240106⑦「建礼門院の宮仕えを辞す」
今日は作者が建礼門院への宮仕えを辞めた後の思い出を読む。短いエピソ-ドが沢山書かれている。短編小説というか、エッセイを読んでいるような読後感である。ただし全てのエピソ-ドに和歌が載せられている。まず作者が建礼門院・平徳子への宮仕えを辞めた場面を読む。
朗読①
心ならず宮に参らずなりにしころ、例の月をながめて明かすに、見ても飽かざりし御面影の、「あさましく、かくても経にけり」と、かき暗し恋しく思ひまゐらせて、
恋ひわぶる 心を闇に くらさせて 秋の深山に 月は澄むらむ
解説
心ならず宮に参らずなりにしころ、
作者は不本意ではあったが、中宮への宮仕えから退くことにした。時に治承4年1178年の秋のことであった。作者が女房として宮中・内裏を間近に見たのは、凡そ5年間であった。この間に平資盛と結ばれたのである。
例の月をながめて明かすに、
宮仕えを辞めた作者が、夜、月を見ながら物思いに更けるのが日課になった。
見ても飽かざりし御面影の、
美しい月を見ていると、建礼門院の顔を思い出す。高倉天皇が太陽で、中宮が月であった。中宮の顔は何度拝見しても、もっと見ていたいと思う程の美しさであった。
「あさましく、かくても経にけり」
宮仕えをしていた頃には、中宮のお顔を拝見しないでは一日も生きていられないと思っていたが、会えなくなってもこんな風に自分は生きているのだなと作者は思った。そういう自分を突き放して、呆れたなと感じる気持ち、それが あさましい である。
かき暗し恋しく思ひまゐらせて、
そう思うと作者の心の中は真っ暗になる。作者の心を明るく照らしてくれた、中宮の面影が恋しくてなりません。
恋ひわぶる 心を闇に くらさせて 秋の深山に 月は澄むらむ
掛詞が二つ使われている。第五句の 月は澄むらむ の 澄む は、濁りなく美しいという意味と、衣食住の 住 住むと重ねている。もう一つ 第4句 秋の深山 には、秋の奥山という表の意味の他に、中宮皇后を秋の宮とを呼ぶことが、掛詞となっている。二つの掛詞に留意しながら、この歌を訳す。
人間が月を見ながら、明るい光で自分の心の闇を照らして明るくしてほしいと願って、どんなに月を恋慕っても、人間の思いは月には届かない。月は嘆いている私の心を、闇のように暗い状態のままで放置する。そして私の暮らして居ない秋の山里に、澄み切った光を注ぐのである。私は今、秋の宮とも呼ばれる中宮の建礼門院様を懐かしく思い出しているが、私の思いが雲の上の中宮に届くはずはなく、今頃は宮中でニコニコと笑いながら暮らしておられることだろう。
自分はこんなに建礼門院を慕っているのに、その思いは届いていないだろうという、悲しみが込められている。
恋人である資盛も雲の上の世界で暮らしている。作者の家に訪れてきてくれる回数は減っているのだろう。宮仕えを辞めた作者は、自分が華やかな宮中で過ごしていた頃が懐かしいのであろう。作者は宮中で度々催される雅やかな音楽の宴で、筝の琴を所望されたものであった。今は聞く人もいないので、琴は手にすることもなく放置されている。
朗読②
そのころ、塵積もりたる琴を、「いかでか多くの月日経にけり」と見るもあはれにて、宮にて、常に近く候ふ人の笛に合せなど遊びしこと、いみじう恋し。
解説
そのころ は、宮仕えを止めて間もなくの頃である。宮中で繰り広げられている華やかな宮廷絵巻の一こま一こまが、無性に懐かしくて仕方がありません。
塵積もりたる琴
作者は自分の屋敷で、琴を目にした。暫く手にしていなかった琴の上には、塵が積もっていた。
宮仕えをしなくなってから、こんなにも長いこと大好きな琴にも手を触れないで、どうやって私は過ごしてきたのだろうと思うと、胸の奥からこみ上げてくる感情があった。なお、この「いかでか多くの月日経にけり」 の いかで は、疑問を表している。
宮にて、常に近く候ふ人の笛に合せなど遊びしこと、いみじう恋し。
恋しい中宮に仕えていた頃は、伺候している殿上人の吹きたてる笛の音に合わせるように作者の琴が所望されて、楽しい管弦の遊びが催されたのであった。そんな月日が恋しく思いだされます。
折々の その笛竹の 音絶えて すさびし琴の 行く方知られず
すさびし琴 の 琴 が、楽器の琴と、その事、あの事 という形式名詞の 事 の掛詞である。全体を訳す。
中宮様の周りでは四季折々、事あるごとに管弦の遊びがあった。殿方たちは見事な笛の音を響かせていた。その素晴らしい笛の音は、今はもう私の耳には聞こえない。笛に合わせて私が弾き鳴らした琴の音も、今は一体どこに消えて行ったのだろう。空の彼方、いや時空の裂け目の中に吸い込まれていったのか。目の前に琴があるが埃を被っていて、これがあのように中宮の御耳に入れた音を、かき鳴らしたのと同じ琴だとはとても思えない。
作者の母親は音楽を職業とする家柄の生まれで、作者も母親譲りで筝即ち13弦の琴の名手であった。宮中を懐かしんでいる頃、作者は建礼門院が懐妊されたという噂を聞いた。
朗読③ 建礼門院の皇子出産
宮の御産など、めでたくまゐらせすしにも、涙をともにて過ぐるに、皇子生れさせおはしまして、春宮立ちなど聞こえしにも、思ひ続けられし。
雲のよそに 聞くぞかなしき 昔ならば 立ち交じらまし 春の都を
解説
作者が宮仕えを辞したのは、治承2年の事であった。その同じ年、1178年11月2日、建礼門院は皇子を出産した。後の安徳天皇である。作者が中宮の懐妊の噂を耳にしたのは、この年の6月頃だった。というのは中宮の安産のお祈りをするために、平重衡・清盛五男が平家所縁の厳島神宮に派遣されたからである。建礼門院徳子が高倉天皇に入内したのは、永安元年1171年だから父親である平清盛からすれば、7年間待ちに待った皇子誕生あった。
宮の御産など、めでたくまゐらせすしにも、涙をともにて過ぐるに、
世間では挙って中宮の懐妊を祝っているが、宮仕えを辞した作者は資盛との恋の事で悩むことが多く、涙だけを唯一の友として暮らして居たのである。
皇子生れさせおはしまして、春宮立ちなど聞こえしにも、
この皇子が11月12日に生まれて、12月15日には早くも春宮についたのである。外祖父にあたる平清盛は、この親王を少しでも早く天皇に即位させたいのである。東宮は春宮とかく。陰陽五行説では、春の方角は東に当たっているので東宮とも書く。作者は歌を詠んだ。
雲のよそに 聞くぞかなしき 昔ならば 立ち交じらまし 春の都を
第五句 春の都 のなかに、春の宮・春宮が掛詞になっている。春とあるので年が明けて新しい年になったのである。
新春になって世間の人も華やいだ気分になり、宮中でもおめでたい出来事が続いている。それでも作者の心の中は淋しくて厳しい冬が、続いていた。歌の意味を訳す。
宮中での宮仕えを辞めた私は、まさに雲の上で起きている慶事を、噂で耳にするだけであるのが悲しい。昔と同じ様に私が中宮に女房としてお仕えしているのであれば、この度の親王誕生や春宮としてお立ちになる立太子の儀式に、裏方として忙しくご奉公出来たであろうに。
天皇家の慶事である 本朝皇胤紹運録(ほんきこういんじょううんろく)には、高倉院の子供として男子4人、女子3人が記載されている。その中で建礼門院の子供は安徳天皇一人である。安徳天皇の即位は、平清盛の悲願であるだけでなく、幼い天皇の父親として院政を取り仕切る高倉天皇・高倉院にとっても都合の良いことであった。
「建礼門院右京太夫集」は、この辺り宮中の明るさと作者の私生活の暗さとを、対比させながら書き進めている。
次もそのような場面である。
朗読④ 隣の庭火の笛に宮中を思い出す
隣に、庭火の笛音するにも、年々内侍所の御神楽に、維盛の少将、泰道の中将などのおもしろかりし音どもまづ思ひ出でらる。
聞くからに いとど昔の 恋しくて 庭火の笛の 音にぞ泣きにる
解説
庭火 というのは、庭で焚く火のことであるが、宮中で行われる神楽の際に、焚かれる火のことである。ここでは神楽の曲名である。現代語訳をする。
現代語訳
私の母は楽人の家に育ったので、音楽に造詣が深かった。私も人並みに琴を奏でるし、笛の良しあしを聞き分ける耳を持っている積りである。隣りの家から、神楽を演奏する笛の音が聞こえてきた。その笛の音を聴いていると、私は毎年12月に三種の神器の一つである、八咫鏡・宝鏡が安置されている宮中の内侍所で、神楽が催されることを思い出した。
その場で維盛様や藤原泰道様が、素晴らしい音色で笛を吹き鳴らしている姿が目に浮かぶ。加えて彼らが奏でる笛の音色が、私の耳の奥で鳴り渡っているように感じられた。
聞くからに いとど昔の 恋しくて 庭火の笛の 音にぞ泣きにる
隣りの家から聞こえてくる庭火の笛の音を聞くと、宮中で見聞した神楽歌の素晴らしさが蘇ってくる。
唯でさえ恋しい宮中での日々が、隣家の笛によって更に美しさが増してくる。思わず懐旧の涙が溢れた。
隣りの家から笛の音が聞こえてきたというのである。
中国の漢詩文のアンソロジ-に「文選」がある。その「文選」に竹林の七賢人の一人である向秀の「思旧賦」がある。親友の笛の音を思い出し、懐旧の念に浸るという内容である。その詩の中に、 隣人 笛を吹く者あり という一節がある。右京太夫はこの漢詩を意識していたのであろう。この漢詩は「源氏物語」にも引用されている。21帖 少女 の巻に 笛の音にもふる事は伝わるものなり という文章があり、古来「文選」からの引用ではないかと言われている。右京太夫は「源氏物語」経由で、この漢詩を知ったのではないか。
さて宮仕えを辞した作者からは人間関係が、少しずつ途絶えて行く。孤独や淋しさが「建礼門院右京太夫集」の新たなテーマになっていく。そんな時、知人で遠くに流されていった人がいた。
朗読⑤ 知り合いが流罪なり、その親類を慰める
おほやけの御畏まりにて、遠く行く人、そこそこに夜べは泊るなど聞きしかば、そのゆかりある人のもとへ、
臥しなれぬ 野路の篠原 いかならむ 思ひやるだに 露けきものを
解説
おほやけの御畏まりにて、
朝廷、政府の御咎めを受けること
解説
名前は挙げないが、朝廷から断罪されて遠くの地に流されて行く人がいる。その人に関しては、昨夜はどこそこに泊まったようだという噂を耳にする。流される人の親類は私もよく知っている人だったので、慰めと励ましの歌を送った。
臥しなれぬ 野路の篠原 いかならむ 思ひやるだに 露けきものを
過酷な運命によって、都を離れ厳しい監視の下で、見知らぬ土地まで旅をなさるのはどんなに辛いことでしょう。特に配所に到着するまでの途中では、都で臥し馴れた夜具ではなくて、茫漠とした草原で草枕を結ぶ切なさはいかばかりかと存じます。思いやっている私ですら、篠原に露がびっしり置くように涙で濡れているのですから。
身内の方やご当人はいかばかり、涙が溢れている事でしょう。この流罪になった人が誰であるかは不明である。
野路の篠原 は、普通名詞でもあるが、固有名詞であれば近江国野路、現在の草津市である。なお時代的には後になるが、阿仏尼も「十六夜日記」で鎌倉に下向する途中、野路の篠原の淋しさを歌に詠んでいる。
作者の親しい人と仲が疎遠になっていく。
朗読⑥ 知人で出家した人から訪れると言いながら、音沙汰がない
知りたる人の、様変へたるが、「来む」と言ひて音もせぬに、
頼めつつ 来ぬいつわりの 積もるかな まことの道に 入りし人さへ
解説
様変へたる は、出家すること。
ここでは作者と親しい女性が出家して尼となったのだろう。
現代語訳
私の知人が出家した。その人と逢って色々と話したいことがあるので、その旨を告げると、私の方から逢いに行きましょうと言うばかりで、一向にやってくる気配がない。こられないという手紙もない。そこで催促する歌を送った。
頼めつつ 来ぬいつわりの 積もるかな まことの道に 入りし人さへ
他ならぬあなたの言葉なので私は信用していた。すぐにも来て下さると思っていたのに裏切られた。一体何度会いに行きますという言葉を聞いたことでしょう。その都度、私はあなたの不誠実さに裏切られた。あなたは出家して御仏にお仕えし、真の道を求めているのでしょう。約束を守らないようでは、真にはふさわしくない。
「古今和歌集」に凡河内躬恒の
頼めつつ あはで年ふる いつはりに 懲りぬ心を 人は知らなむ
期待させながら逢ってくれずに年が経つ。そんなあなたのウソに、懲りることのない私の心を知ってもらいたい。
これは、右京太夫の歌と似ている。
次に書かれているのは、女性同士ではなくて、男性との仲が疎遠になっているという状況である。
朗読⑦
炭櫃のはたに、小御器に水の入りたるがありけるに、月のさし入りて映りたる、わりなくて
現代語訳 作者の孤独を理解しよう。
真の道に生きる知人ですら、私を見捨てて訪問しないくらいだから、元々偽りの多かった恋人が我が家に足を運んでくれるはずはない。炭櫃 囲炉裏の近くに水の入った小さな食器を置いていたのだが、ふと見るとそこに月の光が差し込んで来て、月が映っているではないか。こんな部屋の奥まで、
期待してもいない月がやってきているというのに、これほど待ち焦がれているあの人は全く足を運んでくれない。何ともやりきれなくなった。
めづらしや 月に月こそ 宿りぬれ 雲居の雲よ 立ちな隠しそ
何という不思議な事だろうか。器の中に月が映っている。けれども私にとっては月の様なあの人は、この部屋に入ってくる気配はない。あの人は大空のどこかで雲の中に隠れてしまい、こちらに顔を見せてくれない。あの人の訪れを妨げている障害物よ、さっさとなくなってしまいなさい。
この歌はユーモラスである。和歌には俳諧歌と言って、滑稽な和歌の伝統がある。右京太夫はいつも深刻な顔をしているのではなくて、茶目っ気たっぷりな一面もあった。
さて人間関係が失われていく中で、作者は恋人の資盛との関係について様々に考えるようになる。宮仕えを辞しているので時間はたっぷりある。その為、ものを思うのが習慣になった。資盛との関係も、そもそも馴れ初めの時点にまで遡って、あれやこれやと考えてしまいがちである。
朗読⑧
何事も隔てなくと申し契りたりし人のもとへ、思ひの外に身の思ひ添ひてのち、さすがに、かくこそともまた聞こえにくきを、いかに聞きたまうらむと覚えしかば、
夏衣 ひとへに頼む かひもなく 隔てけりとは 思はざらなむ
前の世の 契りに負くる ならひをも 君はさりとも 思ひ知るらむ
解説
作者には何一つ隠し事をせず、互いに話し合うことにしようと約束していた女性の友達がいた。所が資盛との交際を始めると、全てを語ることが出来なくなった。友情と愛情は違うのでしょう。
思ひの外に身の思ひ添ひてのち
自分でも思いもよらない成り行きで、資盛と深い仲になった。
さすがに、かくこそともまた聞こえにくきを、
作者は資盛との事をいたく、気に病んでいる。だがこういう理由で、私は今悩んでいますと、彼女に全てをさらけ出すのはさすがに事情が事情だから言い出しにくいのである。
いかに聞きたまうらむと覚えしかば
あの友達が作者に関して、資盛と深い仲になったらしいという噂を耳にしたら、なんだあの女は秘密無しでお付き合いしましょうと約束したのに、結局は秘密にしておきたかったのだと、作者の事を友達甲斐の無い女だと落胆するのではないか。そう思うと少しは弁解したくなって、作者は歌を詠んで相手に送った
夏衣 ひとへに頼む かひもなく 隔てけりとは 思はざらなむ
歌の内容から考えて季節は夏であろう。
ひとへに は、ひたすら という意味と、夏に着る薄い着物の 単衣 の掛詞である。今は夏、私達は薄い単衣を着て、
毎日の暑さを何とかやり過ごしている。私たち二人は互いの心をひとえに、ひたすら信じあって生きてきた。けれども今度の件では、流石に私もあなたに言い出しにくいことであった。余程の事だと思って許してください。私があなたを無視しているなどとは思わないでください。更にもう一首、作者は歌を詠んで友達に送った。
前の世の 契りに負くる ならひをも 君はさりとも 思ひ知るらむ
前の世の 契り
生まれる前から決まっていた男女の運命という意味である。あなたにもこれまで恋の体験はあったでしょう。その全てを私に包み隠さず話して下さいましたか。そうではないでしょう。それならば、前世からの深い因縁で、結ばれていた私と資盛様との恋が、あなたとの友情を上回ってしまった理由も分かってくれるでしょう。
作者が歌を送った女性も宮中で宮仕えをしていて、貴公子達に言い寄られる機会も多い、女房仲間だったのだろう。
作者は資盛と付き合い始めた頃を回想する。
朗読⑨
初めつ方は、なべてあることとも覚えず、いみじう物のつつましくて、朝夕見交わすかたへの人々も、まして男たちも、知られなばいかにとのみ悲しく覚えしかば、手習ひにせられしは、
散らすなよ 散らさばいかが つらからむ 信夫の里に しのぶ言の葉
恋路には 迷ひ入らじと 思ひしを 憂き契りにも 引かれぬるかな
幾代しも あらじと思ふ 方にのみ なぐさむれども なほぞ恋しき
解説
初めつ方
資盛と中宮にお仕えする女房である作者との恋が、始まった当初という意味である。資盛は権力の絶頂にある平清盛の孫にあたる。
なべてあることとも覚えず、いみじう物のつつましくて、
ごく普通の当たり前のことという意味である。なべてあることとも覚えず、 であるから、自分はこれまでこの世に生まれた女性たちが、経験したことの無い特別な恋をしているという高揚感に包まれていたのである。だからこそ、他の人には自分たちの恋を知られたくなかったのである。
朝夕見交わすかたへの人々も、まして男たちも、知られなばいかにとのみ悲しく覚えしかば、
御所に勤める女房であるからには、どうしても顔を合わせなければならない人たちが沢山いる。彼らに作者の身に起った変化を察知されたら、どうしようとそればかりを心配していた。同僚の女房達とは朝から夕方までいつも会っているから要注意である。特に殿方たちに知られたら、困ったことになるだろうとまで思い詰めていた。その心境を一言で言えば悲しいであった。男と結ばれて悲しいと思う定めが悲しいのである。
手習ひにせられしは、
そんな時に手習いのようにして、心の底から湧き上がってきた歌が何首かあった。作者はその頃に詠んだ悩みの歌を三首記している。
一首目
散らすなよ 散らさばいかが つらからむ 信夫の里に しのぶ言の葉
資盛様、私が書いた手紙を絶対に他の人に見せてはいけませんよ。風で木の葉が散るように、あなたの軽率な心で私の言葉が外部に散ったならば、私は困ってしまいます。恋の始まりは「伊勢物語」以来、歌枕の 信夫の里 を用いて表現されるが、私の偲ぶ心は二人だけの心の中に秘めておきましょう。
二首目
恋路には 迷ひ入らじと 思ひしを 憂き契りにも 引かれぬるかな
解説
恋路 は、恋の道と 泥沼という意味の泥 との掛詞である。辛いという意味の 憂き にも泥沼という意味がある。私は華やかな宮中で宮仕えをしても、宮中に出入りする殿方たちとの恋に、足を踏み入れることはするまいと固く心に決めていた。所が私には生まれる前から決まっていた、辛い運命があったと見える。憂き 泥沼にはまった様な資盛様との恋の深みにはまり、泥 にまみれてしまった。
あの人と結ばれる前の奇麗な私の心は、どこへ行ってしまったのか。
三首目
幾代しも あらじと思ふ 方にのみ なぐさむれども なほぞ恋しき
人間の命には限りがあるというのに、折角の短い人生を、どうして恋故に苦しまなければならないのでしょうか。短い人生があっという間に尽きたら、この恋の苦しみも終わる。そう思って自分を慰めようとする。だがやはりあの人の恋しさが消えて無くなる事はない。三首目は、「古今和歌集」 詠み人知らず
幾代しも あらじわが身を なぞもかく 海人の刈藻に 思ひみだるる
を踏まえている。
今回は宮仕えを辞めた作者の悩み多き日常を読んだ。
「コメント」
資盛が死んでから、又関係者の記憶が失せ始めた頃に書かれたのであろうが、かなりドキュメンタリ-的である。「週刊文春」並であろう。