の中にもみられる。年立 光源氏の年齢については「湖月抄」は16才の夏より10月までの事見えたり とするが、本居宣長は17才としている。
浮舟の巻の冒頭だが、六条御息所という謎の女性が登場する。
朗読① 浮舟の巻の冒頭部分
六条わたりの御忍び歩きのころ、内裏よりまかでたまふ中宿に、大弐の乳母のいたくわづらひて尼になりにけるとぶらはむとて、五条なる家たずねてておはしたり。
解説
この場面を「湖月抄」の解釈に基づいて現代語訳をする。
光る君が六条に住んでいる六条御息所の御屋敷に、こっそり通ってこられていた頃の事である。この六条御息所は、今まで物語には登場していなかったが、光る君のいくつかある通い所の一つである。東宮・次期天皇の妃であったが、光る君と関係を持った女性である。所でこの「源氏物語」に登場する桐壺帝は、醍醐天皇を準拠としている。
醍醐天皇の時代に東宮に立ち、逝去したのが保明親王である。六条御息所の準拠は、保明親王の妃であった藤原忠平の娘である。彼女は保明親王の没後には、重明親王の妃となり斎宮女御を生んでいる。その六条御息所の屋敷に向かう途中で、光る君は大弐の乳母の病気見舞いの為に五条に立ち寄った。規定によれば親王には三人、親王宣下を受けない皇子には二人の乳母がいる。桐壺帝の皇子として誕生した光る君にとって、大弐の乳母は大切なのである。大弐の乳母の子供が乳兄弟であり、光る君の腹心でもある惟光である。乳母は病が重くなったので出家して尼にでもなれば、その功徳で寿命が延びることを期待して、今は尼になっている。光る君はその家を訪ねて見舞いをなさった。
六条御息所の典拠・モデルが「湖月抄」の言うように、保明親王の妃で、後には重明親王に嫁した女性であるとすれば、「源氏物語」の世界とぴたりと重なる。但し現在は、保明親王の妃は藤原貴子、重明親王の妃は藤原寛子とする説が有力である。貴子と寛子は二人とも藤原忠平の娘である。夕顔の巻の原文には、六条渡に住む女君のもとに通っているとあるだけで、六条御息所という名前は出ていない。本居宣長はこの箇所については準拠・モデルの
設定も含めて、「湖月抄」の解釈に反対していない。なお本居宣長には「手枕」という創作物語がある。これは「源氏物語」には書かれていない、光源氏と六条御息所との馴れ初めを、本居宣長が空想し書いたものである。本居宣長はかなり六条御息所に関心があった。
さて光源氏と夕顔の出会いの場面を読む。私はこの場面を読むたびに、森鴎外の「鴈」という小説を連想する。鴎外が「鴈」に登場させたお玉という女性は、夕顔の再来ではないだろうか。更には「舞姫」のエリスも連想する。鴎外は夕顔タイプの女性に関心があったのだろう。
朗読②夕顔との出会い
御車入るべき門は鎖したりければ、人して惟光召させて、待たせたまひけるほど、むつかしげなる大路のさまを見わたしたまへるに、この家のかたはらに、檜垣といふもの新しうして、上は半蔀四五間ばかり上げわたして、簾などもいと白う涼しげなるに、をかしき額つきの透影あまた見えてのぞく。立ちさまよふらむ下つ方思ひやるに、あながちに丈高き心地ぞする。いかなる者の集へるならむと様変りて思さる。
御車もいたくやつしたまへり。前駈も追はせたまはず、誰とか知らむとてうちとけたまひて、すこしさしのぞきたまへれば、門は蔀のようなる押しあげたる、見入れのほどなくものはかなき住まひを、あはれに、いづこかさしてと思ほしなせば、玉の台も同じことなり。
切懸立つ物に、いと青やかなる蔓の心地よげに這ひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり笑みの眉ひらけたる。
「をちかた人にもの申す」と独りごちたまふを、御随身ついゐて、「かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。
花の名は人めきて、かうあやしき垣根になん咲きはべりける」と申す。げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、この面かの面あやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ軒の妻などに這ひまつはれたるを、「口惜しのはなの契りや、一房折りてまゐれ」とのたまへば、この押し上げたる門に入りて折る。
解説
御車入るべき門は鎖したりければ、人して惟光召させて、待たせたまひけるほど
大弐の家の前で光源氏の車は止まった。身分の高い人の御車を屋敷に引き入れるための門は、普段は錠をさして閉めている。その為に開けるまでにかなり手間取った。光源氏は乳母の子の惟光を呼び寄せる。
むつかしげなる大路のさまを見わたしたまへるに、
手持無沙汰の時間、光る君はむさ苦しい庶民の家が立ち並んだ、下京あたりの大路の様子を物珍しげに見ていた。
この家のかたはらに、檜垣といふもの新しうして、上は半蔀四五間ばかり上げわたして、簾などもいと白う涼しげなるに、をかしき額つきの透影あまた見えてのぞく。
すると大弐の乳母の家のすぐ近くにある、新しく作ったばかりの檜垣というものが周囲にめぐらされている家が、光る君の目に入った。夕顔の住んでいる家である。檜垣は檜の薄い板を張った粗末な垣根である。上の方は半蔀を7~8mにわたって上げわたし、涼し気なる簾が掛かっている。半蔀は上半分が釣り上げられるようになっている雨戸である。その簾の隙間から美しい顔の女たちが何人も、こちらを覗いているのが透けて見えた。
立ちさまよふらむ下つ方思ひやるに、あながちに丈高き心地ぞする。いかなる者の集へるならむと様変りて思さる。
光る君を覗いている女たちの額の見える場所が高い所にあるので、彼女たちの足が床の上ではなく、地面に直接ついているのならば、ひどく身長の高い異形の女たちがこの家に巣くっている様に思われた。この家にはどういう素性の女たちが集まっているのだろうかと、光る君は好奇心を掻きたてられた。夕顔の妖しさに吸い込まれてしまうのが、「湖月抄」では16才、本居宣長では17才。
御車もいたくやつしたまへり。前駈も追はせたまはず、誰とか知らむとてうちとけたまひて、すこしさしのぞきたまへれば
光る君は六条御息所との秘密にしておきたい情事の為の外出なので、牛車も格式張らない車に乗っている。身分を知られないために、先払いもさせていない。この車に乗っているのが私であるとは誰にも分るまいと、光る君は気を許して、興味を抱いた謎の家を覗き込んだ。
門は蔀のようなる押しあげたる、見入れのほどなくものはかなき住まひを、あはれに、
その家の門は、蔀を押し上げているので、中の様子が良く見える。奥行きは殆どない小さな家である。つくりも調度もいかにも粗末である。余りの貧しさに光る君は哀れに感じた。けれどもすぐに考え直した。
いづこかさしてと思ほしなせば、玉の台も同じことなり。
ここには二首の和歌が踏まえられている。古今和歌集に 次の歌がある。
世の中は いづこかさして 我がならむ 行きとまるをぞ 宿と定むる 詠み人知らず
また古今和歌六帖に次の歌がある。 平安時代に編纂された私選和歌集。万葉集から始まる。4千首以上掲載。
何せむに 玉の台も 八重葎 はいらむ中に 二人こそ寝め
この二つの歌を心に浮かべるならば、今の光る君が住んでいる二条院は豪奢な玉の台であり、今、目にしている五条の家は、雑草の生い茂る粗末な家である。
ただしこの無常な人生で、人が暮らすのは仮の宿りであるという点では同じことだ。大切なのは限りある人生を愛し合う男女が二人で仲良く共寝できるかどうかなのだ。この様に偶々目にした光景から、深い人生観を抱かれるのが、光る君の人間性の素晴らしさである。
切懸立つ物に、いと青やかなる蔓の心地よげに這ひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり笑みの眉ひらけたる。
切懸 は、粗末な板塀である。板を連ねて垣にしたものに、青い蔓が縦横無尽に絡みついている。その蔓に中に白い花が咲いている。家は粗末で見るからに貧しそうなのに、この花は自分一人だけはここでの暮らしに満足しているかのように、眉を上げてニッコリ笑っている様に見える。花が咲くことを人が笑うことに例える。
「をちかた人にもの申す」
この部分は古今和歌集の歌からの引用である。577577の旋頭歌である。光る君は何気なく、をちかた人にもの申す と口にされた。これは古今和歌集の
うたわたす をち方人に もの申す我 そのそこに 白く咲けるは 何の花ぞも
古今和歌集では、この白い花は梅を指しているが、自分が目にしている白い花は何だろうか。見たこともないなと疑問に思われたのである。光る君の護衛を務めている随身が答えようとしてひざまずき、恐れながら申し上げます。あの白く咲いている花を、下々では夕顔と申します。夕べの顔とはまことに人間らしい名前ではありますが、この様に下々の者の住む粗末な家に咲くので御座いますとお答えした。成程、五位以上の貴族の屋敷でこの花をご覧になる事はなかった。
げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、この面かの面あやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ軒の妻などに這ひまつはれたるを、「口惜しのはなの契りや、一房折りてまゐれ」とのたまへば、この押し上げたる門に入りて折る。
むつかしげなる は、むさくるしい。
この面かの面 あちらこちらという意味である。
むねむねしからぬ を、「湖月抄」はきちんとした棟、屋根作りではない、粗末な作りの家の事だと解釈し、本居宣長は俗にいう しかともせぬ という意味で、はかなき様を言うと解説している。ここでは「湖月抄」
の解説した訳をつけておく。それにしても随身の言う通りである。狭くむさくるしい家ばかりが密集しているこの辺りでは、あちらこちらに今にも倒れそうな、本式の建築がなされていない、みすぼらしい家の軒先などに、この夕顔とかいうらしい白い花が絡みついて咲いている。
身分の高い貴族の家には植えられず、庶民に家にしか植えられない夕顔の花を見ながら、
光る君はそれにしても可哀想な花の定めだと。一枝折って持ってきなさいと仰る。命じられた随身は、門の蔀が予め開けてあったので、そのまま中にはいって折り取った。
所で「湖月抄」は、この家に住む女性の事を、夕顔の上と呼んでいる。私には 違和感がある。上というのは葵上、紫の上などの貴婦人、つまり貴人の妻に対して用いられる。夕顔は頭の中将にとっても、光源氏にとっても妻ではない。秘密の通いどころである。夕顔或いは夕顔の女、夕顔の君で充分である。
さて随身は夕顔の花を折り取ろうとして夕顔の家に入る。すると家から出てきた女に歌の書いてある扇を手渡された。光源氏は乳母の病気の見舞い、早く元気になって欲しいと励ましてから、この扇を見た。光源氏が女から贈られた歌を読む場面の朗読をする。
朗読③ 光る君が女の扇の歌を読む
修法など、またまたはじむべきことなどおきてのたまはせて、出でたまふとて、惟光に紙燭召して、ありつる扇御覧ずれば、もて馴らしたる移り香いとしみ深うなつかしうて、をかしうすさび書きたり。
心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕顔の花
そこはかとなく書きまぎらはしたるもあてはかにゆゑづきたれば、いと思ひのほかにをかしうおぼえたまふ。
解説 この歌は様々に解釈できる。
修法など、またまたはじむべきことなどおきてのたまはせて、出でたまふとて、
修法 は加持祈祷の事である。光る君は女から渡された扇を見る事よりも、乳母の見舞いを
優先した。この様な優しさが光る君の人間性の優れた点である。ひとしきり乳母や彼女の親族たちと話した後、乳母が早く治るようにこれから加持祈祷をするとよい。その費用は私が払うと仰って、一同を感激させてから、光る君は今夜のお目当てである六条わたりへ向かおうとする。
道徳読み、教訓読みが特色である「湖月抄」は、光源氏が乳母を大切に思う心を素晴らしい心掛けと称賛している。
惟光に紙燭召して、ありつる扇御覧ずれば
今夜の目的地である六条に向かう前に、光る君は例の扇を確認しておこうと思い、紙燭 を持ってこさせた。
紙燭 は夜に用いる照明具である。乳母の見舞いに時間が掛かり、辺りは暗くなっていたので明かりが必要だった。
もて馴らしたる移り香いとしみ深うなつかしうて、をかしうすさび書きたり。
扇にはそれをいつも手にして使っていたであろう女が、衣服に焚き染めた薫物の移り香が深くしみ込んでいた。
その香りが何とも魅惑的であった。扇にはこれまた、魅力的な筆跡で歌が散らし書きされていた。
第5句が 夕顔の花 と体言止めになっている。夕顔の花 は主語なのか、目的語なのか、夕顔の花よ というよびかけなのか、様々に解釈できる。また 心あてに それかとぞ見る 見るの主語が、女なのか光源氏なのかどちらでも解釈が可能である。
「湖月抄」は次の様に解釈している。その牛車に乗っておられるのは、私どもの見間違いかもしれませんが、噂に高い光る君ではないでしょうか。そう思うだけで我が家の夕顔に下りた白露も、光る君の光によってさらに輝きが増したように思われます。心あてに それかとぞ見る 見るの主語は、女である。
光そへたる の 光 は、光る君の美貌を指している。夕顔の花 は、夕顔の花 が咲く貧しい家で暮らす女である。今、女といったが夕顔本人なのか、夕顔に仕える侍女なのか
どちらとも取れる。「湖月抄」は侍女説である。
なお「湖月抄」ではこの歌を、夕顔に仕える侍女たちが、光る君を頭の中将と見間違えて詠みかけたとする説も紹介している。これに対して本居宣長は全く別の解釈を打ち出した。「湖月抄」は夕顔の歌の解釈を間違っている。光る君の美貌によって、夕顔の家の夕顔の花の露が光を増すのではない。光る君の美貌を夕顔に例えて、称賛しているのである。白露の光が光っている様に、光り輝くお顔の持ち主は定めし光る君であろうかと、夕顔たちは推測しているというのが、この歌の意味である。この様に本居宣長は主張する。光源氏の花の様な美しさを例えているのは私にも分る。けれども貴族の邸宅には植えられず、庶民の家にしか咲かない夕顔の花に、光源氏の美貌を例えるのは不自然に思われる。現在研究者が論文に、「源氏物語」の原文を引用する必要がある際に用いるのが、「新編日本古典文学全集」である。この本ではこの歌の解釈は、「湖月抄」を踏襲している。但し第5句の体言止めの 夕顔の花 が、 心あてに それかとぞ見る の主語であると説明している。
白露の 光 の様な光る君の美しさが加わった夕顔の花である私達は、心あてにあなたが噂に高い光る君ではないかと推測しています という意味になる。
「源氏物語」の解釈は通常ならば、「湖月抄」と本居宣長説だけで現代にいたるまで、解釈の変遷はたどれるが、この贈答に関しては様々な解釈が試みられている。それだけ分かりにくい歌なのである。
謎めいた女が詠んだ謎めいた歌であり、そこに光源氏は魅力を感じたのであろう。
そこはかとなく書きまぎらはしたるもあてはかにゆゑづきたれば、いと思ひのほかにをかしうおぼえたまふ。
この歌と筆跡を見た光源氏の感想である。書き手はだれであるかは意図的にぼかして書いてある。けれどもいかにも教養ありげで、雰囲気も高貴そうである。
帚木の巻の 雨夜の定め で荒れはてた家に、思いの外に素晴らしい女が住んでいることがあるなどと話題になっていたことを光源氏は思い出した。光源氏は返事の歌を詠んだ。
朗読④ 光る君の夕顔への返歌
寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔
ありつる御随身して遣わす。
まだ見ぬ御さまなりけれど、いとしるく思ひあてられたまへる御側目を見すぐさでおどろかしけるを、答へたまはではと経ければなまはしたなきに、かくわざとめかしければ、あまえて「いかに聞こえむ」など言ひしろふべかめれど、めざましと思ひて随身は参りぬ。
解説
御畳紙にいたうあらぬさまに書きかへたまひて、
畳紙 は 懐紙の事である。光る君は懐から畳紙を取り出して、女の歌への返事を書いた。女の歌は誰が詠んだのかはすぐ分からないように詠まれていたので、光源氏のほうでもいつもの筆跡をかなり違えて文字を書いた。この点については、「湖月抄」は光源氏の用心深さを称賛している。この手紙が例え世間に漏れたとしても、筆跡を変えていれば光源氏の恋文だとは分からずに済む。そして秘密の恋愛なのに筆跡を変えずにいつもの筆跡で恋文を書き、それが露見してしまった柏木の失敗を「湖月抄」は批判する。柏木はずっと先の 若菜の下 の巻で、女三宮と過ちを起こす。普段の筆跡のままで恋文を書いたので、それを発見した光源氏は女三宮が密通している相手が柏木であるとすぐに気付いた。光源氏はまだ10代の若者なのに、用心深さを持ち合わせていた。
寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔
またしても体言止めである。花の夕顔はなのか、花の夕顔 なのか、どちらにもとれる。
寄りてこそ それかとも見め の部分は係り結びを、省略すると 寄りてそれかとも見め となる。この 見めの主語も女とするか、光源氏とするか、両方が考えられる。「湖月抄」が最終的に採用したのは、次のような解釈である。
偶々私の横顔を見て光る君だと思われますと推測したようですが、黄昏時にチラッと見ただけでは、花の様に美しいなどと分る筈がないでしょう。もっと近くから私の顔をご覧になったら良いでしょう。そういう機会を作って頂けませんか。つまり 見め の主語は女。第5句は 花の夕顔 という目的語である。但し「湖月抄」
は別の解釈もありうると紹介している。それについて本居宣長は次の様に述べている。この歌については、「湖月抄」が紹介している別の解釈が参考になる。それは女たちが近くに寄って光源氏を見たらよいといっているのではなくて、光源氏自身があなた達に近寄って親しくなりたいと申し込んでいるという解釈である。この解釈も可能だが、やはり「湖月抄」が最終的に採用した解釈の方が妥当だろう。「湖月抄」が最終的に採用せず、本居宣長も採用しなかったのは、見め の主語を光源氏とし、花の夕顔 をあなた達よ とする説である。但し先程述べた現代で最も権威のある「新編日本古典文学全集」では、「湖月抄」と本居宣長の両方を考慮した上で却下した少数説を採用している。これが「源氏物語」を原文で読むことの面白さであり、難しさなのである。どちらの説を読者が採用するか、読者の人生経験によって大きく変わってくる。ここに一つの原文に対して一つの訳文しか載せない現代語訳と、複数の解釈の可能性を並列している「湖月抄」の違いがある。私自身は女の歌も光源氏の歌も「湖月抄」の解釈でいいのではないかと思っている。けれども暫くして読み返すと、「湖月抄」と本居宣長が却下した解釈が良いと思うようになるかもしれない。
ありつる御随身して遣わす。
光源氏は先程、宿の中に入っていき、夕顔の花を折り取ってきた随身を召して、この歌を届けさせた。
まだ見ぬ御さまなりけれど、いとしるく思ひあてられたまへる御側目を見すぐさでおどろかしけるを、答へたまはではと経ければなまはしたなきに
一方女の側では初めて見た光源氏の顔だったけれども、はっきりと推測できる美貌だったので、光る君ですか と呼びかける歌をすぐさま送ったものの、一向に返事がないので間の悪い思いをしていた所であった。
かくわざとめかしければ、あまえて「いかに聞こえむ」など言ひしろふべかめれど、
庭で返事を待っている随身の耳には、家の中の女たちの会話が聞こえてくる。光源氏からは親しくなりたいという返事が届いたものだから、舞い上がっていい気になっている。この
御歌にどういう歌を返したらよいでしょうかなどと大騒ぎしているようであった。
めざましと思ひて随身は参りぬ。
めざまし とは、気に入らないという意味である。
随身は、光る君は自分の恋の相手にするつもりもない女たちに、戯れて歌を詠んだだけなのに、本気になるとはみっともないことだと呆れ、女たちからの返事を受け取らずに帰ってきた。
さて夕顔に興味を持った光源氏はその後、惟光の手引きで夕顔と結ばれた。但し筆跡を変えるくらいなので、自分の素性を明かさない。男の方でも女の素性を知らない。女の素性について、光る君はもしかしたら雨夜の品定め で 頭の中将が語っていた突然姿を消した、
愛人かなと思うものの確信はなかった。
それでは夕顔が光源氏の素性を疑う場面を読む。
朗読⑤
いとことさらめきて、御装束をもやつれたる狩の御衣を奉り、さまを変へ、顔をもほの見せたまはず、
夜深きほどに、人をしづめて出で入りなどしたまへば、昔ありけん物の変化めきて、うたて思ひ嘆かるれど、人の御けはひ、はた、手さぐりもしるさわぎなりければ、誰ばかりにかはあらむ、なほこのすき者のしいでつるわざなめりと大夫を疑ひながら、せめてつれなく知らず顔にて、かけて思ひよらさま様にたゆまずあざれ歩けば、いかなることにかと心得がたく、女方も、あやしう様違ひたるもの思ひをなむしける。
解説 現代語訳
光源氏は細心の注意を払って、素性を隠し女の家に通う。衣類も質素な狩衣を着るなどして、普段とは身なりを変え、顔も布で覆って女にお見せにならない。夜が完全に更けて女房達が寝静まってから、こっそり女の部屋に入ってきては、まだ暗いうちに部屋から出て行く。女の側からすると、昔の神話などに書かれている人間ならぬ、異類の訪れのようでもある。薄気味が悪く思われてならない。例えば大和国の三輪明神が倭迹迹日百襲姫のもとに、昼は来ず、夜だけ通ってきたが、正体は小さな蛇だったという神話などが女の心をよぎった。けれども暗闇の情事ではあるものの、女は自分の手に触れる男の様子から、余程身分の高い高貴な人物に違いないと思われるので、一体どなただろうと、この家にしきりに出入りしているあの好き者が導き入れただろうか、などと惟光の介在を疑うのだった。けれども面の皮の厚い惟光は、女の抱いている疑問には全く気付いていない振りを装い、自分はあの男とは何の関係もありません、と言わんばかりの態度で平然としている。女は一体どういう事なのかと、自分の置かれている状況が理解できず、不思議で世にも奇妙な物思いに捉われてしまう。
本居宣長は光源氏がここまで素性を隠したのは、卑しい家に通い詰めることを深く慎んだからであると、合理的に解釈をしている。但し古代神話の世界が引用されることで、夕顔の巻には怪奇的な雰囲気が漂っている。
訳文にも書いたが、三輪山の神様を巡る神話である。男が神ないしは化け物で、女が人間というパタ-ンである。
これは異類婚姻譚という。最も光源氏の側も女の素性を知らないので、光源氏の側から見ても女が人類でないかもしれない異類婚姻譚である。2つの異類婚姻譚が入り交じり錯綜し、物語は異様な展開を辿る。それは荒れ果てた屋敷でもう一つの異類・物の怪が出現すると
いうストーリ-である。次回味わう。
「コメント」
とても人気のある巻という事であるが、面白さがもう一つ理解できない。次で分かるのか。本居宣長と同様、六条の御息所に関心あり。彼の「手枕」を読むか。