220129紫式部日記⑱「女房仲間のへの批評」

今回は紫式部日記の大きな転換点を取り上げる。出来事が起きた順に、あるがままに記録する日記のスタイルから、紫式部の周囲の女性たちの人物批評を、心に浮かぶままに書き、記録した手紙のスタイルへと一変する。まず寛弘5年正月の日記の部分から読もう。

 

「朗読1」元日の若宮のお給仕役の大納言の君の着物の詳細な説明、女房たちの装束の

     説明。如何にも女の目。

正月一日、坎日(かんじつ)なりければ、若宮の御戴餅のこと、とまりぬ。三日ぞまうのぼにせたまふ。今年の御まかなひは大納言の君。装束、一日の日は紅、葡萄染、唐衣は赤いろ、地擦の裳、二日、紅梅の織物、掻練は濃き、青色の唐衣、色擦の裳。三日は唐綾の桜かさね、唐衣は蘇芳の織物、掻練は濃きを着る日は紅はなかに、紅を着る日は濃きをなかになど、例のことなり。萌黄、蘇芳、山吹の濃き薄き、紅梅、薄色など、常の色々をひとたびに六つばかりと、産着とぞ、いとさまよきほどに

さぶらふ。

「現代語訳」
一日は坎日(かんじつ)なので、若宮の御餅戴の儀式は取りやめとなる。若宮は三日に清涼殿に上がられる。今年の若宮の給仕係は、大納言の君。衣装の説明は省略。日替わりで色々と定めに従っている、聞くだけで大変。女房達は、体裁の良いほどに着こなして控えている。

「講師」

ここで大納言の君の着こなしの話をしている。晴れの日の正装である。大納言の君と宰相の君の

描写をしている。宰相の君に対しては、着こなしだけでなく、身体的な特徴まで書き込んでいる。

 

「朗読2」大納言の君を描写し、小柄だけどとても良いと絶賛している。

大納言の君は、いとささやかに小さしといふべきかたなる人の、白ううつくしげに、つぶつぶと肥えたるが、うはべはいとそびやかに、髪、丈に三寸ばかりあまりたる裾つき、かんざしなどぞ、すべて似るものなく、こまやかにうつくしき顔もいとらうらうしく、もてなしなど、らうたげになよびかなり。

「現代語訳」

大納言の君は、とても小柄でむしろ小さいと言ってもよいほどの人で、色白く可愛らし気に肥えている。背丈がすらりとしていて、髪は背中に三寸ばかり余っている。その髪の裾の様子、髪のはえ具合など細やかに美しい。顔はとても可愛らしくきれいで、身振りなども可憐で優しい。

「朗読3」

このついでに、人のかたちを語りきこえさせば、ものいひさがなくやはべるべき。ただいまをや、さしあたりたる人の事は、わづらはし、いかにぞやなど、すこしもかたほなるは、いひはべらじ。

「現代語訳」ついでに人々の容姿のついて話すと口さがないという事になるでしょうか。

        近くの人の事は憚られます。

このついでに、人の容姿の事をお話したら、口さが無いという事になるでしょうか。それも今の人々についてであれば、尚更でしょう。差し当たって、顔を合わせる人々の事は、憚られるし、それにどうかと思われるような欠点の有る人の事も言わないことにする。

「講師」

ここまでは、中宮彰子の敦成(あつひら)親王、後の後一条天皇の誕生、続いて正月の記録を書いてきたが、そこに女房達の人物批評が付け加えられた。日記から批評へと移ったのである。記録文学から批評文学へ。ここから始める書簡体の手紙、即ち消息分がある故、紫式部日記は名作として文学史に残ったのである。

それでなかったら、単に源氏物語の作者が書いた日記という事だけとなった。

中世以降、往来物といわれる教科書が沢山現れた。

往来物→平安時代後期から明治時代にかけて、主に往復書簡などの手紙類の形式をとって

      作成された初等教育用の教科書

 

但し紫式部の消息文は、紫式部からある読者にあてた書簡であるので、相手からの返事はない。
私が初めて紫式部日記の消息文を読んだ時に、夏目漱石の「こころ」を連想した。「こころ」には、

先生と遺書と言う章があり、先生からの手紙が、異常なまでに肥大して長くなっていた。

これと同じ様に書いている内に、長くなってしまったのであろう。

 

さて、紫式部は中宮彰子に仕える女房を何人も取り上げ、それぞれが素晴らしい女性であると絶賛している。立場上、否定的コメントは書きにくかったであろう。その中で、小少将の君についての批評は少し変わっている。読んでみよう。

「朗読4」お気に入りの小少将の君の描写。子供っぽくて、自分の判断を持たず、実に心配。

     こんなのがお気に入り?

小少将の君はそこはかとなくあてになまめかしう、二月ばかりのしだり柳のいとうつくしげに、
もてなし心にくく、心ばえなども、わが心とは思ひとるかたもなきようにものづつみをし、いと世を恥じらひ、あまり見ぐるきまで児めいたまへり。腹ぎたなきひと、悪しざまにもてなしいひつくる人あれば、

やがてそれに思ひ入りて、身をも失ひつべく、あえかにわりなきところついたまへるぞ、あまりうしろ

めたげなる。

「現代語訳」

小少将の君は、どことなく上品で優雅で、例えば二月のしだれ柳のような風情である。容姿はとても

可愛らし気で、応対する様子は奥床しく、性質も自分自身では、判断など出来ないように遠慮し、世間を恥ずかしがり、見るに忍びない様に子供っぽい。もし意地の悪い人が、ひどく扱ったり、嘘を言い続けると、そのことを気に病んで死んでしまいそうになる。

弱々しい所が、どうしようもなく頼りなく心配です。

 

「朗読5」若い女房へのアドバイス いい気になっていると、噂になってしまうよ

小兵衛などもいときよげにはべり。それらは、殿上人の見のこす、少なかなり。たれも、とりはづしてはかくれなければ、人ぐまも用意するに、かくれてぞはべるかし。

「現代語訳」

小兵衛なども綺麗です。それらの美しい人を、殿上人が見逃す事は少ないという事である。誰でも、

そんなスキャンダルは、まかり間違うと、知れ渡ってしまいますよ。

 

「朗読6」心を病んで、尼になってしまった宮木の侍従。

宮木の侍従こそいとこまかにをかしげなりし人。いと小さくほそく、なほ童女にてあらせまほしきさまを、心と老いつき、やつしてやみはべりにし、髪の、柱にすこしあまりて、末をいとはなやかにそぎてまゐりはべりしぞ、はてのたびなりける。顔もいとよかりき。

「現代語訳」

宮木の侍従は実に整った人でした。とても細くて、まだ童女のままで置いておきたい様子でしたが、

自ら、心を老いてしまって、尼姿になって、それっきりになった。髪は柱の中座に少し余って、その末を華やかに切り揃えて、参上したのが最後の時だった。顔もとても美しかった。

 

「朗読7」五節の弁という人は、眦が長く美人であったが、気の毒に長い髪が抜けてしまった。

五節の弁という人はべり。平中納言の、むすめにしてかしづくと聞きはべりし人。絵にかいたる顔

して、額いたうはれたる人の、まじりいたうひきて、顔もここはやと見ゆるところなく、色白う、手つき腕(かいな)つきいとをかしげに、髪は、見はじめハベリし春は、丈に一尺ばかりあまりて、こちたくおほかりげなりしが、あさましう分けたるように落ちて、裾もさすがにほめられず、長さはすこしあまりてはべるめり。

「現代語訳」

五節の弁という人がいます。平中納言が養女にして大事にしているという人です。絵にかいたように顔をして、額がとても広くて、眦が長く、顔はここはと言う個性はなく、色白で手足には風情があつた。髪は、私が見始めた頃には、背丈に一尺ほど余って豊かであったが、その後、呆れるほど抜け落ちて、褒められた状態ではないが、長さは少し余っている様だった。

 

「朗読8」美人がいたが、その中にも偏屈な人がいて、辞めてしまった人もいる。

小馬という人、髪いと長くはべり。昔はよき若人、いまは琴柱(ことじ)ににかわすようにてこそ里居してはべるなれ。

「現代語訳」

小馬という人は、とても髪がとても長かった。昔は美しい美人でしたが、今では琴柱ににわかすの、ように頑固になって実家に引っ込んでいる。

 

「朗読9」容姿を色々言ったが、気立ては難しい。こんなことを色々言うのは、本当は如何な

     ものかと思う。

かういひいひて、心ばせぞかたうははべるかし。それも、とりどりに、いとわろきもなし。また、すぐれてをかしう、心おもく、かどゆゑも、よしも、ういろやすさも、みな具することはかたし。さまざま、いつけれをかとるべきとおぼゆるぞおほくはべる。さもけしからずもはべることどもかな。

「現代語訳」

この様に人々の容姿をつぎつぎと批評してきて、さて気立てはと言うと、これはとゆう人は、中々いないものである。

それもそれぞれ個性があって、全く良くないというのはありません。又優れて気品があって、思慮深く、才覚や感情も趣も信頼も全て、持ち合わせているようなことは中々ありません。
各人各様で、一体どれをどるべきか、思い迷う人ばかりが多い。こんなことを云うのは、本当は怪しからぬことですね。

 

「コメント」

 

紫式部独自の見方ではなく、ごく普通の一般に言われたことをまずは書いている。そして、色々と言うのは良くないことですよねというのが、スタートで毒舌が始まるのか。楽しみ。