220122紫式部日記⑰「歳末の感慨」

今回は寛弘5年、年末の情景を読む。五節の舞姫が宮中を去って後に、賀茂の臨時祭があった。4月の中の酉の日に行われるのが葵祭、11月の下の酉の日に行われるのが臨時祭である。

寛弘5年は1128日がこの日に当たっていた。大祭の勅使として道長の五男が選ばれた。藤原教通(のりみち)、長男の頼通と同じく、母は倫子。頼通の次に関白となる。

勅使が宮中を出発するよう明日を描く。

 

「朗読1」勅使として道長の五男の晴れ姿。又、かって舞の名人の老いによる衰えを見て、

     我が身を考える。

殿の上も、まうのぼりて御覧ず。使いの君の藤かざして、いとものものしくおとなびたまへるを、内蔵の命婦は、舞人には目も見やらず、うちまもりうちまもりぞ泣きける。

御物忌なれば、御社より、丑の刻にそ゜帰りまゐれば、御神楽などもさまばかりなり。兼時が、去年まではいとつきづきしげなりしを、こよなくおとろへたるふるまひび、見知るましき人の上なれど、あはれに、思ひよそへらるることおほくはべる。

「現代語訳」

道長様の北の方も、参内して、勅使出立の様子を御覧になる。勅使(道長の五男)の君が藤の花を冠に挿し、とても大人びて見えるのを、乳母の命婦は神楽も見ずに、泣いてばかりいる。

宮中は物忌なので、賀茂神社からの勅使が御前二時頃に帰ってくると、神楽なども形だけ行われた。

兼時は、去年までは舞人として見事であったが、今年はすっかり衰えてしまった所作は、私には関係ない事ではあるが、しみじみと同情され、我が身を思いやられることであった。

「講師」

舞の上手であった人が、今年は年で衰えて紫式部は驚いている。そして自分の行く末も思って粛然としたのである。

 

「朗読2」里帰りから帰った日は、かって初めて宮中に参内した日。若い女房の浮き浮きした

     風に、自分の老いを感じる。

師走の二十九日にまゐる。はじめてまゐりしも今のことぞかし。いみしくも夢路にまどはれしかなと思ひ出づれば、こよなくたち馴れにけるも、うとましの身のほどやとおぼゆ。

夜いたうふけにけり。御物忌におはしましければ、御前にもまゐらず、心ぼそくうち臥したるに、前なる人々の、「内裏わたりはなほけはひことなり。里にては、いまは寝なましものを、さもいざとき沓のしげさかな」と、いろめかしくいひゐたるを聞く。

年くれて わが世ふけゆく 風の音に 心のうちの すさまじきかな

とぞひとりごたれし。

「現代語訳」

里帰りしていたが、師走の二十九日に宮中に参上する。初めて宮中に奉公に出たのも、この日であった。あの時は夢の中をさ迷い歩いていたような、心地であったなあと思いだす。今はすっかり宮仕えにも馴れきってしまったことも、我ながら嫌な気分になってしまう。

夜が更けてしまった。中宮様は御物忌で籠っておいでなので、御前にも伺わずに、淋しい気持ちで横になっていると、一緒にいる若い女房達が、「宮中はやはり他とは違う。実家に居たらもう寝てるのに、ほんとに寝付かれないほどの、殿方の沓の音がしているわ。」と浮き浮きしていっているのを聞いて、

今年も暮れて、私も年を取ったわ。夜更けの風の音を聞いていると、我が身の行く末がつくづく思われて、心にも木枯らしが吹いて、淋しく思われるものだ。

と、思わずひとり呟いた。

「講師」

若い女房は殿方が来るのではと、浮き浮きとしている。それにつけても、私も老いたと淋しく思っている紫式部がいる。

 

「朗読3」作者がのんびりと大晦日を過ごしていると大きな悲鳴。見に行くと裸の女が二人。

     追剝事件が起きた。

晦日の夜、追儺はいと疾くはてぬれば、歯ぐろめつけなど、はかなきつくろひなどもすとて、うちとけゐたるに、弁の内侍来て、物語して臥したまへり。内匠の蔵人は長押の下にゐて、あてきが縫ふものの、かさねひねりをしへなど、つくづくとしゐたるに、御前のかたにいみじくののしる。内侍起こせど、とみにも起きず。人の泣きさわぐ音の聞こゆるに、いとゆゆしく、ものもおぼえず、火かと思へど、さにはあらず、「内匠の君、いざいざ」と、さきにおしたてて、「ともかうも、宮下におはします、まづまゐりて見たてまつらむ」と、内侍をあららかにつきおどろかして、さんにんふるふふるふ、足も空にてまゐりたれば、裸なる人二人ゐたる。靫負、小兵部なりけり。かくなりけりと見るに、いよいよむくつけし。

「現代語訳」

大晦日の鬼やらいの行事は早く済んだので、お歯黒をつけたり、寛いていると、弁の内侍が来て、色々とお話などしていた。彼女はそのまま休んでしまった。内匠の蔵人は童女に裁縫を教えている。中宮様の方で、激しい悲鳴がする。弁の内侍を起こすがすぐには起きない。誰かが泣き騒ぐ声が聞こえるので。とても恐ろしくて、どうしてよいか分からない。

「火事かしら」と思ったが、そうではない。「匠の君、さあさあ」と前に押し立てて「ともかく、中宮様の下のお部屋にいらっしゃいます。まずそちらに参上して様子を伺いましょう」と弁の内侍を荒々しく起こして、三人が震えながら足もつかぬさまで参上してみると、裸の人が二人うずくまっている。靫負と小兵部である。さては追剥であったかと事情が分かると益々気味が悪い。

「講師」

大事件勃発である。

 

「朗読4」大晦日で誰もいない。やっと蔵人が一人きて灯をつける。被害者の二人が知らん顔でいるのが、実はおかしい。

御厨子所の人もみな出で、宮のさぶらひも、滝口も、儺やらひ果てけるままに、みなまかでにけり。手をたたきののしれど、いらへする人もなし。おものやどりの刀自を呼び出でたるに、殿上に、兵部の丞という蔵人、呼べ呼べ」と、恥も忘れて口づからいひたけば、たずねけれど、まかでにけり。つらきことかぎりなし。

式部の丞資業(すけなり)まゐりて、ところどころのさし油ども、ただ一人さし入れられてありく。人々、ものおぼえず、むかひゐたるもあり。主上より御使などあり。いみじうおそろしうこそはべりしか。納殿にある御衣をとり出でさせて、この人々にたまふ。朔日の装束はとらざりければ、さりげもなくてあれど、はだか姿は忘れられず、おそろしきものから、をかしうともいはず。

「現代語訳」

台所の人々も、皆退出しており、中宮付きの侍も、滝口の侍も、鬼やらいがすむと、皆退出してしまっていた。手を叩いて大声で叫んでも、返事をする人もいない。
台所の老女を呼んで、「殿上の間に、兵部の丞(紫式部の弟)という蔵人がいるので呼んで」と、恥も忘れて直接に言ったが、やはり彼も退出していた。まことに情けないことになった。

やっと式部の丞 藤原資業がやってきて、あちこちの明り台に、油を注いで回っている。中宮様よりお見舞いの使いが来た。とても恐ろしい事であった。中宮様より衣装を、盗られた人々に賜った。元日用の衣装は盗られていてなかったので、二人とも何事もなかったように、している。しかしあの裸姿は忘れられず、恐ろしいと思うけれど、今となっては何かおかしく感じられるが、口に出しては言わない。

「講師」

宮中に追剥が出るという、後世、王朝文化の雅と称えられた一条天皇の御代に、宮中に追剥が出るという事件が起きている。信じがたい事である。身分の低い女房の悪戯ではないかとの説もある。

後になって見ると、怖さもあったが、裸姿がおかしくなって来るというのは実感であろう。

 

「コメント」

 

コメンテイタ-の前で、大事件が起きてしまった。