220108紫式部日記⑮「五節の舞姫」
今回は中宮彰子が、敦成親王の出産を終えて、宮中に戻る場面と、五節の舞姫の前半を読む。その時の内裏は、里内裏のある一条院であった。里内裏とは、御所が火事で焼けたりした時、天皇が母方である摂関家の邸に移って、ここを仮の内裏とすることである。長徳元年(999年)に、元の内裏は火事で焼けた。それに伴って、一条天皇は里内裏である、一条院で暮らしている。この一条院は、一条天皇の母・藤原詮子(道長の)が住んでいた邸である。紫式部達女房は、中宮彰子に従って、道長の土御門邸から里内裏の一条院まで移動する。2km程度の距離である。
紫式部は、仲の良くない女房と同乗させられた。
「朗読1」女房達は牛車に乗り合わせて移動する。紫式部は仲の悪い人と乗り合わせて、
気分を害している
入らせたまふは十七日なり。戌の刻など聞きつれど、やうやう夜ふけぬ。みな髪上げつつゐたる人、三十余人、その顔ども、見えわかず。身屋(もや)の東面、東の廂に、内裏の女房も十余人、南の廂の妻戸へだててゐたり。
御輿には、宮の宣旨乗る。糸毛の御車に、殿の上、少輔の乳母若宮抱きたてまつりて乗る。大納言、宰相の君、黄金造りに、次の車に小少将、宮の内侍、つぎに馬の中将と乗りたるを、わろき人と乗りたりと思ひたりしこそ、あなことごとし、いとどかかる有様、むつかしう思ひはべりしか。
「現代語訳」
中宮様が宮中にお入りになるのは、十七日である。時刻は午後八時と聞いていたけれど、段々と伸びて夜も更けてしまった。宮中用に正装の髪上げして控えている女房は三十人余り。その顔は見分けられない。母屋の東の間や、東の廂に、宮中の女房も十人余り、南の廂の妻戸を隔てて座っている。中宮様の御輿には、宮の宣旨が陪乗する。糸毛の御車には、道長様の北の方、それに少輔の乳母が若宮を抱いて乗る。大納言の君と、宰相の君は黄金作りの車に、次の車には小少将の君と宮の内侍、その次の車に私は馬の中将と乗った。中将が、好きでない人と乗ったと思っている様子なのは、勿体ぶっていて、私はこのような宮仕えを煩わしく思った。
「朗読2」嫌いな馬の中将と乗って、降りて歩く時の覚束なさを描写している。
殿守の侍従の君、弁の内侍、つぎに左衛門の内侍、殿の宣旨式部とまでは、次第しりて、つぎつぎは例の心々にぞ乗りける。月のくまなきに、いみじのわざやと思ひつつ、足をそらなり。馬の中将の君を先にたてたれば、ゆくへもしらずたどたどしきさまこそ、わがうしろを見る人、恥づかしくも思ひ知らるれ。
「現代語訳」
殿守の侍従の君、弁の内侍、つぎに左衛門の内侍、殿の宣旨式部というところまでは、順序が決まっていて、それから次々と女房達は思い思いに乗車した。車を降りると、月が隈なく照らしているので、きまりが悪いなあと思いつつ、足も地につかぬ思いで歩いた。馬の中将を先に立てて歩くので、何処へ行くのかもわからず、覚束なく歩いてゆく、その様子は、私の後ろ姿を見る人はどう見たろうかと、恥ずかしく思われた。
「講師」
さて、その後の様子を述べる。紫式部は一条院の中であてがわれた局に落ち着いた。移動中に、馬の中将と一悶着あったらしいことを聞きつけた役人が様子を見に来た。又道長が中宮彰子に贈った物の中に、和歌を集めた歌集があった。そして、ここで群書類従の「紫式部日記」の上巻は終わる。次の場面から下巻に入る。下巻には紫式部の辛辣な人物評があって、一層面白くなる。
この様にして紫式部の一条院での宮廷生活が始まったのである。戻ったのは11月17日。次の大きな行事は新嘗祭。その翌日は豊の明かりの節会。五節の舞姫と呼ばれる少女たちが舞を披露する。
「朗読3」中宮彰子が、五節の舞姫の装束を下賜される様子を描く。
五節は二十日にまゐる。侍従の宰相に、舞姫の装束などつかはす。右の宰相の中将の、五節にかづら申されたる、つかはすついでに、筥一よろひに薫物入れて、心葉、梅の枝をして、いどみきこえたり。
「現代語訳」
五節の舞姫は、十日に内裏に参入する。中宮様は、舞姫に関係する様々なものを賜る。詳細省略。
「講師」
舞姫を差し出すのは、公卿が二人、国司が二人。計四人。紫式部は舞姫を詳しく観察している。
「朗読4」舞姫は光煌々とした中で入場する。私地は幕で隔てられているが、あからさまに見られているようで憂鬱である。
にはかにいとなむつねの年よりも、いどみましたる聞こえあれば、東の、御前のむかひなる灯の光、昼よりもはしたなげなるに、あゆみいるさまども、あさましうもつれなのわざやとのみ思へど、人の上とのみおぼえず。ただんう、殿上人のひたおもてにさしむかひ、脂燭ささぬばかりぞかし。屛幔ひきおひやるとすれば、おほかたのけしきは、同じごとぞ見るらむと、思ひ出づるも、まず胸ふたがる。
「現代語訳」
差し迫って準備される例年よりも、今年は競い合って立派だと評判であったが、当日は東の御座所の向かいにある蔀の所に、隙間もなく点された灯が、昼間よりもきまりが悪いほど、赤々と照らしている。舞姫が入場してくる様子なども、よくもまあ平気で取り澄ましていると思うけれど、それは人の事ばかりではない。ただこうやって殿上人と面と向かって顔を突き合わせているが、脂燭を照らしていないだけのことなのだ。幔幕で遮ってあるとしても、中の様子は大体、同じ様に見られていることだと思うと、自分の事を思い出すだけで、憂鬱になってしまう。
「朗読5」いよいよ、五節の舞が清涼殿で始まる。若宮誕生でいつもと少し違っているのを、
作者は描写している。
寅の日のあした、殿上人まゐる。つねのことなれど、月ごろにさとびにけるにや、若人たちの、めづらしと思へるけしきなり。さるは、擦れる衣もみえずかし。
その夜さり、東宮の亮めして、薫物たまふ。大きやかなる筥ひとつに、高う入れさせたまへり。尾張へは、殿の上ぞつかはしける。その夜は午前の試みとか、上に渡らせたまひて御覧ず。若宮おはしませば、うちまきし、ののしる、つねにことなる心地す。
「現代語訳」
寅の日の朝、殿上人が中宮様の御前に参上する。例年のことだけど、ここ数ヶ月の里帰りの間に里馴れてしまったのか、若い女房達は、それを珍しがっている。それにしても、今日は例の青摺りの衣を見ないことだ。
その宵方、中宮様は東宮の亮をお召しになって、薫物を賜る。大きい筥一つに、うず高くお入れになられた。尾張守には道長様の奥様がつかわされた。その夜は、御前の試み(五節の舞)とかで、中宮様も清涼殿にお出でになって御覧になる。若宮様もご一緒なので、魔除けの散米(うちまき)などして、大きな声がするのがいつもと違っている。
「朗読6」 気が進まなくて囲炉裏に当たっていると、道長に強引に連れ出される。緊張の
あまり、舞姫の一人はきぶんが悪くなって退出する。若い殿上人が、色々と知った
かぶりの話をするのを、不愉快に聞いている。
もの憂ければ、しばしやすらひて、有様にしたがひてまゐらむと思ひてゐたるに、小兵衛、小兵部なども、炭櫃にゐて、「いとせばければ、はかばかしうものも見えはべらず」などというほどに、殿おはしまして、「などてかうて過ぐしてはゐたる。いざ、もろともに」とせめたてたまひて、こころにもあらずまうのぼりたり。舞姫どもの、いかに苦しからむと見ゆるに、尾張の守のび、心地あしがりていぬる、夢のように見ゆるものかな。ことはてて、下りさせたまひぬ。
このころの公達は、ただ五節所のをかしきことを語る。「簾のはし、帽額さへ、心々にかはりて、出でゐたる頭つき、もてなすけはひなどさへ、さらにかよはず、さまざまになむある」と、聞きにくく語る。
「現代語訳」
私は気が進まないので、暫らく局で休んで、御前に参上しようと思って、小兵衛、小兵部なども囲炉裏の傍に座って「会場はとても狭いので、思うように見えないわね」などといっている時に、道長様がお出でになって、「どうしてこんなことをしているのかな、さあ一緒に見に行こう」と急き立てなさるので、不本意ながら、御前に参上した。
舞姫たちはどんなに苦しいだろうと見ていると、尾張守の舞姫が、気分が悪いと言って退出した。この事は夢のように見える。やがて五節の舞は終わって、中宮様は退出された。
この頃の若い殿方たちは、五節所の趣深い事を話している。「簾の端や、帽額(かざり)さえも、それぞれの部屋ごとに趣が変わっていて、そこにいる介添えの女房達の髪恰好や、立ち居振る舞いまで、同じでなく、それぞれに趣がある」などと聞き辛く話していた。
「コメント」
ベテラン女房の紫式部にはそう珍しい事でもない。ずるけていると道長が連れ出しに来る。若い公卿たちが、知ったかぶりして色々と言っているのを、不愉快に聞いている。古手の女房の典型か。