前回
前々回、前々回と巻15を構成する大きな歌群、天平8年の遣新羅使達の歌、天平12年以前に引き離された中臣宅守と狭野弟上娘子との贈答歌を読んだ。段々と奈良時代も半ばに近付いて終わりが見えてきた。巻15には部立てがなく、雑歌、相聞、挽歌と区別されることなく、事態が進むにつれて作歌が展開していく。それは日付こそないものの、巻17以降の家持歌日記と言われる最後の部分と共通する性格である。その意味でも巻15の悲劇的な実録は、終わりの始まりと感じさせる。
今回
今回は巻15と巻17との間に挟まれた巻16の歌を紹介する。巻16は万葉集全20巻の中でもとても変わった巻である。実に変わった巻である。実に変な歌々が収められている。巻頭に有由縁(ゆえよしある)ならびに雑歌 と部立てが記されている。有由縁(ゆえよしある)とはエピソ-ドを伴ったという意味である。そもそも和歌はそれぞれの事情の下で製作されている訳だが、その中でも特別奇談と言われる様な話と共に伝えられたのだという事である。これはここにしかない部立てである。そして 並びに雑歌 とは、雑歌はこれまで散々出て来たので 有由縁(ゆえよしある) と 雑歌 とが、ならびに
で結ばれるのは変な感じもする。その為か、ならびに と字が無くて、 由縁(ゆえよしある)雑歌 と読める字面になっている写本もある。確かに巻16の中でははっきりした区分はされていない。全体が 有由縁(ゆえよしある)雑歌 であるという見方も出来るであろう。 ならびに がある方、無い方どちらが原型なのか未だに決着していないが、私は ならびに である方が、巻16の実態を表していると思う。
最初の方にははっきりとエピソ-ドが語られている歌が並ぶのに対して、後になると段々とはっきりしない歌が多くなり、最後の方には例えば越中の国の歌とか能登の国の歌としか書いてない歌もある。そして ならびに が、はっきりと境を立てられない二種類のものを並べる形式に用いられた例が万葉集の中にもある。従って、巻16の中で、有由縁(ゆえよしある) 歌から、雑歌へとグラデ-ションのように移行していく事が、有由縁(ゆえよしある)ならびに雑歌 と表現されているのだろうと思う。但し後の方に、ならぶ雑歌にも他の巻の雑歌と比べると、誠に風変わりな歌が多い。それでは時代を追って見て行く。
巻16-3786と3787の二首
巻16-3786 題詞 要約
昔 乙女あり 名を桜子と言う ここに二人の男あり ともにこの乙女を求め 命を捨てて争い死をも恐れず敵対す ここに乙女嘆きて曰く 古きより今に至るまで聞いたことはない 一人の女が二つの家に嫁ぐなんて もうあの二人を仲直りさせられない 我死にて相争うのを止めるしかない そして林の中に入って 縊れて死んだ その二人の男は悲しみに絶えずそれぞれの思いを述べて作る歌
原文 春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞
訓読 春さらば かざしにせむと 我が思そし 桜の花は 散りにけるかも 1/2
巻16-3787 題詞 上に同じ
原文 妹之名尓 繋有桜 鼻開者 常哉将恋 弥年之羽尓
訓読 妹が名に 懸けたる桜 花咲かば 常にや恋ひむ いや年のはに 2/2
巻の最初にはこの様に題詞が極めて長く、そこに話が作られるまでの経緯が長く述べられる歌群が置かれている。
こうした作品は、巻5の 松浦河に遊ぶ や、松浦佐用姫 の歌群に似ているが、序ではなく最後が、おのもおのも思いを述べて作る歌二首 と題詞の形になっている所が違う。
3786 春さらば かざしにせむと 我が思そし 桜の花は 散りにけるかも 1/2
「春に成ったら折ってかざしにしようと思っていた桜の花は散ってしまったなあ。」かざしは木の枝を折って髪に挿すかんざしの事で、古くは植物の生命力を身につける、呪術的意味を持っていた。物を手折ることは比喩では女性との結婚を意味する。
3787 妹が名に 懸けたる桜 花咲かば 常にや恋ひむ いや年のはに 2/2
「あの子の名前についている桜の花が開いたら、いつも悲しく思うだろうな、毎年」
桜子と言う名前だったあの娘を、これから毎年桜が咲いたら思いだすだろうという。
ふたりの男の歌は命を懸けて争っていたとは思えない歌い振りで、儚い少女の生を桜の短い哀れさと重ねて、感傷的に歌った作と言える。この二首の直後には、三人の男に求婚されて入水したカズラコという少女の物語を三人の男達の歌が配置されている。以前地元の兎原壮士(うないおとこ)とよそ者の茅渟壮士(ちぬおとこ)の二人に求婚され、思う相手とは結婚出来ないと思って死んだ兎原処女(うないおとめ)の物語を読んだ。そして二人も争って死んだ。高橋虫麻呂歌集の作品である。桜子 カズラコの物語も、そうした古代における妻争いの話型に基づいたものである。
その兎原処女(うないおとめ)の死に場所は万葉集でははっきりしないが、大和物語では生田川になっている。古代文学では女の死に場所は水辺になる事が多い。折口信夫は水の神に仕え、又その妻となる水の女と言う観念があったという。
その点では入水するカズラコの方が原型を留めているのかも知れない。桜子が林の中で木に縊れて死ぬのは、桜を巡る争いに仕立て上げられた変形であろう。桜子の物語は古い話型と、桜の哀れさと言う新しい観念の作品なのである。
桜子、カズラコの悲劇で始まることは、巻16の部立てはやはり 有由縁(ゆえよしある)ならびに雑歌 であると思わせる。
三大部立てに分類するとすれば、巻頭の歌はやはり雑歌ではなく、挽歌になるであろう。
竹取の翁の物語
しかし長い題詞の物語は、悲劇ばかりではない。それに続くのは、竹取の翁の物語である。これは物語に歌も長く、大変読みにくい書き方で、訓の定まらない部分も多いので、あらましだけを説明する。
万葉集の竹取の翁は、がぐや姫を見つけるのではなく、九人の乙女が若菜を摘んで煮ている所に現れる。鍋の火吹いて頂戴 とからかい半分に頼まれるのだが、ちゃっかり同席してしまう。乙女たちは困って、誰がこんな爺さんを呼んだのと責任を押し付け合うのだが、この様子を見て翁は、自分は若い時こんなにいい男だったという自慢話を長歌で歌う。最後の反歌では、君達だって白髪が生える年に成ったら 若い男にののしられるかも知れないよ という。そんな嫌味を言えばすぐ追い出されると思いきや、何故か乙女の一人が翁の歌に感動して あなたに寄り添いたい と歌い出し、私も私もと全員が翁に靡く。おとぎ話にしてもあり得ない話である。悲劇喜劇が交替に出てくるのが巻16の面白さである。
長い題詞を持った歌群の後は歌の後に伝えて曰くと言う注で、歌の作られた経緯を語る形の作品が並べられている。
二つ読んでみよう。
巻16-3807 左注
右の歌伝えてい曰く。葛城王 陸奥国に遣わされた時に、国司の接待がいい加減であった。
ここで王は不快にして怒りが現れた。そこに以前采女であった、雅びた女性が現れた。左の手で盃を捧げ、右の手で水瓶を持ち、王の膝を打ってこの歌を読む。それで王の心も解け、酒を飲んで楽しく過ごしたという。
原文 安積香山 影副所見 山井之 浅心尓 吾念莫国
訓読 安積山 影さえ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに 1/2
巻16-3809 左注 この歌には言い伝えがある。ある時御門の寵愛を受けた乙女がいた。素性や名前は分からない。寵愛が薄らいだ後、差し上げた形見を返してこられた。そこで乙女は恨めしく思って慰めにこの歌を歌って献上した。
原文 商變 領為跡之御法 有者許曽 吾下衣 反賜米
訓読 商(秋)返し しめすとの御法(みのり) あらばこそ 我が下衣 返し給はめ 2/2
3807 安積山 影さえ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに 1/2
「安積山の影までが見える山の水汲み場のように、浅い心を私は持っていないのに」安積山は福島県郡山市北部の山。
影さえ見ゆる は、美しく済んでいるために山の姿が綺麗に反射していることを言う。山の井 は、山の中にある水汲み場のこと。そのような美しい場所を提示しながら、その水が浅いようには、私の心は浅くないのに」と歌っている。この水の清らかさは、実は深く相手を思う自分の心の譬喩にもなっている。安積山 浅き心 のリフレインも美しい。名歌といって良い。この歌にエピソ-ドは次のようなものである。
葛城の王が陸奥の国に遣わされた時、国司の接待が大変粗略であった。王は腹を立て怒りの表情が顔に現れた。飲食の用意をしたけれど楽しもうとしない。そこで以前采女をつかえた大変雅な乙女がいた。その乙女が左手に盃を、右手に水瓶を持ち、王の膝を打ってこの歌を歌った。すると王の気持ちはほぐれ、楽しく飲んだという。葛城王は後に正二位左大臣に昇った橘諸兄の元の名と思われるが、逸話かどうかは分からない。陸奥の国は采女を献上しないことになっていたので何故陸奥の国に元の采女がいるのか不明。
手習いの歌 難波津の歌と安積の歌
この歌は古今和歌集の序に難波津の歌と並んで、歌の父母のようにして手習いの歌としたと記されている。
難波津の 咲くやこの花 冬ごもり 今は春へと 咲くやこの花 という難波津の歌は手習いにした木簡が大量に出土している。対して安積山の歌は中々例が見つからなかった。しかし天平17年前後のごく短い時期、都の置かれた信楽の宮のある現在の滋賀県甲賀市の宮町遺跡から、難波津の歌と安積の歌とを、表裏に書いた木簡が発見されている。実際に手習いの歌として使用されていたのである。万葉集の歌が木簡として残されている珍しい例の一つである。
3809 商(あき)返し しめすとの御法(みのり) あらばこそ 我が下衣 返し給はめ 2/2
「返品を許すという法律がもしあるのならば、私の下着をお返しになることもありましょうが」この歌のエピソ-ドはある乙女が、さる高貴な方に寵愛されていたが、その寵愛が薄くなると形見として差し上げたものを突き返された。乙女は恨んでこの歌を献上したというもの。こちらは身も蓋もない話で、いくら私に飽きたからと言って形見に差し上げた下着まで送り返さないでもいいじゃないの という恨み言である。男がひどいのは勿論であるが、一度買ったものを返品してもいいという法律があるのなら、話は別ですが という例えもなかなか凄まじい。商(あき)返し の 商(あき) は、商人の商 で、万葉集にはめったに出てこない言葉である。
皇族の宴会藝
卑俗さが混じるのも、巻16の歌の特徴の一つである。ここまで読んで来た歌と話は、どれも男と女が両方登場するものであった。その他も関係は様々であるが、長い題詞の形、注で説明する形、共にすべてに男女が絡んでいる。
以前紹介した穂積皇子が宴席でよく歌っていたという 巻16-3816 家にありし 櫃(ひつ)に鍵刺し 蔵(おさ)めてし 恋の奴の つかみかかりて という懲りずに恋してしまう自分を自嘲する歌もある。皇族たちが宴会で愛唱していた歌というのは、ほかにもあって巻16-3818 朝霞 鹿火屋(かひや)が下の 鳴くかはづ 偲ひつつありと 告げむ子もがも という歌は、河村王という人が、宴会の時まず琴を弾いて、まず歌を歌うのが習いだったと伝えている。鹿火屋(かひや) は、田んぼを鹿に荒らされないように、火を焚くための小屋で、朝霞はその煙を霞に例えたものであろう。「朝霞のように煙る鹿火屋(かひや)の下で鳴いている カジカカエルのように、ずっとお慕いしていましたと言ってくれる娘はいないかな」と言った歌である。
身分の低い歌人の宴会藝
しかし宴会で身分の低い歌人にとっては、腕の見せ所である。長意吉麻呂(ながのおきまろ)という柿本人麻呂と同時代の歌人の宴会藝を読んでみる。5首
巻16-3824 長意吉麻呂 左注あり 長いので本文にて説明
原文 刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 松橋従来許武 狐尓安牟佐武
訓読 さし鍋に 湯湧かせ子ども 櫟(いちひ)津の 桧(ひ)橋より来む 狐に浴(あ)むさむ 1/5
巻16-3825 長意吉麻呂 題詞 むかばき、青菜、 食薦(すごも)、梁(うつはり) を詠んだ歌
原文 食薦敷 蔓菁煮将来 ○○尓 行騰懸而 息此公
訓読 食薦(すごも)敷き 青菜煮て来む 梁(うつはり)に むかばき懸けて 休むこの君 2/5
巻16-3826 長意吉麻呂 題詞 蓮の葉を詠んだ歌
原文 蓮葉者 如是許曽根物 意吉麻呂之 家在物者 宇毛乃葉尓有之
訓読 蓮葉は かくこそあるもの 意吉麻呂が 家なる者は 芋の葉にあらし 3/5
巻16-3827 長意吉麻呂 題詞 雙六を歌う歌
原文 一二之目 耳不有 五六三 四佐倍有来 雙六乃佐叡
訓読 一二の目 のみにはあらず 五六三 四さへありけり 双六のさえ 4/5
原文 香塗流 塔尓莫依 川隈乃 屎鮒喫有 痛女奴
訓読 香塗れる 塔にな寄りそ 川隈の 屎(くそ)鮒食(は)める いたき女奴 5/5
3824 さし鍋に 湯湧かせ子ども 櫟(いちひ)津の 桧(ひ)橋より来む 狐に浴(あ)むさむ 1/5
最初の一首だけに注で詳しい製作事情が書かれている。ある時、人々が集まって飲んでいる内に、夜12時ごろになり、狐の声が聞こえた。そこで皆が長意吉麻呂にもここにある調理器具と食器と狐の声、桧の箸を読み込んで歌を作って見ろと言うと、長意吉麻呂がすぐに作ったという。さし鍋 は、注ぎ口のある鍋 櫟(いちひ)津 は、櫟(いちい)の木のある湊という意味であるが、そこにご飯などを入れる櫃が隠されている。桧(ひ)橋 は、桧で作った橋で、橋は課題の一つであるが、お箸の意味も込められてる。より来む は、狐の声が隠されている。
狐は何んと鳴くのだろうという歌に合わせて、躍るキツネダンスと言うのがあるが、日本では万葉集の時代から狐は コン と鳴くのである。そうした色々織り込んで「さし鍋に湯を沸かせ諸君、櫟津の桧橋よりやって来る狐に浴びせようではないか」と言う歌に仕上がっている。
3825 食薦(すごも)敷き 青菜煮て来む 梁(うつはり)に むかばき懸けて 休むこの君 2/5
むかばき、青菜、食薦(すごも)、梁(うつはり) を詠む歌という題が付いている。むかばき は、馬に乗る時に足を覆う革製の沓、青菜はカブや大根の葉、食薦(すごも) は食器の下に敷くランチョンマット、梁(うつはり) は、柱と柱の間に渡す木材の事。全く縁も所縁もない四つの素材を読み込んで、一種の歌とするのが課題である。「食薦(すごも)を敷いて、青菜を煮て持って来いよ。屋根の梁にむかばきを掛けて休んでいるこの君の所へ」
何々を読むという題詞を持つ歌は、詠物歌と言い、季節の風物を読む詠物歌は、巻8や巻10に沢山あるが、これは典型的な詠物歌で以下そういうものが続く。
3826 蓮葉は かくこそあるもの 意吉麻呂が 家なる者は 芋の葉にあらし 3/5
前と同じく求められて作った宴会藝であろう。第三首は八ススバを詠む歌という題詞。ハチスは蓮、睡蓮の事で、花が咲き終わった後、実の入った花托という部分が蜂の巣によく似ているので、はちすと言い、今はハスという。
ハスの花は泥の中から生えて、美しい花を咲かせるので俗世を抜け出して、清浄な世界に向かう仏教のシンボルとなっている。そのハスの葉を題材にして「ハスの葉は成程こうしたものか。意吉麻呂の家にあるのは、芋の葉っぱであるらしい」と歌う。里芋の葉は長い柄にハ-ト型の葉がついて、一見ハスの葉に似ている。「今まで家のあるのが、貴いハスの葉と思っていたが、成程これがハスの葉ですか。すると家にあるのはただの里芋らしい」
3827 一二の目 のみにはあらず 五六三 四さへありけり 双六のさえ 4/5
双六は今のバックギャモン にあたり15個の駒を相手の陣地に早く進めたら勝ちと言う遊びである。6つの目が出るサイコロを二つ振るので、双六と書いてスゴロクと呼ぶ。正倉院に当時使われていた盤やサイコロが残っていて、弊害が大きいとして度々禁止令が出る程、人々は熱中した。この歌はそのサイコロを詠んだもので、「人間のように二つの目ばかりではない。五も六も三も四もあるんだからな、このサイコロには」
3828 香塗れる 塔にな寄りそ 川隈の 屎(くそ)鮒食(は)める いたき女奴 5/5
香、塔、厠、屎、鮒、奴を詠んだ歌。「香りの高い香を塗った塔には近づかないでくれ。厠の下に集まる糞鮒、それを食った奴婢よ。」極めて卑俗なものだが、ミスマッチな物を取り合わせる課題だったのであろう。
仏教との関連はハスの葉を詠む歌にもあった。古代では仏教は殆ど国教であったから、当然貴ばれるものであったが、こうして里芋等と取り合わせられることで貶められてしまう。他にも寺の僧房に幼い娘を連れ込む歌とか、坊さんの髭の剃り跡をからかう歌とか、仏教に傷をつけるような歌がある。仏教語は今のお香とか塔とか、漢語をそのまま音読みする。スゴロクの歌の一二三と言うのも音読語である。
万葉集には日本語しか用いないので、その意味で巻16の歌は特殊である。地獄と言えばこんな歌もある。4首。
これらは人を嘲笑う歌である。
巻16-3840 池田真枚 題詞 池田の朝臣が大神奥守(おおみわのおくもり)をからかった一種
原文 寺寺之 女餓鬼申久し 大神乃 男餓鬼被給而 其子将播
訓読 寺々の 女餓鬼(めがき)申さく 大神(おおかみ)の 男餓鬼(おがき)賜(たば)りて
その子産まはむ 1/4
巻16-3841大神 奥守 題詞 奥守がからかいに応じた一首
原文 佛造 真朱不足者 水渟 池田乃阿曽我 鼻上乎穿礼
訓読 仏造る ま朱(そほ)足らずは 水溜まる 池田の朝臣が鼻の上を掘れ 2/4
左注 吉田連老(むらじおゆ)という人が、沢山食べたり飲んだりするのに、飢饉にあった人のように痩せこけているので、この二首を作ってからかったのである。
原文 石麻呂尓 吾物申 夏痩尓 吉跡云物曽 武奈伎取喫
訓読 石麻呂に 我れ物申す 夏痩せに よしというものぞ 鰻捕り食せ 3/4
巻16-3854大伴家持 題詞 痩せたる人を笑う歌二首
左注 吉田連老(むらじおゆ)という人が、沢山食べたり飲んだりするのに、飢饉にあった人のように痩せこけているので、この二首を作ってからかったのである。
原文 痩々母 生有者将在乎 波多也波多 武奈伎乎漁取跡 河尓流勿
訓読 痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな 4/4
3840 寺々の 女餓鬼(めがき)申さく 大神(おおかみ)の 男餓鬼(おがき)賜(たば)りて
その子産まはむ 1/4
「寺々の女餓鬼が申すには、大神の男餓鬼を頂いて、その子の餓鬼を産みたいなと」餓鬼は餓鬼道に落ちた亡者で、この世で貪欲だったものがなる。食物が全て石となって食べられないので、常に飢えと渇きに苦しむ。がりがりに痩せお腹だけが膨らんでいる。大神奥守は恐らく、極めて痩せていたのであろう。それを男餓鬼に例えて、仲間の女餓鬼が結婚して子供を産みたいといっているよとからかった訳である。それに奥守が反撃したのが次の歌である。
3841 仏造る ま朱(そほ)足らずは 水溜まる 池田の朝臣が鼻の上を掘れ 2/4
「仏像を作る赤い塗料が足りないならば池田の朝臣の鼻の上を掘ったらいい」水溜まる は、即興で作った池田に掛かる枕詞。これは池田朝臣何某が酒の飲み過ぎで、鼻が赤かったのであろう。それをからかって、あの赤ッ鼻には高い塗料、水銀の元である辰砂(しんしゃ)でも埋まっているのだろう といった。
3853 石麻呂に 我れ物申す 夏痩せに よしというものぞ 鰻捕り食せ 3/4
「石麻呂さんに申し上げます。夏痩せに良いと聞くので、鰻を捕って食べたら」
3854 痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな 4/4
「痩せに痩せているも、命があればだから、もしや鰻を捕ろうとして川に流されたりしないように」鰻はこの頃から精のつく食べ物とされていたが、残念ながらかば焼きはまだない。それにしても鰻を食べろとか、川に流されるなとか、親切めかしながら、肉体的欠陥を笑っているのである。
無心所著歌(むしんしょちゃくか)
万葉集の編者と目される大伴家持もこんな歌を残しているのだった。悪口は他にも、腋臭の男とか金持の色男を振って貧乏なブ男と結婚した女とか、様々な人に向けられている。先程の宴会藝の詠物歌の群と、悪口の歌群との間に無心所著歌(むしんしょちゃくか)という二首が置かれている。無心所著歌(むしんしょちゃくか) とは、心のつく所のない歌、即ち意味不明の歌という意味である。注によると、天武天皇皇子である舎人親王がある時、お供の者たちに意味不明の歌を作ったら褒美を出すといった。すぐに阿倍朝臣子祖父(こぉほぢ)というものが作って献じ、その場で賞金を獲得したとのこと。
原文 吾妹児之 額尓生流 雙六乃 事負乃牛之 蔵上之瘡
訓読 吾妹子が 額に生(お)ふる 双六の こと負(ひ)の牛の 鞍の上の瘡
巻16-3839 阿倍朝臣子祖父(こぉほぢ) 題詞
原文 吾兄子之 犢鼻尓為流 都夫礼石之 吉野乃山尓 氷魚曽懸有
訓読 我が背子が 犢鼻(たふさき)にする つぶれ石の 吉野の山に 氷魚(ひを)ぞ下がれる
3838 吾妹子が 額に生(お)ふる 双六の こと負(ひ)の牛の 鞍の上の瘡
「女房の額に上に生えている双六の目みたいなものは、牛の鞍にあるおできみたいなものだ」確かに意味不明であるが、体を掻きながら横になっていて、何か事があると角を出して怒り出すという
イメ-ジ。
3839 我が背子が 犢鼻(たふさき)にする つぶれ石の 吉野の山に 氷魚(ひを)ぞ下がれる
「わが夫がフンドシにしている丸い石の吉野山に氷魚がぶら下がる」つぶれ石 は丸い石。氷魚(ひを) は鮎の幼魚。
これ又意味不明であるが、男でフンドシ、丸い石、小さな魚と取り合わせれば大概の人は何かを連想するであろう。しか連想してしまう方が下品で、笑っている者が笑われているという仕掛けである。
意味不明の歌といっても、意味が通らないだけでは賞金には手に入らない。ここには文脈を越えて、イメ-ジを起こさせる技術が必要だったのである。
この歌群は和歌にとっては異物である 又仏教も異物である
これは課題を与えられた宴会藝で、しかし女と男のそれぞれの肉体的欠陥をからかう歌なので絶妙な位置に置かれている。音読するには憚られる歌だけど、面白いのは無心所著歌(むしんしょちゃくか) という題である。この 心のつくところなし というのは執着を捨てた境地という意味で、仏教の
理想を説く言葉でもあった。そして後の世では、俳諧の用語として用いられようにもなった。意味が
通らないというのは作品としては欠点になるのだが、俳諧のような文芸にはかえって異なるイメ-ジが、ぶつかり合うようなスリリングな面白さとして、誉め言葉にさえなったのであった。巻16のこうした
自傷歌と言われる作品群は、いわば俳諧文芸の先祖ともいえる。巻16の歌は、朝廷の雅の世界にある和歌からすれば、異物の存在なのである。都や朝廷の中を舞台としていても、花鳥や恋やロマンスとかけ離れた卑俗な事柄を題材にしている。反和歌的と言っても良いかもしれない。
仏教も和歌にとっては異物である。先に仏教は国教同然と言ったように、諸行無常という仏教の観念は、万葉集に深く浸透していた。しかし仏教の郷里をそのまま歌ったような歌は少ない。しかしまき16にはそうした歌がある。三首。
巻16-3849 左注 これらの二首は、河原寺の仏道の中にある倭琴の面に書いてあった
原文 生死之 二海乎 厭見 潮干乃山乎 之勢比鶴鴨
訓読 生き死にの 二つの海を 厭はしみ 潮干の山を 偲ひつるかも 1/3
巻16-3850 左注 これらの二首は、河原寺の仏道の中にある倭琴の面に書いてあった
原文 世間之 繁借廬尓 往々而 将至国之 多附不知聞
訓読 世間(よのなか)の 繁き刈廬(かりほ)尓 住み住みて 至らむ国の たづき知らずも 2/3
巻16-3852
原文 鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許曽 海者潮干而 山者枯為礼
訓読 鯨魚(いさな)取り 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ 3/3
3849 生き死にの 二つの海を 厭はしみ 潮干の海を 偲ひつるかも 1/3
「生きる死ぬの二つの海がもう嫌で、潮のかからない山が恋しく思う事だ」生死の輪廻から解脱としての往生を願っている。
3850 世間(よのなか)の 繁き刈廬(かりほ)尓 住み住みて 至らむ国の たづき知らずも 2/3
「素晴らしいこの世という仮住まいに住み続けて、極楽に行こうにも手立てが分からないことだ」流石にお寺の事らしく、仏教的な文句が使われている。
3852 鯨魚(いさな)取り 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ 3/3
577577の旋頭歌である。「海は死にますか、山は死にますか」という有名な歌の元歌である。今の歌は答えを出さないが、元歌は死ぬと言っている。死ぬからこそ、海は潮が引くのだ、山は木々が枯れるのだ。巻13-3221
高山と 海とこそば 山ながら かくもうつしく 海ながら しかまことならぬ 人は花ものぞ うつせみ世人(よひと)→山や海だって所詮この世の存在で、人間同様やはり死ぬのだよ」と言っている。
巻16には卑俗で日常的で笑いを誘う歌が多くある。しかしその最初は二人の男に求婚されて死を選ぶ女の物語であった。諸国の珍しい歌が並ぶ中でも、義侠心から友人に代わって孝養を尽くす為に、荒れる海に漕ぎ出し遂に帰ってこなかった、博多湾に浮かぶ志賀島の海人を悲しむ妻たちの歌が載せられている。それは山上憶良が妻たちに変わって作ったものと考えられる。又巻末には乞食人(ほかひひと)の詠という門付け芸人たちの歌である。それは鹿、蟹に扮して、自分は殺されて毛皮や肉、或いは塩漬けになる次第を歌っている。ユーモラスであっても、定住する事の無い最下級の民の恨みの声にも聞こえる。そして恐ろしきものの歌三首で、巻16は閉じられる。
卑俗に日常は無情や死と隣り合わせであることが、巻16には示されている様に思われる。そして雅ならざる歌があることで、和歌の世界は大きく広げられている。
こうした 風変わりな歌群を 萬葉集に入れた編者はやはりただものではないと思う。
「コメント」
一般に知られている万葉集とは、全く趣の違う歌がこの巻16には多い。いわゆる和歌のイメ-ジとはかけ離れている。しかしこれで普通の市民や民衆の生活が垣間見えてくる。編者の多面的性が見える。