210724蜻蛉日記⑰鷹を放つ道綱」

今日は、蜻蛉日記の中でも、広く知られた場面を読む。

道綱が大切にしていた鷹を解き放って、母への強い愛情を示す場面である。作者は相変わらず、

兼家の訪れの少なさに苦しんでいる。そんな日の情景が、生育の悪い稲を巡って、描かれている。

「朗読1」光の射さない所に植えた稲の苗が、育たないのを見て、夫が来ない私の様だと思う。

さいつころ、つれづれなるままに、草どもつくろはせなどせしに、あまた若苗の生ひたりしを取り集めさせて、屋の軒にあてて植えさせしが、いとをかしうはらみて、、水まかせなどせさせしかど、色づける葉のなづみて立てるをみれば、いと悲しくて、
いなづまの光だに来ぬ屋がくれは軒端の苗ももの思ふらし

とみえたり

「現代語訳」

先頃、庭の草の手入れをさせた時に、稲の若苗が生えていたのを集めて、家の軒下に植えさせた。その苗が、穂をつけて来たので、水をやったりしていたが、今は生気なく立っているのを見ると、とても悲しくなって、次の歌を詠んだ。

稲妻の光も届かない家の蔭では、苗も物思いに沈んでいるようだ。まるで、夫の来ない私の様に。

「講師」

雷の事を稲妻という。稲の夫と言う意味。夫である稲妻の光を浴びて、妻である苗ははらんで、実ると信じられていた。作者の所に、兼家が訪れないので、作者は生き甲斐を失っている。稲の苗に、自分を例えて描写している。

 

「朗読2」手紙が来て間もなく、あの人が来る。物忌が有ったので、来られなかったと言い訳

      するので、腹立つ。

文あり。「文ものすれど、返りごともなく、はしたなげにのみあめれば、つつましくてなむ。今日もと思へども」などぞある。これかれそそのかせば、返りごと書くほどに、日暮れぬ。まだ行きもつかじかしと思ふほどに、見えたる。

人々、「なほあるようあらむ。つれなくて気色を見よ」など言へば、思ひかへしてのみあり。

「つつしむことのあればこそあれ、更に来じとなむわれは思はむ。人の気色ばみ、くせくせしきをなむ、あやしと思ふ」など、うらなく気色もなければけうとくおぼゆ。

「現代語訳」

あの人から、手紙が来た。「手紙を出したが返事もなく取り付く島もない様子なので、遠慮しているのだ。今日でも行こうと思っているけど」等と書いてある。侍女たちが勧めるので返事を書いている内に、日が暮れた。返事がまだ着かないだろうと思う頃に、あの人がやってきた。

侍女たちが、「何か訳が有るのでしょう。知らぬ顔で様子をみましょう」などと言うので、我慢していた。

「物忌などが続いたので、来られなかったのだ。来ないなどとは、思っていない。あなたの機嫌が悪い様なので、どうしてかと思っていたのだ。」などと、いって機嫌が良いので、疎ましく思う。

 

「朗読3」又、明日明後日の内に来るよと言うが、日にちだけが経っていく。

つとめては、「ものすべきことのあればなむ。今明日明後日のほどにも」などあるに、思はねど、思ひなほるにやあらむと思ふべし、もしはた、このたびばかりにやあらむとこころみるに、やうやうまた日数過ぎゆく。さればよと思ふに、ありしよりもけにものぞ悲しき。

「現代語訳」

翌朝は、「用事があるので、今夜は来られない。明日明後日の内に来るよ。」などと言うが、本当とは思わないが、そういえば、私の機嫌が直るとでも、思っているのだろう。様子を見ていると、又日数

ばかり経っていく。やっぱり、そうだと思うと物悲しい気になる。

 

「朗読4」悩み事を、息子に話して、尼になろうと思っていると言う。息子は、なれば私も出家

     しますと、鷹を放してしまう。

つくづくと思ひつづくることは、なほいかで心として死にもしにしがなと思ふよりほかのこともなきを、ただこのひとりある人を思ふにぞ、いと悲しき。人となして、うしろやすからむ妻などにあづけてこそ、死にも心やすからむとは思ひしか、いかなるここちしてさすらへむずらむ、と思ふに、なほいと死にがたし。「いかがはせむ。かたちを変へて、世を思ひ離るやとこころみむ」と語らへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじうさくりもよよと泣きて、「さなりたまはば、法師になりてこそあらめ。なにせむにかは、世にもまじらはむ」とて、いみじくよよと泣けば、われもえせきあへねど、いみじさに、たはぶれに言ひなさむとて、「さて鷹飼はではいかがしたまはむずる」と言ひたれば、やをら立ち走りて、し据ゑたる鷹を握り放ちつ。見る人も涙せきあへず、まして日暮らしがたし。ここちにおぼゆるよう、

あらそへば思ひにわぶるあまぐもにまづそる鷹ぞ悲しかりける

とぞ。日暮るるほどに、文見えたり。天下のそらごとならむと思へば、「ただいまここち悪しくて」とて、やりつ。

現代語訳」

しみじみ思い続けることは、何とかして死んでしまいたいと思うのだが、ただあの子の事を想うと、

悲しくなる。一人前にして安心できる妻と結婚させれば、死ぬのも気が楽だと思っていたが、このまま死んだらあの子はどうするだろうと思うと、とても死にきれない。あの子に「どうしようか。尼になって、執着を断ち切れるか、試してみようかと思う」と話すと、子供なので深い事情は分からないのだが、

とても泣いて、「そうなったら、私も法師になってしまいます。何の生き甲斐があるでしょうか」と言って又激しく泣く。私も涙を堪えきれないけれど、冗談にしてしまおうとして、「法師になったら、鷹は飼えなくなってしまうよ、どうするの」と言うと、やおら立ち上がり走って行って、鷹を放してしまった。見ていた

侍女たちも、涙を堪えきれないし、私もいたたまれない思いで、次の歌を詠んだ。

辛いので尼にでもなろうかと、子供に打ち明けると、あの子は、鷹を空に放って、法師になる気持ちを示すとは、なんと悲しいことだろう。

夕暮れに、手紙が来る。どうせ、嘘だろうと思ったので、「今は、気分が悪いので」と言って、使いを

返した。

「作者」

道綱が鷹を、空に放つ場面である。出家して、母に殉ずる覚悟を示したのである。

 

「コメント」

夫婦のもめ事を、子供に言って大いに心配させる問題ママである。これでは、父親との関係もおかしくなる。

 

何とも我儘な困ったチャン。でも、現実にあったであろうと思わせる臨場感がある。