220319紫式部日記㉕「筆をおく」
今回で紫式部日記の本文を読み終わる。どの様な終わり方をするのであろうか。
「朗読1」紫式部は小少将の君と局を二分して住んでいる。一緒の時は几帳を立てて。
これを道長にからかわれる。
あからさまにまかでで、二の宮の御五十日は、正月十五日、その暁にまゐるに、小少将の君、明けはててはしたなくなりたるにまゐりたまへり。例のおなじところにゐたり。二人の局を一つにあわせて、かたみにさとなるほとせも住む。ひとたびにまゐりては、几帳ばかりをへだてにてあり。殿ぞ笑はせたまふ。「かたみに知らぬ人も、かたらはば」など、聞きにくく、されど、誰もさるうとうとときことなければ、心やすくてなむ。
「現代語訳」
ほんのちょっと里帰りして、二宮の御五十日のお祝いは正月十五日なので、その日の明け方に参上したが、小少将の君は、すっかり夜が明けて、きまりが悪い頃に参上した。いつもの同じ局にいた。二つの部屋を一つに合わせて、どちらか一方が実家に戻っている時はそうして住んでいる。又二人が一緒になったら、几帳を立てて暮らしている。そんな様子に道長様は笑って、「お互いに知らない人でも誘いいれたらどうする」と聞きにくいことをおっしゃる。でも二人とも、そんなよそよそしいことはしないから気になりません。
「朗読2」二宮の五十日の儀式の様子と衣装の説明。
日たけてまうのぼる。かの君は・・・・・・
あなたはいと顕証なれば、このおくにやらすべりとどまりてゐたり。中務の乳母、宮抱きき奉りて、御帳のはさまより南ざまにたてまつる。こまかにそびそびしくなどはあらぬかたちの、ただゆるやかに、ものものしきさまやちして、さるかたに人をつへつべく、かどかどしきけはひぞしたる。葡萄染の袿、無紋の青色に、桜の唐衣たり。
「現代語訳」
日が高くなって、中宮様の御前に参上する。小少将の君は、・・・・・・二人の衣装の説明なので略。
更に二宮の五十日の儀式の様子と衣装の説明なのでこれも略。
「朗読3」身分の低い女房の衣装が、見苦しいと批判した小宰相の君を、如何なものかと
意見している。
その日の人の装束、いづれとなく尽くしたるを、袖ぐちのあはひわろう重ねたる人しも、御前のものとり入るとて、そこらの上達部、殿上人に、さしいどてまぼられつることなぞ、後に宰相の君など、「口をとがりたまふめりし。さるは、あしくもはべらざりき。ただあはひのさめたるなり。小大輔は、紅一かさね、上に紅梅の濃き薄き五つをかさねたり。唐衣、桜、源式部は、濃きに、また紅梅の綾ぞ着てはべるめし。織物ならぬをわろしとにや。それあながちのこと。顕証なるにしもこそ、とりあやまちのほの見えたらむそばめをも選らせたまふべけれ、衣の劣りなさりはいふべかきことならず。
「現代語訳」
その日の女房達の衣装は、誰も彼も優劣をつけがたいほどであったが、袖口の色の配色があまり良くない人でも、御前の物を取り下げるというので、公卿や殿上人の前に出て、見られてしまったので、後になって、宰相の君が、悔しがっておられました。と言ってもそれほど悪いとぃほどの事ではありません。ただ色の取り合わせが引き立たなかっただけです。ここでその対象となった二人の描写。そして身分によって仕える色が決まっているので、仕方ないではないかと弁護している。明らかな失態があれば批判するのは当然ですが、身分上の制約があって仕方ないことを、批判するのは如何なものかと思う。
「講師」
宰相の君が二人の女房の衣装を批判したのを聞いた。要は中宮の女房がちゃんとしていないのが悔しいと言っているのである。紫式部は反論する。身分の低い女房は、色も衣装も勝手に出来ないのである。きまりがある。二人が悪いのではないと。宮中内での意識を感じさせるエピソ-ドである。
「朗読4」
宮の人々は、・・・・・儀式の様子などが細々述べられるので省略。
「現代語訳」
儀式次第の詳述。
「朗読5」 ここで突然、紫式部日記は終了する。
儀式が終わり、管弦の遊びとなる。琵琶、箏、笙の笛・・・・。これらの詳述。以下略。
「現代語訳」
略
「講師」
突然ともいえるフィナ-レである。本当にこれで終わっているのであろうか。紫式部日記が消息文から日記にかわって、ここで突然の終わりとなる。これに続く分が存在したかは不明。
源氏物語54帖も中途半端な終わり方をしている。「夢の浮橋」の巻では、出家した浮橋に還俗を願う薫の君の手紙が届いた所で終わっている。これから浮橋がどう生きるべきかの問題は、作者の手を離れてしまう。
道長は二人の孫に恵まれた。摂関政治はどう展開していくのか。天皇の位はどのように維持していくのか。その中にあって、中宮彰子やそれに仕える女房達はどう生きていくのか。紫式部日記は終わるが、その資料は我々の目の前にある。この古典講読で、群書類従という本文で、紫式部日記を読んできた。
「コメント」
まことに唐突な終わりかたである。何かあったはずであるが、後世の都合で破棄されたか。
まあこれだけ残っていて幸せと言うべきか。半年にわたる講義であった。
私の参考書は「日本古典文学全集」26小学館 ここには過去に講義があった「和泉式部日記」「更級日記」も入っていて、本当に数年間にわたってお世話になった本である。これなくしては、聴取の継続、解釈は出来なかっであろう。