211002紫式部日記②「土御門邸の秋」
今日から本文を読む。江戸時代から昭和四十年まで、読まれ続けて来た「群書類従」アンソロジ-の本文を使う。
この「紫式部日記」がどのような性格のものなのか、説明をする。
本人が述べるとすれば次の様であろう。
「これから話すのは中宮彰子様と、その父藤原道長様の真実の姿である。彰子様は一条天皇の妃である。それより前に従姉妹の定子様が入内されていたが、8年前にお亡くなりになっていた。(定子は道長の兄藤原道隆の娘、一男一女の母)
私が、彰子様の女房として4年間、宮仕えした想い出から始めよう。当時は個性的な女房が多かった。道長様と彰子様は、世の中の幸せを殆ど手に入れていたが、残念ながら、次の天皇候補の皇子の誕生が無かった。今まさに生まれようとしている。場所は土御門邸である。そして、それを見守りながら、「源氏物語」を書いている。」
「朗読1」冒頭部分 土御門邸にお産のために里帰りした彰子。ここで秋の風情。安産の為の読経が続く。
秋のけはひ入りたつままに、土御門殿の有様、いはむかたなくをかし。池のわたりの梢ども、鑓水のほちりのくさむら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたのひらも艶なるに、もてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまさりけり。
ようよう涼しき風のけはひに、例の絶えせぬ水のおとなひ、夜もすがら聞きまがはさる。
「現代語訳」
秋の風情が一面に立ち込めるにつれて、土御門邸の佇まいは趣がある。池の岸辺の木々の梢や、鑓水の当たりの草むら、それぞれに色づいて、空一帯も雰囲気があって、安産祈願の継ぎ目のないお経の声も、しみじみとする。次第に涼しい風の気配に、いつもの絶え間ない水の音が、夜もすがら読経の声と交じって、紛らわしい。
「講師」
清少納言の「枕草子」は、「おかし」、紫式部日記の文体は「あわれ」の文学と言われる。
前者は明るく、後者はどこか暗いのである。
「朗読2」中宮彰子が、辛い態を見せずに、健気でいる事への賞賛である。私の夫を失って、
辛い気持ちも忘れられる。
御前にも、近うさぶらふ人々、はかなき物語するを、聞こしめしつつ、なやましふおはしますべかめるを、さりげなくもてかくさせたまへる御有様などの、いとさらなることなれど、憂き世のなぐさめには、かかる御前をこそたづねまゐるべかりけれと、うつし心をばひきたがへ、たとしへなくよろづ忘らるるも、かつはあやし。」
「現代語訳」
近くお仕えする女房達の、とりとめもないお話を、中宮定子様はお聞きになりながら、さぞ大変であろうと思うが、さりげなくお過ごしなさっている。そのお心遣いのご立派な事で、物憂いこの世の慰めに、私の気持ちとは違って、色々な事が忘れられるのは、不思議なことである。
「朗読3」 女房達が格子を上げよと騒いでいる夜明けが近い頃に、お経が始まって、荘厳で
ある。
まだ夜ふかきほどの月さしくもり、木の下をぐらくら、御格子まゐりなばや」「
女官はいままでさぶらはじ」「蔵人、まゐれ」など、いひしろふほどに、後夜の鉦うちおどろかして、
五檀の御修法の時はじめつ。われもわれもとうちあげたる伴僧の声々、遠く近く聞きわたされたるほど、おどろおどろしく、たふとし。」
「現代語訳」
まだ夜明けに間がある頃の月が雲隠れして、木の下蔭も暗く、「御格子を上げたいね」「でも女官は
こんな頃までいるかしら」「蔵人は上げなさい」などと言っている内に、後夜の鉦が打ち鳴らされ、勤行が始まった。僧たちが競って読むお経の声が、遠く近くに響いて、身の引き締まるように尊い。
「朗読4」高僧たちと、その伴僧たちの読経の尊い様子と、それらが帰っていく様を描写して
いる。
観音院の僧正、東の対より二十人の伴僧をひきいて、御加まゐりたまふ足音、渡殿の橋の、とどろとどろと踏み鳴らさることごとのけはひには似ぬ。法住寺の座主は馬場の御殿、浄土寺の僧都は文殿などに、うちつれたる浄衣姿ゆえゆえしく唐橋どもを渡りつつ、木の間を分けてかへり入るほども、
はるかに見やらるる心地して、あはれなり。さいさ阿闍梨も、大威徳をうやまひて、腰をかがめたり。人々まゐりつれば、夜も明けぬ。
「現代語訳」
観音院の僧正が東の対屋から、二十人の僧を引き連れて加持祈祷をしに行く足音、渡り廊下の足踏みで、どんどんと踏み鳴らされる音は、普段とは違うのだ。法住寺の座主は馬場の御殿、浄土寺の
僧都は文殿へ、そろいの法衣姿で、立派な唐橋を渡って、木々の間を帰っていく。尊いその姿を見て腰を屈めたものだ。女房達も出仕してきて夜が明けた。
「コメント」
綿々と夫への不満を書き綴られた「蜻蛉日記」と余程雰囲気は違う。この時期、夫は亡くなっていたのか。それにしても、彰子のお産の場面からとは、すごい書き出し。