220115紫式部日記⑯「童女御覧」
今回は五節の舞姫に付き添っている童女を天皇が御覧になる様子と、舞姫との付き添いとして、
宮中に久し振りに顔を出した反対派の古女房を、紫式部達がからかう場面を読む。
さて舞姫たちが宮中に入ってから、三日目になる。いよいよ新嘗祭の当日である。天皇は舞姫を午前中に清涼殿でご覧になった。
「朗読」童女を見ている紫式部の心は複雑である。興味と気の毒さと。
かかる年だに、御覧の日の童女の心地どもは、おろかなるざるものを、ましていかならむなど、心もとなくゆかしきに、歩みならびつつ出で来たるは、あいなく胸つぶれて、いとほしくこそあれ。さるは、とりわきて深う心よすべきあたりもなしかし。われもわれもと、さばかり人の思ひてさし出でたることなればにや。目うつりつつ、劣りまさり、けざやかにも見えわかず。いまめかしき人の目にこそ、ふともののけぢめも見とるべかめれ。ただかくくもりなき昼中に、扇もはかばかしく持ちせず、そこらの君達のたちまじりたるに、さてもありぬべき身のほど、心もちゐといひながら、人に劣らじとあらそふ心地を、
いかに臆すらむと、あいなくかたはらいたきぞ、かたくなしきや。
「現代語訳」
今年のように普通の年でさえも、童女御覧の日の童女たちの気持ちは、並大抵の緊張ではない。今年はどんなだろうかと気に掛かって、早く見たいと思っていると、やがて付き添いの女房と並んで歩み出てきた様子には、胸が詰まって、本当に気の毒な感じがする。といっても特別、ひいきにする人がいるわけでもないので、あれほどの人達が我も我もと差し出してきたことだから、目移りして、その優劣も見分けられない。現代的感覚を持った人々の目には、優劣ははっきりみわけられるであろう。ただこのように、影もない日中に、顔を隠す扇も満足に持ちもせず、大勢の殿方が立っている中で、人に負けまいと競い合う気持ちは、どんなにか大変かと気の毒に思われる。こんな舞姫に同情している気持ちも我ながら嫌になる。
「朗読2」童女の描写。それから自分への思い。最初は童女の様であったが、今は経験豊富。
どこか空恐ろしくなる。
みな濃き衵(あこめ)に、表着は心々なり。汗衫は、五重なる中に、尾張はただ葡萄染(えびぞめ)を着せたり。なかなかなゑゆゑしく心あるさまして、ものの色あひ、つやなど、いとすぐれたり。下仕へのいと顔すぐれたる、扇とるとて六位の蔵人どもよるに、心と投げやりたるこそ、やさしきものから、あまり女にはあらぬかと見ゆれ、われらを、かれがようにて出でゐよとあらば、またさてもさまよひありくばかりぞかし。かうまで立ち出でむとは思ひかけきやは。されど、目にみすみすあさましきものは、人の心なりければ、いまより後のおもなさは、ただなれになれすぎ、ひたおもてにからむやすしとかしと、身の有様のゆめのように思ひつづけられて、あるまじきことにさへ思ひかりて、ゆゆしくおぼゆれば、目とまることも例のなかりけり。
「現代語訳」
みんな濃い紅の衵を、着て上着はそれぞれである。汗衫は皆五重のものを着ている中に、尾張守の童女は。
ただ葡萄(えび)色の襲(重ね)だけを着ている。それが却って由緒あり気に見えて由緒ある様子で、衣装の色合いや光沢など、とても優れている。下仕えの童女で容貌のいいものが、六位の蔵人が扇を欲しがって近寄ると、自分から扇を泣けたのは、けなげではあるが、女らしくないとも思われる。もしも私達がそこに出ていたら、こんな批評めいたことを云っていても、あがってしまってウロウロするだけだろうな。私だった以前はこんなにまで人前に出ようとなどとは想像したであろうか。しかしどうしようもなく浅ましいのが人間の心であるから、私の今後の厚かましさは、ただもう宮仕えに慣れで、
宮中での男と直接に顔を合わせるようなことも、簡単になっていると、わが身の成行が夢の様である。更にあってはならないことまで思われて、空恐ろしい事である。色々と考えていると、目の前の盛儀にも気もそぞろになって来る。
「講師」
童女を見つめる作者の心は複雑である。宮仕えに慣れた今の自分への思いもある。
「朗読3」ライバルである弘徽殿に昔、務めていた左京が年を取って介添え役で来ている。
これを皆でいじめにかかる。
侍従の宰相の五節局、宮の御前のただ見わたすばかりなり。立蔀のうえより、音にきく簾のはしも見ゆ。人のものいふ声もほの聞こゆ。「かの女御の御かたに、左京の馬といふ人なむ。いとなれてまじりたる」と、宰相の中将、むかし見知りて語りたまふを、「一夜かのかひつくろひにてゐたりりし、ひがしなりしなむ左京」と、源少将も見知りたりしを、もののよすか゜ありて伝へ聞きたき人々、「をかしうもありけるかなといひつつ、いざ、知らず顔にはあらじ。むかしこころにくだちて見ならしけむ内裏わたりを、かかるさまにてや出で立つべき。しのぶと思ふらむを、あらはさむの心御前に扇どもあまたさぶらふなかに、蓬莱つくりたるしも撰りたる。心ぱへあるべし、見知りけむやは。
「現代語訳」
侍従の宰相の舞姫の部屋は、中宮様のお部屋からすぐである。立蔀の上から、簾のはしも見える。人の声も聞こえる。
「あの弘徽殿の女御(藤原義子 藤原実成の姉)の女房の中に、左京の馬という人がもの慣れた感じで座っていたね」と宰相の中将が、見知っている左京の事を話されるのを聞いて、「先夜舞姫の介添え役でいた女房の内、東側に居たのがその右京ですよ」と、源少将も見知っていた。これを聞いた
女房達は「とても面白いことだわと口々に言って、「さあて、知らん顔してほっとけないわ。上品ぶって来てた宮中へ介添え役で出るなんて許せないわ。本人は隠れてやってくるつもりでしょうが、それを
ばらしてやりましょう。」といって、中宮様の前に扇が沢山ある中で、宝来の絵が描いてあるものを選んだのには趣向があるに違いないが、それを左京は理解したであろうか。
「講師」
ここから宮中の女性たちの陰湿な嫌がらせの話となる。紫式部は、その嫌がらせの被害者ではなく加害者なのである。この事は、紫式部の人間性を考える上で避けて通れないことである。まず左京と言う女房の存在がある。彼女は中宮彰子と対立している弘徽殿の女御に仕えていた女房であるが、年を取って引退していた。その左京が舞姫の介添え役として、宮中に顔を見せた。それをからかって
やろうと中宮彰子の女房達は勇み立つ。
侍従の宰相は弘徽殿の女御の弟。弘徽殿は、後宮で最も位の高い殿舎で皇后などが住む。
中宮定子が亡くなった後は、弘徽殿の女御が中宮彰子のライバルであったのだ。左京は身分の低い巫女の出身らしい。
宝来の絵をあげたのは、含む所がある。不老不死の理想郷だが、宮中こそ理想郷であるとする。
久し振りに蓬莱のような理想郷に顔を出して、あなたは今どんな気持ちですか。蓬莱から追い出されて、老いていくのは辛いでしょうねとの皮肉。宮中の女の真骨頂、紫式部も相当意地が悪い。
「朗読4」悪意に満ちた品々に、これまたあ水鶏歌を添えて、弘徽殿の女御からと偽って届ける
念の入れようである。
筥のふたにひろげて、日陰をまろめて、日陰をまろめて、そらいたる櫛ども、白きもの、いみじくつまづまを結びそへたり。
「すこしさだすぎたまひにたるわたりにて、櫛のをりざまなむなほほしき」と、君達のたまへば、今様のさまあしきまでつまもあはせたるそらしざまして、黒方をおしまろがして、ふつつかにしりさき切りて、白き紙一かさねに、立文にしたり。
大輔のおもとして書きつけさす。
おほかりし 豊の宮人 さしわきて しるき日かげを あはれとぞ見し
御前には、「おなじくはをかしきさまにしなして、扇などもあまたこそ」と、のたましすれど、「おどろおどろしからむも、事のさまにあはざるべし。わざとつかはすにては、しのびやかにけしきばませたまふべきにもはべらず。これはかかるわくしごとにこそ」と聞こえさせて、顔いるかるまじき局の人して、「これ中納言の君の御文、女御どのより。左京の君にたてまつらむ」と、高やかにさしおきつ。ひきとどめられたらむこそ見苦しけれと思ふに、走り来たり。女の声にて、「いづこより入り来つる」と問ふなりつるは、女御どののと、うたがひなく思ふなるべし。
「現代語訳」
箱のふたに扇を広げて、その上にヒカゲノカズラを丸めて乗せ、それに反らした櫛や、白粉など、とても念入りに整えた。
「盛りを過ぎた方だから、この櫛の反りようでは平凡だな」と、殿方が仰るので、当世風にみっともない両端を反らした形にして、さらに薫香を押し固めて、不格好にしたもの、別に白い紙二枚を一重ねにして立文にした。
手紙は、次の様に書いた。
大勢いた豊明の節会で奉仕する官人の中で、とれわけ目立ったヒカゲカズラのあなたを、感慨深くお見受けしました。
何も知らない中宮様は、「同じ事なら、趣のある様にして、扇などももっと沢山いれたら」と仰るが、「余り大袈裟なのも如何でしょうか。・・・・・・。と申し上げて、顔の良く知られていない人を使いにやって、{これは中納言の君(弘徽殿女御付きの女房名)が、左京への女御の手紙を届けるということである。使いの者は「これは中納言の君からお預かりした女御からのお手紙です。左京様にお届けします」と、声高に言って置いてきた。引き留められたらみっともないと思っていたら、使いは走って帰ってきた。先方は女の声で、「どこからですか」とお付きに聞いているようであったが、疑え様子はなかったようである。
「講師」
悪意に満ちた歌の作者は紫式部。中宮彰子は、女房達のいたずらには気付かず、もっと良いものを贈ったらと言っている。新嘗祭で使うヒカゲノカズラを、敢えて入れたり先頭に立っているのは紫式部である。
いつ詠んでも後味の悪い部分である。それにしても、紫式部が老女に対するいじめに参加するだけでなく、首謀者であるのは驚きである。左京へは度が過ぎている。源氏物語では「末摘花」達を、作者は平気で嘲笑っている。このいじめが紫式部日記では、更に高まっていく。これが清少納言や和泉式部に対する辛辣な悪口になっていくのだ。
やがて五節の舞姫たちは宮中を去っていく。宮中には淋しい雰囲気が漂う。
「朗読5」祭後の寂しさを言っている。
何ばかりの耳とどむることもなかりつる日ごろなれど、五節過ぎぬと思ふ内裏わたりのれはひ、うちつけにさうざうしきを、巳の日の夜の調楽は、げにをかしかりけり。若やかなる殿上人など、いかになごりつれづれならむ。
「現代語訳」
耳に留める事のなかったこの数日間ではあるが、五節がもう終わった内裏の様子は、急に寂しい気がするが、巳の日の夜に行われた雅楽の練習は面白かった。若い殿上人たちは、名残が尽きず、
所在無い気持ちであったろう。
「コメント」
目の色を変えた集団いじめのリ-ダ-の紫式部が描かれている。それまでに色々と有ったろうし、逆もあったのであろう。
賢い敏感な女房たちの群れる宮中では最もあり得るのが、この手の事。紫式部が先頭なのは残念ではある。