230114 ㊵「中臣宅守と狭野弟上郎子」

今回は節目の40回となった。

前回は巻15の前半に置かれた、天平8737年の遣新羅使の歌を読んだ。国際情勢の変化によって緊張が深刻になる中、暴風に遭遇したり死者を出したりしながら、苦難の道を辿り、結局門前払いをされた悲劇の使節団であった。

常に家や妻の事を思い、一刻も早く戻りたいと願っていたのにも関わらず、予定を大きく過ぎて翌年春、漸く都に戻ったが、大使は病没、副使も病気にかかって帰還が遅れたくらいなので、結局戻ることが出来なかった人々もあったと思われる。

 

中臣氏とは

本日は巻15の後半、中臣宅守(やかもり)狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)の贈答歌63首について話す。

中臣宅守は中臣氏系図によると、中臣東人の子で、中臣氏は祭祀に携わる氏族で、古事記・日本書紀には天児屋命(あめのこやねのみこと)という天孫降臨に従った神を祖先としている。そのように古い氏族なのであるが、中臣鎌足が出て、中大兄皇子と共に、所謂大化改新を成し遂げ、鎌足の死の前日に藤原と言う新しい姓を賜る。しかしその後、鎌足の子の内、不比等の系統だけが藤原を名乗ることが許され、別の系統の者たちは中臣氏のままとされた。

 

大赦で許されなかった中臣宅守

中臣宅守の父・東人は続日本紀によれば和銅4711年従五位下に、天平57333月従四位下に昇ったのが最後の記録である。宅守の方は記録が少なく、天平12740615日の記事が最初である。これは寛大な政を行う為、天下に大赦が行われたという記事この日の午後8時より前の罪は、ことごとく許すこととなった。但し例外があって、横領、故意或いは計画的殺人、貨幣の偽造、強盗、窃盗などは除外された。又朝廷を守る衛士たちの罪も許されていない。その他に流罪にされた者たちについての記述があり、穂積老は18年前に元明天皇を非難した罪で佐渡に配流されていたのが許された。しかしこの大赦で許されなかった者、五人の中に今回話題とする中臣宅守がいる。彼の罪が何であったかは記録にない。しかし天然痘で夫をなくした藤原宇合の妻と再婚した石上音麻呂と、一人の采女を本国に帰す処分があり、許されなかったものの中に女性が含まれるという状況で、中臣宅守も男女関係であったりだろうと推測されるが、政変がらみとする説もある。

中臣宅守の罪

大赦の直後には諸国で法華経を写し、七重の塔を立てるという諸国国分寺建立事業が命ぜられている。遣新羅使たちも襲われた天然痘の流行は、藤原四氏が全員亡くなり民衆に3人に1人が亡くなるという大惨事であった。医学の発達していない当時、神仏に祈る以上に手立てがない。その際、男女問題が特別に忌まれた可能性はある。

大祓の祝詞の中に、天つ罪、国つ罪とがあげられているが、国つ罪には性的事柄が多く含まれている。中臣宅守の罪が男女関係であったとすると、結婚の相手狭野弟上娘子との間柄が問題になったと考えられる。

狭野弟上娘子がどういう人であったかは、万葉集の歌や題詞には見えず、他の資料にもない。ただ平安時代成立と言われる万葉集の目録に中臣宅守が蔵部の女嬬(にょじゆ)・後宮の女官の狭野弟上娘子を娶った時、勅によって越前国に流罪と断じたとある。蔵部の女嬬(にょじゆ)は、後宮の蔵の司に仕えた下級の女官と伝えられる。采女と同じで、後宮に仕える女性は潜在的には天皇の妻の一人となる可能性があり、自由な婚姻が禁じられていたのかも知れない。

安貴王(やすきおおきみ)は、因幡の八上采女を娶った時、やはり勅によって不敬の罪と断じたと巻4-533の注にあるので、こういった事情が考えられるのであろう。

 

この二人は自分達の罪をどう考えていたのだろうか。冒頭は2首から14首のまとまりで、計9回、娘子から中臣宅守へ、逆に中臣宅守が娘子へと交わされている。ただし最後の7首は、宅守の独詠である。まず狭野弟上娘子が分かれに臨んで歌った4首を読む。

15-3723 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 安之比奇能 夜麻治古延牟等 須流君尓 許許呂尓毛知弖 夜須家久母奈之

訓読 あしひきの 山道越えむと する君を こころに待ちて 安けくもなし 1/4

 

15-3724 題詞 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 君我由久 道乃奈我弖乎 久里多多祢 也伎保呂煩散牟 安米能火毛我母

訓読 君が行く 道の長手を 繰り畳(たた)ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがな 2/4

 

15-3725 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 和我世故之 気太之麻可良婆 思漏多倍乃 蘇弖乎布良左祢 見都追志努波牟

訓読 我が背子し けだし罷らば 白栲の 袖を振らさね 見つつ偲はむ 3/4

 

15-3726 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 己能許呂波 古非都追母安良牟 多麻久之気 安気弖乎知欲利 須辨奈可流倍思

訓読 このころは 恋ひつつもあらむ 玉櫛笥 明けてをちより すべなかるべし 4/4

 

3723 あしひきの 山道越えむと する君を こころに待ちて 安けくもなし 1/4

「山路を越えて行こうとするあなたが心に引っかかって心が休まりません」

宅守の流される場所は越前国。そこまでは奈良山、逢坂山、塩津山(敦賀市と長浜市の開の峠)等、多くの境の山を越えなければならない。貴方の苦難を思うと、気が休まる暇もないという。

3724 君が行く 道の長手を 繰り畳(たた)ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがな 2/4

狭野弟上娘子の絶唱として有名な歌である。「あなたが行く長い長い道を、手繰り寄せて畳んで焼いてしまおう。その天の火が欲しい。」直接には前の歌で歌った中臣宅守が行く道を無くしてしまいたい、そうすればあなたと一緒にいられるという事だけど、道を長い布の様に畳んで焼くという特異な発想で滅ぼさむ とか 天の火 とかいう万葉集に唯一の言葉がこの歌を独自にしている。そして天の火は、天火(てんか)という単語と関係するとすれば、それは雷のような自然現象で起こる火、天から下された火で、正義の火なのであろう。自分たちには何の非もないという信念がこうした表現をさせている様に思える。

3725 我が背子し けだし罷らば 白栲の 袖を振らさね 見つつ偲はむ 3/4

「あなたがもし行ってしまうのなら、私に袖を振って下さい。それをずっと見てあなたを思います」と歌っている。離れている相手を思う徴として、袖を振ることは初期万葉から歌われていたけだし罷らば は、もしどうしても行かなければならないのならば といったニュアンスで、前の歌と同じく流罪を不当とする思いが籠っている。

3726 このころは 恋ひつつもあらむ 玉櫛笥(たまくしげ) 明けてをちより すべなかるべし 4/4

「ここ暫らくは恋焦がれていても、どうにか暮らしていられるでしょう。しかし玉櫛笥ではないが、夜が明けてあなたが旅立った後は、もうどうしようもなくなるに違いありません」既に二人は引き離されていたのであろう。それでも近くに貴方がいると思えば、恋しくても何とか生きてこられた。しかしこれから貴方が遠くに行ってしまう、そうしたらどうやって生きて行ったらいいか分からないと言うのである。

 

続いて、中臣宅守が旅に出て作ったという4首を読む。

15-3727 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 知里比治能 可受尓母安良奴 和礼由恵尓 於毛比和夫良牟 伊母我可奈思佐

訓読 塵泥(ひじ)の 数にもあらぬ 我ゆえに 思ひほぶらむ 妹がかなしさ 1/4

 

15-3728 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 安乎尓与之 奈良能於保知波 由吉余家杼 許能山道波 由伎安之可里家利

訓読 あをによし 奈良の大路は 行きよけど この山道は行き悪()しかりけり 2/4

 

15-3729 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 宇流波之等 安我毛布伊毛乎 於毛比都追 由気婆可等奈 由伎安思可流良武

訓読 (うるわ)しと 我が思ふ妹を 思ひつつ 行けばかもとな 行き悪()しかるらむ 3/4

 

15-3730 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 加思故美等 能良受安里思乎 美故之治能 多武気尓多知弖 伊毛我名能里都 

訓読 畏みと 告()らずありしを み越道(こしぢ)の 手向けに立ちて 妹が名告()りつ 4/4

 

3727 塵泥(ひじ)の 数にもあらぬ 我ゆえに 思ひほぶらむ 妹がかなしさ 1/4

「ごみや塵の様に物の数にもない自分のために、大いに苦しむ愛しい人の何と悲しいことよ」

騒動の中、中臣宅守はすっかりブライトを傷付けられて、過剰に卑下していることが歌われる。宅守は藤原氏に取り残された氏族とはいえ、名門に生れ四位に昇った官人の子で、名もない狭野弟上娘子とは身分の差があった筈である。

一応この歌は、狭野弟上娘子の境遇を哀しく思い労わるのであるが、自分から卑しめる言葉が、却って狭野弟上娘子の心を傷付けたのではないか。

3728 あをによし 奈良の大路は 行きよけど この山道は行き悪()しかりけり 2/4

「奈良の都の大路は行き良いが、この山道は行き難い」ということ。整備されて平らな京の土地より、地方に行く山道が行き難いのは当たり前。しかしこの歌にはもこの事実よりも奈良の大路を闊歩している筈の自分が、なんでこんな山道を歩いているのかという呆然とする慨嘆が含まれている。

3729 (うるわ)しと 我が思ふ妹を 思ひつつ 行けばかもとな 行き悪()しかるらむ 3/4

第二首と同じく山道の行きにくさを歌っている。「愛しいと思うあなた思い浮かべながら、こんなに無暗と生きにくいのだろうか」 単に山道だからではなく、あなたの事をずっと思いながら行くから、あなたから離れていくこの道は辿りにくいのだろう と言うのである。

3730 畏みと 告()らずありしを み越道(こしぢ)の 手向けに立ちて 妹が名告()りつ 4/4

「畏れ多さに口にしなかったが、越の国に行く道の手向けの場所で、あなたの名前をつい言ってしまった」

手向けは道の神に捧げものをして、旅の安全を祈る場所。具体的には越の国に入る嵐山を考えるという注釈が多いが、畿内と畿外を隔てる山城と近江の境 逢坂山かも知れない。逢坂山で手向けをする歌は他にもある。恋人の名を言うことは、一般には忌むべき事であった。それは柿本人麻呂歌集に載っていた 

11-2441 隠(こも)L()の 下ゆ恋ふれば すべをなみ 妹が名告(なの)りて 忌むべきものを の歌には窺える。

→出口のない沼の底の様に、密かに恋しく思っているというどうしようもなくて、あなたの名を言ってしまった。 畏れ多いことなのにという。

中臣宅守の場合も、謹んでいたもののいよいよここから遠い世界に入るかと、切なさに狭野弟上娘子の名を言わずにいられなかったというのだ。

 

次は配所についた中臣宅守から送られた16首が並んでいる。そこから5首を読む。

15-3733 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 和伎毛故障我 可多火能許呂母 奈可里世婆 奈尓毛能母弖加 伊能知都我麻之

訓読 我妹子が 形見の衣 なかりせば 何物もてか 命継がまし 1/5

 

15-3739 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 可久婆可里 古非牟等可祢弖 之良末世婆 伊毛乎婆美受曽 安流倍久安里家留

訓読 かくばかり 恋ひむとかねて 知りませば 妹をは見ずぞ あるべくありける 2/5

 

15-3741 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 伊能知乎之 麻多久之安良婆 安里伎奴能 安里弖能知尓毛 安波射良米也母

訓読 命をし 全()たくしあらば あり衣(きぬ)の ありて後にも 逢はざらめやも 3/5

 

15-3742 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 安波牟日乎 其日等之良受 等許也未尓 伊豆礼能日麻弖 安礼古非乎良牟

訓読 逢はむ日を その日と知らず 常闇(とこやみ)に いづれの日まで 我れ恋ひ居らむ 4/5

 

15-3744 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 和伎毛故尓 古布流れに安礼波 多麻吉波流 美自可伎伊能知毛 乎之家久母奈思 

訓読 我妹子に 恋ふるに我は たまきはる 短き命も 惜しけくもなし 5/5

 

3733 我妹子が 形見の衣 なかりせば 何物もてか 命継がまし 1/5

「あなたの形見の衣が無かったら、一体何を頼りに命を繋げたらいいんだろう」形身はその人の代わりに持つもので、衣の様に直接身につけるものが、その人の魂が移っていると信じられていた。それを頼りに何とか生きていますという歌であるが、早くも自らの命の危うさが思われる。

3739 かくばかり 恋ひむとかねて 知りませば 妹をは見ずぞ あるべくありける 2/5

「あなたの事ばかり思い詰めている苦しさに、これほど恋しく思うと前もって知っていれば、あなたと会わなければよかった」

3741 命をし 全()たくしあらば あり衣(きぬ)の ありて後にも 逢はざらめやも 3/5

あり衣(きぬ) は、何か布の一種であろうか、何を指すのかははっきりしない。ここは あり 生き続けるという言葉の枕詞になっている。歌全体は命を保つことが出来たならば、生き続けて、後にでも逢えないことがあろうか、配流の苦しい状況でも、何とか生きて戻れば又必ず逢えるだろうと、僅かに希望を見いだしている。

3742 逢はむ日を その日と知らず 常闇(とこやみ)に いづれの日まで 我れ恋ひ居らむ 4/5

「逢える日がこれこれの日だと分からない時、一体いつまで私は恋しく思わなければならないのだろう」

赦免の日はいつになるのか見当もつかないのである。

3744 我妹子に 恋ふるに我は たまきはる 短き命も 惜しけくもなし 5/5

「我が愛しい人に恋うる苦しさにどうせ短い命、自分はもう惜しくはないのだ」といっそ死んでしまえば楽になるという歌も歌群の最後には現れて来る。

 

続く狭野弟上娘子の歌は9首である。5首を読む。

15-3745 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 伊能知る安良婆 安布許登母安良牟 和我由恵尓 波太奈於毛比曽 伊能知多尓敝波

訓読 命あらば 逢ふこともあらむ 我がゆゑに はだな思ひそ 命だに経ば 1/5

 

15-3748 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 比等久尓波 須美安之等曽伊布 須牟也気等 波也可反里万世 古非之奈奴刀尓

訓読 他国(ひとくに)は 住み悪()しとぞ言ふ 速く(すむ)やけく 早帰りませ 恋死なぬとに 2/5

 

15-3749 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 比等久尓尓 伎美乎伊麻勢弖 伊都麻弖可 安我故非乎良牟 等伎乃之良奈久

訓読 他国(ひとくに)に 君をいませて いつまでか 我がひ居らむ 時の知らなく 3/5

 

15-3751 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 之呂多倍能 安我之多其呂母 宇思奈波受 毛弖礼和我世故 多太尓安布麻弖尓

訓読 白栲の 我が下衣 失はず 持てれ我が背子 直(ただ)に逢ふまでに 4/5

 

 

15-3753 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 安波牟日能 可多美尓世与等 多和也女能 於毛比美太礼弖 奴敝流許呂母曽

訓読 逢はむ日の 形見にせよと たわや女の 思ひ乱れて 縫へる衣ぞ 5/5

 

3745 命あらば 逢ふこともあらむ 我がゆゑに はだな思ひそ 命だに経ば 1/5

「命があったらまた逢うこともありましょう。私のために激しく物思いをしないで下さい。生き永らえて無事でいて下さい」

宅守の 短き命も 惜しけくもなし を受けて、命さえ無事ならば又逢えると 繰り返している。越前の生活を想像するしかない狭野弟上娘子にとって、夫の無事を祈る心には、切ないものがある。

3748 他国(ひとくに)は 住み悪()しとぞ言ふ 速く(すむ)やけく 早帰りませ 恋死なぬとに 2/5

「なじみのない土地は住みにくいと言います。どうぞ速やかにお帰り下さい。私が恋死にする前に」

案じる余り、自分の方が恋しさに死んでしまいそうだという。

3749  他国(ひとくに)に 君をいませて いつまでか 我がひ居らむ 時の知らなく 3/5

「他国に貴方をやってしまって、いつまで私は恋い焦がれていればよいのだろう。いつ果てるとも知らないままに」

3751  白栲の 我が下衣 失はず 持てれ我が背子 直(ただ)に逢ふまでに 4/5

「私が差し上げた衣を失くさないで下さい。直接顔を合わせる時まで」 と、宅守がそれで命を繋げているという形見の衣を逢える日まで、大事にしてくださいと言う。

 

中臣宅守から狭野弟上娘子への次の歌群は13首ある。その歌5首を読む。

15-3756 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 牟可比為弖 一日毛於知受 見之可杼母 伊島波奴伊毛乎 都奇和多流麻弖

訓読 向ひ居て 一日(ひとひ)もおちず 見しかども 厭(いと)はぬ妹を 月わたるまで 1/5

 

15-3757 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 安我未許曽 世伎夜麻故要弖 許己尓安良米 許己呂波伊毛尓 与里尓之母能乎

訓読 我が身こそ 関山越えて ここにあらめ こころは妹に 寄りにしものを 2/5

 

15-3758 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 佐須太気能 大宮人者 伊麻毛可母 比等奈夫理能未 許能美多流良武 

訓読 さす竹の 大宮人は 今もかも 人なぶりのみ 好みたるらむ 3/5

 

15-3761 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 与能奈可能 都都市能己等和利 可久左麻尓 奈里伎家良之 須恵之多祢可良

訓読 世の中の 常のことわり かくさまに なり来にけらし すゑしたねから 4/5

 

15-3764 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 山川乎 奈可尓敝奈里弖 等保久登母 許己呂乎知可久 於毛保世和伎母

訓読 山川を 中にへなりて 遠くとも 心を近く 思はせ我妹(わぎも)  5/5

 

3756 向ひ居て 一日(ひとひ)もおちず 見しかども 厭(いと)はぬ妹を 月わたるまで 1/5

「向かい合って一日も欠かさず顔を合わせていても、ならなかったあなたを、もう何か月も見ていない。」

3757 我が身こそ 関山越えて ここにあらめ こころは妹に 寄りにしものを 2/5

「自分の身こそ関や山を越えて、ここにあるけれども心は貴方に寄り添っています」

3758 さす竹の 大宮人は 今もかも 人なぶりのみ 好みたるらむ 3/5

「あの宮廷の人々は、今もなお人をもてあそんでばかりいるのだろうか」さす竹の は、大宮人に かかる枕詞。

一般に枕詞を冠せられると名詞は立派なもの、本格的な物と言うニュアンスを帯びる。 大宮人もそうであろう。しかしこの歌では、皮肉に用いられている。ご立派な宮廷の人も、好んでいるのは人をもてあそぶような下劣な事ばかり。中臣宅守も罪に陥れられてからの屈辱を思い起こしているのである。しかし 今もかも 今も同じ様に と言っているのは、越前にいる今、又何か屈辱的な事があったのであろう。

3761 世の中の 常のことわり かくさまに なり来にけらし すゑしたねから 4/5

「世の中の普通の道理でこんな風になったらしい。自分が蒔いた種がもとで。」宅守は罪に落とされたのは、自分の所為でと思うようになったらしい。そもそもの原因は自分にある。その罪が狭野弟上娘子との結婚だとすれば、これはまずいことだったと認めた事に成る。

3764 山川を 中にへなりて 遠くとも 心を近く 思はせ我妹(わぎも)  5/5

「山や川が私達の間にあって遠くても、心だけは近くにいると思ってください。愛しい人よ」と変わらぬ気持ちを歌うもあるが、長い配流生活で、少しずつ宅守の心も変わっているのかも知れない。

 

狭野弟上娘子の次の歌群は8首。この中から4首を読む。

15-3767 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 多麻之比波 安之多由布敝尓 多麻布礼杼 安我牟祢伊多之 古非能之気吉尓

訓読 魂は 朝夕(あしたゆうへ)に たまふれど 我が胸痛し 恋の繁きに 1/4

 

15-3772 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 可敝里家流 比等伎多礼里等 伊比之可婆 保等保登之尓吉 君香登於毛比弖 

訓読 帰りける 人来れりと 言ひしかば ほとほと死にき 君かと思ひと 2/4

 

15-3773 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 君我牟多 由可麻之毛能乎 於奈自許等 於久礼弖乎礼杼 与伎許等毛奈之

訓読 君が共 行かましものを 同じこと 後れて居れど よきこともなし 3/4

 

15-3774 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 和我世故我 可反里吉麻佐武  等伎能多米 伊能知能己佐牟 和須礼多麻布奈 

訓読 我が背子が 帰り来まさむ 時のため 命残さむ 忘れたまふな 4/4

 

3767 魂は 朝夕(あしたゆうへ)に たまふれど 我が胸痛し 恋の繁きに 1/4

上の句は山上憶良が大伴旅人に巻5-882 

()が主の 御霊(みたま)給ひて 春さらば 奈良の都に召上(めさ)げ給はぬ と言ったと同じく、「お気持ちを朝晩頂戴する。という意味に解するのが普通である。しかし憶良の歌は冗談めかして旅人の恩顧を願っているので、流人の宅守の恩顧を朝晩頂いているというのは不自然な感じを抱く。魂と言っていることからしても、自分の魂を霊振り、揺さぶるようにして賦活していると解しておく。朝晩自分の魂を活気づけようとするけれども、恋しさが激しくて胸が痛むというのである。

3772 帰りける 人来れりと 言ひしかば ほとほと死にき 君かと思ひと 2/4

「帰ってくる人が到着したというので、危うく死にそうでした。貴方かと思って」これは疑いなく大赦と関連する。歌ったのは、まさかと思って死にそうになったという事だが、そうでなかったと知った時の落胆も死ぬほどだったと想像される。

3773 君が共 行かましものを 同じこと 後れて居れど よきこともなし 3/4

「あなたと共に行けばよかったのに、同じことだと残されていたけれど、良いこともない」と言っている。

君が共 行かましものを は、行くか行かないかは狭野弟上娘子の任意だったようにも聞こえるが、そうではなかったのであろう。

3774 我が背子が 帰り来まさむ 時のため 命残さむ 忘れたまふな 4/4

「あなたが帰って来る時のために、わが命は残しましょう」忘れないで下さい」この狭野弟上娘子の8首は生死に関する表現が非常に目立つ。都に残されたものもいよいよ切迫してきているのである。

 

最後の応答は僅か2首ずつである。

15-3775 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 安良多麻能 等之能乎奈我久 安波射礼杼 家之伎己許呂乎 安我毛波奈久尓

訓読 あらたまの 年の緒長く 逢はざれど 異()しき心を 我が思はなくに 1/4

 

15-3776 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 家布毛可母 美也故奈里世婆 見麻久保里 尓之能御馬屋乃 刀尓多弖麻之

訓読 今日もかも 都なりせば 見まく欲()り 西の御馬屋(みまや)の 外に立てらまし 2/4

 

15-3777 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 伎能布家布 伎美尓安波受弖 須流須敝能 多度伎乎之良尓 祢能未之曽奈久

訓読 昨日今日 君に逢はずて するすべの たどきを知らに 音()のみしぞ泣く 3/4

 

15-3778 題詞 中臣宅守と狭野弟上娘子が贈答した歌

原文 之路多倍乃 阿我許呂毛弖乎 登里母知弖 伊波敝我勢古 多太尓安布末弖尓

訓読 白栲(しろたえ)の 我が衣手(ころもて)を 取り持ちて 斎(いは)へ我が背子 直(ただ)に逢ふまでに 4/4

 

中臣宅守の第一首

3775 あらたまの 年の緒長く 逢はざれど 異()しき心を 我が思はなくに 1/4

「もう何年もあっていないけれど、決して心変わりをしていません」

3776 今日もかも 都なりせば 見まく欲()り 西の御馬屋(みまや)の 外に立てらまし 2/4

「もし都にいたならば、逢いたくて西の御馬屋の外に立っていたことだ」西の御馬屋(みまや) は、平城京の西の方にあった馬屋だが、ここが二人の逢う場所であったりだろう。

一方の狭野弟上娘子の第一首

3777 昨日今日 君に逢はずて するすべの たどきを知らに 音()のみしぞ泣く 3/4

「昨日も今日もあなたに逢えなくて、もうどうしてよいか分からず、声を出して泣いてばかりでした」

3778 白栲(しろたえ)の 我が衣手(ころもて)を 取り持ちて (いは)へ我が背子 直(ただ)に逢ふまでに 4/4

「私が差し上げた衣の袖を持って祈って下さい。直接お会いできる時まで」(いは)へ は、謹んで神の加護を祈ることで、旅人を送る側のすることとして歌われるのが普通である。旅人である宅守にそれを依頼しているのは、狭野弟上娘子が自身の生命に不安を抱いているからではないだろうか。この2首同士を比較してみると、切迫感において二人の間に大きな差が出来ていることに気付く。宅守が段々と配所の日常に慣れ、無為な年月が流れていく事に 感覚が鈍磨しているのに対して、狭野弟上娘子の益々思い詰め自分の命を削っていることが窺われる。

 

歌の贈答はここで終わり、最後に宅守の 花鳥に寄せて思いを述べる歌7 が置かれている。3首を読む。

15-3779 題詞 中臣朝臣宅守が狭野弟上娘子に贈る歌   左注 右7首中臣朝臣宅守が花鳥に寄せて作る歌

原文 和我夜度乃 波奈多知婆奈波 伊多都良尓 知利可具良牟 見流比等奈思尓

訓読 我が宿の 花橘は いたづらに 散りか過ぐらむ 見る人なしに 1/3

 

15-3780 題詞 中臣朝臣宅守が狭野弟上娘子に贈る歌   左注 右7首中臣朝臣宅守が花鳥に寄せて作る歌

原文 古非之奈婆 古非毛之祢等也 保等登藝須 毛能毛布等伎尓 伎奈吉等余牟流 

訓読 恋ひ死なば 恋ひも死ねとや 霍公鳥(ほととぎす)  物思ふ時に来鳴き響(とよ)むる 2/3

 

15-3785 題詞 中臣朝臣宅守が狭野弟上娘子に贈る歌   左注 右7首中臣朝臣宅守が花鳥に寄せて作る歌

原文 保登等藝須 安比太之麻思於家 奈我奈気婆 安我毛布許己呂 伊多母須敝奈之

訓読 霍公鳥 間(あいだ)しまし置け 汝()が鳴けば 我が思ふ心 いたもすべなし 3/3

 

3779 我が宿の 花橘は いたづらに 散りか過ぐらむ 見る人なしに 1/3

「わが家の庭に咲く橘は、空しく散り過ぎているだろう。見る人もなしに。」今は無人なのであろう。

3780 恋ひ死なば 恋ひも死ねとや 霍公鳥(ほととぎす)  物思ふ時に来鳴き響(とよ)むる 2/3

「恋死にするなら死んでしまえという事か。ほととぎすは物思いをする時に来て声を響かせる」

ホトトギスは橘の花と同じく、初夏に来て鳴く鳥である。その初声を待望することが多いが、鳴き声に悲しいことを思い出し苦しみも又歌われることがある。

3785 霍公鳥 間(あいだ)しまし置け 汝()が鳴けば 我が思ふ心 いたもすべなし 3/3

全体の締め括りの歌である。「霍公鳥よ間を暫らく置けよ、お前が鳴くと私の物思いはひどく切なくなるのだ」と歌っている。

 

その後の二人

7首はいづれも初夏の花や鳥によって、思いをのべたもので同時期の作と思われる。その思いはいずれも苦しく切ないもので、旅にして 妹に恋ふれば と言う句も7首の中の3783に見えるので、妻恋の情であることは疑いない。ならば何故贈答でなく独詠なのか。そしてこの二人はその後どうなったのか。何も証拠はないが、私は狭野弟上娘子は傷心の

余り死んでしまったのではないかと言う説に賛成する。宅守の花鳥に寄せる空虚感は、都で待つ妻がいることを感じさせない。そしてもし狭野弟上娘子が死んでしまったのであれば、それは宅守の側に、別れているのみの恋に対する馴れが生じた結果ではないかと想像する。愛し合いながらすれ違いが生じたことが、狭野弟上娘子の感情をより切迫させ、死に至らしめたのではないだろうか。

 

15は前後半共に悲劇的な事件の実録だと言える。なお、宅守は天平宝治77631月従五位下に至っている。

それまでにはゆるされていたのであるが、出世は随分遅れた。しかも中臣家系図によると、翌年藤原仲麻呂の乱に連座して除名されている。その後は不明。

「コメント」

 

この二人の贈答歌が万葉集に載せられているのは、当時の大きな話題の一つであったからであろう。いつも思うが個人間の贈答歌が残されていることに感心する。何か仕掛けがあったのだろう。宅呂が折角大赦で戻ったのに、仲麻呂の乱でまた敗者側。こうなってしまうのだろう。